世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<13>
<12>よりつづく
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<13>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09
単行本 145p より抜粋
★★★★★
第1は、人間社会のおける共同体(コミュニティ)の卓越性である。エコビレッジは、おそらく何よりもまず、現代の危機的状況が生みだした疎外や孤独への対応である。それは、有意義な共同体において再び他人と結びつきをもち、ヒューマンスケールの社会において有用で尊重される住民になりたいと考えている人々の渇望に答えている。p42
現実にそのようなエコビレッジが勢力として存在しているのか、あるいは、現代社会の誤謬を挙げ連ね、それを乗り越え済みの「理想」として、語られているのか、ちょっと微妙。そうありたい、ということと、そうある、ということではだいぶ違う。少なくとも、私が見ているのは、後者のほうだ。
第2は、エコビレッジは、程度の差があるにせよ、すくなくとも初期の段階では共同体における住民自身の資金・創造力・ビジョンに全面的に依存する市民の新たな取り組みである。大体において、こうしたことは、政府や他の公的機関に対して広く行き渡った不満と、それらと、仲たがいにも起因している。p42
ここもまた一般化できない。そうであろうと推測するに留まる。現実的には、私たちもそうありたいとは思うものの、そうあるかどうかは、微妙な判断となる。
すべてのエコビレッジに共通する第3の明らかな特徴は、それらの共同体が、自分自身の資源の支配権を取り戻すことに取り組んでいることである。突き詰めて考えれば、それは、自分自身の運命に対する支配権を取り戻すことである。p43
ここもまた理想が語られているようである。そのような具体例があるのであればぜひ学ばなければならないが、そうあろうとするときに、新たな軋轢を生む時もある。
エコビレッジのすべてに共通して見られる第4の特徴は、どんなエコビレッジの中心にも価値観が共有される強固な主体が存在することである。それは、いくつかのエコビレッジでは「精神性(spirituality)」という言葉で説明されている。これは、やや論争のある主張である。というのは、一群のエコビレッジの内部にも外部にも、その言葉に疑いを抱いている多くの村民がいるからである。44
ここは確かに論争のあるところである。「価値観が共有される強固な主体」を、「作ろう」とすれば作れないこともないだろうが、あえて作ることによって、主体そのものが軟弱化していくかもしれない、という逆説も生む。
共通する最後の特徴は、第4の特徴と密接に関連しているもので、エコビレッジは、それぞれの分野の実地調査と専門性における研究、デモンストレーション、そして(大抵の場合)トレーニング・センターとして機能しているということである。p45
参加者が多くなれば、キャパシティとして包含しきれない部分はこぼれていくのであり、また再生産を兼ねて、分化、枝分かれしていく。いずれにせよ、新しい芽があるのなら、そこはトレーニングセンターを兼ねることにはなる。
エコビレッジを形成する論理的根拠の非常に重要な部分には、人々がより健全でより持続可能なかたちで自然界に溶け込み、より地球に優しい人間用の住居を形成したいという要求がある。p49
この気持ちを維持することはなかなか難しい。初心忘れるべからずである。
ローテク、ハイテクを問わず、エコロジカル・フットプリント指数の値を大幅に低下させるほとんどのエコビレッジに見られる顕著な特色は、程度の差はあるにせよ、調和のとれたホ―リズム的性格であり、エコビレッジ内部での資源循環を高め、外部からの投入量の削減を可能にしている。例えば、台所の生ゴミは、容易に堆肥として共同体の庭に利用できるし、共同体の森林を定期的に伐採することによって、住民の暖房用ストーブや木質ペレット暖房装置に燃料を供給し、バイオ技術を使って処理された廃水は食糧生産地域で利用され、伐採された木材や廃材は新たな建設事業に使用されている。p55
理想の旗は、あくまでも高く掲げ続けなければならない。
比較的最近まで、ほとんどのエコビレッジ教育は現実には非公式なものであり、正規の学校や大学に基づく教育過程とは無関係で、一般に公認されていない講座に出席するために、各々の個人が授業料を支払ってきた。こうした性格の講座では、パーマカルチャーやエコビレッジの設計、再生可能なエネルギー・システム、美術工芸、興行芸術、精神性など、様々な内容を扱っている。p82
私たちの森が、ここまで到達するのは、至難の業あり、時間をかけたところで、ここまでいくことは可能性薄である。しかしながら、未来に向けてのビジョンとしては、このような可能性を常に持ち続けていく必要があろう。
従来の教育システムと教授法の制約から逃れて、共同体全体を壮大な社会的・技術的な実験室であり教室として利用する便宜が与えられているので、エコビレッジはこの種の教育の包括的な設計と提供において熟達した存在となっている。数多くのエコビレッジは、卓越した研究教育拠点として国内外で認められ、その結果としてこれまでに数多くの賞を受賞してきた。p83
理想は新たなる理想を生む。
エコビレッジは、多様な領域において新たなモデルを開拓している。有機農業、地域支援型農業(CSA)、建築技術、障害者と健常者を包摂した集団、地域通貨、太陽エネルギー技術、バイオ技術を使用した廃水処理プラントなど、その後より広範囲にわたり一般社会に採用されるようになる新たな技術あるいはモデルを導入する先頭に、いつもエコビレッジが立っているので、人に強い印象を与えているのである。
技術革新を導入する場合、エコビレッジは、他の変革主体と比べて、より速く、より大胆に行動できるという特性を持っていることは明らかである。エコビレッジが小規模であること、そして価値観が共有されているということは、明らかに良い結果をもたらしている。また一方で、等しく重要なことは共同体としての側面である。p87
あらゆる可能性の、理想を、ひとりエコビレッジばっかりに背負わせるのはどうであろうか。それは、非エコビレッジ空間における責任逃れになるのではないか。
無邪気に「どのようにしてエコビレッジを形成するのですか」と訊ねる人々は、単純で有益な回答をめったに得ることができない。この10年間にわたって期待されたほどには、エコビレッジは急増しなかった主な理由の1つは、ほとんど間違いなく、エコビレッジの住民となることを志望する者が従うべきひな型が欠如していたということだ。そうしたひな型の形成は、エコビレッジ推進運動の前にはだかる大きな仕事の1つである・・・。p95
おそらく、この部分が相当に重要なポイントである。「ひな型」となるべきものが見失われていて、言説ばかりが先行し、実体が伴わない可能性が高い。
エコビレッジの創設において、中核となるグループを確認し、土地を見つけ、地域計画当局に働きかけ、投資資本を調達し、適切な法体系を作り、建物を建設し、どのようにして所得を得るか、どのようにして所得を分配するかという意思決定機構を決め、利害対立を処理するなどの、エコビレッジの形成に関わる第一歩は決して簡単な仕事ではないということは、確かな事実である。それにもかかわらず、一般的に認識されるひな型あるいはモデルと見なされるケースが欠如していることによって、しばしば将来エコビレッジとなるつもりの各新規グループが一からやり直すはめになっているのである。p108
おっしゃるとおりである。
エコビレッジの複製を容易にするひな型を形成する問題に関して、最後のポイントは、エコビレッジ内部には、とりわけ個人が自分の家屋の設計や建設に関わりたいという要求に表れているように、強い無政府主義的傾向があるということである。エコビレッジにとって、このようなぜいたくが相変わらず適切で入手可能なものなのか、と問いかけるのは、時機を得ているかもしれない。p110
おそらく、共同スペースを共同で創出していくことと、個人的なスペースを個人の力で成立させることは、綿密に関連している。個人でできないことを共同でなし、共同でできないことを個人でなす。この両者間におけるバランスはおそらく定式化はできない。微妙なバランスによって平衡が保たれるだろう。
この提案事項には、以下のものが含まれている。
●当該プロジェクトには、自動車使用を最小限に抑える計画が用意されている。
●当該プロジェクトには、ゴミの発生を最小限に抑え、可能なかぎり現地において再利用、再生利用を計画する。
●当該プロジェクトには、エネルギー保全、再生不能エネルギー源への依存度を徐々に実行可能な最小値にまで縮小する戦略を持っている。
●当該プロジェクトは、現地で追求されているいかなる活動も、近隣か社会一般に対して過度に迷惑な行為となることのないことを立証できる。
こうした条件の導入は、見直し期間の設定と共に、かなり明白な利点をもたらす可能性と一体となって、地元当局にとってリスクの少ない戦略を作り上げるだろう。P114
この部分は、それぞれの共同性によって、違いを生むだろう。その差異はどこからくるかというと、あらゆる要素の絡み合いから来るのだが、もっとも重要なことは、ほとんど、創立メンバーの核たる部分に依拠することになるだろう。
歴史的文脈のなかで、エコビレッジが主流派社会に対して既存のものとは別の道に進むことを選択することはもっともなことである。主流派のなかでは、エコビレッジの住民たちが夢想する類の小宇宙的社会を形成することはほとんど不可能であったであろう。さらにまた、支配的なパラダイムから身を引いて、新たなパラダイムの形成に参加するという行為は、それに対する大胆な魅力をもっていた。エコビレッジは、自らの掌中に権力を収めることができる能力を示すことによって、大きな信頼を得たのである。
世界は、今や大きな転換期にある。将来のエネルギー不足は、共同体には、エコビレッジがこれまでに開拓しつづけてきた道に沿った地域再生以外に選択の余地がないことを意味している。幾つかの点において、エコビレッジはきわめて独特であるが、その他の点においては、以前と比較してかなり「主流派」に近づいている。これまでの長期にわたり共同体に居住してきた者は、ヒッピーや変人としてより平凡な隣人たちの冷笑の的にされていたことは、それほど昔のことではなかったことを記憶しているが、現在では、共同体で開発した生態学的技術の視察にやって来る当局の代表団を受け入れている。
これは、エコビレッジにとってチャンスである。このチャンスとは、「代替案になっている」安全なニッチをあえて残しておくことであり、今後数十年にわたって主流派社会を支援するという課題に熱意をもって喜んで応じることである。こうしたことを実現させるには、エコビレッジと地方自治体が相互に友好関係を表す歓迎の手を差し伸べる必要があるのである。p116
総論やよし、されど各論は。それぞれの具体的ケースの中で、そしてその困難さの中で、ともすれば、最初に掲げた理想が次第に不明瞭になったりする。それではいけない。時たまチェックし、より理想に近づいていく工夫が必要だ。
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