「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<11>
<10>よりつづく
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<11>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09
単行本 145p より抜粋
★★★★★
エコビレッジは、生態系の回復、共同体の強化、地域経済の振興、精神的洞察力の深化などの観点から、社会の大きな目的に貢献しているものであると見なす傾向がある。ほとんどのエコビレッジは、世界中の多くの人々に、自らの教訓と見識を伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27
生態系の回復、p27 これはあまりにもむごい放射線汚染の実態を目の前に見せつけられているのが、現在の地球であるし、日本であるし、また、東北に住む私たちである。極限すれば、反原発、脱原発なのであり、もはや手遅れなのかもしれないが、それでもやはり、何かしなければ、という憂いは、エコビレッジ建設に向かわせる。
共同体の強化p27 町内会や自治会もまたひとつの地域コミュニティなのではあるが、個人情報保護の観点や、高齢化の結果から、私たちが暮らしている社会は、共同体の弱体化に向かっていると言える。顔の見える、ふれあえる関係という意味では、エコビレッジは共同体の強化のほうに向かっている。
地域経済の振興p27 これもずっと願っていることだが、ことはそう簡単に問屋がおろさない。近くの「エコシティ」を標榜していた、あすとナーガの街づくりも、結局は大手スーパーや世界的な大型店の出店で、地域経済の振興などは、願うべきもない。
たしかに賑やかになるのはいいのだが、その賑やかさの、一番おいしい部分は、どーんと持ち去られてしまう。地域に残るのは、ほんのわずかである。
精神的洞察力の深化p27 各論的テーマとしては、私は一番この項目がエコビレッジに適していると思うし、ここが抜けてしまえば、なんのためのエコビレッジか、と思う。さて精神的洞察力の深化p27 と一言でいうのは簡単だが、さらに、この本において、これらの言葉が、どのように使われているのかを、今後、さらに細かくみていきたいと思う。
社会の大きな目的に貢献しているものであるp27 かなりざっくりした表現だ。社会の「大きな目的」があるとするならば、「小さな目的」もあるに違いない。ようはここでは、エコビレッジとは、社会に反する存在ではなく、一般社会と融合し得るものだ、という位にとらえておけばいいだろう。
ほとんどのエコビレッジは、世界中の多くの人々に、自らの教訓と見識を伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27
自らの教訓と見識p27 ここの部分は微妙である。地域共同体や、血縁共同体などとは、ここで明確に切り離されたエコビレッジ独自の傾向を感じることになる。「教訓と見識」とは、翻訳された言葉であろうが、何を意味しているのだろうか。すくなくともここで、バックボーンとなる思想や哲学、あるいは人物としての存在がクローズアップされてくる。
伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27 エコビレッジがエコビレッジとして自足するものなのであるか、何事かの啓蒙的目的を持っているのかは、議論の分かれるところであるが、この本のこの部分においては、後者である、と結論づけている。
大雑把に言えば、エコライフ的な暮らしぶりは個人でする分には「誰にでも」できるのであり、また、集団性を持って共同体をつくることは、おそらく「どの共同性」においてもできるのである。しかるにこの本では、エコビレッジという暮らし方は、内部的に自足するばかりではなく、外部に向かって教育的な活動や、その他のデモンストレーション運動を行うものである、としている。
あるいは、それだけのアピール力のある存在が、エコビレッジと称される現代のうごめきなのであろう。
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