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2014/11/09

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<10>

<9>よりつづく
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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<10>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 さて、この本からの当ブログにおける抜き書きは、脈絡がなく、書き手すら誰だかわからないようになっているので、後日、さらに精読が必要だ。今は、とにかく、多少でも、あちこちの文面に対する自分のイメージをまずは先に書きとめておくことにする。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。p23

 エコビレッジを形成する運動・・・・分かったような、分からないような文面である。エコビレッジそのものの定義はすこしづつ明確になってきているが、ここでの「エコビレッジ」は、その概念や定義を「形成」する「運動」のことを言っているらしい。

 つまり、ここでのエコビレッジとは、そこに存在する現実のエコビレッジを言っているのではなく、結実点としてはそこに点在しているライフスタイルであるが、それらをひとつひとつ形作っているのは、多岐にわたる思想や実践、理論、あるいは歴史である、ということを意味しているようだ。

 つまり、土地があったり、森があったり、家があったり、村があったりするが、それは、ひとつの「花」としてあり、その花を咲かせるには、根があり、茎があり、枝があり、葉があり、と、沢山の要素が必要だ。

 グローバル経済への従属に対抗するp23 ここでは、単純にグローバル経済を「悪」と決めつけることはできないだろう。むしろ、地産地消とか、身土不二に近い概念として、グローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段。p23 という言葉を使っているのであろう。ひとつのサイクルが目の前で完結している、そういうシステムを構築しようとしているのであろう。

 世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 世界中で、p23という表現もいまいちである。早い話が、一地域の特殊なケースだけが存在するのではない、ということをいいたいのであろう。たしかに、その「花」たちは複数の地域に点在しているのだが、決して世界の「運動」の大勢になっているのではない。

 現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力p23 競争や暴力などは、必ずしも現代にばかり存在するものではない。あるいは規模を問わなければ公害もまた、現代に突如登場したものだ、とも言えない。浪費もまた、そのとおり。

 しかしこの文脈においては、現代生活の、特にデメリット面を強調すれば浪費、公害、競争、暴力、ということになり、これらを克服しよう、という模索があるのは当然である。

 抜け出そうとする共同体を構築しつつあるp23 「抜け出そう」としているのは本当だろう。しかし、そこを抜けだすとは、どういうことなのかを、明確にし得ているだろうか。浪費、公害、競争、暴力 を「抜けだし」ているだろうか。

 「共同体」を構築できれば、浪費、公害、競争、暴力から抜け出p23 しているといえるのだろうか。おそらく違う。「共同体」を構築しなければ、それらの「悪」から抜け出せないというのは、ちょっと図式が幼稚すぎないだろうか。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 非常に楽観的であり、勧善懲悪的に対置されていて、図式としては分かりやすいが、これでは、正義の味方「エコビレッジ」の参上、という漫画チックな「運動」になってしまうのではないだろうか。

 と、ここまで皮肉を言うのは、現実に、「エコビレッジ」という形態が、地球上にほとんど存在していないからだ。この本に登場しているも、ほんの数少ないレアケースだけである。偶然成功した、世界でも注目されるようなケースだけなのである。

 地球全体の人口に対するエコビレッジに住んでいる人口は、ごくごくわずかでしかない。そして、これが今後、急速に地球上に広がっていくはずだ、とする予測も、無責任な楽観主義者たちの仕業である。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 スローガンやプロパガンダなら、これでもいいだろう。だが、現実を見れば、物事は、そう簡単ではないよ、と冷笑してしまう。

<11>につづく

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