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2014/12/01

smtてつがくカフェ 第39回 「震災とメディア技術」

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てつがくカフェ 39回 「震災とメディア技術」
smt仙台メディアテーク 2014/11/30 6f ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい) ギャラリー4200 ホワイエ
Total No.3343

 この「てつがくカフェ」というやつ、前から気になっていて、いつか行ってみようと思っていたのだが、今回、ようやく行ってきた。というか、以前にも一回行ったことがある。前回はすこしテーマが抽象的だったのと、事前に読むべき本がやや難しかったので、参加する人もそれほど多くなかったし、話もいまいち乗っていけないところがあった。

 今回も、足の便は悪いし、他の予定もあるしで、迷ったのだが、行ってみた。これがなかなか良かった。

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 何が良かったのか、と問われると、これもこまるのだが、この手のイベントは、とにかく直接行って感じるしかない。いろいろな意見が聞けて、それだけでも面白かったのだが、たった2時間という枠の中で、わりと多彩でありながら、実にまとまりのある結論に達したのではなかっただろうか。

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 テーマは、「震災とメディア技術」である。他の人の発言はともかくとして、私自身の発言を、私なりにまとめておく。

 震災とは、私にとっては3・11であるわけだが、その際に特徴的だったメディアは3つあった。ひとつはラジオである。風呂場で使う、単一乾電池で使えるラジオが震災にあたっては実に役だった。乾電池の持ちもよく、当時使っている乾電池を今でも使っている。

 しかしながら、ラジオは身近ではあるが、一方向の情報メディアである。こちらから発信する技術がない場合は、単に受け取るだけになってしまいがちである。

 二つ目には、ケータイやスマホについてである。当時私はガラケー1台に、スマホ2台を持っていたわけだが、ほとんど役に立たなかった。つまり、回線が途切れているばかりではなく、その回線を求めて電波がウロウロするので、あっと言う間に充電器が空っぽになるのである。

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 ワンセグもまた30分ほど見ていると電池が減って、気になってしょうがない。一般の電気回線が復活するまでは4日ほどかかったのだが、それからはテレビが中心になった。電話は光電話だったので、通じるまでは2週間ほどかかったが、それまではガラケーが頑張った。

 そして、三つめに気になるのは、気仙沼で小学生の女の子たちがつくった避難所の壁新聞のことだった。ローテクの最たるものであるし、また情報も決してその避難所を出て行く類のものではないが、その壁新聞という発想が、多くの人々の心を和ませた。

 メディアの存在という意味では、壁新聞は大きな役割を果たしたと言える。マクルーハンは、メディアはメッセージである、と言ったが、何を伝えようとしているか、というより、そのメディアがあること自体、なにごとかのメッセージなのではないか、と感じた。

 そしてまた、本当の被災者には口がないのではないか、という発言をした。宮地尚子の「震災トラウマと復興ストレス」(2011/08  岩波書店)が頭にあったから、そういう発言になったわけだが、私よりももっとひどい被災者がいると、みんなが譲りあったら、結局、本当の被災者は、発言さえできない、亡くなった人や行方不明の人々、ということになろう。1 そして、もうひとつ、被災地のあちこちで立ちあがった災害FMについても発言した。地域に限定した情報が多かったのだが、それをキャッチすることで、その地域が元気になりつつあるのだな、ということを確認できたことはうれしいことだった。

 カフェでは、メディアの「暴力」と「やさしい」メディアについての対立軸が立ち上がってきた。

 かくいう私は、福島を含め、被災地の現場に入っても、ほとんど写真一枚撮影することができなかったのだが、それを私は、私の言葉に落として、ブログを書いている。考えてみれば、言葉はすきではないが、結局それは「やさしいメディア」なのかもしれない。

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 この回のまとめとしては、他のひとの発言ではあったが、「メディア技術によって震災を記録し伝えることによって、何を伝えたいのか?」という問いかけに、私は賛成した。他の人々の意見をも包括しているように思えた。

 今回、本来であれば隣接した会場に展示されていた展示物を見たうえで、このカフェに参加することを要請されていたのだが、私は直前に急用がはいり、それを見ないで会場で発言した。だから、会場の進行とはすこし方向性が違ったかもしれない。

 次回は「震災と読書」である。このテーマも面白そうだ。私も積極的に参加できそうなテーマであるが、残念ながら、他の先約があり参加できない。

 今後、面白そうなテーマがあったら、また参加してみようと思った。

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