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2014/11/04

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<7>

<6>よりつづく

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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<7>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。しかも、私は、世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させると信じている。その1つは、人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にあるということ、もう1つは、人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活の復活と向上にしかないということである。p9

 絵に描いた理想像をいくら繰り返していても、切りがない。ここは具体的に、ソフトとしての「マルチバーシティ事業案」と、ハードとしての「山の椒」を叩き台として、リアリティとしての「Yah Man Osho」を念頭において、議論を進めたいと思う。

 いろいろ異論があるところであるが、ソフトの「マルチバーシティ」(略称)は、1980年代末にOshoムーブメントの一環として日本でスタートしたものであり、ひとつのインスピレーションのもとに、さまざまな企画案が練られてきた。

 ここでは、その経緯を深く掘り下げないが、少なくともこの企画書が書かれた2004年当時からここ十年の流れをそれとなく押さえておく必要もあろう。具体的には、この企画は、各方面からの期待があったものの、実体としては分かり得ないものであった。

 いくつかその理由はあるが、具体的には、土地が見つからず、またその土地を得る、という実力を持ち得なかった、というのが、最大の理由である。

 一方、「山の椒」はおなじく2004年前後に個人的な家庭菜園としてスタートしたものの、かなりのスペースがあり、3・11大災害を経験したあと、オーナーの高齢化の問題もあり、その広大なスペースを活かしきる企画に、いまひとつ出会えていないことが指摘されている。

 つまり「マルチバーシティ」はハードを求めており、「山の椒」はソフトを求めている。ここで、うまくマッチングがいくかどうか。

 いままでも水面下では留意されていることであろうし、今後、いつかは噴出する問題であろう、一つのテーマを明記しておく。Oshoをどうとらえるか、ということである。

 「マルチバーシティ事業案」を読めば、そこには名前としては冠することなくとも、Oshoのビジョンを借りながら、その門弟たちが具体化を急いできたプロセスであることがわかるのであり、すでに四半世紀を経たプロジェクトであることはすぐわかる。

 かたや「山の椒」オーナーもまた、その門弟の一人であり、Oshoのビジョンを30数年の間生活の指針としてきた、ということも明白となっている。当然、友人知人にそのネットワークが多くあるのは自明の理である。

 ただ、さらに明確なことは、この全体性は、必ずしも党派性として閉じられた動きではない、ということだ。つまり、Oshoを知らない人や、一定の距離を置いている人々を排除するものではない、ということである。

 いや、むしろ、Oshoは、そのネットワークが大事なことはあきらかだが、その周辺の人々や、距離を置く人、あるいは対極にある人々の存在なくしては、具象化し得ない運命にあるとさえ感じる。

 そう言った意味合いにおいて、今は山の椒のアナグラムの中に「Yah Man Osho」の可能性を見て、かすかにその名前の中にOshoの痕跡を残しておきたい。つまり、仮称である。

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。p9

 さて、それでは「目的共同体」と言ったときに、「Yah Man Osho」にとっての共同目的とはなにか。それは地縁血縁でできたものではないし、産業や経済の経過で出来上がっていくものではない。最大の「目的」はスピリチュアリティにある。

 そして、宗教都市や、文化施設、思想団体というくくりで言えば、いたずらな伝統に振り回されて、迷信化されているものもあるが、それらを排除して、より先進的で科学的である必要があるだろう。

 「Yah Man Osho」が自ら「最も革新的で最も可能性のある形態である」とまで、自画自賛できる日はくるだろうか。それはかなり矛盾にみちた行為であるが、しかし、革新的であったり、可能性であったりするものを、常に受容するシステムを事前に組み込み込んでいく必要があるだろう。

 人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にある・・p9

 現在のところ、「Yah Man Osho」の内側だけで生活を完結させるのは難しいし、それを目的とはしない。そもそもそこに定住していない。通勤農場であり、週末キャンプ場でしかない。しかし、将来もそうであることを意味しない。週末滞在から、長期滞在、季節滞在、やがて定住というプロセスは準備される必要あるだろう。

 その時、おそらく土地と人間の「再定住」のマッチングに時間がかかると同時に、人間対人間のマッチングのプロセスにも時間がかかるだろう。そこに生活が生まれ、小規模な社会が生まれれば、当然、協力的でなければならないし、また心身共に健康であることを目的とすべきであろう。そこからこそ「最善の状態」が導き出される。

 人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活の復活と向上にしかない・・p9

 この土地が温泉付き別荘地として開発されたのは今から40年ほど前、家庭菜園として再利用され始めたのが10年前である。今の段階で「唯一の持続可能な経路」を標榜するのは、かなり無理がある。しかしその可能性として、それを理念として追求していく姿勢を見せることは大事なことであろう。

 持続可能性とは、必ずしも、長い歴史を持っていることを意味しない。人間の生活がある時、その場所での循環可能性を見るということである。例えば、植物がその場に実り、その収穫物が人々の食卓をうるおし、副産物や廃棄物は、有効にその場で再利用される。

 電力やエネルギーにしても、風や水や太陽、そう言ったものを利用して、より自分の身近な目に見える世界での循環の中に、持続可能性を創り上げていく姿勢が必要であるということである。

 モノカルチャルな生産一辺倒でもなければ、享楽的な消費一辺倒でもないだろう。農業に限らず、生産と消費がひとつのセットになっている生活とはなにかを考える場になっていくべきだろう。

 伝統的な共同体生活の復活と向上にしかないp9

 この本は翻訳であり、またここは当ブログにおいては孫引きの部分にあたる。注意深く読み進める必要がある。伝統的な、と言う場合、ここでは必ずしも旧態依然とした因習を引き継いでいくことを意味しない。

 大家族から核家族、そして個族となってきたプロセスにおいて、巨大都市における孤独、孤立が弊害をもたらしてきた今、それに対置する形での、村的な共同生活のよかれと思われる部分の見直しを指しているのである。

 交通や情報の伝達など、あるいは工業製品がライフスタイルを一遍させてしまった今、それらを積極的に取り入れつつ、なお中心にひとりひとりの人間をおき、そのライフスタイルを模索しようというものであり、それが、「伝統的な生活の復活と向上」を意味するものだ、と理解しておく。

 世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させるp9

 大上段にスローガンを掲げることは、今はできないが、そういう方向性にあることは間違いないし、そのような「運動」の一環として捉えることができるのだ、と理解することができれば、今は小さな芽でしかない「Yah Man Osho」の可能性にも気付くことができるだろう。

 すでに環境保護運動という言葉でさえも、各論的には何を言っているのか明確にしていかなければならない。いずれは、リアリティに即した形で、何ができて、何ができないのか。何を退けて、何を掲げるのかは、おのずと明確になってくるだろう。

<8>につづく

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