「ノー・ネイチャー」 スナイダー詩集 <3>
「スナイダー詩集 ノー・ネイチャー」 <3>
ゲーリー・スナイダー/著 金関寿夫/訳 加藤幸子/訳
2002/01 思潮社 単行本 233P
★★★★★
目が覚めると、自分はまだ街の事務所の簡易ベットの上に寝ている。
10月も半ばというと、体が冷える。寝袋の他にもうひとつ、毛布が必要になってきた。
体を温めるため、風呂に入る。夜なかの2時半。他の家族が入ったほとぼりが残っている。
電球を消したまま、しばし沈黙の中にいる。去来するのは、やりたいことのリストばかり。
心はすでに森に飛んでいるが、ひとつひとつを整理するために、ブログをいくつか書きあげる。
今日はゴミの日だからと、溜まった段ボール箱を片づけていると、腰に痛みがきた。
数日前から、その気配があったので、用心していたが、いよいよか。
年老いてからは、体の痛みは翌日ではなく、翌々日、あるいはもっと遅く来る。
だから昨日は、体を休めて、森におけるネット回線の調査などをしていた。
写真を撮ったり、コンテナハウスのレイアウトを考えたり。あるいは、将来的なログハウスやフラー・ドームの夢などを追っていた。
静かにひとりとぼとぼと歩いていると、いつもは遠巻きしている黒い烏が、ワーっと近くに舞い降りてきて、親しげに、あるいは、ちょっと小ばかにしたように、こちらを見ながら小首をかしげる。
その前の日は、丸太を割った。薪ストーブを設置したのだから、薪が必要だ。森にいると、薪ストーブはいい。あの暖かさと勇猛さ、薪を炊くために森にきた、とさえ言える。
先日、試し焚きは終わっているので、ひと冬でどのくらいの薪が必要か、ほぼ分かってきた。
だが、その薪割りに、今度は、私自身の体はついていくだろうか。
若い時は、体を使う仕事こそが本当の仕事だと思っていた。だから、道路工事、造園屋、測量技師助手としての山歩き、青果市場の配送、などなど、肉体労働、という言葉にさえ酔っていた。
だが、50過ぎあたりから、ちょっとしたことで、体が意見をいうようになった。目や、歯といった経年劣化組も、増えてきた。そして多少のことなら、我慢はするが、腰痛は、我慢できない。
腰痛と一言でいうが、その痛みは、あちこちに動く。前回こうだったから、今回もこうすればいいだろうと対策を練るのだが、そううまくも行かないことが多くなった。
温めたり、冷やしたり、動かしたり、固定したり、コルセットを巻いたり、杖をついたり。
整体院の院長である友人サキに言わせれば、年齢がそうなっているのだから、そう無理するな。とにかく体重を落とせ、そして、朝起きたら、布団の上で、短い時間でいいから体操をしろ、と言う。
体が痛い時は、この10代からの友人の言葉には従う気になるのだが、痛みが取れてしまうと、すぐ忘れてしまう。
もうひとりの古い友人であるYoshoroに言わせれば、Bhaveshはいつもやりすぎる。ほどほどにしなさいと、いう。
コピーライターの世界では結構ユニークな世界を描きだすのに、こちらの体のことと来たら、あまりにマトモ過ぎて、そうだね、とうなづく以外にない。
そこそこやるか。
そんなわけで、今日は朝から、体を休めて、スナイダーを読んでいる。
スナイダーの本も沢山あるが、読まずに図書館に返却することも多くなった。すでに何度も読んでいる本であるからだが、それ以上に、本を読んでいる暇がなかった。
具体的な、森での活動の、あれやこれやの構想が湧いて、それを書きとめる方が先だった。
この2ヵ月ほど、くるくる、たくさんのことがあった。
福島に行き、原発から24キロのところでキャンプした。その仲間たちのたくましさに圧倒された。
森への思いが再び盛り上がっているところに、森でバーベキューをやろうよ、と呼び掛けがあった。ああ、これを私は、ずっと待っていたのかもしれない。
オーナー・サマグロに許可を取り、草を払い、水路を清掃した。カマドを清掃し、薪を準備した。
テントを張り、実際の使い勝手を調べた。
あれこれあちこちの、小さな修理と、大きな決断。時には、壊し、時には作った。
コンテナハウスに窓を設け、薪ストーブを設置し、その暖かさに感動した。
杉材の伐採を若き友人ワタル君がしてくれたので、それを運び、薪割りの準備に入った。
森を歩き、ホップやアケビや、山椒の実を採取した。
クルミはもう終わっているのか、リスや他の動物たちに先をこされた。
私には、これから幾つかの夢がある。いや、いくつも、といったほうがいいだろう。
それでも、明確に、もっと絞り込んでいうと、二つある。
ひとつは、生まれたばかりの、わが孫たちと、ここでバーベキューをすることである。
もちろん、その前にメンバーや友人たちの多くを招待したい。
山の椒が、キッズ仕様になるには、もうすこし時間が必要だろう。
もうひとつはハグさんが、私に56歳と7ヵ月の祝いにくれた「ホワイトターラー」の直筆の絵を、この山の椒に飾ることだ。
どこがいいだろう。思案中。
直近では、キチンと整備できたら、コンテナハウスの壁に、まず飾ろう。
そして、その次は、いつかは、このホワイトターラーの為のお堂ができるかもしれない。
それもまた、すこし時間がかかるだろう。
そして、いつかはもっとみんなの夢が実現する場であってほしい、と思いながら、今日は、外の晴々しい秋の空を見上げながら、体を休めている。
そんな日に読むのは、スナイダーの、「ノー・ネイチャー」だった。
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