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2014/11/09

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<12>

<11>よりつづく
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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<12>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 まさにエコビレッジという概念がはたして首尾一貫性を保持するのか、という疑問を持たれるのも当然である。エコビレッジという言葉がそうしたさまざまな環境・ビジョン・戦略を説明するのに使用されているならば、その言葉がもつ本当の意味を保持することができるであろうか。私はできると思う。なぜなら、それは、5つの基本的特性に基づいているからである。どのエコビレッジも、程度の差こそあれ、以下の5つの基本的特性を共有していると見なすことができる。p42

 ちょうど3・11大震災の一ケ月前のことだったけど、私より若いが、古くからの友人が亡くなった。その葬儀の時に集まった古い仲間たちと談笑していて、私が「エコビレッジをやろうと思っている」と話したら、隣の、やはりまだ若い古い女性の友人が言い放った。

 「もう、みんなエコ疲れしてんじゃない。エコエコって、もう飽きちゃった」

 たしかに当時はエコカー減税とか、エコバッグで、買い物袋は有料だとか、なんだか寸断されたエコ話があちこちに転がっていて、たしかに「もう飽きちゃった」と言われれば、反論できなかった。返す言葉がなかった。

 でもなぁ、私にも言い分があった。そのエコエコと、エコビレッジのエコの意味は違うよ。なにか物をどうかしようというのではなく、自分自身の生き方の問題なのだ。みずからの人生を、どのような場におくのか。どのように地球人として生きていくのか、という問いかけこそが、エコビレッジというライフスタイルの選択なのだ。

 その直後に3・11は来た。エコバックがどうしたとか、エコカーがどうしたとか、あるいは、もっと言うなら、エコビレッジがどうした、とかいう議論をはるかに超えたスケールで地球は反応してきた。

 まさにエコビレッジという概念がはたして首尾一貫性を保持するのか、という疑問を持たれるのも当然である。p42

 エコもビレッジも、ことさら新しい言葉ではない。だから、簡単にそれぞれが自分勝手にイメージしてしまう。わかった風な解釈がいくつも成り立つ。あるいは、そのお手軽なイメージしやすいところが、この言葉のよいところでもある。

 しかし。その概念が、首尾一貫性を持っているかどうかは、実に不明瞭なのである。

 エコビレッジという言葉がそうしたさまざまな環境・ビジョン・戦略を説明するのに使用されているならば、その言葉がもつ本当の意味を保持することができるであろうか。私はできると思う。p42

 私もまた、実はエコビレッジという口当たりの良い言葉を、あまり玩味せずに使っていた。実は私の言葉としてはコミューンなのである。しかしながら、そっちもまた不明瞭であるばかりか、すでにイメージは古びていて、手垢がつきすぎている嫌いがある。だから、コミューン≒エコビレッジ、としてこの言葉を使っていたのだった。おあいこである。

 なぜなら、それは、5つの基本的特性に基づいているからである。どのエコビレッジも、程度の差こそあれ、以下の5つの基本的特性を共有していると見なすことができる。p42

 さぁ、いよいよでてきたぞ。さて、その5つの基本的特性とはなんだろう。

<13>につづく 

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