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2014/10/23

「マルチバーシティ・ジャパン」 多次元的な「新人類」の星へ<5>統合へのプロセス

<4>からつづく

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「マルチバーシティ・ジャパン事業」 多次元的な「新人類(New Man)」の惑星へ 科学と芸術と意識の融合のためのビジョン <5>
マルチバーシティ・ジャパン MVJ 2004/06 A5版 12P mixiコミュ PDF版あり

 さて、この企画書は2004年に作られたものである。すでに10年が経過しており、根幹を押さえてあるとしても、2014年のリアリティに基づき、各所においてバージョンアップが必要であることは言うまでもない。

 それらは今後、ひとつづつ改められるとして、まず、この「マルチバーシティ」という名称はいかがであろうか。

 そもそもは、単科大学カレッジが、総合大学ユニバーシティとなり、それがさらに拡大したものがマルチバーシティと理解されるのが一般的であろう。また、拡大しすぎて統一性を失ってしまった大学をマルチバーシティと称する、とした辞典もあったようだ。

 そもそもが、山の椒を大学という教育機関になぞらえることは適当かどうか。まずはそこからスタートする必要がある。

 そして、私たちがマルチバーシティという単語を使う場合、それは1988年に始まるOSHOとその門下の日本における歴史に思いを馳せる向きも多いに違いないのである。そのプロセスをこそ成就させたいと願う流れは、当然その名称を継続させるべきだ、と考えるかもしれない。

 あるいは、そのプロセスのあまりにも起伏の多い、長いストーリーに、挟雑音を感じ取る向きもあるかもしれない。

 しかし、意味的には、あの流れのプロセスであるし、また、この流れはその前からあった流れの伏流水みたいなものだ、と感じる人もいるだろう。

 いずれにせよ、この名前を使うこと自体、プロジェクトの大きな流れを決定づける。そもそも、もともとはOSHOマルチバーシティと名付けられるべきものだが、そこを外してあることも、話題となるポイントではある。

 1989年に先行して存在していた「伊勢マルチバーシティ」という企画書も、敢えてその冠の部分を外していたのが印象的だった。

 さて、それでは、「しぜん菜園 山の椒」という名称はいかがであろうか。こちらもまた奇しくも2004年に個人の家庭菜園としてスタートしたものだが、すでに10年の時間が経過している。

 そこでは数々の個人的な営みが行われてきたが、具体的には3・11大震災の影響と、オーナーの高齢化に伴う、環境の変化が現われている。Yo002

 実際には、大規模半壊した街の自宅の修復に時間がかかり、こちらの運営は手薄になってしまっているという実体がある。

 パーマカルチャーなどの立場から考えてみれば、しぜん菜園というのは、とても素敵な名前だと思うし、その後を使わしてもらっている私など、その、しぜん菜園まで復活させることさえ、個人的には大変だな、と感嘆している。少なくとも、オーナーのこれまでの取り組みには脱帽である。

 ここでひとつ余談ではあるが、山の椒という言葉の英語表記にはYah Man Oshoというアナグラムが、偶然に入り込んでいるのは、痛快である。

 また、この地から遡ること、私たちの共同性は1989年当時に、同じようなプロジェクトで、県内に数千坪の土地の可能性を見つけようとしていたことも、メモしておく必要があるだろう。

 それはそれとして、さて、これから何事か、多数の人々とワークを共有しようという時に、さらにイメージを重ねるためには、どうすればいいか。そこで、4年前、3・11大震災の直前に考えられたのが、エコビレッジという概念だった。

51cfesptlyl これまで、マルチバーシティの他に、共同体や、コミューン、リゾート、などなど、さまざまな呼称で、同一内容を表現しようとする試みが行われてきた。実際のスペースや、目的、集まってくる人々の中から、よりフィットした名称がいずれなじんでくるに違いない。

 他の人々の意見に同調して、私は現在の、そしてこれから次のステップを目ざす山の椒の名称はエコビレッジがふさわしいのではないか、と思っている。

 話題は大きく変わるが、名称の中にOshoを入れるかどうかは、かなり重大なテーマである。Oshoに関わる人びとにとっては、その名称を冠するかどうかは関心のあるところであるが、決してそれはOshoに関わらない人々を拒むという意味を持ってはいない。

 しかしながら、こちらがそう思っても、ある種の色付けで見られることはあり得ることであるし、それは善し悪しがついてくる。それはこれから集まってくる人々の意向が大きく反映されていくべきだと思うので、ペンディングにしておくに限るだろう。

 明確にしておきたいのは、山の椒のオーナーも、企画書を描いた人も、このブログを書いている私も、Oshoサニヤシンだということ。そして、サニヤシン以外の人々もプロジェクトに関わることを歓迎しているということだ。

 現実的に、いままで多くの友人たちが山の椒を訪れてくれ、協力してくれている。ひとつのネットワークを利用しつつ、さらに多くのネットワークにつながっていきたい、という意味では、意識のインターネットを拡大していきたい、というのが本当の願いである。

<6>へつづく

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