「庭仕事の愉しみ」 ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス <2>
「庭仕事の愉しみ」 <2>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 1996/06 草思社 322p 原書HERMANN HESSE FREUDE
AM GARTEN 1992
★★★★★
この本を前回読んでメモしたのは2007/10/14。今からちょうど7年前のことであった。もうそんなに時間が経過したのか。
あの時は、80代後半の母親が救急車で国立病院に運ばれ、つづいて手術を受けると言った事件が続出した時期だった。たまたま母親が入院した病院で、患者や、看病の家族のために、週末の図書貸し出しサービスが行なわれており、その中の一冊として借りたのだった。
幸いにして、母親はあれから7年間存命しており、年齢相応に体力は低下しているものの、いまだに元気であることは、当時手術を断行してくださった担当の先生に感謝申し上げなければならない。
私もまた、その頃は、二人の子供たちもちょうど自立したばかりの時で、永年の子育てから解放されて、ようやく次のステージを考えようとしている時だった。同居しているわけではないが、親の介護の話が現実となり、また、自らの老いを如実に感じ始める頃だった。
当ブログの読書ブログも、ようやく800冊目あたりで、ややスピードが出てきたころであっただろうか。図書館ネットワークも見事に繋がりだし、その機能の便利さに圧倒されていた時代であった。
あれから7年。そのちょうど中間に、3・11東日本大震災があった。
この本は、ヘルマン・ヘッセが生涯にわたって書き連ねた文章の中から、植物や園芸などについて書いた文章を、編集者のフォルカー・ミヒェルスがまとめて一冊にしたものである。だから、年代もまちまちであり、決して「庭仕事」に特化して書かれている本ではない。
しかしながら、この本をきっかけに、当ブログとしてはヘッセの本を沢山読み、全集にも手を伸ばして読み進めた。
「わが心の故郷 アルプス南麓の村」(1997/12 草思社)なんて本も素敵だったし、「ヘッセの水彩画」(2004/09 平凡社)なんて本にも、こころ洗われた。
7年前、庭仕事という言葉から連想するのは、我が家の、駐車スペース脇にある、ほんのちょっとした空き地に植えている植物たちをいじるくらいのイメージだった。小さいとは言え、キチンと整理整頓しておくには、それなりの気を使うのだが、それさえうまくこなせないでいた。
でも、ヘッセが庭仕事といいつつ、晩年はアルプスの山荘に移り住み、植物や山々に囲まれながら、思索し、文や絵を描いて暮らしていたことを知った時、いつかは自分もそんな風になれたらいいのに、と思ったのは確かだった。
今、私にも、宮城蔵王の麓に抱かれた里山の、あるスペースに縁ができたとするならば、あの時、この本を読んだことが、ひとつの大きなきっかけになっているように思う。
今、私にとっては、それは山仕事、森仕事になっているわけだが、その愉しみをまだまだ十分に味わいつくしたとは言い難い。いずれはそんな心境になり、文をしたためたり、絵を描いたりするかもしれない。
そんな日がくることを思って、きょうも森にいく。
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