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2014/12/21

<12月23日まで> 石川裕人・作 『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36<2>

<1>からつづく

<12月23日まで>

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『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36 <2>
作 石川裕人 演出 長谷野勇希
2014年12月 19日(金) 19:30- 20日(土) 14:00- 21日(日) 14:00- 22日(月) 19:30- 23日(火・祝) 14:00- ※開場は開演の30分前 せんだい演劇工房10-BOX box-1
★★★★★

 ニュートンへ

 サキと見て来たよ。終わってから、団員の人たちに、打ち上げがありますよ~と誘われたが、二人とも、最近たべた生カキがあたって、腹の調子がいまいちだったから、早めに帰宅した。次回誘われたら、ぜひ参加しよう。

 私は初めて見る題目だったし、だいたいにおいて、この作品が書かれ、上演された93~94年という時代は、私の生涯の中でも、記念すべき絶不調の時代で、とてもとても、外出もしたくない、本も読めない、ましてや芝居を見るなんて気は、さらさらない頃だった。でも、よく覚えている時代でもあるのだ。

 あの頃、君は、このような芝居を書いていたんだなぁ、と、あらためて感心した。この作品、本当はレインボー評価したいところだが、★5にとどめておく。大体において、役者や芸人は、褒め殺しされて、終わってしまうことがある。まだまだだ、これからだ、と言ってあげたい。

 この作品は、君亡き後の、残された団員達の実質的な再スタートの上演である。もともと書かれた時の状況とは、多少、環境が変わっている。でもまぁ、よくぞこの作品を上演してくれたな、と団員のみなさんにお礼を言いたい。

 演劇は門外漢だし、ましてやこの時代、芝居を見る余裕もなかった。小学生の子供たちに手がかかって、仕事で手いっぱいだった、と言いたいところだが、その仕事さえ、うまく回っていなかった。おそらく、あの頃、観客席にいても、ストーリーも劇場の雰囲気もまったく楽しむことはできなかっただろう。

 今、こうしてあらためて見ることができることに感謝したい。サキのように20年前の公演を見ている人は、前回との比較などを楽しむことができるだろうが、私は初体験。そう言った意味では、この作品は、私自身の「演劇」観賞のスタートになるかもしれない。

 ゆっくり見ることができた。もし、君がいて、新作を上演していたならば、私は、きっと葛藤するに違いない。あ、ここの台詞はおかしいだろう。どうして、あいつはここでこう言わせたんだ。もっとこうすれば、ああすれば、・・・。私の心の中は、ぶつぶつつぶやきで、一杯になっていたに違いない。

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 ところが、こうしてみると、もう、台本は、今できつつあるのではなくて、もう21年前にできていたんだものね。もう直しようがないよ。もうあるものとして、「諦めて」見るしかない(笑)
 もちろん、帰宅してゆっくり台本を見直してみると、多少の台詞の入れ替えはある。大体は時事ネタの部分で、やはりそこは、今風に言いなおしたほうが面白い。

 押し売りがでてくるシーンがあったけど、我が家の若い人たちは「押し売り」というセールススタイルがあったことすら知らなかった。50をとうに過ぎた奥さんでさえ、言葉としては聞いたことがある、という程度だった。かく言う私も、ホントに小さい時に、一回だけみたことあるよ。ゴム紐の押し売り。

 ただ、サザエさんの漫画の中ではでてくるらしいから、みんな、一応分かっているのかな。この芝居のストーリーの中では、あのゴム紐が重要な小道具だったから、ここはもともと変えられないね。古いのか新しいのかわからないが。

座長 「ある寺院の前で蓮の姿勢をし地面に座っていると、深い瞑想に沈んでいるひとりのヨガ僧に気がついた。近づいていってみると、ヨガ僧の顔は自分の顔だった」台本p30

 遅れてやってきた老観客の、勝手な思いだが、ひょっとすると、この辺は、私への問いかけだったかもしれない。

舞台監督 「瞑想に耽っているのは彼のほうで、彼が夢を見、この自分は彼の夢の中の存在なのだ。彼が目が覚めたら、自分はもはや存在しなくなる。」同上31p

 これもまた、当時、ステージを見に行って、舞台からこう言われたら、当時の私なら、なんとなく憮然とした気分になったかもしれない。当時であるなら、この辺の言葉のやりとりは、なんとも、微妙なニュアンスを持っていた。

 しかし、あれから20年が経過して、もう文句を言う相手として、君はいなくなってしまっているし、台詞はすでに決定項としてある。もう、何にも言うこともなく、ただただこの台詞を聴くだけだ。この心の「余裕」が、私をゆっくりと、観客席に押し戻す。

良ちゃん 父さんはそういう覚悟を決めたことだけを判ってもらえば、五億年経ったらあの四畳半から帰ってくるよ。その時はお祝いをしておくれ。安いシャンペンと焼き鳥でいいよ。必ずシロモツは頼むよ。それじゃぁね。同上p69

 ここで五億年、という言葉で何を言おうとしていたのだろう。私の解釈は、本当は五億年ではなくて、五十億年だったのではないか、と推測する。しかも正確には、五六億七千万年。おそらく、ここには弥勒信仰の伝説がベースになっていたに違いない。

 生きていたなら、ここんとこを、鋭く問いただしたいところだが、まぁ、これは「決定項」だからね。五億年は、五億年のままで、もはやいいのだ。

劇作家 人は迂闊だ。いまいる人はずっといるような気がしてしまう。それもごく近い人にそれを感じる。ごく近い人ほど疎んだり、妬んだり、嫉みをもったり、会いたくないなんて思ってしまう。

 馬鹿だ、大馬鹿者の僕は良ちゃんに何回も何回も台本をせがまれながらたったの二行しか書いてやれなかった。ずっと僕のそばにいる人だとばかり思っていたから。

 良ちゃんはあのたった二行から病院のベッドに伏せながら舞台の上の自分を、相手役を、照明を、音を、舞台美術を、そしてお客のことを考え続けていたに違いない。

 そして、僕に、待たせ続けてきた僕に、ある覚悟を強いたんだ。一緒にやろうと言ったのは僕だ。大馬鹿野郎のこの僕があいつと一緒にやろうと言ったんだ。

 お調子者のこの僕が、人の痛みを知らぬこの僕が劇作家なんて・・・・。良ちゃん、あれは夢じゃなかったんだね。僕に芝居をやっていくことの覚悟を決めさせに来たんだね。

 いいよ、良ちゃん。覚悟は出来ている。良ちゃんがいつも言っていた台詞「演劇とは、美しい秩序と、細やかな配慮と、愛情の小宇宙だ」 これを肝に命じて。今度待つのは僕のほうなんだから。あの書割りの町に佇んでずっと待つよ。同上p75

 一番最後の決めゼリフのところ。今までの私なら、いろいろ解釈してみて、役どころを変えれば、さまざまな意味をもつところではあるが、今回は、この台詞はこの台詞のまま受け取っておくことにする。

 意外に思ったのは、この台詞の時、会場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきたことだね。たしかに前のシーンで、舞台の後ドアが開いて、外の寒気が入ってきてきたから、一時的に冷えたのかも知れないが、多分そればかりではないだろう。ひとりひとりが、観客として自分の中で、感じているんだろうね。

 サキは、音響音楽について語っていた。あの当時にこの音楽が使われていたんだろうか、と。ニュートンは、随分広く聞いていたから、と。そう、それは私も知っているが、私は、そこまで気が回らなかった。

 今回は、まずは、こうして新たなる「演劇」への、何回目かのスタートを切ろうとしている、劇団の人々に拍手を送りたい。満席の観客のみんな、そう思っていたに違いない。このような形で、ニュートン作品を、もっともっと味わってみたいものだ。遅まきながら、実にそう思った。

 人は迂闊だ。いまいる人はずっといるような気がしてしまう。それもごく近い人にそれを感じる。

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