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2014年11月の22件の記事

2014/11/30

「なまえのない新聞」No180 2014年3月号 今、ここでコミューンを生きる

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「なまえのない新聞」
2014/03 発行 アマナクニ 新聞スタイル A4版16ページ
Total No.3342

 日本のカウンターカルチャー史に燦然と輝く超ゆうめい新聞。70年代のカウンターカルチャーに関わりを持っていたと言っても、この「なまえのない新聞」を知らなかったら、その人はモグリである、と、そう断言してもいいほど、広く読まれてきた新聞である。

 70年代末に一時、休刊していたものの、88年に再刊してからは、驚くほどの長期に渡って号を重ね、紙版に加えて、ウェブ版も誕生し、日本カウンターカルチャー史、定点観測の目撃者でありつづけてきた。

 その特異な存在は、そもそもの編集者あぱっち氏の才覚によるのだが、多くの協力者を得なければ成立せず、その多くの協力者を引き寄せてしまう、あぱっち氏の人徳があればこその大偉業なのである。

 さて、今回は、この号にある田恩伊(Joen Uni チョン ウニ)さんという方の文章に触れておきたい。「因陀羅網 Indora's net---今、ここでコミューンを生きる」(p12)というタイトルである。

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 このページは、グリーン派の「なまえのない新聞」らしく、緑色のインクで印刷されている。これはこれでなかなかいいのだが、もう老眼鏡がないと本もスマホも見れない還暦男の私には、ちょっと見にくいかもね。どうかすると、ルーペも必要になるほどの細かい文字が並んでいる。

 この女性は韓国出身の方で、現在、関西にある大学の大学院に奉職されている方らしい。そして、社会学とかコミューンとかを研究しているのではないかしらん、と推測する。

 大学でコミューンを研究する、ということと、コミューンを生きる、ということにはギャップがあると思うが、このようなテーマをご自身の主テーマとして研究されているというのは珍しいだろうし、また貴重であるように思う。あるいは、うらやましい。

 SNSで情報交換したら、そのうち、私たちの森にも訪問してくれるかもしれない、とのことである。外交辞令(ではないことを願いたい)かもしれないが、なんともうれしいメッセージである。

 この地図はソンミ山マウル(村)というコミューン、あるいはエコビレッジの地図らしい。「なまえのない新聞」では、この号と前後して、もっと詳しい情報が書かれているようなのだが、私はまだ強不足。でも、この地図を見ているだけでも興味がわく。

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 実は、私たちの森の地図は、未だ白地図の状態である。ここにいろいろと、ソンミ山マウル(村)のように、いろいろと書き足して、楽しそうなマップをつくりあげようとしていたのだ。

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 ところが、あの3・11大震災である。ハグさんがMAPをここまで作ってくれた段階でストップしてしまっているのだ。これはなんとかしなければ。

 この平面図ばかりでは現地は理解できない。おおよそ400m×500mの敷地は、高低差が100mくらいある。だから、立体感を持っていないと、ここに何を作るか、という決断は、なかなか難しい。

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 現在、活性化されようとしているのは、この赤マルで囲まれた部分。ここだけも、ゆうに数千坪を超える。全体で4万坪あるのだ。その敷地内には、巾3mの舗装道路が、2.5キロに渡って張り巡らされている。

 田恩伊さんがおっしゃっているソンミ山マウル(村)はどのような機能を持っているのだろうか。大きさはどのくらいだろう。ひとつひとつ気になる。すこしづつお聞きしたいものだ。学べるところは、ぜひ学びとって、私たちの森にも生かしたい。

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「ワーキングマザー宣言!!」―働くママの出産・育児を応援します! 前田 己治子他

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「働く女性の出産・育児」―ワーキングマザー宣言! (WORKING WOMANシリーズ)
前田 己治子、スタッフWW 1993/08 双葉社 単行本: 237ページ
Total No.3341★★★★★

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「ワーキングマザー宣言!!」―働くママの出産・育児を応援します! 
前田 己治子、スタッフWW 1999/06 双葉社 単行本: 235ページ
Total No.3342★★★★★

 この夏以降、久しぶりに再開した私たちの森における月一のワークキャンプに、まず一番に積極的に参加してくれたのは、私の高校時代の先輩だった。一学年上の先輩は、たしか当時、社会科研究会、通称「社研」のメンバーであり、新聞部の私が、どうして彼と知り合ったのかは、今とはなっては、定かではない。

 しかしながら、高校二年の時に出会ったこの先輩によって、私はべ平連のデモに参加するようになったし、広く校外へのネットワークを広げることができたのだった。思えば、貴重な機会を作ってくれた恩ある先輩ということになる。

 ところが、お互い高校を卒業した後はどこかで出会うということはなかった。私の方からは共通の友人を通じて、かすかに彼の情報をキャッチしているだけだった。

 それでも近年は、長いことテレビ関連の仕事をしてきたという先輩の動向は、SNSですこしづつ感知できるようになった。その趣味の巾も実に広い。

 この夏に、42年ぶりに再会となったわけだが、三つ子の魂、百までというか、お互い、体型や頭髪の濃淡などを問わなければ、実にあの当時のキャラクターに磨きをかけた先輩が、そこにいた。

 その経緯については、他にすこし書いたし、今後も何かの折に飛び出してくるかもしれない。その彼が書いたSNSの中に、おつれあいが編集者であることが紹介されていて、しかも本を何冊も出されている、ということが書いてあった。今日は、その本の消息を、わが最寄りの図書館から借りだして目を通してみた。

 この本は、初版として1992年に出版され、1999年に改訂版がヴァージョンアップして再刊されている。

 たしかご夫妻には、通称ぽぷり君という御子息がいらっしゃるはずだが、まだ20代ではなかろうか。とすると、おそらく、1992年の初版時には、それこそご夫妻は、この本に書かれているような子育て真っ最中であったはず。

 内容もバージョンアップして1999年に再刊されているということは、この手の本は、やはり子育て世代には、便利で貴重な手引きとなるのであろう。今読んでも古くない。

 著者には、他に、「子どもをあずける時Q&A 安心!!保育サ-ビス情報」(1998/09 双葉社)、「英国パブの誘惑」(2000/07 双葉社)とか、 「英国レストラン探検」(2001/04 双葉社)他、ラグビー関連の書籍も多数あるようだ。

 多彩な方である。

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2014/11/29

「小屋の力」 マイクロ・アーキテクチャー 仙波喜代子/今井今朝春<2>

<1>よりつづく

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「小屋の力」 マイクロ・アーキテクチャー<2>
ワールド・ムック仙波喜代子/今井今朝春 2001/05 ワールドフォトプレス ムック 475p
★★★★☆ 

 前回この本を読んでメモしたのは2011/03/06。3・11大震災の5日前のことであった。

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 私たちの森は、この釜房ダムからやや蔵王山寄りの上流にあり、私が住む街は、そこから流れてできた一級河川、名取川30キロ下流の南岸にある。

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 いつも私はこの土手をウォーキングしたりミニサイクルで散歩したりするのだが、その土手の河川敷に、昔から、家庭菜園のような小さな農地が広がっている。

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 中央のやや左寄りの向こうにかすかに見えるのが、私たちの区名の由来にもなっている太白山である。

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 ここに、実に様々な小さな農機具小屋が存在している。

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 戦後、政府は困窮した時代から脱却するために、食糧増産政策をすすめ、もともと荒れ地だった河川敷内で農業することを奨励した。
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 当時の建設省が管理する土地もあるが、もともと個人で所有されている部分もある。

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 時代は変わって、今はほとんどが個人所有の土地でのみ農業がおこなわれている。

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 だが、実際は、もともとの所有者が使っているとは限らず、小分けにして、近隣の希望者が、家庭菜園として使っているのが大部分のようだ。

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 本来は、土手の内側の河川敷は農地ではない。だから現在は農地として奨励されているわけではないが、私有地に限って、荒廃するよりはいいだろうと、家庭菜園レベルの農業が許されている。10806492_936828569662591_1824580273
 家庭菜園とは言え、最小限の農機具が必要となる。

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 その収納にもスペースが必要になり、小さな小屋が出現することとなる。

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 本来、河川敷に建築物をつくることは許されていない。水が上がってくるところではないが、万万が一の時は水が上がってくる可能性はある。

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 だからこそ河川敷にしているわけで、この小屋が流出するようなことがあると、下流に影響がでてくることも考えられる。

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 現在の国道交通省は、小屋を作ることを認めていないので、利用者たちは、あたかも、農機具を畑に置き忘れたような形で、農業資材や廃棄物で簡易な小屋を作っている。

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 場合によっては、即撤去を命令されるので(実際そうされた人と話した)、実に簡易に、しかも安価な予算で立ててある。

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 しかしまぁ、私はこの付近をウォーキングや散歩するたびに、「エコビレッジでパーマカルチャー」っていうテーマを思いだすのである。

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 この簡易な小屋に住んでいる人はいないが、ちょっと手を加えれば、私なんぞは定住できる(笑)

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 その中でも突出しているのは、この小屋である。棒や杭などの置き場になっているのだが、材料はすべて河川敷で調達できるものばかりだ。

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 なんとも魅力的なたたずまいだ。

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 骨組みは近くの河原に野生している竹を利用している。

Img_0608  屋根や壁は、ススキや葦などが使われている。

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 どことなくゆとりとユーモアにあふれる一角である。

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 はてさて、森におけるわがタイニーハウスだが、まずはすでに森にある枕木を大地に置くことは決まっている。

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 次には、手押し車から外したタイヤを利用して、移動式にしようと思う。

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 さらには壁や屋根には、この先輩にならって、ススキや葦などを利用したものを考えようと思っている。

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 あとは柱やガラス窓であるが、これもまた廃棄物として再利用を待っている資材が森にはあるので、これで、かなり構想は前に進んだのではないか、と感じるのである。

<3>につづく

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2014/11/25

最新実例&実践手作りウッディハウス―小屋の作り方がわかる本/工房、趣味部屋、ガーデンハ (Gakken Mook)

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「最新実例&実践手作りウッディハウス」―小屋の作り方がわかる本/工房、趣味部屋、ガーデンハス (Gakken Mook)
2013/2/7学研パブリッシング ムック 113ページ
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 みんなの共有スペースであり、みんなのベースキャンプになるであろうコンテナハウスの方向性も大体見えてきた。窓をつけ、薪ストーブが置かれ、床や家具類が揃ってくれば、あとは、集まって来る人々の嗜好性によって、すこしづつ変化していくことだろう。

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 さて、自分専用の、そして一人だけの小屋を作ろうとしたら、どのようなものがいいであろうか。自分の中では、3年前に立てたテントが実にジャストサイズだと思っている。

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 ただ、そもそもが古い化学繊維とアルミのポールで出来ていた古いテントなので、一週間ほど不在にしていると、いつの間にか強風や風雨にやられて、ぺしゃんこになってしまうのだった。 

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 そこで気分も新たに、木組みで補強し、 延命を図ったのだが、所詮はビニールでできているので、ちょっとしたはずみに裂けてしまったり、金具が取れてしまったりした。これではいかん。なんとかしよう、としているうちに、月日ばかりが経過してしまった。

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 自分の中では、何となくあのサイズとあの形が気に入っていたので、あのハウスを再現する方法を考えてみる。これは、ボール紙で作ったイメージだ。あのテントはもうすでに廃棄処分にしてしまったが、シートの部分の半分は残っている。 

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 実際に計測してみると、結構大きい。たしかにこれだけのスペースがあれば十分だが、本当にこれだけの大きさが必要か。それに、テントなら安く済むが、実際に耐久性のあるものを、それなりの資材で作るとするならば、それなりの資金も必要となる。

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 そこで、スケールダウンして、一回り小さなサイズを考える。これなら、強度の問題も、資金の問題もかなりクリアされるが、多少、面白味にかける嫌いがある。それに、住居スペースだけではなく、多少の工具や身回り品も収納しておくには、これで足りるだろうか。

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 ちょっと前までは、現実化しないことをいいことに、むしろ自由に理想を追いかけていた。本当は、このような大きな窓が欲しいのだ。

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 だが、矛盾するようではあるが、バーナード・ショーの小屋のような、とても小さな小屋にも魅力を感じてしまう。鴨長明や元祖・森の生活のディビッド・ソローのハウスのことも気になる。

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 しかし、そもそもオーナーは、震災前、このような高さの建物を計画していたのだった。その気宇壮大さには驚かされる。残念ながら、この建築は、震災の影響で休んでいる間に実行できなくなってしまった。

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「The Other Magazine 21」第17号1972/12 ブロンズ社

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「The Other Magazine 21」第17号
1972/12 ブロンズ社p21~25
Total No.3339
★★★★★

 敬愛すべき「名まえのない新聞」編集長あぱっちからの原稿依頼である。

 キコリや友くん、マサイや僕などの「それぞれ自分がその頃やっていたこと、コミューンのこととかミニコミのこととか、キャラバンとの関わりとか」を書いて欲しい、との依頼だ。

 私に与えられたのは1ページ分「2000〜2500字程度+写真」。ここに何を書けるのかはわからないが、喜んで協力したい。そう思って、自分ブログにすでに書きこんだものをみたり、関連の雑誌などを見返していた。上の雑誌のページは、私たちが取材されたページである。すでに当ブログ2014/03/25で、この雑誌に触れている。

 ところが、ちょっと後ろには、あぱっちたちが取材されていた。

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 発行は1972年12月である。あれからなんと42年の時間が流れさった。

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 こうして、同時代をそれぞれのステージで生きてこれたことを感謝する。

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 なにはともあれ、以下、当ブログに書き連ねた、私のグラフティ(らくがきの意)も、すこしづつまとめていこう。

わが青春グラフティ関連一覧 編集中

「ぼくは深夜を解放する!」続もうひとつ別の広場 桝井論平 & 冬崎流峰 1970/05 (株)ブロンズ社

「ヒッチハイクの運ちゃん達」 シリーズ「ありがとう」<10>

「朝日ジャーナル」特集:ミニコミ’71---奔流する地下水 1971/03/26 朝日新聞社 

「すくりぶる」 12 a mini magazine 1972/03 すくりぶる社 ガリ版ミニコミ 

「もし僕らが生き続けるなら」 自由の世界への出発 塚本晃生 1972/12 大和書房

『DEAD』創刊号 「時空間」3号「まがじん雑学」より 1973/04 ガリ版ミニコミ A5判 p100 表紙デザイン れおん 表紙タイトルのみシルクスクリーン印刷

季刊 DEAD」 1972年 吉祥寺 名前のない新聞 浜田光 1973年早春 ガリ版ミニコミ誌

「ニッポン若者紳士録」ジ・アザーマガジン21編集部 1973/01 ブロンズ社

「蘇生」16号 蘇生&幻の叛文化戦線 1974/11/16

「雀の森の物語」 1974「時空間」8号 阿部清孝 1974/10 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 

「星の遊行群」 1975年ミルキーウェイ・キャラバン 1975/03 ミニコミ雑誌 p135

「存在の詩」第一号 スワミ・プレム・プラブッタ 1975/8 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 

「あちきの浮浪雲」 小沢一郎・選 ジョージ秋山 2008/06 小学館

「存在の詩」OSHO1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ

「時空間」8~11 雀の森の住人たち ミニコミ雑誌

「忘れ去られたミッシングリンク」 雑誌『時空間』12 

「みんな八百屋になーれ」  就職しないで生きるには 3 長本光男 1982/07 晶文社 単行本 205ページ

「やさしいかくめい」1 リアリティ プラサード編 1978/07 草思社 

「やさしいかくめい」創刊顛末記 あぱっち 「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇> 2014/05 幻冬舎 

「お産の学校」 私たちが創った三森ラマーズ法 お産の学校編集委員会 編 1980/3 BOC出版部

「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として 山尾三省 1981/11プラサード書店/めるくまーる社

「いのちのレポート1980」出産・子育て・そして性をひらく 「やさしいかくめいシリーズ1979/11 プラサード出版

「生存への行進」―いま生命の革命が始まっている ! 大友 映男 1982/04 新評社

「『たべものや』の台所から」シリーズ食生活の再発見 たべものや編著1982/12 柴田書店

「NO NUKES ONE LOVE」―いのちの祭り’88 Jamming book ONE LOVE Jamming(著) 1990/07 プラサード書店 星雲社

「スピリット・オブ・プレイス仙台」環境心理学国際シンポジウム報告書平成3年11月25日(月)~11月27日(水)仙台国際センター

「湧き出ずるロータススートラ」 「TSUKUYOMI」1992/06 京都・ツクヨミ・プロジェクト編集発行 より 

「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992 ブログ版

「足に土」―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室

「地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版」  意識をめぐる読書ブログの軌跡

「プロメテウスの罠」 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02/07

「山の椒日記」 2011/02~ 進行中

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2014/11/20

「薪ストーブ大全」―“炎のある暮らし”のすべてがわかる完全ガイド (夢丸ログハウス選書)

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「薪ストーブ大全」―“炎のある暮らし”のすべてがわかる完全ガイド
夢丸ログハウス選書 2012/09出版社: 地球丸; 新版 
大型本: 199ページ
Total No.3338★★★★★

 幼児たちが絵本を借りるため図書館へ。爺さんはアッシー君である。図書館の入り口に近づいた三歳児が「あ、あったかいニオイがする!」と叫ぶ。なるほど、薪ストーブの匂いだ。でも、ちょっと違うかも。

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 春も夏も秋も、ずっと据え付けてあるストーブだが、いままでマジマジと見てみることはなかった。あ、ストーブがあるんだな、くらいの意識である。

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 よくよく見てみると、これは薪ストーブとも違う、ペレット・ストーブなのであった。というか、薪ストーブも、ペレット・ストーブもいまだに分かっていない私だが、ペレット・ストーブとは、おそらく木材のチップなどを粒状にした燃料を焚くストーブのことであろう、と今までは理解してきた。

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 このストーブは、というか、この図書館は3・11大震災後に、図書館が壊滅してしまった被災地へのお見舞いとして、カナダ政府によって寄贈された木造の図書館である。カナダ産の木材がたっぷり使われている。

 そのことは十分知っていたつもりだが、ストーブまで頭が回らなかった。つまり、これはカナダ政府から送られたペレット・ストーブだったのだ。あらためて、感謝いたします。

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 このストーブよく見てみると、煙突は付いていないようだ。だが、部屋の外には、水分が出るようになっている。「あったかいニオイ」の元は、ここなのだろうか。

 近年注目を集めているペレットストーブ。一見、薪ストーブと似ているが、間伐材やおが屑などを加工した「木質ペレット」と呼ばれる専用の燃料を燃やす暖房器具だ。

 ペレットは均一に加工されているため、薪と比べて燃焼が安定している。薪ストーブとの大きな違いは、たいていのモデルは電気を使うということ。電動ファンで強制的に風を送り、燃焼させるのだ。 p059「「ペレットやガスストーブ」

 何度か通っている図書館も、いつの間にかルーティン化して、いつも行くコーナーは決まってしまっている。ああ、面白い本がないなぁ、と呟くことになる。ところが、興味の範囲が違ってくると、別なコーナーに行き、目新しい本にぶち当ったりする。

 「薪ストーブ大全」、なんて本は、今までの私の目にはまったく入らなかった。別世界のことであったのである。しかるに、森の生活で、薪ストーブが現実化してみると、これはこれで、あらたに気になる存在なのであった。

 薪ストーブにつきものの灰。火室や灰受け皿に溜まる灰は、どのように処理したらよいのだろうか?実は、シーズン中は灰受けに溜まった灰を毎日掃除する必要はない。

 火室内に、常時2~3cmほどの灰を残しておくと、炉の底が冷えて火つきが悪くなること避けられたり、炉内のおき火が持続しやすくなったり、高温で焚きすぎて炉が傷むのを防いだり・・・・・と、ストーブにとってメリットがたくさんあるのだ。

 ただし、灰を捨てるときには注意が必要だ。灰受け皿から灰を取り除き、専用の不燃性のバケツに入れて必ずフタをし、2日間以上は置いてから捨てるようにする。

 掃除機で灰を吸い取ったりするのは非常に危険だ。忘れたころに集塵袋の中のホコリに引火して、燃え上がる恐れがある。

 火が消えているように見える灰も、実はおきが残っていて、可燃物と一緒にすると再燃焼する可能性もじゅうぶんある。時間をおいてから廃棄処理するようにしよう。p058 「灰の扱い方」

 この本、3・11後に改訂された一冊ではあるが、焼却灰の処理方法についての、原発事故の影響などには触れていないようだ。

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2014/11/19

石川裕人・作 『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36<1>

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『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36 <1>
作 石川裕人 演出 長谷野勇希
2014年12月 19日(金) 19:30- 20日(土) 14:00- 21日(日) 14:00- 22日(月) 19:30- 23日(火・祝) 14:00- ※開場は開演の30分前 せんだい演劇工房10-BOX box-1
Total No.3337★★★★★

「待って、待って、待ち続けるのよ。」

21年前、スタッフ養成講座での上演。当時、十月劇場。
みんな定職につかず、芝居中心の生活。熱かった。物語る力を信じていた。
傍ら見れば、ただのおバカさん。その役者馬鹿たちの物語。
劇団員に限らず、必至に芝居に喰らいつく。
全ての愛すべき馬鹿者たちへの、作者からの贈り物だ。

昨年、「方丈の海」に客演させていただいた。大切な人はいなかった。
でも、いた。確かにいた。その言葉に。その世界に。
劇団員のみなさん、誤解を恐れずに言う。
小賢しい技術はいらない。「圧」を感じさせてくれ。見せつけてくれ。
なぜなら、それが“OCT/PASS” だからだ。

冒頭、売れない大部屋役者の科白だ。
気がつけば、私もしがみついて生きている。
是非、観ていただきたい。 松崎太郎 
公演パンフレットより

 あるとは聞いていたが、ようやく案内がきました。今日から予約可能なのかな。

 39本目「演劇に愛をこめて あの書割りの町」は仙台市市民文化事業団の委託による舞台技術養成講座のための公演台本。舞台上演中の劇団に起こる様々なアクシデントをコミカルに描いたバックステージ物。(上演は’94年) 石川裕人百本勝負「劇作風雲録」2010.04.12 Monday 13:57

 93年に書かれ、94年に上演された作品。 私は役者志望でも演劇馬鹿でもなんでもなかったが、割とニュートンとの付き合いは長い。小学三年生の時の学芸会の主役は、彼がなる前は一応私が選ばれていたはずだし(涙)、中学校一年の時の三年生を送る予餞会のときの漫才はニュートンと二人でやった。一応、台本は私が書いたのだ。

 高校時代に、黒テントを見に行こうと誘ったのは私だし、紅テントも二人で見に行った。ああ、こんなことを書き連ねても、今さら何の意味もないが、高校卒業してニュートンが劇団「座敷童子」を立ち上げた時の情宣は私が担当したし、その次の「劇団洪洋社」の時のスタッフたちも、私たちの共同生活の仲間たちだった。

 そして、それからようやく「十月劇場」になるのだが、それはもう1980年代になってからの話である。その当時も私は有力な「観客」ではあった筈だが、もう、「役者馬鹿」たちと、道は違ったところを歩いていた。

 ましてやこの芝居を通じて語られているのは1993年当時、94年当時のことである。それでもすでに、ずっと昔のことになってしまった。TheatreGroup“OCT/PASS”なんて言ったって、私たちにしてみれば「最近」のことなのだが、まあ、そんなジジ臭い話ばかりしていても、つまらない。

 なんにせよだ。ニュートンが亡くなってすでに2年が経過した。それなのに、こうして作品が残り、彼が作り上げたネットワークの人々がどんどん活動しているということは、彼の生命がまだまだ残っている、ということに違いない。

 10月に彼の命日があった。すぐ近くにある彼のお墓だが、彼はあそこにはいないように思う。彼は、生きている。彼の書いた芝居の中に生きている。私は、彼の芝居の中に、彼に会いにいくつもりだ。

<2>につづく

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2014/11/18

訃報 清水芳孝先生 「花―生殖と遺伝」 (評論社の児童図書館・科学の部屋 6)

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「花―生殖と遺伝」 評論社の児童図書館・科学の部屋 6
清水 芳孝(著), 加藤 俊一(著) 1973/01 単行本: 203ページ 出版社 
Total No.3336 ★★★★★

 喪中の葉書が、奥さまから届きました。清水芳孝先生(東北大名誉教授・生物学)が、今年3月4日に自宅でお亡くなりになったということでした。99歳と11ヶ月の天寿を全うされたということです。

 こころから哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

 清水先生と私たちの出会いは、1980年代末に遡ります。清水先生はすでに東北大学を退官され、東北学院大学の教授をされておられました。その学生生協の書店で、「反逆のスピリット」をお読みになり、出版社へ読書カードを寄せられたのでした。

 非常に感動した、という内容でした。その連絡を受け、仙台の御自宅に私たち瞑想センターのスタッフがお訪ねした時には、すでに沢山のOshoの本を読んでおられ、私たちを大変歓迎していただきました。

 1914(大正3)年お生まれだから、当時でもすでに70代の半ばでしたが、先生の感性は実に柔らかく、その教養の高さと、受容性にはいつも感動しっぱなしでした。

 八木山の御自宅のちょっと広いお庭は、ほとんど植物園と化していて、ひとつひとつ珍しい植物が植栽され、名札がついていました。私たちが、あれこれお話をお聞きすると、なんの惜しみもなく、私たちに株分けをしてくださいました。

 ツル首ひょうたんや、ホワイトベリー、ほど芋、宿根そば、蝦夷へびいちご、斑入り菖蒲、ツルどくだみ、斑入り山吹、などなど。当時、名前も初めて聞くような植物をいただいては、我が家でも植えてみたりしました。

 1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」では、日本における蜂の生態についての講演をお願いしました。日本の旧来のカヤ葺き屋根が、蜂の生態にとっては極めて好都合である、と語られ、満場の称賛を受けておられました。

 同じくシンポジウムで講演した山尾三省氏を紹介し、三人で会場のロビーにあるテーブルで談笑したのは、一生の思い出になりました。清水先生はその後、ほどなくして、他のシンポジウムのスタッフたちと屋久島の屋久杉を巡るツアーに参加されました。実に軽快な人生を送られていた方でした。

 その後、何事かあると、いつも気さくに電話をいただき、私たちも珍しい遠来の友人が来たりすると、先生のお宅にお邪魔して、たくさんのお話をしていただきました。時間をたっぷりとっていただき、沢山の本も紹介していただきました。いつも、奥さまにはおいしいお茶やお菓子をいただいたことも忘れることができません。

 あれから、ずっと一年も欠かすことなく、毎年年賀状をいただきました。先生の年賀状は、前年にどの様な活動をされたかが簡潔に要約されており、ああ、このような後半生を送れるのは、なんて素敵なことなのだろう、といつも思っていました。

 ところが、この1~2年、年賀状は終わりにします、という挨拶があり、その後、どうなさっているかなぁ、とちょっと気がかりでした。ご無沙汰ばっかりで、そのうちまたエコビレッジのことなどについても、ご指導いただきたい、と思っていたところでした。

 そんな折、今日、喪中のお葉書をいただき、あらためて先生からいただいたご厚情を思い返すとともに、先生の安らかなる旅立ちをお祈りいたしました。

 清水先生、ありがとうございました。   合掌

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2014/11/17

「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」<9>  ニュートンムック

<8>からつづく

【送料無料】今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電

「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <9>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p

 我が家の屋根にソーラーが上がって、早いもので、一年が経過した。ざっと計算してみようと思うのだが、なかなか平均値は取れない。ひとつには季節の差が大きいこと。そして、さらには家族環境が大きく変化したことによる。

 

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 最初は、老夫婦二人の閑散とした住まいの予定だったのである。たまに誰かが遊びに来てくれても、まずは三百何十日は、二人だけの落ち着いた住まいの筈だったのだ。ところが、どうしたことか、予定は大幅に狂い、現在、幼児二人を含む六人家族住まいである。

 これまでのところ、ざっと計算すると、この一年間で、余剰電力を電力会社に販売したのが10万円ちょっと、自家消費したうえで、さらに電力会社から買った電力は13万円ちょっとである。

 つまり、ざっと計算するところによれば、最初から6人家族と計算してしまえば、我が家の屋根に上げるシステムはこれでは小さかった、ということになる。これ以上大きなシステムを上げることができたであろうが、このメーカーでは、このサイズが最大だった。

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 壁にとりつけたモニターも、設置の当初は面白がって何度も見たが、だんだん興味が薄れてきた。発電量のレポートも毎朝毎朝メーカーのシステムでメールで配信されてくるが、どうも最近は、メールそのものが邪魔にさえ感じるようになってさえいる。

 あ~、これではイカン、と反省しきり。もうすこし敏感にレポートしなければならない。少なくとも、太陽光はもうからないよ、という一部の忠告は的を得ていたということになる。もともと、儲けようなんては思っていなかった。ただ、いざという時に、電力会社だけに頼っている我が家のスタイルはマズイだろう、というところが原点だ。

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 我が家では他に、小さなソーラーシステムが稼働しているので、全体を包括して総括しなければならない。だがそれでも、やはりメーカーや工事店が見積もるほど、良好ではなかったということは言える。

 それに、全電力の使用先を考えると、民生用(つまり家庭で消費されるの)は4割で、残る6割は工業用であると言われる。つまり、自宅で消費する分を発電出来れば、それでいいというわけではない。家庭に流れ込んでくる工業用性製品や外部で使う電気のことを考えなくてはならない。

 全責任を考えれば、自宅では自家消費の倍くらいの発電をしてこそ、ようやく、自分が全体で消費する電力をまかなっていえる、ということになる。

 今日のところはまだ全データが揃っていないので、詳しくは計算できないが、少なくとも、私の電力に対する取り組みはまだまだ、と言わざるを得ない。もっと発電量を増やすのか、消費電力を減らすのか。

 おそらく、老夫婦二人なら、なんとか省エネ生活もできない訳もなかろうが、小さな孫たちの健康状態を考えると、無理な節電も限界がある。痛し痒しである。それでもまぁ、なんとか、そのような計算が成り立つような出発点に立てたのだから、まずはソーラー生活一年は、価値があったのではなかろうか、と推測する。

 とにかく詳細は後日計算してみよう。

 

<10>につづく

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2014/11/15

「おとなのiPhone 」高橋 浩子<3>テザリング

<2>からつづく

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「おとなのiPhone」 一目置かれる使いこなし術 <3>テザリング
高橋 浩子(著), パソカレッジ(監修) 2014/5 技術評論社 単行本(ソフトカバー): 208ページ
★★★★★

 iPhone6plusにして、正味2日が経過した。基本的な設定の基本は終わったが、これからいろいろアプリやら周辺機器との設定やらが待ち受けている。説明書を見ないで、ほとんど直感的にぶっつけ本番の調整なので、いつになれば終わるのかわからないが、直感的にわからないものでもない。

 iOSは、すでにiPadで8.1を体験しているので、直感的に推測できる。同期やリンクなど、なるほど、という便利さもあり、あらら、そこはいいのに、とおせっかいを焼かれるのがイヤな部分もある。が、概して、順調に推移している。

 今日は、近くのスーパーに出かけるために、テザリングの実験である。自宅WiFiがあり、モバイルルーターをまだ解約していないので、外に出る時もLTEとやらのお世話にはまだなっていない。LTEはモバイルルーターで使ってきたわけだが、今回からはdocomoのLTEである。使い勝手はどんなものか、少しづつ行動範囲を拡大しつつチェックしてみる。

 一般にテザリングと言い慣わしてきたが、6Plusにおいては、「インターネット共有」という言葉になっている。私の生活圏のほとんどはもともとLTE圏なので、6PlusからiPadを繋いでも、決して遅いということはない。早くはないが、体験的には許容範囲。

 ただ、画像や動画で、ダンロードしにくいものなどは、白画面で残ってしまうものあるようだ。というか、不要な動画は試していないので、今後どうなるかはわからない。3Gエリアに突入し、あるいは、アンテナが一本とかいう状態で、どのようなアクセス感覚を与えてくれるのか、今後体験してみようと思う。

 まぁ、基本的には、移動中は、繋がるところに行って繋げばいいわけだが、あとはもともと通じにくかった場所に行って、どれだけ改善されたかの確認である。docomoだから、大丈夫だよ、という人もあり、逆の説を唱える人もある。とにかく、私の行動でチェックする必要がある。

 さて今いちばん気になっているのは、データ量をどれだけ必要とするか、ということ。とにかく今は最小の月2ギガ(プラス1ギガサービス)でスタートしているが、自宅WiFiを多用する限り、外出時のLTEでのアクセスはおそらくこれで足りるだろう、という読みである。

 そもそも現在はまだモバイルルーターが無制限で使える環境にあるので、まったくLTEテザリングを使わないでも済むのであるが、それではチェックにならないので、とにかく今のうちのどれだけ消費するものか、試してみようと思う。

5.5インチの「大型画面」で、まぁなんとか個人的にはすべてこなせそうだが、ちょっと合間にiPadの9.7インチに戻ったりすると、ああ、実にゆったりしていていいなぁ、と思う。これはこれで、使い道はまだまだある。外出時のテザリング用でiPadを持って歩くのも悪くないかな。

 まだまだチェックはつづく。

<4>につづく

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2014/11/13

「おとなのiPhone 」一目置かれる使いこなし術 高橋 浩子<2>

<1>からつづく

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「おとなのiPhone」 一目置かれる使いこなし術 <2>
高橋 浩子(著), パソカレッジ(監修) 2014/5 技術評論社 単行本(ソフトカバー): 208ページ★★★★★

 ようやくやってきました、iPhone6plus。大型5.5インチ画面。画面が大きいということだけなら、別段に驚きはしない。

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 もともと、ガラケーから、物理キーボード派だったから、ケータイも、スマホの出がけも物理キーボード。、バーチャルキーボードは苦手だった。

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 だが、物理的であっても、画面を見ながら、タッチタイピングは、指が大きすぎて打てなかった。

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 画面は大きい方がいいし、横画面で見た方が、より大きな文字を表示できる。ネックは、その重さ。ポケットの底が抜けそうになる。 

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 そこでこの数年は、ガラケーとiPadを併用し、iPadはカバンに入れ、モバイルルーターで繋いでノマドしていた。iPadのヴァーチャルキーボードなら、タッチタイピングができないまでも、なんとかストレスぎりぎりで入力できていた。

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 さて、ここに来てモバイルルーター等の契約更新時期を迎え、見直しをかけ、iPhone6plusに切り替えたわけである。使い始めだから、使い勝手はまだなんとも言えない。軽い。なめらか、綺麗。よいことはいろいろある。

 画面が大きいことは善し悪しだが、手にもって通話するケータイ機能付きなら、この大きさがほぼ限界であろう。画面の見やすさも、アプリの使い方にもよるが、まずまず。iPadでiOSに慣らされているから、使い始めてみれば直感的にわかることも多い。

 ガジェットとキャリアの組み合わせもまずまずであろう。料金体系もギリギリのところで無理なく抑えた。あとは回線のつながり具合である。テザリングも、おおよそ期待値は軽く出そうであるが、こればかりはいろいろ試してみないと分からない。

 これ一個で、どこまでこなせるか、楽しみではある。

<3>につづく

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2014/11/10

「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る<12>

<11>よりつづく 
 

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「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る <12>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 翻訳 1986/03 めるくまーる社 単行本 p739

気づいたときはいつでも、どんな時点であろうと、その時点から留意するがいい
---ただたんなる留意だ---
そしてことの全体から離れるがいい
そうすればまもなく、もつれたマインドがもう以前ほどにはもつれていないのが見える
物事が消えはじめる
そして如性、タタターの瞬間が来る
そのときあなたはただそこにいて、<存在>もそこにある
そしてあなたと<存在>のあいだにはどんな意見もない
すべてが思考によってかき乱されず、思考によって汚されない
<存在>はある
だがマインドは消えてしまっている
そのノーマインドの状態こそ如性と呼ばれるものだ

仏陀は言う

   <如来>は<真の知性>と同義である

同義---
つまり、知性という質を持っているのではない
如来が<知性>なのだ

そして仏陀は言う

   如来(タターガタ)は現実(リアリティ)に従って語る

彼はそれ以外の方法では語れない
彼が現実(リアリティ)に従って語ることを選択するというわけではない
選択はいっさいない
何であれ現実であるものが彼を通して語られる

それは彼がこう選択するということではない
「これは現実だ、私はこれを語らなければならない
あれは現実ではない、私はあれは語らない」
---そういう選択が生じたら、あなたはまだ仏陀ではない

タターガタは<無選択>から語る
だからタターガタは真理を語るというのではない
実際のところ、それはこのように言われるべきだ
「タターガタによって語られたことは何であれ真理である」
彼は現実に従って語る

実際のところ、現実、真実が彼を通して語る
彼はただ媒体、中空の竹だ
現実、真実が彼を通してその歌をうたう
彼には自分自身の詩はまったくない
彼の意見はすべて消え、彼自身も消えている
彼は純粋な空間だ
真理は彼を通って、世界のなかへ入ることができる
真理は彼を通って、世界のなかへ降臨することができる

彼は、真理を語る
彼は、<あるがまま>---ヤター・ブータムを語る
何であれ実体(リアリティ)を、彼は語る
彼はそれについてどんなマインドももたず、決して干渉しない
彼はひとつの物事も落とさず、ひとつの物事も付け加えない
彼は鏡だ
鏡は鏡の前に来るものは何であれ反映する
この反映性が如性だ

   スブーティよ
   <如来>は<真の知性>と同義である

なぜ彼は真の如性と言うのか?
偽りの如性というものがあるのだろうか?
そのとおりだ
あなたは練習することができる
あなたは如性というある質を練習し、養成することができる
が、それは現実にはならない
真の如性は養成されるべきものではない
それは来る

たとえば、「あなたは養成できる」と私が言うとき
それはどういう意味だろう?
あなたはこう決心できる
「私は、どんな結果を招こうとも、真理のみを語る
たとえこの命を失なわなければならないとしても、私は真理を語る」
そしてあなたは真理を語るが、それは真の如性ではない
それはあなたの決心だ
偽りがあなたのなかに沸き上がる
あなたがその偽りを抑えつけつづける
あなたは「たとえ命が危なくなっても、私は真実であることを決心した」と言う

それは努力だ
真実があなたの威信になってしまっている

奥深いところでは、あなたは殉教者になることにあこがれている
奥深いところでは、あなたは全世界に知らせたいのだ
あなたが真実に満ちた人間だということを
そのためなら自分の命をも犠牲にする覚悟があるということを
あなたは偉大な人間、マハトマだということを---

そしてあなたは自分の命を犠牲にするかもしれない
だがそれは真の知性ではない

真の知性はまったく選択を知らない
あなたはたんに真実(リアリティ)の道具だ
あなたは介入しない
あなたはあいだに立ち入らない
あなたはあさっり身を引いた
鏡はこう決心しない
「この人は私の前に立っている
私は、どんな結果を招こうとも、彼のほんとうの顔を彼に見せるつもりだ
たとえ彼が私に石を投げつけても
---というのも彼はとても醜いからだ、彼は怒り出すかもしれない---
私は彼にほんとうの顔を見せよう」

もし鏡がそんなふうに考えたら、そのときには鏡はもう鏡ではない
マインドが入ってきている
それは反映していない
それは彼の決心だ
純粋性は失われている
しかし、鏡はただそこにあるだけで、どんなマインドももたない
ブッダもそうだ
だから仏陀は、真の如性(真如)という言葉をつかう

留意するというこの仏陀の瞑想---
それを試してみなさい
それで遊ぶがいい
私はそれを練習しなさいとは言えない
私はそれで遊びなさいとしか言えない
坐りながら、歩きながら、ときどきそれを思い起しなさい
ただそれで遊ぶことだ
そうすればあなたは驚くだろう
仏陀は、内奥の核に浸透する最大の技法(テクニック)のひとつを世界に与えていたことに--- 
P673 Osho「完全に光明を得た者

<13>につづく

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2014/11/09

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<12>

<11>よりつづく
【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<12>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 まさにエコビレッジという概念がはたして首尾一貫性を保持するのか、という疑問を持たれるのも当然である。エコビレッジという言葉がそうしたさまざまな環境・ビジョン・戦略を説明するのに使用されているならば、その言葉がもつ本当の意味を保持することができるであろうか。私はできると思う。なぜなら、それは、5つの基本的特性に基づいているからである。どのエコビレッジも、程度の差こそあれ、以下の5つの基本的特性を共有していると見なすことができる。p42

 ちょうど3・11大震災の一ケ月前のことだったけど、私より若いが、古くからの友人が亡くなった。その葬儀の時に集まった古い仲間たちと談笑していて、私が「エコビレッジをやろうと思っている」と話したら、隣の、やはりまだ若い古い女性の友人が言い放った。

 「もう、みんなエコ疲れしてんじゃない。エコエコって、もう飽きちゃった」

 たしかに当時はエコカー減税とか、エコバッグで、買い物袋は有料だとか、なんだか寸断されたエコ話があちこちに転がっていて、たしかに「もう飽きちゃった」と言われれば、反論できなかった。返す言葉がなかった。

 でもなぁ、私にも言い分があった。そのエコエコと、エコビレッジのエコの意味は違うよ。なにか物をどうかしようというのではなく、自分自身の生き方の問題なのだ。みずからの人生を、どのような場におくのか。どのように地球人として生きていくのか、という問いかけこそが、エコビレッジというライフスタイルの選択なのだ。

 その直後に3・11は来た。エコバックがどうしたとか、エコカーがどうしたとか、あるいは、もっと言うなら、エコビレッジがどうした、とかいう議論をはるかに超えたスケールで地球は反応してきた。

 まさにエコビレッジという概念がはたして首尾一貫性を保持するのか、という疑問を持たれるのも当然である。p42

 エコもビレッジも、ことさら新しい言葉ではない。だから、簡単にそれぞれが自分勝手にイメージしてしまう。わかった風な解釈がいくつも成り立つ。あるいは、そのお手軽なイメージしやすいところが、この言葉のよいところでもある。

 しかし。その概念が、首尾一貫性を持っているかどうかは、実に不明瞭なのである。

 エコビレッジという言葉がそうしたさまざまな環境・ビジョン・戦略を説明するのに使用されているならば、その言葉がもつ本当の意味を保持することができるであろうか。私はできると思う。p42

 私もまた、実はエコビレッジという口当たりの良い言葉を、あまり玩味せずに使っていた。実は私の言葉としてはコミューンなのである。しかしながら、そっちもまた不明瞭であるばかりか、すでにイメージは古びていて、手垢がつきすぎている嫌いがある。だから、コミューン≒エコビレッジ、としてこの言葉を使っていたのだった。おあいこである。

 なぜなら、それは、5つの基本的特性に基づいているからである。どのエコビレッジも、程度の差こそあれ、以下の5つの基本的特性を共有していると見なすことができる。p42

 さぁ、いよいよでてきたぞ。さて、その5つの基本的特性とはなんだろう。

<13>につづく 

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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<11>

<10>よりつづく
【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<11>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジは、生態系の回復、共同体の強化、地域経済の振興、精神的洞察力の深化などの観点から、社会の大きな目的に貢献しているものであると見なす傾向がある。ほとんどのエコビレッジは、世界中の多くの人々に、自らの教訓と見識を伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27

 生態系の回復、p27 これはあまりにもむごい放射線汚染の実態を目の前に見せつけられているのが、現在の地球であるし、日本であるし、また、東北に住む私たちである。極限すれば、反原発、脱原発なのであり、もはや手遅れなのかもしれないが、それでもやはり、何かしなければ、という憂いは、エコビレッジ建設に向かわせる。

 共同体の強化p27 町内会や自治会もまたひとつの地域コミュニティなのではあるが、個人情報保護の観点や、高齢化の結果から、私たちが暮らしている社会は、共同体の弱体化に向かっていると言える。顔の見える、ふれあえる関係という意味では、エコビレッジは共同体の強化のほうに向かっている。

 地域経済の振興p27 これもずっと願っていることだが、ことはそう簡単に問屋がおろさない。近くの「エコシティ」を標榜していた、あすとナーガの街づくりも、結局は大手スーパーや世界的な大型店の出店で、地域経済の振興などは、願うべきもない。

 たしかに賑やかになるのはいいのだが、その賑やかさの、一番おいしい部分は、どーんと持ち去られてしまう。地域に残るのは、ほんのわずかである。

 精神的洞察力の深化p27 各論的テーマとしては、私は一番この項目がエコビレッジに適していると思うし、ここが抜けてしまえば、なんのためのエコビレッジか、と思う。さて精神的洞察力の深化p27 と一言でいうのは簡単だが、さらに、この本において、これらの言葉が、どのように使われているのかを、今後、さらに細かくみていきたいと思う。

 社会の大きな目的に貢献しているものであるp27 かなりざっくりした表現だ。社会の「大きな目的」があるとするならば、「小さな目的」もあるに違いない。ようはここでは、エコビレッジとは、社会に反する存在ではなく、一般社会と融合し得るものだ、という位にとらえておけばいいだろう。

 ほとんどのエコビレッジは、世界中の多くの人々に、自らの教訓と見識を伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27

 自らの教訓と見識p27 ここの部分は微妙である。地域共同体や、血縁共同体などとは、ここで明確に切り離されたエコビレッジ独自の傾向を感じることになる。「教訓と見識」とは、翻訳された言葉であろうが、何を意味しているのだろうか。すくなくともここで、バックボーンとなる思想や哲学、あるいは人物としての存在がクローズアップされてくる。

 伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27 エコビレッジがエコビレッジとして自足するものなのであるか、何事かの啓蒙的目的を持っているのかは、議論の分かれるところであるが、この本のこの部分においては、後者である、と結論づけている。

 大雑把に言えば、エコライフ的な暮らしぶりは個人でする分には「誰にでも」できるのであり、また、集団性を持って共同体をつくることは、おそらく「どの共同性」においてもできるのである。しかるにこの本では、エコビレッジという暮らし方は、内部的に自足するばかりではなく、外部に向かって教育的な活動や、その他のデモンストレーション運動を行うものである、としている。

 あるいは、それだけのアピール力のある存在が、エコビレッジと称される現代のうごめきなのであろう。

<12>につづく

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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<10>

<9>よりつづく
【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<10>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 さて、この本からの当ブログにおける抜き書きは、脈絡がなく、書き手すら誰だかわからないようになっているので、後日、さらに精読が必要だ。今は、とにかく、多少でも、あちこちの文面に対する自分のイメージをまずは先に書きとめておくことにする。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。p23

 エコビレッジを形成する運動・・・・分かったような、分からないような文面である。エコビレッジそのものの定義はすこしづつ明確になってきているが、ここでの「エコビレッジ」は、その概念や定義を「形成」する「運動」のことを言っているらしい。

 つまり、ここでのエコビレッジとは、そこに存在する現実のエコビレッジを言っているのではなく、結実点としてはそこに点在しているライフスタイルであるが、それらをひとつひとつ形作っているのは、多岐にわたる思想や実践、理論、あるいは歴史である、ということを意味しているようだ。

 つまり、土地があったり、森があったり、家があったり、村があったりするが、それは、ひとつの「花」としてあり、その花を咲かせるには、根があり、茎があり、枝があり、葉があり、と、沢山の要素が必要だ。

 グローバル経済への従属に対抗するp23 ここでは、単純にグローバル経済を「悪」と決めつけることはできないだろう。むしろ、地産地消とか、身土不二に近い概念として、グローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段。p23 という言葉を使っているのであろう。ひとつのサイクルが目の前で完結している、そういうシステムを構築しようとしているのであろう。

 世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 世界中で、p23という表現もいまいちである。早い話が、一地域の特殊なケースだけが存在するのではない、ということをいいたいのであろう。たしかに、その「花」たちは複数の地域に点在しているのだが、決して世界の「運動」の大勢になっているのではない。

 現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力p23 競争や暴力などは、必ずしも現代にばかり存在するものではない。あるいは規模を問わなければ公害もまた、現代に突如登場したものだ、とも言えない。浪費もまた、そのとおり。

 しかしこの文脈においては、現代生活の、特にデメリット面を強調すれば浪費、公害、競争、暴力、ということになり、これらを克服しよう、という模索があるのは当然である。

 抜け出そうとする共同体を構築しつつあるp23 「抜け出そう」としているのは本当だろう。しかし、そこを抜けだすとは、どういうことなのかを、明確にし得ているだろうか。浪費、公害、競争、暴力 を「抜けだし」ているだろうか。

 「共同体」を構築できれば、浪費、公害、競争、暴力から抜け出p23 しているといえるのだろうか。おそらく違う。「共同体」を構築しなければ、それらの「悪」から抜け出せないというのは、ちょっと図式が幼稚すぎないだろうか。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 非常に楽観的であり、勧善懲悪的に対置されていて、図式としては分かりやすいが、これでは、正義の味方「エコビレッジ」の参上、という漫画チックな「運動」になってしまうのではないだろうか。

 と、ここまで皮肉を言うのは、現実に、「エコビレッジ」という形態が、地球上にほとんど存在していないからだ。この本に登場しているも、ほんの数少ないレアケースだけである。偶然成功した、世界でも注目されるようなケースだけなのである。

 地球全体の人口に対するエコビレッジに住んでいる人口は、ごくごくわずかでしかない。そして、これが今後、急速に地球上に広がっていくはずだ、とする予測も、無責任な楽観主義者たちの仕業である。

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 スローガンやプロパガンダなら、これでもいいだろう。だが、現実を見れば、物事は、そう簡単ではないよ、と冷笑してしまう。

<11>につづく

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2014/11/07

「愚者が訊く」 倉本聰+ 林原博光 なぜ日本人は”原発の嘘”を信じたのか? 小出裕章

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「愚者が訊く」 なぜ日本人は”原発の嘘”を信じたのか?小出裕章
倉本聰+林原博光 2014/05 双葉社 新書: 288ページ
Total No.3335 ★★★★★

 思いついて小出裕章氏の最近の著書を検索したら、この本がでてきた。著者の二人が、それぞれの先進者と対談するという構成で、それぞれが興味深かったが、今回は小出さんのところだけをチェックし、他は割愛した。

 内容を抜き書きしようと思ったが、ちょっと無理。わずか40ページのところだから、全文抜き書きしようかとも考えたが、それもあまり現実味がない。関心のある向きには、ぜひ全文を読むことをお勧めしたい対談である。私もいずれ落ち着いたら、他の部分も含めて再読したい。

 この対談が行なわれたのは小出氏の研究室、2013/05/30のことであった。

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2014/11/06

「杜の都のむかしといま」仙台市博物館特別展リーフレット

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「杜の都のむかしといま」特別展「樹木礼賛--日本絵画に描かれた木と花の美」関連展示
仙台市博物館 2014/09~11 場内参照リーフレット 8p 「仙台柳生かやの木 薬師様保存会」 資料集
otal No.3334
★★★★★

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p8

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2014/11/05

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<9>

<8>よりつづく
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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<9>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジは、さらに他にも現代的な数多くの系譜によって構成されている。1960年代から1970年代にかけての大地への回帰運動やヒッピー運動は、主流派である物質主義的な価値観に対する若者たちの拒絶であり、人間同士が再び相互に理解し信頼関係を築くことへの切望、欧米での共同体の再現を試みる多種多様な実験の着手を象徴していた。p16

 エコビレッジは、さらに他にも現代的な数多くの系譜によって構成されている。p16

 それはそうであろう。偏ったエリアの特殊な生き方をテーマとするならば、絞ることも可能だろうが、少なくとも世界のエコビレッジという限り、さらに他にも現代的な数多くの系譜によって構成されている、のは当然のことだと思われる。しかしながら、

 1960年代から1970年代にかけての大地への回帰運動やヒッピー運動は、主流派である物質主義的な価値観に対する若者たちの拒絶であり、p16

 という限り、その流れを俯瞰できない、雑多な動きの集合体、と見ることはできない。明らかに、その方向性はあったのであり、相互に関連し合っていた一連の動きであった、と見ることが必要だ。

 具体的にはこの本で上げられているアメリカ、インド、欧米、そして私たちの日本においても、ある相互関連のもとで、その試みは常に続けられてきている。

 あえて、ここでエコビレッジという限り、私たちの「Yah Man Osho」も、当然ながら、その系譜の中に存在しうる形態を持っているものと推測できる。

 人間同士が再び相互に理解し信頼関係を築くことへの切望、欧米での共同体の再現を試みる多種多様な実験の着手を象徴していた。p16

 すべてを知り得る立場もないだろうが、また、各論にこだわるのもどうかと思う。すくなくとも、私は過去にいくつかのそのような「共同体」の話を聞いたし、その場に身をおいたこともある。

 いままで実験の着手が行われてきた、例えば1980年代のオレゴン州における2万人のコミューン建設なども、私にとっては、その再現を夢見る象徴の一つとしてある。

 エコビレッジは、さらに他にも現代的な数多くの系譜によって構成されている。1960年代から1970年代にかけての大地への回帰運動やヒッピー運動は、主流派である物質主義的な価値観に対する若者たちの拒絶であり、人間同士が再び相互に理解し信頼関係を築くことへの切望、欧米での共同体の再現を試みる多種多様な実験の着手を象徴していた。p16

 ここは学者さんが書いたからこういう文章になっているのであり、翻訳としてはこれでいいのかも知れないが、本来であれば、もっとその「系譜」にそった形での、もっとパトスに溢れた、マニュフェストみたいな、一つの詩でなければならない部分であると思われる。

<10>につづく

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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<8>

<7>よりつづく

【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<8>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 (エコビレッジの定義は)人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することによって、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、生活のための機能が十分に備わった集落である。p12

 ここに書いてあることは、ある意味当たり前のことである。どこの村なり町が、人類の不健全な衰退を支え、もう後がないような過去へ引きずり落とそう、というスローガンを標榜するだろうか。

 誰もが、人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながるような方法を採っているものと、信じている。だが、そう思い込んでいるだけであり、実際にそうなるかどうかなど分からない。

 仮に有効的な「エコビレッジ」の人々が、そういうスローガンを掲げているからと言って、安心はできない。標榜と裏腹に、別の次元に行ってしまう事実を、私たちはたくさん見てきた。

 何が本当に、人類の健全な発展なのか。限りない未来なのか。そこのところがキチンと議論され、共有されていかなければ、この議論自体無駄であり、エコビレッジがキチンと「定義」されているとは言い難い。

 人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、p12

 ここだって、何とでも理解できてしまいそうな部分である。おそらく、どの時代、どの地域においても、人間の活動が自然界にまったく害を及ぶすことがなかった、などという暮らしぶりは、なかっただろう。

 「害」とはなにか、これまたキチンと定義が必要であろうが、少なくとも、狩猟採取の生活を営もうが、農業を発展させ定住しようが、「自然界」に、すべてよいことばかりをしていく、なんてことはできないだろう。

 そしてまた、そんなことが出来るわけがないのに、このような定義を出されると、決して否定できないような妥当性を持っているから困ってしまう。

 ヒューマンスケールとはなにか。あるいは何がヒューマンスケールではないのか。熊のスケールとか、クジラのスケールとか、アリのスケールとか、あるのか。

 生活のための機能が十分に備わった集落である。p12

 生活のため、という時の「生活」とは何か。「機能」とは何か。「十分」とは何か。「備わる」とは何か。「集落」とはなにか。ひとつひとつが、かなり大雑把に投げ出されているだけではないか。

 本書は小さい本ながら、なかなか類書を見つけることができない優れた本ではあるが、当ブログがこうして抜き出している部分は、かなり恣意的であり、断片的である。前後をより深く読みこまなければならないが、すくなくとも、これらの歯が浮くような美辞麗句は、書かれた時代や場所、あるいは書き手のありようを推測しながら、より具体的に議論されなければならない。

 この本が出されたのは2010/09。ちょうど3・11大震災の半年前だった。原著がでたのは2006年のことであった。しかるに、今私たちがこの本を読む2014年において、仮にエコビレッジを語る人びとが、原発依存度を高めたり、それを推進したり、あるいは無感覚であったりする、なんてことはあり得るだろうか。

(エコビレッジの定義は)人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することによって、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、生活のための機能が十分に備わった集落である。p12

 この上の定義を再読する時、原子力発電というものは、人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法、と言えるだろうか。あるいは、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいる、なんてことは言えるだろうか。

 「ガイア理論」のジェームス・ラブロックや「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランドなどは、3・11以前も、その後も、原発推進論を語っている確信「犯」のようである。その理由はともかく、彼らですら、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいる、なんてことは言えないだろう。

 彼らの大きな論点は、温暖化で地球が壊滅的な破壊を受けるよりは、放射線で汚染される(危険の)ほうがまだリスクは低いという、程度論に過ぎない。彼らは人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいる、ということはもうすでに放棄しているかのようだ。

 であるからして、当ブログとしては当然のことながら、エコビレッジとは、反原発、脱原発を標榜する運動体である、と短絡的に考えておくことにする。そして、生活のための機能が十分に備わった集落である。ということなら、その時は、代替エネルギーとしての仕組みを持っているか、その試みに挑んでいる集落、という風に捉えておくことが可能だろう。

<9>につづく

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2014/11/04

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<7>

<6>よりつづく

【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<7>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。しかも、私は、世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させると信じている。その1つは、人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にあるということ、もう1つは、人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活の復活と向上にしかないということである。p9

 絵に描いた理想像をいくら繰り返していても、切りがない。ここは具体的に、ソフトとしての「マルチバーシティ事業案」と、ハードとしての「山の椒」を叩き台として、リアリティとしての「Yah Man Osho」を念頭において、議論を進めたいと思う。

 いろいろ異論があるところであるが、ソフトの「マルチバーシティ」(略称)は、1980年代末にOshoムーブメントの一環として日本でスタートしたものであり、ひとつのインスピレーションのもとに、さまざまな企画案が練られてきた。

 ここでは、その経緯を深く掘り下げないが、少なくともこの企画書が書かれた2004年当時からここ十年の流れをそれとなく押さえておく必要もあろう。具体的には、この企画は、各方面からの期待があったものの、実体としては分かり得ないものであった。

 いくつかその理由はあるが、具体的には、土地が見つからず、またその土地を得る、という実力を持ち得なかった、というのが、最大の理由である。

 一方、「山の椒」はおなじく2004年前後に個人的な家庭菜園としてスタートしたものの、かなりのスペースがあり、3・11大災害を経験したあと、オーナーの高齢化の問題もあり、その広大なスペースを活かしきる企画に、いまひとつ出会えていないことが指摘されている。

 つまり「マルチバーシティ」はハードを求めており、「山の椒」はソフトを求めている。ここで、うまくマッチングがいくかどうか。

 いままでも水面下では留意されていることであろうし、今後、いつかは噴出する問題であろう、一つのテーマを明記しておく。Oshoをどうとらえるか、ということである。

 「マルチバーシティ事業案」を読めば、そこには名前としては冠することなくとも、Oshoのビジョンを借りながら、その門弟たちが具体化を急いできたプロセスであることがわかるのであり、すでに四半世紀を経たプロジェクトであることはすぐわかる。

 かたや「山の椒」オーナーもまた、その門弟の一人であり、Oshoのビジョンを30数年の間生活の指針としてきた、ということも明白となっている。当然、友人知人にそのネットワークが多くあるのは自明の理である。

 ただ、さらに明確なことは、この全体性は、必ずしも党派性として閉じられた動きではない、ということだ。つまり、Oshoを知らない人や、一定の距離を置いている人々を排除するものではない、ということである。

 いや、むしろ、Oshoは、そのネットワークが大事なことはあきらかだが、その周辺の人々や、距離を置く人、あるいは対極にある人々の存在なくしては、具象化し得ない運命にあるとさえ感じる。

 そう言った意味合いにおいて、今は山の椒のアナグラムの中に「Yah Man Osho」の可能性を見て、かすかにその名前の中にOshoの痕跡を残しておきたい。つまり、仮称である。

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。p9

 さて、それでは「目的共同体」と言ったときに、「Yah Man Osho」にとっての共同目的とはなにか。それは地縁血縁でできたものではないし、産業や経済の経過で出来上がっていくものではない。最大の「目的」はスピリチュアリティにある。

 そして、宗教都市や、文化施設、思想団体というくくりで言えば、いたずらな伝統に振り回されて、迷信化されているものもあるが、それらを排除して、より先進的で科学的である必要があるだろう。

 「Yah Man Osho」が自ら「最も革新的で最も可能性のある形態である」とまで、自画自賛できる日はくるだろうか。それはかなり矛盾にみちた行為であるが、しかし、革新的であったり、可能性であったりするものを、常に受容するシステムを事前に組み込み込んでいく必要があるだろう。

 人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にある・・p9

 現在のところ、「Yah Man Osho」の内側だけで生活を完結させるのは難しいし、それを目的とはしない。そもそもそこに定住していない。通勤農場であり、週末キャンプ場でしかない。しかし、将来もそうであることを意味しない。週末滞在から、長期滞在、季節滞在、やがて定住というプロセスは準備される必要あるだろう。

 その時、おそらく土地と人間の「再定住」のマッチングに時間がかかると同時に、人間対人間のマッチングのプロセスにも時間がかかるだろう。そこに生活が生まれ、小規模な社会が生まれれば、当然、協力的でなければならないし、また心身共に健康であることを目的とすべきであろう。そこからこそ「最善の状態」が導き出される。

 人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活の復活と向上にしかない・・p9

 この土地が温泉付き別荘地として開発されたのは今から40年ほど前、家庭菜園として再利用され始めたのが10年前である。今の段階で「唯一の持続可能な経路」を標榜するのは、かなり無理がある。しかしその可能性として、それを理念として追求していく姿勢を見せることは大事なことであろう。

 持続可能性とは、必ずしも、長い歴史を持っていることを意味しない。人間の生活がある時、その場所での循環可能性を見るということである。例えば、植物がその場に実り、その収穫物が人々の食卓をうるおし、副産物や廃棄物は、有効にその場で再利用される。

 電力やエネルギーにしても、風や水や太陽、そう言ったものを利用して、より自分の身近な目に見える世界での循環の中に、持続可能性を創り上げていく姿勢が必要であるということである。

 モノカルチャルな生産一辺倒でもなければ、享楽的な消費一辺倒でもないだろう。農業に限らず、生産と消費がひとつのセットになっている生活とはなにかを考える場になっていくべきだろう。

 伝統的な共同体生活の復活と向上にしかないp9

 この本は翻訳であり、またここは当ブログにおいては孫引きの部分にあたる。注意深く読み進める必要がある。伝統的な、と言う場合、ここでは必ずしも旧態依然とした因習を引き継いでいくことを意味しない。

 大家族から核家族、そして個族となってきたプロセスにおいて、巨大都市における孤独、孤立が弊害をもたらしてきた今、それに対置する形での、村的な共同生活のよかれと思われる部分の見直しを指しているのである。

 交通や情報の伝達など、あるいは工業製品がライフスタイルを一遍させてしまった今、それらを積極的に取り入れつつ、なお中心にひとりひとりの人間をおき、そのライフスタイルを模索しようというものであり、それが、「伝統的な生活の復活と向上」を意味するものだ、と理解しておく。

 世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させるp9

 大上段にスローガンを掲げることは、今はできないが、そういう方向性にあることは間違いないし、そのような「運動」の一環として捉えることができるのだ、と理解することができれば、今は小さな芽でしかない「Yah Man Osho」の可能性にも気付くことができるだろう。

 すでに環境保護運動という言葉でさえも、各論的には何を言っているのか明確にしていかなければならない。いずれは、リアリティに即した形で、何ができて、何ができないのか。何を退けて、何を掲げるのかは、おのずと明確になってくるだろう。

<8>につづく

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2014/11/03

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<6>

<5>よりつづく 

【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<6>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 


 
友人から、エコビレッジについては一般に情報過多で、コミュニケーション不足、という指摘があった。言わんとしていることは分かる。そこで、せっかく3・11直前にこの本から抜き書きしていた23章について、ひとつひとつ再掲して、自分からコミュニケーションを発信しておく。受け止めて、返信してくれる人はいるだろうか。

 エコビレッジ運動は、目的共同体の生活に関する古代思想が1960年代から1970年代にかけて出現した国際的な環境保護運動に出会ったときに誕生した。エコビレッジとは、「人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することにより、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの集落である」と定義されている。すなわち、それは、平和的に相互依存的な集団生活を営む持続可能な共同体である。p5

 つまり私たちが一般に60年代からのカウンターカルチャーと総称しているところの、コミューンとか共同体とか言われたライフスタイルの中に、如何に古代から続いてきた伝統をうまく取り入れていくか、ということであろう。

 エコビレッジという言い方は、いつ頃からでてきたのかまだ調べていないが、おそらく、それほど昔ではない。2014年においてなら、コミューンとか共同体とか言っても、少し手垢がついていて、意味がぼけてしまっているが、ポスト3・11においては、エコビレッジという言い方の、その意味が明確に浮き上がってきそうだ。

 もし家庭菜園をやりたいとか、ログハウスを作りたいとか、田舎暮らしをしたい、という個的な発想では、エコビレッジというスケールには辿り着かないだろう。エコビレッジには個人を超えた、ある集団性が必要となろう。

 それは個的なレベルが不要である、という意味ではなく、それらを、もっと大きなスケールでまとめあげていくデザインが必要である、ということであろう。

 それでは、その集団性を何処に何に求めるのか、ということが、結局は、この本の最終的なテーマとなるであろう。

 ヒューマンスケールという言葉も、とても心地よいものではあるが、規定力は弱い。人間らしく、とか、ありのままとか、なにかほかの言葉で代言されてしまいそうだが、ここはもう少し規定力を高めておく必要があろう。

 いつも思うのだが、コンコルドなどの音速飛行機は、技術的には可能だったが、ある種のヒューマンスケールからはみ出してしまい、結局は、このモンスター化した飛行機はついに地球上から姿を消した。

 そう言った意味においては、原子力発電や、リニアモーター新幹線などは、おそらく人間の技術を駆使すれば出来上がるものであろうが、そこには、ヒューマンスケールから大きく外れた、マッド・サイエンスが作り上げたモンスターが存在しているだけではないだろうか。 

 私から見えれば、1000万人を超すような巨大都市や、何百メートルの高さで聳え立つ高層ビルなどは、ヒューマンスケールを大きく外れた、マッドサイエンスが作り上げたモンスター以外の何モノでもない。

 では、どの程度が適正なのか。私が暮らしている100万都市も決してヒューマンサイズとは思えない。周辺を過疎化させて、中央部だけ栄えようというのは、巨大なモンスター都市をスケールダウンしただけであり、その思想は同じもので作り上げられている。

 私は、個人的な生活を営むとしたら、おそらく200人くらいの友人知人がいれば、一生を送れるのではないか、と想像している。それは、各個人が毎年だす年賀状やグリーティングカードのリストの数から想定したものである。

 年賀状を500枚出す、という人もいるが、これは交友がある人間以外を含んだビジネス用DMも兼ねているようである。あるいは勿論まったく出さない人もいるわけだが、受け手としたら、おそらく数十通。無理しなければ7~80通のやりとりは可能なようである。

 この辺は平均値を取るのがベストとばかりも言えないが、すくなくとも20人を中央値と見ることもできないし、2000人を中央値と見ることもできない。私が考えているヒューマンスケールの、個人生活の交友数の中央値は200としておく。

 市制施行には人口が3万人とか5万人とか法で規定されているが、おそらく一つの都市の、適正なヒューマンスケールは20万人程度であろう。この程度なら、経済も成り立ち、それぞれの都市機能が発達し、しかも、無理のない日常生活が送れそうだ。

 エコビレッジという概念は、ともすれば、過疎や無人地帯が広がる原野に作られるようなイメージもあるが、必ずしもそれはあたっていない。敢えていうならエコシティという呼び名が正しいのであろうが、それでは、実現可能性が薄くなるので、エコビレッジという名前に留まっている、ということであろう。

 であるなら、全国、あるいは全世界に存在する20万人都市に移住すればいいかと言えば、そうではない。歴史や産業構造のゆがみの中で、一つのプロセスとしてその数字に留まっているところが多いからである。増えるにせよ、減るにせよ、ひとつの到達地点としての姿を20万人都市あたりにおくのが良いのではないか、と思っている。

 そして、その根底としてある、構成する人間関係の単位が200人程度の共同性であれば、それがエコビレッジと名付けられるのではないか、と、まずは想定しておく。

<7>につづく 

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2014/11/02

「For the Children 子どもたちのために」 ゲーリー・スナイダー<11>

<10>からつづ

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「For the Children 子どもたちのために」<11>
ゲーリー・スナイダー (著),  山里 勝己 (編集, 翻訳), 高野 建三 (写真) 2013/04 新泉社 単行本: 143p

「場所」の喪失、移動、漂流というパターンを、1945年以降のオキナワと2011年以降のフクシマの人々が期せずして共有することになった。

 フクシマの破壊された原子炉周辺のバリアや、オキナワの軍事基地を取り囲むフェンスは、人々から場所の記憶を奪い続ける。

 フクシマとオキナワには、場所と人間、場所と文化、あるいは場所と近代工業文明の問題として語られるべきものである。

 なぜ人は、強制的に排除された場所にいくたびに戻って行こうとするのか。そこには、容易に説明しがたい人間と土地の深い絆が横たわっているのである。p133山里勝己「場所を喪失した人々---オキナワとフクシマ」

 さて、あたらしいカテゴリ「絆の都」を始めることとする。最初、どこから始めたらいいのやら、とまどってしまった。そもそも「Yah Man Osho」というカテゴリ名にしようと思ったのだが、諸般の状況から、それは今後に繰り越すこととした。

 理由のひとつ。まず、石川裕人の「畢竟の三部作」である「時の葦舟」の中から、「無窮のアリア」と「さすらいの夏休み」がカテゴリ名として採用されたのに、「絆の都」だけが、外れてしまったこと。忘れないように、ここにひとクッションとしていれておこう。

 二つ目。「Yah Man Osho」は、良い思いつきであり、いずれカテゴリ名として当ブログに登場することは必定である。しかるに、どうも現在の私の姿勢は前のめりである。そう指摘してくれる人もあり、私自身もそう感じる部分がある。ここは、すこし三歩進んで二歩さがるくらいの余裕が必要のようである。

 三つめ。私は、正直言って、「絆」も「都」も、言葉としては、あまり好みではない。しかし、石川裕人が言った意味において、「絆の都」は、はっきりと容認できる。それは巨大化した大都市を意味しないし、「復旧復興」の旧態依然の昔に戻ることを意味していない。

---ようこそテンマク・シティへ。
---こんにちは、こんにちはみなさん、こんにちは。
---Welcome, Welcome,Welcome,
---アジアの片隅、テンマク・シティへ、御一行様ご案内。
---世界でもうここしかない人間の生きる町。
石川裕人「時の葦舟」p9 第一部「絆の都」

 絆の都の意味するところ、それは「天幕シティ」であり、テント村のことである。「世界でもうここしかない人間の生きる町」。それは、地球人すべてにとっての意味でなくてもいい。すくなくとも、そこにたどり着く人々にとっては、もうここしかない、場所である。

 今、当ブログに見えているのは、ひとつのハードとひとつのソフトである。それらがどのようなリアリティとしてつながるのか。そこが見どころなのである。

 なぜ人は、強制的に排除された場所にいくたびに戻って行こうとするのか。そこには、容易に説明しがたい人間と土地の深い絆が横たわっているのである。p133山里勝己「場所を喪失した人々---オキナワとフクシマ」

 当ブログは、もう一歩「野生の実践」が必要である。そして、その絆の向こうには「Yah Man Osho」が見えてくるはずなのである。

 そんな意味合いを込めて、このカテゴリをゆっくりスタートさせておくことにする。

<12>へつづく

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