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2014年12月の34件の記事

2014/12/31

「ロード・オブ・ザ・リング」<5> 二つの塔 2002年上映

<4>からつづく


「ロード・オブ・ザ・リング」<5> 二つの塔 
原作:J.R.R.トールキン 制作年:2002年 制作国:アメリカ DVD 179分
★★★★☆

 「ホビット思いがけない冒険」(2012年上映)につづき、「ロード・オブ・ザ・リング」(2001年上映)を見る。そして次はこの「二つの塔」。年末年始とは言え、紅白歌合戦とか、他の歌謡番組やオチャラケ番組を見ているよりはいいかもな。

 ここまでくるとだいぶ目も慣れてきた。ストーリーも無理なくついていけるようになってきた。だいたい、今日は年末なのに、まだノンアルコールだからな。多少居眠りしたが、泥酔ということにはならなくて済みそうだ。

 お、新しい出演者たちも増えて、次なるストーリー。ところで、ゴブリンが名前を変えられたというオークとは、どういうスペルだろう。Oakだろうか、Olkだろうか。この辺から、個人的な繋がりが見つかるかもしれない。

 今までのところ6時間半経過。あと、5時間半。ふー、長い。Orcとか、Orkと書く場合もあるらしい。ラテン語で、悪魔、あるいは地獄の生物とか。オーク。

 この特番、終わるのは午前1時半。うとうと、途中で、やっぱり眠くなる。この辺で、ネット繋がりの人々に、年末のご挨拶。来年もよろしくお願いします。

 このシリーズ、ようやくロマンスが登場する段取りになった。かなり鮮やかなシーンが多くなった。まもなく二時間。ストーリーもかなり煮詰まってきた。

 戦いのシーンもヘビー。 何かを何かにたとえようとするから、ますます混乱するのかも知れない。 このまま、このまま。 あと30分でこの映画も終わる。だが、それから、さらに3時間! 耐久テスト中。 特撮やらCGやらはめ込みやら、映画の技術もどこまでも進歩しているんだな。

 原作は古い小説だ。世界大戦の影を引きずっているのだろう。こんなことやっているうちに、第三次世界大戦が来てしまうのではないか。鎧や武具などに対しても、沢山のデザイナーたちが情熱を燃やしているんだろうな。

 戦い、破壊、あんなに転がったら、死んじゃうよね。ホビットは人間じゃないからね。物語ね。登場人物たちは、真剣に、前向きに取り組んでいるから、観ている人もいるんだよね、と、家族は言う。でもでもでも・・・・・。

<6>につづく

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「ロード・オブ・ザ・リング」<4>2001年上映

<3>からつづく


「ロード・オブ・ザ・リング」<4>
原作:J.R.R.トールキン 制作年:2001年 制作国:アメリカ DVD 178分 受賞履歴:アカデミー賞撮影賞/アカデミー賞作曲賞/アカデミー賞メイクアップ賞/アカデミー賞視覚効果賞
★★★★★

 さぁ見るぞ、年末年始、三部作一挙放映9時間。

 イントロはいいよな、なにか新しいことが起きるような大きな期待感。よくよく見ると、きれいだよなぁ、田舎のシーン。まさに、エコビレッジとでパーマカルチャーという雰囲気のホビット族。開始30分くらいは、確かにオレでもわかる。

 ただ、物事が、指輪に集約されていくところが、モノガタリであるし、矮小な部分でもある。象徴としてのリングである。そして「敵」が必要となる。そして少年。男ばっかりでてくる映画だな。

 この映画って、大きな画面でみるべきなんだな。うちのテレビのような中途半端な画面では、この美しさが半減しているはずだ。だからストーリーばっかり追いかけるようになるんだ。もっとこの美しさにうっとりとすべきなんだ。

 素敵な農村風景。途中で、ちょっとトラブル発生。10分ほど番組から離れたが、無事復帰。一時間20分経過でもなかなか落ち着いた綺麗な画面だ。9人の旅の仲間。確かに美しいセットが次から次とでてくる。

 だんだん複雑な特撮シーンが多くなってきた。どうも画面が浮いているのは日本語吹き替え版で見ているからかもしれない。文字を追わなくてもいいのが楽だけど、どうも画面と声にギャップがあるのではなかろうか。

 経過2時間、いよいよ始まるチャンバラシーン。漫画と見れば漫画なのだろうが、そもそも漫画も見ないしな~。プロレスなんかそんなに嫌いじゃないのに、どうしてkのような暴力シーンは嫌いなのだろう。なくてもいいぞ、こういうところは。

 本当に女性の登場が少ない映画だな。この辺は原作に忠実なのだろうか。まもなく2時間半。なるほど、見るべきシーンはたくさんあるね。美しいシーンの連続。これだけ見てしまえば、もう、今後、この作品をあまり悪く言うことはできないね。

 リングにまつわる葛藤。リングが引き寄せる邪悪な感情。正義が常に邪悪へと転化する可能性。誘惑。またまたチャンバラシーン。でも目がだいぶ慣れてきたな。初代タイガーマスクのロープ際のマジックプレーを見ているようなつもりでいるなら、これはこれで楽しめるかも。

 自分はこの映画を見ながら、頭の中で、自らのフォーマットに置き換えて理解しようとしているようだ。だから、うまくハマってくれない部分は、切り捨てざるを得ない。この辺は、むしろ、作品を作品として、虚心坦懐にうけとるべきなのだろう。

 結局、主人公の少年のような、まっすぐな純真こころで見ていると、自分も、まっすぐで純真になれるのかも。

 う~ん、終わった。素直に面白かった、としめくくっておこう。次は二作目につづく。

<5>につづく

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「ホビット 思いがけない冒険」2012年上映

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ホビット 思いがけない冒険」
イアン・マッケラン(出演), マーティン・フリーマン(出演), ピーター・ジャクソン(監督) 2012上映 販売元 ワーナー・ホーム・ビデオDVD 170分
No.3361★★★★★

 年末年始、NHKBSで特番をやるという。「ホビット」→「ロード・オブ・ザ・リング」3巻の一挙放映なのだそうだ。今さら紅白歌合戦を見る気もないし、裏番組にも関心があるわけではない。静かに本でも読んでいたほうがいいのかも知れないが、世間にあわせて、テレビにつきあうのも悪くないか。

 そう思って、まずは30日夜に録画しておいたこちらの「ホビット」を見た。ホビット三部作の第一作、映画「ロード・オブ・ザ・リング」(制作2001年)の導入部にあたる作品である。これを観たのは、ちょうど3年前の正月休み。その感想も、わがブログとしては、必ずしも芳しいものではなかった。

 ストーリーそのものに感情移入できないわけではないが、どうも、あまりに描き込み過ぎている背景と、途中からはじまるチャンバラが、どうもいけない。そのシーンがでてくると、もう私の頭はほかのことを考え始まり、映画なんかどうでもよくなる。

 それでも、なんとか「見たよ」と言いたいがために、3時間もテレビの前に座るのだが、やっぱり最後あたりは、窮屈になる。

 この手の作品のファンである奥さんに、それとなく聞くと、背景が綺麗だよね、原作に忠実に作ってあるね、とかいう感想がでてくるので、そういう感想を持つ人もいることはいるのだろう。

 

 これは私の気ままな個人的なブログなのだから、正直に書いておこう。やはり、私はこういう映画は苦手のようである。まったく期待しないわけではないのだが、私向けには作られていない。アクションシーンとか、過剰なCGは白けるばかりである。

 そんなに言うなら、見なけりゃいいんじゃない、と奥さんはおっしゃるが、ところがどっこい、こちらの性格は、できれば一応すました顔で「見たよ」と言いたい傾向があると来た。見たいのである。だが、いつも裏切られる。

 さて、今夕、間もなく始まる「ロード・オブ・ザ・リング」を私は見るのだろうか。彼女がいうには、「あなたはもう何回も見ているのよ」。もう見なくていいんじゃない、と来た。おいおい、逆手を取ってきたな。

 見なけりゃ見ないで気になるシリーズである。やっぱり最初は見ることにしよう。そして、グロッキーになったら、やはりやめる。これでいこう。

 もともとの原作のある部分について、同調できないわけではない。しかし、その同調の部分が、作品ではどうも外部の戦いに転化され過ぎていて、はっきり言って、「間違っている」と私は断定する。

 この映画の、真の目的を達成するためには、映画のようなエンターテイメントでは無理なのだ。方法がそもそも間違っている。と、グダグダ言いながら、どうもこのシリーズが気になってしかたない私ではある。

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2014/12/27

「おとなのiPhone 」高橋 浩子<4>おとなの・・・

<3>からつづく

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「おとなのiPhone」 一目置かれる使いこなし術 <4>
高橋 浩子(著), パソカレッジ(監修) 2014/5 技術評論社 単行本(ソフトカバー) 208ページ
★★★★★

 本来であれば、この本、わがブログにおける「2014年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」(2014/12/22発表)の上位にランクインする筈の一冊だったのだが、人気本で、私まで順番が回ってくるのが遅くなり、今頃になってやってきた。それでランクインを逃したのである。それだけ人気のある本なのだろう。

 内容については、一部、中身検索でネットで立ち読み済みなので、だいたいどういう構成になっているか分かっていた。読めばきっと面白いだろうが、絶対読まなくてはならない、という本でもないだろう、とタカをくくっていた。

 しかし、実際に一冊この本を手にとってみれば、これは、と気付くところがたくさんある。この本が人気がある理由がわかる気がする。

「iPhoneの電話が出んわ 意外に戸惑う電話の取り方」p18
「携帯とiPhone 今さら聞けない電話機能の違い」p20
「電話に『出られない』『出たくない』 そのときどうする?」p22

 ああ、実は、このあたり、6plusでようやくiPhoneビギナーになった私は、戸惑いまくっていた。いや、ガラケー以外にも、すでにスマホは暫定的に3台使っていたが、すべてアンドロイドだったし、そもそもスマホを通話には使っていなかった。

 今回はメールも、通話も、ネットも、あわよくば客先へのプレゼンも、iPhone6plusですませるかどうか、というテスト中である。通話ごときに引っ掛かっていてどうする、と思うのだが、やはり、違いは違いとして歴然としてあった。

「iPhoneを通じてパソコンとネットにつなぐ テザリングで仕事もはかどる」p130

 今回、私がiPhoneにしたのは、ここをやりたかったからである。しかも、キャリアはD社に限る、という縛りがあった。つまり特定位置からのつながり具合がやはりD社が一番良い、という結論を得ていたからである。その結果は、大満足だった。しかし・・・

 iPhoneとノートパソコンをつなぐ方法は、①WiFi ②Bluetooth ③USBという3通りがあります。テザリングはiPhoneにとって体力を使う仕事です。①は手軽で高速ですが、かなりバッテリーを消耗します。②は①に比べると消耗度はずっとましですが、速度が遅くなります。③は充電しながら使えるので安心ですが、ケーブルが必要です。p130

 というあたりはノーチェックだった。テザリングの本格的運用はこれからだが、今のところは、客先でWiFiでテザリングしてiPadでのプレゼンというのがほとんどだ。時間はせいぜい30分程度であるので、バッテリーのヘタリもそれほどでもなさそう。

 だが、これから、森の中で、長時間にわたってパソコンを繋いで、ブログでも書こうという時は、あっと言う間に一時間二時間は過ぎ去ってしまうはずである。この時は、はやりUSBケーブルが一番効率がいいだろう。その時のために、練習しておかなくては・・・・。

「iPhoneと一緒なら アウトドアもワンクラス上に!」p160

 「遠くに見えるあの山はなんていうの?」「この花は何?」「あの星座は?」なんて聞かれても、相当な達人でない限りなかなか答えられないもの。そんなときはアプリの力を借りて、iPhoneに教えてもらいましょう。p160

 はぁ、なるほど、そういう使い方もあったか。iPhoneアプリがあるなら、きっとアンドロイドなどでもあるはずであり、iPhone独占という訳ではないだろうが、ポケットにインターネットを入れるということは、百科事典を持ち歩くのと一緒であり、なるほど、こういう使い方があるんだな、と感心しきり。

 画面に映る山の名前を教えてくれる「AR山1000」(無料)や、かざした方向の星座がわかる「Star Wailk」(無料/300円)、撮影した花の名前を教えてくれる「花調べ花認識/花検索」(700円)といった、一緒にいる皆が賢くなるアプリがiPhoneにはたくさんあります。p160

 どれだけ有効か、無料か有料か、など気になるところではあるが、そのうち余裕がでてきたら、ぜひ使ってみたいアプリ群である。

 その他、
「iPhoneと一緒なら『男の料理』がさらに楽しく」p154
「ブルーライトが身体によくないと聞きました。対策法は?」p180
「iPhoneがない!そのときどうする?」p188

などなど、気になる記述が多く書いてある。結局は、「おとなの・・・」とおだてつつ、「今さら聞けない・・・」とか「サルにもわかる・・・」とかいうのと、同じような解説本なのであろう。

 まぁまぁ、自尊心を傷つけられずに(笑)、なんとかiPhone入門しようとするのなら、この本は、まずまずかもねw

 もっと、精読しよう・・・・・(爆)

<5>に続く

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「タイニーハウス」―小さな家が思想を持った レスター・ウォーカー<1>

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「タイニーハウス」―小さな家が思想を持った  ワールド・ムック―Living spheres<1>
レスター・ウォーカー(著), 玉井 一匡山本 草介  2002/08 ワールドフォトプレス  ムック: 223ページTotal No.3360★★★★★

 この本のいいところは、なんと言っても「バーナード・ショウの書斎小屋」(p136~137)が紹介されているところ。

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 10年以上前の本なので全体がモノトーンなのはお愛きょうとしても、むしろ、あの「ホール・アース・カタログ」を彷彿とさせる親しみがある。

 実は私は、この「バーナード・ショウの小屋」が、「可笑しな小屋」(ジェィン・フィールド=ルイス 二見書房)の中で、一番好きなのであった。

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「可笑しな小屋」(ジェィン・フィールド=ルイス)p98~101

 なんで好きなのだろうと自問するのだが、よくわからない。(写真家の腕が良かったのかなw) 多分、バーナード・ショウの場合、お屋敷の中の片隅にこの小屋があったようで、トイレや台所というものがカットされているところが良かったのだと思う。

 ひたすら、小屋があり、周囲に樹木があり、あとはタイプライターと旧式の電話。あとは座り心地のよさそうなイス。それがすべてだ。そのシンプルさが、わが心を打ったのだろう。

 今回、こちらの「タイニーハウス」を見て気付いたのは、実は、この「小屋」、小屋の中心が上からつるしてあって、360度回転するのであった。あら~、これは気がつかなかった。さすが、バーナード・ショウである。小屋にも落ちがあった。一本とられた。というか、座布団三枚。

 屋敷の中の小屋だから、遠方距離を移動するようなモバイル機能は必要ないが、窓から見える景色はいつでも変更できるように、回転式にしてあるのだ。なるほど、現在なら、足にクルマを履かせて同じような機能を作ることも可能だろうが、上から吊るす、というのは、おそらく唯一バーナード・ショウが発想しただけではないだろうか。

 この他、この「タイニーハウス」には、元祖「森の生活」の「ヘンリー・ソローの小屋」(p039~)も紹介してある。1890年代の写真とともに、多くはないが木組みの詳細図などが掲載されている。

 アメリカの小屋というと、簡便なツーバイフォー工法を連想するが、この図解を見る限り、むしろ日本の在来工法に近い建築法を取っているようにも見える。細かい設計図などが「森の生活」にも著述されているので、後年、読者によって、たくさんレプリカが作られた、ということである。

<2>につづく

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2014/12/25

「小さな家、可愛い家」 世界の一流建築家による傑作タイニー・ハウス34軒 ミミ・ザイガー(著), 黒崎 敏(翻訳)

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「小さな家、可愛い家」 世界の一流建築家による傑作タイニー・ハウス34軒
ミミ・ザイガー(著), 黒崎 敏(翻訳) 2012/06 二見書房 単行本: 167ページ
Total No.3359★★★☆☆

 この二見書房のシリーズはとても気になるシリーズである。「可笑しな小屋」 ジェィン・フィールド=ルイス(2013/12二見書房)の中に、お気に入りの一軒があり、そのシリーズとしては、ほとんどの本に目を通しているはずである。

 しかるに、この本を以前にメモすることはなかった。なぜであろうか。

 今回は、この「小屋」で検索したのではなく、「タイニーハウス」で検索したところ出てきた一冊である。見覚えがあり、なるほど、素敵な一冊であることには変わりない。前回検索した時は「小屋」だった。小屋としては、すこし立派すぎるのではないか、というのが、多分その時の私の感想だったのだろう。

 ところが、どうやらタイニーハウスというキーワードも重要だぞ、と気付いたのが最近なので、そちらの視点から見れば、なるほどこれもまた、とても重要な一冊である、と思えるようになってきたのだ。

 しかし、やはり私としては異論を唱えたい。この本は「世界の一流建築家による傑作」というサブタイトルがある。これがどうもいけない。私にとっては、「小屋」や「タイニーハウス」は、DIYが基本なのであって、設計も含め、ユーザー自らが行うべきだろう、という思い込みがある。どうもその基準に沿っていないのではないか、とクレームを付けたいのだ。

 前回、この本を手に取った時は、そう感じて、この本は、私のブログに似合わない、と判断したに違いない。

 今回、またまたこの本を手にとって、そのような私自身の判断基準のゆらぎをも読みこんだうえで、さらにもう一回見直すと、これはこれ、素敵なタイニーハウスがいっぱいである。なるほど~と、うなづかざるを得ない34軒が紹介されている。

 私は現在、現場といえるものは3つ+1つ、合計4つ持っている。どれもDIYで進行中であり、DIYである限り、完成というものはない。もうこの辺でいいかな、という妥協はあっても、もう少し、もう少しと改良を加えていけば、どこまでも、終着点はない道行きなのである。

 そう言った意味においては、この一冊は、実にインスピレーションを与えてくれる一冊である。もちろん、「一流建築家」の手を煩わせる予定は一切ない。すべて自分の手でやる予定だ。しかし、ひとつひとつに実に手が入っていて、想いもまた素晴らしく込められている。学ぶべき点は多くある。

 そのようなレシピ集として活用できれば、この本は実に有意義な一冊となるはずだ。あまりにも立派、あまりにも綺麗な点が、へそ曲がりな私にとっては「不満」なのだが、そうは言わず、素直に受け取ることができるのなら、この一冊を眺めていれば、時間が経つのを忘れる。この一冊の中にすっぽり入り込んでしまう。

 夢想の中に入り込んで、DIYなんか忘れてしまいそうだ。いやいや、そうではない。本当のタイニーハウスは、自分の手で、現実に作ってこそのタイニーなのだ。夢想の中で終わってしまってはいけない。

 本としては素晴らしい。素晴らしすぎる。だが、それはモデルさんの着こなしにごまかされて、「素敵」なファッションに身を包もうとする、メタボ親父と同じことになってしまう。「現実」を見ないとな~。

 タイニーがこれだけうまく処理されると、タイニーこそが最先端と思ってしまう。シェフのまかない料理というジャンルがある。そもそもまかない料理なんていうレシピなどあるはずはないのだ。その日の余りモノで作るわけだから、毎日同じものになるはずはない。このトリックを、この本に感じる。

 そういう意味では、やはり、この本は魔物である。この本を打ち捨てて、ちょっと素敵じゃないかもしれないし、ちょっと不完成かもしれないし、ちょっと不便かもしれない、自らのタイニーな現実を見つめ直すことが、私のタイニーだったりするのだ。

 結局は、痛し痒しの一冊である。

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2014/12/24

プロジェクト2ndオクターブ<3>着想

<2>よりつづく

プロジェクト2ndオクターブ 
<3>着想

・コミューン

・愛

・知性

・子供

・創造

・瞑想

・神秘

つづく

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プロジェクト2ndオクターブ<2>目次

<1>よりつづく

プロジェクト2ndオクターブ 
<2>目次

1)はじめに
2)目次
3)着想

<3>につづく

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プロジェクト2ndオクターブ<1>はじめに

プロジェクト2ndオクターブ

「はじめに」

 プロジェクト567を継承する形で、プロジェクト2ndオクターブをスタートする。これらは以前より予見されていたものではあるが、プロジェクトの意外な展開により、2ndオクターブのスタートが早まった。

 早まったばかりではなく、その持つ意味の重要性も深まった。深まった以上に、期待値もますますつのることとなった。

 例によって、意味は不明。人に分かってもらう必要はない。自分ですらわからないのだから。というか、そもそも直感の産物である。ほとんど意味不明。ただ印画紙に、何事かのエネルギーを押し付けてみると、そのような陰影ができるかな、という程度。

 ある次元での事象を、もう一段螺旋を上げた状態で共鳴させる。ハーモニーの産物であり、また、もちろんリズムも必要である。そして、単調ながら、メロディもついているかもしれない。しかしながら、それは、ほとんど無音に向かってフェードアウトしていくに違いない。

 それは音楽なのか、音楽理論なのか、あるいは歌手なのか。はたまた作曲家なのか、指揮者なのか。おそらく、それは音楽理論にやや近いだろう。

 ヘッセの、ガラス玉戯曲に近い。

 となれば、それは、3rdオクターブとか4thオクターブを惹起するのか。今のところわからない。しかし、無限大には拡大展開していくことはないだろう。おそらく、2ndどまりだろう。ひょとすると、3rdまでいくかもしれないが、それはもはや3rdとは呼ばれないだろう。全てを包括していながら、何物でもない状態を意味することになるだろう。

 極めて個的で、直感にみちた表現である。しかし、それは戯れではなく、現実である。真実であり、転写できない。

 いくつかの事象は具体性を持ち始め、やがては周囲の中に溶けだし、ひと固まりとなりつつ、自由な形態を連続して維持するだろう。そして、いつかは気化し、無化する。

 このプロジェクトは、その無化への過程の目撃者とならんとする目論見であり、記録である。確たる姿としての目標地点は持ってはいない。しかしそれは、すでに方向性と質量は持ってしまっている。

 行ってみなければわからない次元というものがある。分からないからこそ行くのである。

 主体となるべき存在は、ただひとつ。

 あるいは、ひとつ、とさえ言えないほどの全体。

 全体と言えないほどの、ほんの小さな存在。

 見えない。味わえない。知らない。分からない。

 さぁ、この辺で、スタートしておく。

<2>につづく

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2014/12/22

2014年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2014年前期よりつづく

2014年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品の感想に飛びます)

第1位
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「Courage 勇気」

OSHO(著), 山川 紘矢+山川 亜希子(翻訳) 2014/11角川書店

第2位
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「覚醒の真実」
清水友邦 (著) 2014/10 ナチュラルスピリット

第3位
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「なまえのない新聞」

2014/03 発行 アマナクニ

第4位
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「バックパッカーズ読本」保存版

旅行情報研究会(著), 『格安航空券ガイド』編集部(著) 2014/7

第5位
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「愚者が訊く」なぜ日本人は”原発の嘘”を信じたのか?小出裕章
倉本聰+林原博光 2014/05 双葉社

第6位
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「ムーミンキャラクター図鑑」 
シルケ・ハッポネン(著), 高橋 絵里香(翻訳)  2014/10

第7位
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「女のいない男たち」
村上春樹 2014/04 文藝春秋

 第8位
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「蝶を放つ」
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院

第9位
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「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに
青柳 純一(編訳・著)  2014/04 三一書房

第10位
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「契約 鈴木いづみSF全集」
鈴木いづみ 大森望 他  2014/06 文遊社

次点
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「かもめのジョナサン完成版」
リチャード・バック (著), 五木 寛之 (翻訳) 2014/06 新潮社

2015年上半期につづく

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2014/12/21

<12月23日まで> 石川裕人・作 『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36<2>

<1>からつづく

<12月23日まで>

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『演劇に愛をこめて-あの書割りの町-』 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.36 <2>
作 石川裕人 演出 長谷野勇希
2014年12月 19日(金) 19:30- 20日(土) 14:00- 21日(日) 14:00- 22日(月) 19:30- 23日(火・祝) 14:00- ※開場は開演の30分前 せんだい演劇工房10-BOX box-1
★★★★★

 ニュートンへ

 サキと見て来たよ。終わってから、団員の人たちに、打ち上げがありますよ~と誘われたが、二人とも、最近たべた生カキがあたって、腹の調子がいまいちだったから、早めに帰宅した。次回誘われたら、ぜひ参加しよう。

 私は初めて見る題目だったし、だいたいにおいて、この作品が書かれ、上演された93~94年という時代は、私の生涯の中でも、記念すべき絶不調の時代で、とてもとても、外出もしたくない、本も読めない、ましてや芝居を見るなんて気は、さらさらない頃だった。でも、よく覚えている時代でもあるのだ。

 あの頃、君は、このような芝居を書いていたんだなぁ、と、あらためて感心した。この作品、本当はレインボー評価したいところだが、★5にとどめておく。大体において、役者や芸人は、褒め殺しされて、終わってしまうことがある。まだまだだ、これからだ、と言ってあげたい。

 この作品は、君亡き後の、残された団員達の実質的な再スタートの上演である。もともと書かれた時の状況とは、多少、環境が変わっている。でもまぁ、よくぞこの作品を上演してくれたな、と団員のみなさんにお礼を言いたい。

 演劇は門外漢だし、ましてやこの時代、芝居を見る余裕もなかった。小学生の子供たちに手がかかって、仕事で手いっぱいだった、と言いたいところだが、その仕事さえ、うまく回っていなかった。おそらく、あの頃、観客席にいても、ストーリーも劇場の雰囲気もまったく楽しむことはできなかっただろう。

 今、こうしてあらためて見ることができることに感謝したい。サキのように20年前の公演を見ている人は、前回との比較などを楽しむことができるだろうが、私は初体験。そう言った意味では、この作品は、私自身の「演劇」観賞のスタートになるかもしれない。

 ゆっくり見ることができた。もし、君がいて、新作を上演していたならば、私は、きっと葛藤するに違いない。あ、ここの台詞はおかしいだろう。どうして、あいつはここでこう言わせたんだ。もっとこうすれば、ああすれば、・・・。私の心の中は、ぶつぶつつぶやきで、一杯になっていたに違いない。

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 ところが、こうしてみると、もう、台本は、今できつつあるのではなくて、もう21年前にできていたんだものね。もう直しようがないよ。もうあるものとして、「諦めて」見るしかない(笑)
 もちろん、帰宅してゆっくり台本を見直してみると、多少の台詞の入れ替えはある。大体は時事ネタの部分で、やはりそこは、今風に言いなおしたほうが面白い。

 押し売りがでてくるシーンがあったけど、我が家の若い人たちは「押し売り」というセールススタイルがあったことすら知らなかった。50をとうに過ぎた奥さんでさえ、言葉としては聞いたことがある、という程度だった。かく言う私も、ホントに小さい時に、一回だけみたことあるよ。ゴム紐の押し売り。

 ただ、サザエさんの漫画の中ではでてくるらしいから、みんな、一応分かっているのかな。この芝居のストーリーの中では、あのゴム紐が重要な小道具だったから、ここはもともと変えられないね。古いのか新しいのかわからないが。

座長 「ある寺院の前で蓮の姿勢をし地面に座っていると、深い瞑想に沈んでいるひとりのヨガ僧に気がついた。近づいていってみると、ヨガ僧の顔は自分の顔だった」台本p30

 遅れてやってきた老観客の、勝手な思いだが、ひょっとすると、この辺は、私への問いかけだったかもしれない。

舞台監督 「瞑想に耽っているのは彼のほうで、彼が夢を見、この自分は彼の夢の中の存在なのだ。彼が目が覚めたら、自分はもはや存在しなくなる。」同上31p

 これもまた、当時、ステージを見に行って、舞台からこう言われたら、当時の私なら、なんとなく憮然とした気分になったかもしれない。当時であるなら、この辺の言葉のやりとりは、なんとも、微妙なニュアンスを持っていた。

 しかし、あれから20年が経過して、もう文句を言う相手として、君はいなくなってしまっているし、台詞はすでに決定項としてある。もう、何にも言うこともなく、ただただこの台詞を聴くだけだ。この心の「余裕」が、私をゆっくりと、観客席に押し戻す。

良ちゃん 父さんはそういう覚悟を決めたことだけを判ってもらえば、五億年経ったらあの四畳半から帰ってくるよ。その時はお祝いをしておくれ。安いシャンペンと焼き鳥でいいよ。必ずシロモツは頼むよ。それじゃぁね。同上p69

 ここで五億年、という言葉で何を言おうとしていたのだろう。私の解釈は、本当は五億年ではなくて、五十億年だったのではないか、と推測する。しかも正確には、五六億七千万年。おそらく、ここには弥勒信仰の伝説がベースになっていたに違いない。

 生きていたなら、ここんとこを、鋭く問いただしたいところだが、まぁ、これは「決定項」だからね。五億年は、五億年のままで、もはやいいのだ。

劇作家 人は迂闊だ。いまいる人はずっといるような気がしてしまう。それもごく近い人にそれを感じる。ごく近い人ほど疎んだり、妬んだり、嫉みをもったり、会いたくないなんて思ってしまう。

 馬鹿だ、大馬鹿者の僕は良ちゃんに何回も何回も台本をせがまれながらたったの二行しか書いてやれなかった。ずっと僕のそばにいる人だとばかり思っていたから。

 良ちゃんはあのたった二行から病院のベッドに伏せながら舞台の上の自分を、相手役を、照明を、音を、舞台美術を、そしてお客のことを考え続けていたに違いない。

 そして、僕に、待たせ続けてきた僕に、ある覚悟を強いたんだ。一緒にやろうと言ったのは僕だ。大馬鹿野郎のこの僕があいつと一緒にやろうと言ったんだ。

 お調子者のこの僕が、人の痛みを知らぬこの僕が劇作家なんて・・・・。良ちゃん、あれは夢じゃなかったんだね。僕に芝居をやっていくことの覚悟を決めさせに来たんだね。

 いいよ、良ちゃん。覚悟は出来ている。良ちゃんがいつも言っていた台詞「演劇とは、美しい秩序と、細やかな配慮と、愛情の小宇宙だ」 これを肝に命じて。今度待つのは僕のほうなんだから。あの書割りの町に佇んでずっと待つよ。同上p75

 一番最後の決めゼリフのところ。今までの私なら、いろいろ解釈してみて、役どころを変えれば、さまざまな意味をもつところではあるが、今回は、この台詞はこの台詞のまま受け取っておくことにする。

 意外に思ったのは、この台詞の時、会場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきたことだね。たしかに前のシーンで、舞台の後ドアが開いて、外の寒気が入ってきてきたから、一時的に冷えたのかも知れないが、多分そればかりではないだろう。ひとりひとりが、観客として自分の中で、感じているんだろうね。

 サキは、音響音楽について語っていた。あの当時にこの音楽が使われていたんだろうか、と。ニュートンは、随分広く聞いていたから、と。そう、それは私も知っているが、私は、そこまで気が回らなかった。

 今回は、まずは、こうして新たなる「演劇」への、何回目かのスタートを切ろうとしている、劇団の人々に拍手を送りたい。満席の観客のみんな、そう思っていたに違いない。このような形で、ニュートン作品を、もっともっと味わってみたいものだ。遅まきながら、実にそう思った。

 人は迂闊だ。いまいる人はずっといるような気がしてしまう。それもごく近い人にそれを感じる。

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <47-B>Happy Birthday SOちゃん

<47>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<47-B>Happy Birthday SOちゃん

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おめでとう、SOちゃん。

うれしかったな、じいちゃんは。
生れてきて来てくれて、どうもありがとう(涙)

あのあと、3ヵ月したら、3・11なんてことが起こるなんて、誰も思わなかったよ。
だけど、君は果敢に生れてきた。覚悟している、という意味では君のほうが上かも。

もう、君は4才になったんだね。

あのまま仙台に残っていれば、君だって、どうなっていたかわからない。
危機一髪で、仙台から離れた。

で、いまでも仙台にいて、グータラ、やってる、じいちゃんがいる。

また、年末で遊びに来るんだよね。

まってるよ。

じいちゃんは、歯が抜けて、目も悪くなって、髪はあんまり白くならないけれど、
気持ちは、SOちゃんと、同じに等しい。

だから、ありがとう。

この絵、君からみたら、きっと世界はこのように見えるんだね。

じいちゃんは、こんな感じか。

妥当性があるね。

君は賢い子供だから、きっと、君が60歳になった時、思いだすよ。

そう言えば、じいちゃんって存在があったな。

って、そんな感じの、つぎ送り。

はっぴい~ばーすでい、SOちゃん。

<48>へつづく

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2014/12/18

「自然派クッキングノート」カルチャーユニオン(編集)

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新版「自然派クッキングノート」
カルチャーユニオン(編集) 1998/01 第三書館 単行本: 175ページ
Total No.3358★★★☆☆

 「『たべものや』の台所から」(たべものや編著 1982/12 柴田書店)に関わるイベントに紹介してあった一冊。このような一冊があったのか、と思って、わが図書館を検索してみると、ちゃんとありました。あの本にでていたレシピを一冊にまとめた本。

 初版は1991年11月にでている。名前としてでているのは、大倉早苗、忠津武志、伊藤康祐、佐藤晴子、といった人々。

 私は料理好きな男性でもなければ、ベジタリアンでもない。どちらかというと、あまり食事にこだわらない雑食人間。男子厨房に入らずとまでは言わないが、誰か作ってくれる人があれば、ありがたく何でもいただく。

 何でも、おいしい、おいしい、と食べてしまうので、作る方はあまり面白くないかも。もっといろいろ注文を付けてもらいたいかもな。そして、逆に、たまには作ってよ、と思っているかも。

 私も、一人なら、何でもやるし、台所仕事も嫌いじゃない。本来なら、この本にあるような、かわいくて、楽しそうなレシピを見ながら、レパートリーを増やすのもいいのかもなぁ。だけど、皮つき人参には文句が来るし、ぶつ切り玉ねぎも不評。私の料理はどちらかというと山賊なべというか、闇なべレベルに評価されている。

 やっぱり、私は、作ってくれる人がいたら、おいしい、おいしい、って言って、食べるほうに回るのが好きです。ごめんなさい。

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「インターステラー」2014映画 <1>

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「インターステラー」 <1>
クリストファー・ノーラン監督(原題: Interstellar) 2014年 映画 169分
Total No.3357★★★★☆(ネタばれあるかも

 複数の友人のネット記事に登場した、この映画。解釈はまちまちのようである。たまたま二人の友人の奥さんの感想が書いてあった。二人とも名うての観賞家たちだから、ひとまずおいとくとして、奥さん達の評から。

 S氏のお連れ合いさんは、今まで見た映画の中でも一番良かった映画の一つだって、ほんとそう。意識と愛と盛りだくさん。何度も見たい。とのこと。

 P氏の奥さんには、残念ながら不評だった、と。彼女はSF映画よりもヒューマンドラマの方が好きみたい、とのことだった。

 ということで、私も早速観てきました。169分という長丁場ながら、眠くならないように注意して最後までみましたw 率直な意見としては、私はP氏のお連れ合いさんの評価のほうに近いかな。

 場面に登場する、土煙りの津波や、別な星における津波など、私はどうしても3・11を連想したし、制作側も意識して、それと連動させていただろう。恐い物の象徴だ。実際恐いし、その恐いものに、すでに遭遇してしまったんだよね。

 そしてストーリーの中で繰り返される人間と異次元空間との錯綜は、実は、すでに私などは3・11で体験してしまったと思っている。だから、あえて、このような映画で再体験する必要は感じない。

 あるいは、あれほど大掛かりなCGか特撮のようなものは必要ないと思う。むしろ、そのCGや特撮が派手であればあるほど、私のこころは冷えていく。いかにもアメリカ映画の興行成績狙いの一本という感じが最後には残る。

 スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を超えるか、という期待を持っていったのがいけなかったかも。「2001年」は、不朽の名作だ。あれを超えることはできない。最初のサルのシーンは、なんだか子供くさいから飛ばすけど、他のシーンは、ホント、何回でもみたい。DVDで何回見ても飽きない。

 インターステラー、という単語、インターはインターネットを連想させるし、ステラは星なのかな、ラーは者という意味だろうから、星を繋ぐ世界の旅人くらいの意味なのだろう。意味は面白いが、着想そのものは、もう陳腐なものになっているのではないだろうか。

 少なくとも、私はP氏のお連れ合いさんの意見に同調して、もうすこしゆったりしたヒューマンドラマを見たいです。チャラチャラした特撮やCGは、あまりもう見たくないな。

<2>につづく

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2014/12/17

「朝鮮文学の知性・金起林」青柳 優子(編訳・著)<1>

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「朝鮮文学の知性・金起林」 <1>
青柳 優子(著) 2009/12 新幹社 単行本 単行本: 278ページ
Total No.3357★★★★☆

 贈本である。いただいておきながら、なかなか読む機会がなく、メモすることも後回しになっていた。たまたま夫君の青柳純一氏編訳著の「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに(2014/04 三一書房)に触れることができ、その流れで、こちらもメモしておくことにする。

 読み始めたのは、もうちょっと前で、それでもいただいてからだいぶ時間が経過してしまっていた。いただいたのは2010/11。近くの大型文具店で、ばったりと夫妻と出会った。おや、なんという奇遇な。おそらく35年ぶりくらいであった。

 場所を近くの茶店に移し、おそらく数時間お互いの近況を語り合った。年齢的には私の3~5歳上。兄貴姉貴格である。その「活動歴」は、さらにその年齢差に輪をかけて大きい。見方によれば、遠くから仰ぎ見る存在のお二人である。

 この贈本からまもなくして、東日本大震災3・11が起こった。読書どころの生活ではなくなって、この本についても、読む機会が遅れてしまった。遅れてしまったのは、「文学」であり、「朝鮮」であり、「本」である、という状況も重なった。

 おそらく、この作品が写真とか歌とか動画などであれば、こちらの気力が充実しないまま、それとなく観賞することもできたであろう。あるいは、もっとくだけたエッセイだとか、小話程度のことなら、もっと気軽に開いたかもしれない。

 ましてや「朝鮮」とくると、なかなか気が重い。そこには、「アメリカ文学」とか、「中国文学」とかいうのと違う、なにか短刀を突き付けられるような「怖さ」がある。私自身個人は、別段に記憶もなく、当然罪悪感もないのであるが、「朝鮮」という言葉をつきつけられると、なんだか急にこちらが過去に犯した犯罪を糾弾されるのではないか、と身構えてしまう。

 おかしな話だが、そのような条件反射がある。それは、私が日本「民族」に属しているからであり、朝鮮「民族」からの「糾弾」をモロに受けてしまう、というような構図が目に浮かぶからである。

 私自身は、朝鮮民族の方々との接触は限りなく少ない。かつて生まれた村の一番片隅にあった家の裏に、その方々が住んでいた住居があった。もともと裕福とは思えない一家の、さらの裏にあった家だから、3~5歳程度の私の目にも、表現は悪いが、暗い、あばら家のようにしか見えなかった。

 その方々は廃品回収業をされていたようだったし、子供も私と同年輩で2~3人いたように思うが、ほんの数年しか一緒に遊ばなかったと思う。何年かすると、その方々はいなくなった。キチンと聞いた訳ではないが、おそらく、本国に帰られたのだと思う。昭和30年代初期のことである。

 もう一つの記憶は、同学年生に、たしかヤスダ君という方がいた。駅前の焼き肉とかパチンコ屋を経営していた人の子供だったと思う。残念ながら、私は彼とは一緒のクラスになることはなかったので、名前はチラと知ってはいたが、どういう少年だったのかは分からないままだった。

 後年、ずっとずっと後になってからのことだが、同学年のクラス会などで、昔話に花が咲き、彼は朝鮮人で、10代の中ごろには本国に帰国した、と聞いた時には、なるほど、そうだったのか、と一人納得したことがある。

 東北の片田舎にいて、私自身は、幸か不幸か、差別した記憶も、差別された記憶も、あまりない。すくなくとも民族間の対立などというものを、肌身で感じたことはない。だから、どうもこのような、あえて「朝鮮」と銘打つ文学に、長く関わる契機がない。

 その手早い裁縫師の歳月も
 海の顔には皺を寄せることはできないのです。

 時間が駆けていく大陸を嘲笑う
 海の果てしない笑い声
 萎れた私の三十年がさざえのように恥ずかしいのです。
 p58「菖蒲田海水浴場」

 開いてみれば、この本、それほど怖い本ではなかった。簡単な詩もだいぶ収容されている。1908年生まれの主人公28歳の時には、当地の大学に入学して下宿したようだ。だから、当地の地名が読みこまれた詩も収録されている。どこかに接点があるはずである。

 金起林を拉致したのは、開戦以前に覇権されて活動していた北の人民政治保衛部出身の機関員だったというが、北に連行された八月下旬以後の金起林の行方や動静に関し、現在まで公式に確認されたものは全くない。

 だが、1953年7月停戦後の韓国政府は、「北に同調した越北者・金起林」と規定し、学校教材を含むすべての書籍から彼の名前を完全に削除した。

 それ以来、韓国における文学史研究の必要に際して文学雑誌のコピーにある彼の名前は、「金○林」あるいは「金起○」と伏せ字にされた。こうして朝鮮文学の知性を代表する金起林の存在は人々の記憶から消えていったのである。p230「金起林の生涯」

 ひも解いて行けば、なかなか大変な人生を送った人物のようであり、その生涯を追いかけてみることは極めて意義あることのようではあるが、容易ではなさそうだ。

 今は、このような本があり、このような本に関わっている友人があり、その本を一冊いただいていたのだった、ということをメモしておくに留まる。

<2>につづく

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「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに 青柳 純一編訳・著

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「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに
青柳 純一(編訳・著)  2014/04 三一書房 単行本 ソフトカバー 240ページ
Total No.3356★★★★☆

 当ブログが本著をメモしておこうと思った縁は三つある。一つは、編訳著者である青柳氏の近著であるということ。著者は、かつてからの「活動家」であり、私が一番最初にべ平連のフランスデモに参加した時の、先導者だった。著者当時20歳の学生だった。

  カマボコ車の上から、中央署の署長(といういうか私の高校のクラスメートの父親だった)が大きなスピーカーで、「アオヤギくん、ただちに学生諸君を解散させなさい!」と怒鳴った。

 その時、彼は、先頭を歩いていたのだがやおら振り返り、例によって、口角に泡を浮かべながら、「私たちは、個人個人の集まりです。私に解散させる権利はありませ~~ん!」と手に持ったハンドマイクで怒鳴り返したのだった。

 それ以来、彼が主宰した集まりにも何回か出たし、彼の活動はそれとなく何時も伝わってきた。その彼ら夫妻が、関西に移動し、韓国語を学び、韓国に長く滞在し、多くの翻訳書を出版している、ということを聞き及んでいた。当ブログでも、「私は韓国を変える」(盧武鉉 著 青柳純一・青柳優子訳2003 )や「韓国現代史  これだけは知っておきたい」(青柳純一 2004)にメモしてある。

 本来であれば、夫人が翻訳した「朝鮮文学の知性・金起林」青柳優子編訳・著 新幹社 2009)を先にメモしておこうかな、と思っていたのだが、日程上、こちらが先になってしまった。いずれにせよ、この人たちの人生をかけた仕事にまずは注目しておきたい、というのが一つ目の縁である。

 二つ目は、一つ目と重なるが、「日韓」あるいは「韓日」問題についてである。私はこの問題についてはあまり詳しくないのだが、最近、韓国についての話題をよく目にする。それは、かつてからカウンターカルチャーに関わる人々、特にフリープレスに関わってきた人たちが、この秋に韓国であった、平和を祈る祭典に参加したニュースが見聞されるからだ。

 かつての旧友たちが、列をなして韓国に渡っていることのきっかけや経緯について、ほとんど知らない。気にはなったが、はてどういうことなのか、いつか分かるだろう、程度の問題意識である。

 しかし、たまたまSNSで韓国籍の人と友人になることも多くなった。何時までも、知りません、知りたくありません、でいることはできないだろう。知れる範囲では知っておかなければならない。その程度の問題意識ではあるのだが、まずは重い腰を上げよう、ということである。

 三つ目は、「被ばく者」としての、3・11後の自分と、第二次世界大戦中の広島や長崎における被ばく者たちとの類似点を見つめることができるのか、どうか、というところにある。3・11における被ばく問題は、今のところ、まったく何も解決していない。探れば探るほど、問題の裾野の大きさに驚いて、飛びのいてしまうくらいだ。

 しかし、子々孫々にわたる大問題として、このテーマもキチンと注視していかなければならない重要なポイントなのだ。この本は、普段はあまり当ブログでは読みこまないジャンルの本ではあるが、そのような点から、まずはメモを残しておこう、と思った。

 本著の主人公・金亨律は1970年、韓国釜山に生れる。彼の母親は1940年に広島に生れ、45年に爆心地より3キロで被ばくし、韓国に帰国後、結婚した。彼は一卵性双生児の弟で、もう一人は一歳半で亡くなった。幼少のころから病弱で、1995年になって、精密検査の結果、原爆後遺症とわかった。そのことを韓国社会で公表し、支援の輪が広がった。T技術者として勤務するも、2005年に亡くなった。享年34歳。

 フクシマ後の世界で、金亨律の「人権中心の反核・平和運動」は新たな照明を浴びてしかるべきだと思う。人権とは、人間本来の存在論的な弱さに基づいている。人間の幸福は多様な姿を見せるであろうが、少なくとも悲惨さだけは共通している。

 人間が身体をもった有限な存在である限り、私たちの生命を奪う環境的な災難に対して私たちみなが弱いと言わざるを得ない。

 実際、誰でも核の悲劇が招く惨状から自由ではありえないという自覚、したがって支配権力化した科学技術から人間の普遍的な健康権と生命権を守らねばならないという意識こそ、新しい反核、脱核運動の基礎である。

 ヒロシマとナガサキ、チェルノブイリとフクシマという大惨事を通じ、「平和のための核」などというものは世界中のどこにも存在しないことにようやく気づきはじめた私たちにとって、金亨律は常に枯れることのない「生(いのち)の源泉」なのである。p222 「金亨律の遺志を継ぐ人々」

 私には、これらの問題点について炯々に語る力はない。ただただ、このような問題があるのだ、ということを認識するに留まる。主人公と編訳著者が、生前より交流があり、それぞれの立場から、これらの記録としてこの本が生まれた経緯については理解した。

 さて、これらの問題があることを理解しつつ、私はどの立ち位置からこの問題を見つめればいいのだろうか。私はこのような場合、自らを日本人としてとらえることはできない。日本人としての義務とか、責任とか、感じることはできない。もちろん、主人公が、どこか国籍の違う人であることによって、別な価値観に則って生きているとも思えない。

 基本は、人間であり、あえて言うなら、互いを、今この地球に生きる地球人同士として見つめることしかできない。そして、共通の課題として、核の問題や、国境の問題、戦争の問題などを、同じ立場から見続けることしか出来ないのでないか、と思う。

 そのような意味において、私には、貴重な、稀有な一冊である。

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2014/12/16

「NPO法人をつくろう」―設立・申請・運営<2>

<1>よりつづく 

NPO法人をつくろう―設立・申請・運営
「NPO法人をつくろう」 設立・申請・運営 第3版<2>
米田 雅子 (著) 2003/08 東洋経済新報社 単行本: 251p
★★★★☆

 この本を前回読んでいたのは2011/02/27のこと。実に、あの3・11東日本大震災のわずか2週間前のことであった。前後して、類書いくつか読み込んでいる。

 4年まえにかの森に入った時、直感的に必要だなと思ったのは、トイレ、インターネット、NPOだった。前者の二つはすでに、一応の解決を見ている。もちろん万全とは言い難いが、先に進める第一段階は通り過ぎたということができる。残されているのは、三番目だ。

 なぜに三つの必要物を思いついたのか、は、いわくいい難し。突発的な直感だから、仕方ない。しかし、それは、私の個人的な思いだけではなく、他の人々の口からも複数でてきていることを思えば、妥当性がないわけではない。

 そして、当然のごとく、この三つの他にも、必要なものは沢山ある。ひとつひとつ数え上げていったら、キリがないだろう。

 今回もまた、この本を取り上げようと思ったのは、この本だけが、特別に素晴らしいとか、必要不可欠物である、という訳ではない。まぁ、タイトルは素晴らしいが、それ以上でも以下でもない。

 私は自分の経済活動を法人化したのは四半世紀前のことだが、当時は法人法の改正があったり、年齢的な世代的な盛り上がりもあったりで、私の周りにはたくさんの経済法人ができた。

 もちろん今でも活動している団体もあるし、すでに活動を終了しているものもある。団体を立ち上げたからすべてうまく行くというわけではないことは誰もが承知していることであり、むしろ、そんなもの不要だという意見も当然ある。

 そして、経済法人は、それなりに限界があり、また利用の仕方によっては、足かせになる場合も多くあることはみんな分かった。そして、メリットも、必要性も、別段、夢に見るような世界でないことも、みんなご承知のとおりである。

 しかるに、なぜ、今、この法人化の話題を持ちだすのであろうか。

 それにはいくつかの理由がある。

 逆に、問いをつくり直そう。エコビレッジでパーマカルチャー、という時、まず、パーマカルチャーは、ある意味、日本の在来農業の痕跡を探っているようなところがある。つまり、在来の日本の農業を再現できるなら、ある意味、パーマカルチャーである、と強弁することさえ、可能である。

 そして、そのような農業の形態を地域あげて可能にするなら、それを、エコビレッジと強弁することだって、可能は可能なのである。ある意味、特段に珍しいことではない。多少のエリアと、多少の志のある人びとが存在するならば、エコビレッジでパーマカルチャー、と自称することは、そんなに難しいことではない。

 つまり、珍しいことでないならば、別段に旗をなびかせて、ノロシを上げるようなおどろおどろしい作業は必要ない。ごくごく当たり前に、自らのライフスタイルを楽しめばいいのだ。それにつきる。

 だから、結局は、私(たち)は、エコビレッジをやりたくてやるのでもなく、パーマカルチャーをやりたくてやるのでもなさそうなのである。それは、仮の姿だ。エコビレッジを標榜したり、パーマカルチャーを実践したり、ということが最終目的ではないのだ。

 では、何をやりたいのか、という元の問いに戻る。

 そう、問題は「何をやりたいのか」、なのである。

 何をやりたいのかは、個人個人でそれぞれに夢をお持ちだろう。私にもある。そして私は私の人生をかけて、だいたいのところは完成させた。もちろん、他の人から見れば、なんだそんなことと言われそうなごく当たり前のことであるし、また、大仰に広言すべきことでもない。

 それは各人あるだろう。で、私がやりたいのは、ここから先のことなのだ。「個」を超えた向こうにある「共」、みんなと力を合わせて、一人ではとてもとても出来なかったであろうことをやりたいのである。つまり、個を超えて、たくさんの人々と繋がりたいのだ。

 ここでまた、逆説的な言い方になるが、たくさんの人々と繋がるのであれば、なんでも良さそうだ。皆と繋がって、綱引きをやるのもいいだろうし、それこそサッカー場や野球場に集まって、ひいきのチームを応援するのもいいだろう。それもまた、沢山の人々とつながる<共>であろう。

 しかし、それは本当に、この私がやりたいことではない。すでに誰かがやっていることだろうし、それはそれで面白そうではあるが、私自身が究極的に、したいなぁ、と思っていることではない。

 つまり、私は何をやりたいのか、ということが最初の始まりだ。そしてそれは私個人ではなく、他の人々と一緒になにかやりたい、と思った時の、私(たち)の夢についての表明なのである。

 正直言えば、それはNPOという形である必要は当然ない。他の別な形、別な目的で構わない。最終的にはまったく別のものになってしまっても構ないし、もっと言うなら、それは別段に最終的な完成などしなくてもいい。達成なんかしなくてもいいのだ。

 さぁ、ここまで開き直れば、あとはもうぶっちゃけだ。

 リアリティとして、エコビレッジでパーマカルチャーを、と言った時、すぐ必然的にNPOというひと連なりの言葉としてでてくるのは私ばかりではないようだ。

 このNPOというフォーマットに、自分たちの夢を文章化し、成文化し、公共化し、落とし込んでみる、その作業が必要なのではないか、という直感である。みんなはどのような夢を持っているのであろうか。それを聞いてみたいが、また、自分の夢も語ってみたい。夢に言葉を与えてあげる。その一環として、「NPO法人をつくろう」というテーマを取り上げてみたいのである。

つづく、だろう、か。

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2014/12/15

「Mac Fan」 2014年11月号どっちも欲しい!iPhone6 & 6Plus 

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「Mac Fan」 どっちも欲しい!iPhone6 & 6Plus 
Mac Fan編集部 (編集) 2014年11月号 [雑誌]
Total No.3355★★★★☆

 私もいっちょ前にiPhoneユーザーになったので、この類の本を読んで、もう少し使い込んでやるかな、と思うのだが、どうも初心を忘れてしまう。使える範囲で、使うべき機能を使えれば、それでいいじゃないか、と、すぐ飽きてしまう。

 この手の本で、読んではみようと思ったものの挫折しているのは、「Facebookお得技ベストセレクション」2014/01  晋遊舎)とか、「ブログ運営テクニック100」2012/8 インプレス)とか、「Kindleセルフパブリッシング入門」(2013/04 日本実業出版社)、「Amazon Kindleダイレクト出版 完全ガイド」(2013/5 インプレスジャパン)などなどがある。

 どうもどれ一つとして完読せず、したがって、知識も技術も深まらない。根は真面目なのである。なんとか習得してやろうとは思うのだが、そもそもの才能がないのか、もはや気力が持続しないのか、どれとして、自分の身についたものにはならない。

 はてさて、今回も、私もiPod+iPad+iPhoneのユーザーであるからして、お仲間にいれていただこうと思うのだが、どうも途中で挫折する。おそらく、これはアンドロイドのガジェットを使ったところで同じようなものなのだろう。 

 テザリングは自宅や外出先でiPhoneのモバイルインターネット回線を共用して、Macやゲーム機などを接続する機能だ。アップルではこれを「インターネット共有」と呼んでいる。有線やWiFiがない場所でも、iPhoneとMacをテザリングさせることによって、WEBプラウズやメールを利用できる大変便利な機能だ。p86「テザリングってよく聞くけどいったい何?」

 今回docomo+iPhone6+にしたのは、前から狙っていたこのテザリング機能が目的だった。インターネット共有とはdocomoの言葉遣いかと思っていたが、アップルの言葉であったか。Y!mobileでは限界のあった森でのネット接続は、docomo+iPhone6+で完全に克服された。めでたしめでたし。

 この雑誌はMac Fanだから上のように書いてあるけど、別にテザリングするのはMacでなければダメだということはない。アンドロイドだろうがウィンドウズだろうが、それこそLinuxだろうが、なんの問題もない(はず)。私は、タブレットやVista機を繋いでいる。

 この手の雑誌が読みにくいのは、このように、内容が歪曲されているからではなかろうか。キチンと読解力がないと、すぐダマされるか、余計な回り道をしてしまう。やっぱり、数多くあたるしかないか。

 iPhoneをMacに接続してiTunesを起動すると、デバイスの管理が行える。バックアップと復元、Wi-Fiでの同調を行うかどうかの設定のほか、iPhoneを新しいiOSで上書きしてリセットすることもできる。云々 p150「iPhoneとアプリをiTunesで管理」

 この辺の言葉使いも、純粋なMacFanならざる身とすれば、まどろっこしい表現である。Mac囲い込み戦略は分からないでもないが、どうも紛らわしい。でも、iTunesは使わしてもらってますよ。

 困っていることもいろいろあるんだよね。例えば、iPhoneとiPadを近くにおくと、iPadが電話に反応する。どうかすると、どでかいiPadで電話することさえできるのだ。これはメッセージなどのアプリが異常反応しているらしいのだが、設定し直しが面倒なので、そのまま使っている。そのうち直そう。

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2014/12/14

「アニマルズ」 ピンク・フロイド 

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「アニマルズ」
ピンク・フロイド 1977 EMIミュージック・ジャパン形式: CD ディスク枚数: 1 レーベル: 収録時間: 41 分 Total No.3354★★★★☆

作詞:Roger Waters 作曲:Roger Waters(2曲目を除く)

  1.翼を持った豚(パート1) Pigs On The Wing 1

  2.ドッグ Dogs (Gilmou r, Waters)

 3.ピッグス(三種類のタイプ) Pigs (Three Different Ones)

 4.シープ Sheep

 5.翼を持った豚(パート2) Pigs On The Wing 2

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1977年、「原子心母」、「狂気」、「炎」と来て、更にイメージが変わった。リアルタイムで聞いていても、多少、突き放された感じを持った。

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「原子心母」 Atom Heart Mother Pink Floiyd

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「原子心母」
ピンク・フロイド 1970 EMIミュージック・ジャパン CD 収録時間: 52 分
Total No.3353★★★★★

1.原子心母 Atom Heart Mother (作曲:David Gilmour, Roger Waters, Richard Wright, Nick Mason & Ron Geesin)

   1,父の叫び Father's Shout

   2.ミルクたっぷりの乳房 Breast Milky

   3.マザー・フォア Mother Fore

   4.むかつくばかりのこやし Funky Dung

   5.喉に気をつけて Mind Your Throats, Please

   6.再現 Remergence

2.もしも If (作詞・作曲:Roger Waters)

3.サマー'68 Summer '68 (作詞・作曲:Rick Wright)

4.デブでよろよろの太陽 Fat Old Sun (作詞・作曲:David Gilmour)

5.アランのサイケデリック・ブレックファスト Alan's Psychedelic Breakfast (作曲:David Gilmour, Roger Waters, Rick Wright & Nick Mason)

    1.ライズ・アンド・シャイン Rise and Shine

    2.サニー・サイド・アップ Sunny Side Up

    3.モーニング・グローリー Morning Glory

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1970年。このカバーと共に、一体、あの頃、あの時代性の中で、何を聞いていたのだろう。更なる混沌の中に突き落とされていた日々。2014/12/14

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「永遠(TOWA)」ピンク・フロイド

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「永遠(TOWA)」
ピンク・フロイド 2014/11 レーベル: SMJ CD 収録時間: 53 分形式:  CDディスク枚数: 2 フォーマット: CD+Blu-ray Total No.3352★★★★★

http://youtu.be/ADOQQiwgU0Y

 じつはこのCDまだ聞いていない。ネットで友人たちが複数ピンクフロイドのことを話題にしていたので、私も聞いてみたいと思う。そのためにも、最近買ったスマホにピンクフロイドの曲を溜め、すこしづつ聞き直しているところ。

 せっかくなので、関連リストを作っておこう。

ピンクフロイド関連リスト 工事中

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1967年  「夜明けの口笛吹き」 The Piper At The Gates Of Dawn

1968年  「神秘」 A Saucerful Of Secrets

1969年  「モア」 More

1970年 「原子心母」 Atom Heart Mother

1971年 「おせっかい」 Meddle

1973年 「狂気」 The Dark Side Of The Moon

1975年 「炎〜あなたがここにいてほしい」 Wish You Were Here

1977年 「アニマルズ」 Animals

1979年 「ザ・ウォール」 The Wall

1983年 「ファイナル・カット」 The Final Cut

1994年  「対/TSUI」The Division Bell

1995年  「P.U.L.S.E」 Pulse

2001年  「エコーズ〜啓示」 Echoes : The Best Of Pink Floyd

2014年 「永遠/TOWA」 The Endless River

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アンドレイ・タルコフスキー(監督)「ストーカー」

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「 ストーカー」
アンドレイ・タルコフスキー(監督)  アレクサンドル・カイダノフスキー(出演), アリーサ・フレインドリフ(出演), 1979年作品 形式: DVD 形式: Black & White, Dolby言語: ロシア語 字幕: 日本語 160 分
Total No.3351★★★★★

 アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」 (1972上映)についてメモしておいたら、naoさんから、コメントがついていた。

タルコフスキー、他の作品も是非見てくださいね。鏡、ストーカー、紛れも無く「映画」です
個人的にストーリーは二の次と、偏った見方ですが…
今年のぴあフィルムフェスティバルのキャッチは
「日本のニューウェーブとタルコフスキー」
20代の頃にハマったオヤジには条件反射でチラシに手が伸びていました 
投稿: nao | 2014/12/08 14:21

 おや、これはと思い、わが図書館を検索したところ、あることはあるのだが、所蔵館に行くことが必要だったり、館内視聴だったりするので、すこし敷居が高いことが分かった。そこでネットを検索したところ、動画でいくつか配信されていることを確認した。

 とりあえず、20分くらいで8分割されているほうを視聴した。何時ものように、ほとんど何の予備知識のないままであったため、しかも、配信がいまいち手順が悪いため、そのいくつかは飛ばしてみたか、あるいは順序を逆にして見ることになった。

 しかしながら、実にこれは、確かに私向きだ、と思った。少なくとも、蛍光管のような光る棒を振り回してチャンバラごっこをしたり、法外な予算を組んで世界的なヒットを狙わんとする総花的な興行映画よりは、こちらの方がグッと来る。

 最初から見ていてすぐ気付いたことは、この監督は、積極的にシンメトリーの構図を多用しているということ。最初は白黒画面で、あとからカラーになるのだが、ほとんど、薄墨の水墨画のような配色で、モノトーンと言っても過言ではない。

 シンメトリーなのは右と左ばかりではなく、上と下もシンメトリーだったりする。登場人物は、舞台作品のように上手から登場して下手に下がる、などという動きではなくて、こちらから画面の中央の向こうに去っていく。あるいは画面の中央から登場して、こちらに歩いてくる。

 このような構図を見ていると、まるで横尾忠則の初期のポスター群を思い出すし、あるいは、そのチームである寺山修司の映画を思い出したりした。少なくとも、シンメトリーの構図を多用されると、自分の気持ちがあちこちに散乱せず、中心に集約されていくようである。

 そして、横尾のポスターが、どこかでユーモアや意外性に逃げていくように、また寺山作品には突然の「劇的」画面転換があるように、観客を飽きさせない意外性が仕掛けてあるのだが、タルホコフスキーはそういう手法をとらない。実に淡々としたストーリーである。

 あるコメントには「退屈」な映画だ、とあったが、実にそうかもしれない。見るタイミングを間違うと、退屈を超えて、見ることすらできないかもしれない。少なくとも、私はせっかくのお勧めだが、何本も連続してこの監督の作品を見続けることはできないだろう。

 この作品は、エンターテイメントとして見るような映画ではないようだ。見させられるのは、自分の内面だ。なるほどなるほど、と終わってみれば、ストーリーはしっかりしていて、なんだそういう構図か、とわかるのだが、見ている間は、一体これはどうなっているんだ、と自分の内的世界を逡巡する。

 しかも、ストーリーや画面進行が、じつに「退屈」なので、自分の内面を見ざるを得ない。160分のうち、100分以上は、たった三人だけの役者で引っ張る。しかも画面は、据え置きの一構図がずっと続くことが多い。

 まったく完全に据え置きで撮影しているわけではないことは、雨のシーンや、移動カメラの動きで感じることになるのだが、それさえも最小限に抑えられている。

 いやはや、続々する映画だ。ストーリーそのものよりも、結局は、最後の最後の、娘役の存在が、ゾクゾクゾク・・・・・って感じさせてくれる。

 いつかはゆっくり、また、大画面で一挙に160分、見る時が来るかもしれない。その時の、自分の印象はどう変化しているだろう。

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Osho 「Courage 勇気」 山川 紘矢+山川 亜希子(翻訳)<1>

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「Courage 勇気」<1>
OSHO(著), 山川 紘矢+山川 亜希子(翻訳) 2014/11角川書店 単行本: 247ページ
Total No.3350

 日本スピリチュアル界の大御所(笑)、山川夫妻の手によるOsho翻訳、「Joy 喜び」2013/10 ) につぐ第二冊目。考えてみれば、一年に一冊のサイクルなのかな。売れ行き如何では、今後もシリーズとして続刊が次々出て来るだろう。

 新しい人類になるためのすべての技術は、ハートの声を意識的に、注意深く、心をこめて聞くという秘密をもとに成り立つだろう。そして心に従って、それが連れて行ってくれる場所にどこへでも行きなさい。

 そう、それがあなたを危険の中に連れてゆく時もあるだろう---しかし、憶えておきなさい、それらの危険はあなたを成熟させるために必要なのだ。 

 それがあなたを道に迷わせることもあるだろう---しかし、ここでも憶えておきなさい、道に迷うことも成長の一環なのだ。

 あなたは何度も失敗し、再び立ちあがるだろう。なぜならば、人は失敗して再び立ち直ることによって、力強さを身に付けてゆくからだ。このようにして、人は成長してゆくのだ。p22 Osho「勇気とは何か?」

 Oshoの83回目の誕生日から読み始めたこの本、決して厚い本ではないが、当ブログの読みは遅い。いつものようにゆっくりゆっくり進む。当ブログにとってはOshoの本は、他の読書の対象とはちょっと違う。

 なぜそうなったのか、いつからそうだったのか、自分でもよく分かっていない。最初の最初から、今の今まで、ずっとそうだったような気がする。

<2>につづく

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2014/12/10

「OSHO:アメリカへの道」<13>

<12>よりつづく


「OSHO:アメリカへの道」 <13>砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相
マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる 単行本 552p
★★★★★

 不思議なものだ。

802 この?のところに、結果的には「ダイヤモンドスートラ」がハマったのである。

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 あるいは、当然、ここは「特権的肉体論」(唐十郎 1997/05 白水社)が来て当然なのだが、当ブログでは、結局そうはならなかった。

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意外な展開である。

つづく

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「OSHO:アメリカへの道」<12>

<11>よりつづく


「OSHO:アメリカへの道」 <12>砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相
マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる 単行本 552p
★★★★★

 プロジェクト567の結末は、意外な形で、早急に進んだ。

 OSHOは言う。

仏陀はそれもまた完全な<光明>ではないと言う
一つを考えるためにには必然的に二、三、四、五のことを考えなければならないからだ
ただ「一つ」と言うだけで、全数列を持ちこむのにじゅうぶんだ
「一」が定義されたら、必ず「二」をそのなかに持ちことになる

「一」と言うことはどういう意味か?
あなたは「不二」と言わなければならない
だから、「一」は少なくとも、その定義づけのためには「他」を必要とする
その「他」は以前としてどこかに隠されている
それはまだ完全には消えていない

もし私がそこにいるとしたら、そのときあなたもそこにいる
それは完全に消えることはできない
「私」は「あなた」を必要とする
「私」自身が完全に存在するためには、「あなた」が必要だ
「私」は「汝」と二つ一組でしか存在しない
この二つは共にある
「我--汝」はひとつの現実だ


そこで、仏陀は「私」も消えなければならないと言う
そうなったら三位一体はすべて消える
究極の体験においては、三もニも一もない
それは純粋な大空だ

無、非在、非実体だ
それはゼロ、シュンニュータだ 
「ダイヤモンドスートラ」p719 Osho 「完全に光明を得た者」

 一オクターブ目の567は、見事に無化された。二オクターブ目は、実はこうだった。

567
 いみじくも、「ダイヤモンドスートラ」から始まっていたことに、今さらながらに気がついた。おそらく、この7つのステージも、いずれ無化されるに違いない。

 当ブログのセンスで言えば、次は「Osho:アメリカへの道」 砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相(2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる)へと流れていくことになるだろう。 

<13>につづく

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「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る<13>

<12>よりつづく 
 

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「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る <13>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 翻訳 1986/03 めるくまーる社 単行本 p739

選ばないことだ
執着しないことだ
雲の象に執着したら、あなたは惨めになる
次の瞬間にはその象が去っているのを見る
そして、あなたは叫ぶ、あなたは泣く
だが、いったいだれに責任がある?
雲に責任があるのだろうか?
雲はたんにその本性に従っているだけだ
憶えておきなさい
雲は変わるためにそこにある
マインドもそうだ
 

あなたの内なる大空から見まもりなさい
そして雲を漂わせなさい
ただ見まもる人になることだ
そして憶えておきなさい
雲は往来するが、あなたは無関心のままでいることができる、ということを----

仏陀は<無関心>に非常に重要な価値を与えた
無関心のままでいなさい
それはたいした問題ではない
 p707 Osho 「完全に光明を得た者」

仏陀は、だからこそそれを完全な<光明>と呼ぶ、と言う
世界には、<光明>の観念が「完全な」と呼ばれない他の宗教がある
例えばキリスト今日の三位一体の観念だ
神と子と聖霊と
それは、究極に至っても、三つの区別、三つの分裂があることを意味する
それはなんらかの雲が保たれていること
なんらかの形、形式が保たれていることを意味する
わずかだが依然として「世界」が続いている
マインドがまだ完全にはおとされていない

ヒンドゥー今日の観念はもう少し良い
残るのはただ二つだけ---神と魂だけだ
三つよりはましだが、まだ二つが、二元性がある
二元性はすべてマインド的なものだ
物事を分離するのはマインド、定義づけするのはマインドだ
だからこれも完全な<光明>ではありえない

ジャイナ教の概念ではただひとつのものだけが残る
----魂だ
この方がさらにいい
キリスト教よりも、ヒンドゥー教よりもいい
残るものはただひとつ---魂だ

しかし、仏陀はそれもまた完全な<光明>ではないと言う
一つを考えるためにには必然的に二、三、四、五のことを考えなければならないからだ
ただ「一つ」と言うだけで、全数列を持ちこむのにじゅうぶんだ
「一」が定義されたら、必ず「二」をそのなかに持ちことになる

「一」と言うことはどういう意味か?
あなたは「不二」と言わなければならない
だから、「一」は少なくとも、その定義づけのためには「他」を必要とする
その「他」は以前としてどこかに隠されている
それはまだ完全には消えていない

もし私がそこにいるとしたら、そのときあなたもそこにいる
それは完全に消えることはできない
「私」は「あなた」を必要とする
「私」自身が完全に存在するためには、「あなた」が必要だ
「私」は「汝」と二つ一組でしか存在しない
この二つは共にある
「我--汝」はひとつの現実だ

そこで、仏陀は「私」も消えなければならないと言う
そうなったら三位一体はすべて消える
究極の体験においては、三もニモ一もない
それは純粋な大空だ

無、非在、非実体だ
それはゼロ、シュンニュータだ

だから仏陀は言う
それは「無上の 正しい 完全な<光明>」だ
 p719 OSHO 同上

<14>につづく

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2014/12/09

プロジェクト567 <追補>

<完>からつづく

「プロジェクト567」 

<追補>

 一旦終了したこの項であるが、それから2年半後に、ひとつの具体化をみたので、変則的ながら、メモしておく。

一の段 それは大地だった。

10625000_883320695013379_8133067451
二の段 それは移動だった。 

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三の段 それは語り合いだった。

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四の段 それは子供たちだった。

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五の段 それは情報網だった。

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六の段 それは神秘性だった。

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七の段 それは存在だった。

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<追々補>あるいは再スタートに向けて につづく

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世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<13>

<12>よりつづく
【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<13>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 

 第1は、人間社会のおける共同体(コミュニティ)の卓越性である。エコビレッジは、おそらく何よりもまず、現代の危機的状況が生みだした疎外や孤独への対応である。それは、有意義な共同体において再び他人と結びつきをもち、ヒューマンスケールの社会において有用で尊重される住民になりたいと考えている人々の渇望に答えている。p42

 現実にそのようなエコビレッジが勢力として存在しているのか、あるいは、現代社会の誤謬を挙げ連ね、それを乗り越え済みの「理想」として、語られているのか、ちょっと微妙。そうありたい、ということと、そうある、ということではだいぶ違う。少なくとも、私が見ているのは、後者のほうだ。

 第2は、エコビレッジは、程度の差があるにせよ、すくなくとも初期の段階では共同体における住民自身の資金・創造力・ビジョンに全面的に依存する市民の新たな取り組みである。大体において、こうしたことは、政府や他の公的機関に対して広く行き渡った不満と、それらと、仲たがいにも起因している。p42

 ここもまた一般化できない。そうであろうと推測するに留まる。現実的には、私たちもそうありたいとは思うものの、そうあるかどうかは、微妙な判断となる。

 すべてのエコビレッジに共通する第3の明らかな特徴は、それらの共同体が、自分自身の資源の支配権を取り戻すことに取り組んでいることである。突き詰めて考えれば、それは、自分自身の運命に対する支配権を取り戻すことである。p43

 ここもまた理想が語られているようである。そのような具体例があるのであればぜひ学ばなければならないが、そうあろうとするときに、新たな軋轢を生む時もある。

 エコビレッジのすべてに共通して見られる第4の特徴は、どんなエコビレッジの中心にも価値観が共有される強固な主体が存在することである。それは、いくつかのエコビレッジでは「精神性(spirituality)」という言葉で説明されている。これは、やや論争のある主張である。というのは、一群のエコビレッジの内部にも外部にも、その言葉に疑いを抱いている多くの村民がいるからである。44

 ここは確かに論争のあるところである。「価値観が共有される強固な主体」を、「作ろう」とすれば作れないこともないだろうが、あえて作ることによって、主体そのものが軟弱化していくかもしれない、という逆説も生む。

 共通する最後の特徴は、第4の特徴と密接に関連しているもので、エコビレッジは、それぞれの分野の実地調査と専門性における研究、デモンストレーション、そして(大抵の場合)トレーニング・センターとして機能しているということである。p45

 参加者が多くなれば、キャパシティとして包含しきれない部分はこぼれていくのであり、また再生産を兼ねて、分化、枝分かれしていく。いずれにせよ、新しい芽があるのなら、そこはトレーニングセンターを兼ねることにはなる。

 エコビレッジを形成する論理的根拠の非常に重要な部分には、人々がより健全でより持続可能なかたちで自然界に溶け込み、より地球に優しい人間用の住居を形成したいという要求がある。p49

 この気持ちを維持することはなかなか難しい。初心忘れるべからずである。

 ローテク、ハイテクを問わず、エコロジカル・フットプリント指数の値を大幅に低下させるほとんどのエコビレッジに見られる顕著な特色は、程度の差はあるにせよ、調和のとれたホ―リズム的性格であり、エコビレッジ内部での資源循環を高め、外部からの投入量の削減を可能にしている。例えば、台所の生ゴミは、容易に堆肥として共同体の庭に利用できるし、共同体の森林を定期的に伐採することによって、住民の暖房用ストーブや木質ペレット暖房装置に燃料を供給し、バイオ技術を使って処理された廃水は食糧生産地域で利用され、伐採された木材や廃材は新たな建設事業に使用されている。p55

 理想の旗は、あくまでも高く掲げ続けなければならない。

 比較的最近まで、ほとんどのエコビレッジ教育は現実には非公式なものであり、正規の学校や大学に基づく教育過程とは無関係で、一般に公認されていない講座に出席するために、各々の個人が授業料を支払ってきた。こうした性格の講座では、パーマカルチャーやエコビレッジの設計、再生可能なエネルギー・システム、美術工芸、興行芸術、精神性など、様々な内容を扱っている。p82

 私たちの森が、ここまで到達するのは、至難の業あり、時間をかけたところで、ここまでいくことは可能性薄である。しかしながら、未来に向けてのビジョンとしては、このような可能性を常に持ち続けていく必要があろう。

 従来の教育システムと教授法の制約から逃れて、共同体全体を壮大な社会的・技術的な実験室であり教室として利用する便宜が与えられているので、エコビレッジはこの種の教育の包括的な設計と提供において熟達した存在となっている。数多くのエコビレッジは、卓越した研究教育拠点として国内外で認められ、その結果としてこれまでに数多くの賞を受賞してきた。p83

 理想は新たなる理想を生む。

 エコビレッジは、多様な領域において新たなモデルを開拓している。有機農業、地域支援型農業(CSA)、建築技術、障害者と健常者を包摂した集団、地域通貨、太陽エネルギー技術、バイオ技術を使用した廃水処理プラントなど、その後より広範囲にわたり一般社会に採用されるようになる新たな技術あるいはモデルを導入する先頭に、いつもエコビレッジが立っているので、人に強い印象を与えているのである。

 技術革新を導入する場合、エコビレッジは、他の変革主体と比べて、より速く、より大胆に行動できるという特性を持っていることは明らかである。エコビレッジが小規模であること、そして価値観が共有されているということは、明らかに良い結果をもたらしている。また一方で、等しく重要なことは共同体としての側面である。p87

 あらゆる可能性の、理想を、ひとりエコビレッジばっかりに背負わせるのはどうであろうか。それは、非エコビレッジ空間における責任逃れになるのではないか。

 無邪気に「どのようにしてエコビレッジを形成するのですか」と訊ねる人々は、単純で有益な回答をめったに得ることができない。この10年間にわたって期待されたほどには、エコビレッジは急増しなかった主な理由の1つは、ほとんど間違いなく、エコビレッジの住民となることを志望する者が従うべきひな型が欠如していたということだ。そうしたひな型の形成は、エコビレッジ推進運動の前にはだかる大きな仕事の1つである・・・。p95

 おそらく、この部分が相当に重要なポイントである。「ひな型」となるべきものが見失われていて、言説ばかりが先行し、実体が伴わない可能性が高い。

 エコビレッジの創設において、中核となるグループを確認し、土地を見つけ、地域計画当局に働きかけ、投資資本を調達し、適切な法体系を作り、建物を建設し、どのようにして所得を得るか、どのようにして所得を分配するかという意思決定機構を決め、利害対立を処理するなどの、エコビレッジの形成に関わる第一歩は決して簡単な仕事ではないということは、確かな事実である。それにもかかわらず、一般的に認識されるひな型あるいはモデルと見なされるケースが欠如していることによって、しばしば将来エコビレッジとなるつもりの各新規グループが一からやり直すはめになっているのである。p108

 おっしゃるとおりである。

 エコビレッジの複製を容易にするひな型を形成する問題に関して、最後のポイントは、エコビレッジ内部には、とりわけ個人が自分の家屋の設計や建設に関わりたいという要求に表れているように、強い無政府主義的傾向があるということである。エコビレッジにとって、このようなぜいたくが相変わらず適切で入手可能なものなのか、と問いかけるのは、時機を得ているかもしれない。p110

 おそらく、共同スペースを共同で創出していくことと、個人的なスペースを個人の力で成立させることは、綿密に関連している。個人でできないことを共同でなし、共同でできないことを個人でなす。この両者間におけるバランスはおそらく定式化はできない。微妙なバランスによって平衡が保たれるだろう。

この提案事項には、以下のものが含まれている。
●当該プロジェクトには、自動車使用を最小限に抑える計画が用意されている。
●当該プロジェクトには、ゴミの発生を最小限に抑え、可能なかぎり現地において再利用、再生利用を計画する。
●当該プロジェクトには、エネルギー保全、再生不能エネルギー源への依存度を徐々に実行可能な最小値にまで縮小する戦略を持っている。
●当該プロジェクトは、現地で追求されているいかなる活動も、近隣か社会一般に対して過度に迷惑な行為となることのないことを立証できる。

 こうした条件の導入は、見直し期間の設定と共に、かなり明白な利点をもたらす可能性と一体となって、地元当局にとってリスクの少ない戦略を作り上げるだろう。
P114

 この部分は、それぞれの共同性によって、違いを生むだろう。その差異はどこからくるかというと、あらゆる要素の絡み合いから来るのだが、もっとも重要なことは、ほとんど、創立メンバーの核たる部分に依拠することになるだろう。

 歴史的文脈のなかで、エコビレッジが主流派社会に対して既存のものとは別の道に進むことを選択することはもっともなことである。主流派のなかでは、エコビレッジの住民たちが夢想する類の小宇宙的社会を形成することはほとんど不可能であったであろう。さらにまた、支配的なパラダイムから身を引いて、新たなパラダイムの形成に参加するという行為は、それに対する大胆な魅力をもっていた。エコビレッジは、自らの掌中に権力を収めることができる能力を示すことによって、大きな信頼を得たのである。

 世界は、今や大きな転換期にある。将来のエネルギー不足は、共同体には、エコビレッジがこれまでに開拓しつづけてきた道に沿った地域再生以外に選択の余地がないことを意味している。幾つかの点において、エコビレッジはきわめて独特であるが、その他の点においては、以前と比較してかなり「主流派」に近づいている。これまでの長期にわたり共同体に居住してきた者は、ヒッピーや変人としてより平凡な隣人たちの冷笑の的にされていたことは、それほど昔のことではなかったことを記憶しているが、現在では、共同体で開発した生態学的技術の視察にやって来る当局の代表団を受け入れている。

 これは、エコビレッジにとってチャンスである。このチャンスとは、「代替案になっている」安全なニッチをあえて残しておくことであり、今後数十年にわたって主流派社会を支援するという課題に熱意をもって喜んで応じることである。こうしたことを実現させるには、エコビレッジと地方自治体が相互に友好関係を表す歓迎の手を差し伸べる必要があるのである。p116

 総論やよし、されど各論は。それぞれの具体的ケースの中で、そしてその困難さの中で、ともすれば、最初に掲げた理想が次第に不明瞭になったりする。それではいけない。時たまチェックし、より理想に近づいていく工夫が必要だ。

<14>につづく

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「女のいない男たち」村上春樹

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「女のいない男たち」
村上春樹 2014/04 文藝春秋 単行本: 288ページ
Total No.3348★★★★★

 発売直後に予約を入れていた本が、今頃、忘れた頃にやってきた。あれから8か月。市図書館には合わせて30冊近くこの本が入っているのに、私の番が来るまでこんなに時間がかかるのか。

 年末のクソ忙しい時期になってこんな小説なんか読んでいられるか、と思うが、こんな短編集くらい、さらっと読み終えてしまう、という余裕もほしい。

 ましてや、私の後に、すでに200人を超すウェイティングリストの羅列がある。さっさと読み切って、次の人に渡さないとな。

 小説は苦手である。ましてや村上春樹なんか、と思う。でも、何年か前に、必要(?)に迫られて、図書館にある彼の本およそ60冊以上に、一気に目を通してから、周囲との話題のバランスをとるために、一応は新刊には目を通すようにしてきている。

 今回も、まあ、あまり期待せずにさらっと目を通したのだが、この程度の(つまり80枚程度)の短編小説は、割りと私の性格にあっているようだ。あっと言う間に読み切るわけでもないが、そんなに読み切れないほど延々とストーリーがあるわけではない。チキンナゲットのように、食べやすいようにサイズをそろえてある。

 今回のテーマは、表題のとおりの内容だ。同じようなテーマの短編が6編まとめられている。

 で、相変わらず村上春樹ワールドである。この程度のことを特に小説で読まされる必要はないし、どうかすると、面倒くさい。人生の中で、この短編集を避けて通れない、なんてことはない。読み始めてみれば、なるほど面白いのだが、さりとて、それがどうした、と啖呵を切りたくなる。

 これがノーベル賞云々と取りざたされる日本の、そしていまや世界の「大作家」エンターティナーの最近作なのか!

 そう思ってくると、何篇か同じようなテーマの小説を読み終わったあとは、ストーリーをおっかけながらも、どこかで醒めてしまい、自分の余裕のあるメモリーやハードディスクが、あるいはCPUが、他のワークをマルチタスクで、仕事を始める。

今日の気分はこの3冊<8> 「世界のエコビレッジ」、「パーマカルチャー」、「女のいない男たち」

<7>からつづく

 さて、最近は、「今日の気分はこの三冊」の二冊は決まっているのだが、どうも三冊目がない。これだ、というキマッタ本との出会いがすこし途切れているのである。戯れに、その二冊の中に、この村上春樹を挟んでみた。

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 私は森に行って、菜園仕事をしながら、村上春樹を読むだろうか。この問いは、そもそも否定されるべく設定されたものである。こんなチャラけたシティボーイのなれの果て達のストーリーを、森の中で、土だらけになりながら、読むなんて、おかしいだろう。

 大体において、この短編集に、エコビレッジやパーマカルチャーに類する単語がでてきたか。みんな、適当に街でうまくやっている連中の、たわごとではないか。アホらしい。

 そう思いつつ、やはりメインは小説を読んでいるのだが、いやちょっと待てよ。この三冊の中で、むしろ、私に一番近いのは、この春樹本の方ではないか、と思い始める。エコビレッジも、パーマカルチャーも、実は、ちょっと気どって、かっこつけている本たちなのである。少なくとも私にとっては。

 エコビレッジとパーマカルチャーは、むしろ、私の演技の部分で、この「女のいない男たち」のほうが、私の実情に近いのではないか。エコビレッジでパーマカルチャー、では、何かが足らない。エロスと、タナトス、と、そして何か。

 ふと、思う。エコビレッジという夢想に追い回されながら、山の中腹にある、ちょっと荒れた開発地にいて、パーマカルチャーという、出来もしないプロジェクトをあれこれしながら、震災で傾いたままのコンテナハウスで、凍えそうになりながら、なにかの本を読む。

 本は、別になんでもいい。小説であってもいいではないか。そう村上春樹でも悪くはない。そしてたまたま手元にあったのが、「女のいない男たち」だったとしても。

 そのシチュエーションを、私はきっと楽しむことができる。そして、その時、私にとっての真実とはなにか。誰もこないエコビレッジとやらに、できそうもないパーマカルチャーという夢を見ながら、一冊の、手の中にある小説を読む。

 その時点においては、私にとっては、むしろ、小説を読んでいるという私こそが私なのであり、もしその小説の中に、何事か私を突き動かすものがあったとするならば、それはそれ、それこそが、今の私なのだ。

 私が蝶の夢を見ているのか、蝶が私の夢を見ているのか、と荘子は問いかけたけれど、それは、今の私の問題でもある。どちらがどちらで、どちらがどちらなのか。

 私は急いで、この短編集を読み切ろうとしている。私が読んだあとは、珍しく奥さんも読みたいと言っている。私が読んだ本を奥さんが読みたいということは稀で、また同じように、奥さんが読み終わった本で私が読みたい、と思う本は稀である。読書のターゲットは殆どかぶらない。

 しかしながら、この人気本はそうそう順番は回ってこない。奥さんが別途別なチャンスにリクエストしても延々とずっと後回しになるだろう。きっと、私が読み終われば、その後すぐに、奥さんがこの小説を読むのだ。そして、その後には、他の家族もきっと、読みたいと、言いだすに違いない。

 そう思うと、私はちょっと気恥ずかしいというか、気まずいというか、気持ち悪くなった。この小説について、夕飯でも食べながら、家族で読後感想を言い合うなんて、そういう状況が作られたりするのだろうか。

 正直言って、私は、それは避けたいと思う。読み終わったあとは、何事もなかったかように、知らんぷりしていようと思う。はい、次の方どうぞ、と、風呂の順番でも来たように、そっと告げて、あとは、まったく別のジャンルでも読んでいるふりをして、まるでこの本を読んだ痕跡すら残さないようにするかもしれない。

 だけど、今思う。もし、今日の気分はこの三冊、として、他の二冊が決まっていて、あと一冊という時に、この一冊を持ってきても悪くはないのではないか、と。

 たしかに、どちらが蝶で、どちらが私かは、決定できない。むしろ、この三冊の、どれにも自己同期できないまま、そのデルタ地帯で、ウロウロする自分がいたら、実は、本当は、その辺に自分がいるんだと、と推定することにしよう。

 そしてさらに思う。この程度のことなら、80枚程度のことなら、自分でも小説を書けるのではないか。いや小説を書きたくて小説を書くのではない。どうしても書いて残しておきたいことが、すこしある。

 しかしそれは、通常の私のブログのような形では残せない。が、小説という形なら、残せるかもしれない。不特定多数に読ませようというわけではない。ある、特定の人に残しておくメッセージだ。しかし、それはその人にとっては決してふさわしいものではないかもしれない。

 しかるべき時に、しかるべきタイミングで、その人に届いたら、それはその目的は達成されるのだ。しかし、そのしかるべき時は、いつ来るかわからない。そしてしかるべきタイミングが来たとしても、その時、私がそのメッセージをうまく伝えることができるかどうかも定かではない。

 なんらかの形で、それは残されるべきエネルギーだ。冬の長い夜、深い森にいて、ひとり薪ストーブでも焚きながら、小説を読むばかりではなく、小説を書いてみることも悪くはないのではないか。

 届くかもしれない、届かないかもしれない、小説。すでにくたびれてしまった記憶。だが、いまだに朽ち果てないストーリー。いつかは誰かが、形を与えてあげないと、消滅しないエネルギー。それは、小説という形を待っているかもしれない。

 今日の気分はこの三冊。今日のところは、しぶしぶながら、私はこれはこれでいいんじゃないか、と思った。

「今日の気分はこの三冊」<9>につづく

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2014/12/08

新装版 「宮沢賢治ハンドブック」天沢退二郎

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新装版 「宮沢賢治ハンドブック」(ハンドブック・シリーズ)
天沢 退二郎(編集) 2014/07 新書館 単行本(ソフトカバー): 238ページ
Total No.3347★★★★☆

 冬至までの間に、何冊か新刊本を読んでおきたい。そういうちょっとヨコシマな考えから選んできた一冊。ポスト3・11における宮沢賢治は定番である。明治三陸大津波の年に生れ、昭和三陸大津波の年になくなった宮沢賢治。だが、その作品の中には、直接、その津波に触れることはなかったという。

 宮沢賢治については、当ブログにおいてもすでに何十冊か触れてきた。3・11後においては、実にハマリ役であると思えたり、思わなかったり。しかるに、賢治は決して得手ではない。そして賢治はおいしいが、毒がないわけではない。フグは喰いたし、毒は怖し。

 すでに前前世紀に生れた人を元にして、今日的課題の解決策にあたろうというところに、やや無理がある。電信柱の行進に文明開化を感じたり、銀河鉄道に夢を馳せるのもいいが、いまやスマートグリッド問題で、電柱はある種の滑稽な象徴にさえなっている。鉄道だって、銀河を走っている分にはいいが、地下を掘りまくって、リニアモーターを走らせる時代になるとは、賢治さまでも、ご存じなかっただろう。

 当ブログにおいては、複数多数の著者が思い思いに書き連ねたオムニバス本は、三文安い。首尾一貫性がなく、両義性であり、無責任である。問題を提起しておきながら、投げ出したままで、フェードアウトする本が多すぎる。情報の散乱である。

 この本も、もとは1996年にでた本であるが、このたび2014年になって新装なった。内容や方向性が大きく改められたわけではなく、内容的も、ちょっと取り組みとしては古いのではないか、と推理する。

 日蓮、法華経、田中智学、国柱会、と言ったあたりは、当ブログにとっては、フグの毒にあたる。

  一、二行で智学を伝えるとしたら、<なまなかな近代主義者を遥かに超えて近代の特質を掴み近代をフルに、時に逆手に執って利用した反近代主義の人物>と書く方が<国家主義的宗教団体国柱会の創始者云々>などと記述するより彼の本質に迫っていよう。 p115「田中智学」上田哲

 田中智学という人がいなかったら、宮沢賢治は存在しなかった、だろうか。

 宮沢賢治が国柱会に入信し、以後熱心な法華経信者になったことは周知の事実である。大正9年(1920)12月2日付け保坂嘉内宛の書簡に

 今度私は
   国柱会信行会に入会致しました。即ち最早私の身命は日蓮聖人の御物です。従って今や私は田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。

 とあるのが正式の入会を知ることができるものであるが、実際にはこれより数年前から法華経帰依を明確に打ち出している。p146「日蓮」荻原昌好

 賢治が法華経に触れたのは、もっと前だった。

 宮沢賢治が初めて法華経にふれたのは、大正3年(1914)9月、18歳の時であった。浄土真宗の篤信家であった父政次郎の友人高橋勘太郎から贈られてきた島地大等編になる「漢和対照 妙法蓮華経」(大正3年8月28日明治書院発行)を読んで異常な感動をおぼえたという。この時18歳の少年であった賢治は、法華経のどこに、どのような感動をおぼえたのであろうか。p176「法華経」 鎌田東二

 「異常な感動」と言われるかぎり、ここはもう、人智を超えた神秘の繋がりがあったと判断してもおかしくはない。

 戦争に行くということは、このように人を殺しにゆくということだ。軍隊はそのためにある。命令は兵卒の掟であり、「泣き叫びながら」それを遂行するしかない。それでもかれは戦争を否定しない。それは個人の意思を超えて起こるもので、かつその戦争に行くのを免れようとするのは、特権に安住することだからだ。

 だから賢治は、屠殺場に行ってまで殺戮の残酷に備えようとし、その残酷を「法性」として納得しようとする。p110「戦争」 西谷修

 いかに後年、不世出の大天才文学者と言われる賢治であっても、当時の社会情勢の中にある一青年の心情として捉えなければならないだろう。

 総花的に30数人の手によるオムニバス本を網羅的に読みこむことは、あまり意味がない。しかし、一般的な賢治作品の中から断片を見つけようとするよりも、このようなハンドブックの中から、恣意的なキーワードを拾い出し、それを切り口として、賢治ワールドに再突入してみることも、意味あることに思う。

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2014/12/07

「もし僕らが生き続けるなら」 自由の世界への出発 塚本晃生<3>

<2>からつづく

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「もし僕らが生き続けるなら」自由の世界への出発<3>
塚本 晃生 1972/12 大和書房 単行本 204p

 敬愛する「名前のない新聞」編集長あぱっちからの依頼である。成人式を3回繰り返した還暦男の、まずは第一回目の成人式の前後から走り書きしておこう。

 私自身は小学校5年で東京オリンピックを迎え、中学校一年でビートルズ来日を迎えた。高校二年生でいわゆる70年安保を体験し、高校を卒業する頃にはあさま山荘事件が起きていた。

 私自身は小学校3年から新聞部で壁新聞を作ったりしていた。5年生頃にはガリ版で学級新聞をつくり、卒業文集には将来なりたい職業として新聞記者と書いていた。中学校時代には友人たちと漫画肉筆誌を作ったりして、漠然と将来はジャーナリズムや出版に関わる仕事をしたいと思っていた。

 そんな私の人生の前に大きく立ちふさがったのは、70年安保という時代性だった。当時新聞部に属していた私は、べ平連のフランスデモに参加する程度だったが、校内で起きた生徒たちによる職員室バリケード事件に大きな衝撃を受けた。新聞部として取材していた私まで連行されることになり、また、それを報道するマスメディアの姿勢に実に落胆したものである。

 その後、私は学校新聞部を休部し、自分でガリ版ミニコミを作ることにした。内容は自分の身の周りのことがほとんどであるが、すでにある権力や常識にとらわれたくないという表現の手段でもあったのである。自己表現であり、またプロテストだった。

 折よく愛読していた「朝日ジャーナル」誌のミニコミ特集に取り上げられることによって、私のミニコミは読者を拡大した。全国に紹介されることも多くなり、テレビや雑誌の取材を受けることもたびたびあった。普通では手に入らない情報も、そのようなルートで入ることも多くなった。

 そして、高校卒業後は、そのような活動の中で出会った流峰や仲間たちとアパートの一室を借りて共同生活をするようになった。「雀の森の住人達」と名付けた仲間たちと、旅をした。72年には80日をかけてヒッチハイクで日本一周した。高倉健さんゆかりの網走番外地から、復帰したばかりの沖縄コザ市まで。10代の若者の目には、日本全体が極めて新鮮で多様なものに思えた。

 自分たちの共同生活の場に戻った私たちは、ガリ版新聞をつくり、手作りのミニコミ雑誌を作ることにした。その雑誌もまたさまざまな形で取材を受けることとなる。当時の取材の一つに塚本晃生「もし僕らが生き続けるなら」(1972/12 大和書房)がある。内容は極めて簡単なものだが、取材されている人々の中では私が一番若輩者であった。

 私たちは、自分たちが作ったミニコミ雑誌を、当時出始めていた全国のミニコミ書店に配給するために、またヒッチハイクで出かけ、その途中で、気になるミニコミや、同じような共同生活の場を取材した。そして、それをまた次の号の雑誌に書いたのだった。

 私が「名前のない新聞」に最初に出会ったのは、この日本一周ヒッチハイクの途上であった。幼馴染の親友が東京キットブラザーズに参加しており、当時彼らが鳥取県の佐治村に作ろうとしていた「さくらんぼユートピア」を尋ねた時だった。

 初めて友人に見せてもらった「名前のない新聞」は、私たちのミニコミと同じようにザラ紙に謄写版で印刷されたものだったが、編集長のあぱっちの丸文字が実に似合っていた。しかも、その内容が、それまで見慣れてきたアジビラのようなトゲトゲしい表現ではなく、なんとも、ほんわかとした、新しい時代の到来を告げているように思えた。

 ミニコミ発行、ヒッチハイクの旅、そしてコミューンと呼ばれた共同生活の場を通じて、私たちの若者文化のネットワークはどんどん広がっていった。その中でも、一番仲良くなったのは、鳥取の私都(きさいち)村とか、北海道のピキピキ舎とか、福島のグループもぐらなどに加えて、東京の練馬にあった都市コミューン「蘇生」だった。

 トモ、キコリ、などと、伊豆の農家で合宿をしたりしている中で、私たちも東北で合宿形態のグループワークの場を持つようになり、74年冬には東北の温泉どころである西鳴子「星の湯」で、全国から仲間を呼んで、長期合宿をした。それが、75年の「星の遊行群ミルキーウェイ」キャラバンにつながっていった。

 75年になると、合宿に参加しなかった他の多くの仲間たちも参加することになり、ナナオやポンなどの部族、おおえさんたちのオームファンデーション・グループ、日本山妙法寺の関係者たち、セブンや夕焼け楽団などのミュージッシャン達もどんどん加わり、大きな渦になっていった。

 沖縄から北海道まで、徒歩やヒッチハイクで半年をかけて走破するミルキーウェイキャラバンは、70年代中盤におけるビックイベントになったし、また、それからの日本におけるカウンターカルチャーの方向性を決める、決定打になっていった。

 そのような大きなうねりの中で、私は割と個人的な思いにふけっていた。当時私たちのコミューンでは、立てつづけに子供たちが生まれていた。女性たちの希望もあり、自宅出産の道を選び、みんなで勉強会をつづけ、また友人たちのコミューンでの体験をレポートしてもらったり、実際の体験者にきてもらってサポートしてもらったりしていた。

 すでに共同生活も4年目を迎えており、仲間たちが増えて手狭になり、それぞれに分化してスペースを持つようにもなっていた。私自身もすでに20代の青年として自らの人生の展望とその夢の更なる具体化に歩を進める段階になっていた。

 そんな私の目に飛び込んできたのは、Oshoの講話録「存在の詩」だった。誰に勧められたものでもなく、購入したものでもなかった。旅人の誰かが私たちのスペースにおいて行ってくれた一冊だった。誰もいなくなった一軒家の縁側の陽だまりに、ポツンとその講話録はあった。

 チベット密教タントラの聖者、ティロパとナロパの間で交わされた詩にOshoがコメントを加えた手作りオフセットの一節の言葉が、やたらと身にしみわたった。「流れるままに流れなさい」。講話録全体の意味などわからない。ただただ、その一節が、私を解放した。

 私はその後、12号まで続いた季刊ミニコミ誌「時空間」を休刊し、コミューンをでて印刷会社で働き、インド行きの資金を貯金することにした。働きながら、さまざまな全国の友人たちと交流があり、またアングラ劇団に加わり、人生一度の役者の体験もした。

 77年にインドに渡ってOshoのサニヤシンになった。インドに行くまでは私の意思は固まっていたわけではないが、一緒に行ったプラブッタたちのサポートも素晴らしかった。途中、ビザ更新のためスリランカに渡り、当時仏足山に滞在していた藤井日達上人のもとで、1ケ月間、南無妙法蓮華経のお太鼓をたたかせていただいたこともある。

 当時、Oshoのサニヤシンたちも、日本山妙法寺のご出家たちも、おなじピュア・オレンジの衣服を身につけていた。私は、お太鼓の法悦の中で、ひとつの悟りを得た。日本山は、仏教の2500年サイクルの、最後の、夕焼けのまぶしいオレンジの光であり、Oshoは新しい時代へ向けての朝焼けの輝かしい日の出の光であると。

 あの時の私の思いの是非はともかくとして、私はこれまでOshoのビジョンを自らの道として生きてきた。帰国後、瞑想センター活動を始め、仲間たちと瞑想会を重ねた。コミューンの形もとり、その仲間たち多数と、アメリカにできた新しいOshoコミューンへ数週間に渡って参加したことも数度ある。

 日本において、瞑想会の仲間たちと社会的なビジネスを成功させたこともあるし、全国の仲間たちと呼応して、会社を立ち上がるようにもなった。そして、私は結婚した。今では、子供たちや孫たちと一緒に暮らす生活をしているが、生活費を稼いだり、マイホームを建てたりすることは、私にとって決して容易ではなかった。

 いま振り返ってみれば、でこぼこの人生で、なんともお恥ずかしい限りではあるが、Oshoの「流れるままに流れなさい」というメッセージに呼応したのが私の人生だったとするならば、なるようにしてなった、人生だったともいえる。

 88年には八ヶ岳で「いのちの祭り」があり、私は参加できなかったが、日本のカウンターカルチャーが再編成される動きがあった。90年にはOshoが亡くなり、91年には仙台で行われた国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」のスタッフとして積極的に参加した。

 95年は、大きな事件が3つあった。一つは阪神淡路大震災であり、二つ目はオウム事件であり、三つめはウィンドウズ95の発売であった。私はすでに40代になっていたが、この年が大きな境目になっているように思う。

 私はカウンセラーとしての資格を取って活動するとともに、リスクマネジメントの専門家としても業務を拡大していた。また仲間たちとのネットワークもインターネットを通じて、大きく拡大した。いわゆる1999年問題もなんとかクリアしたあと、私たちは、夢にみていた21世紀に突入したのであった。

 その後の、世界貿易センタービル撃墜事件を初めとする21世紀については、もはや私が語らずとも、誰にとってもまだまだ新しいことであろう。私は子供たちの成長に合わせて、町内会やオヤジの会、学校の父母の会に積極的に参加した。業界団体の面倒な役も積極的に引き受けた。県大会で優勝した高校野球部の甲子園出場支援に没頭した日々もあった。

 そんな中、私は人生の中での、大きな節目の予感を持っていた。ある年齢に達すれば、何かが起きる。それは予感とも予知とも言えぬ、私自身に織り込まれたDNAのようなものであったかもしれない。私は、他のボランティア活動などを次第に停止し、業務も次第に沈静化させ、静かにその時期を待った。

 そして、その50代半ばになった私に届いたのは、他のいくつかのメッセージとともに、あの3・11東日本大震災であった。

 この2014年になり、私が今、日々いそしんでいる生活を支える業務のほかには、エコビレッジでパーマカルチャーというテーマがある。宮城蔵王山脈の中腹にある4万坪の土地は、すでに年上の友人が10数年にわたって開拓してきた自然菜園である。その場が今解放され、私もその企画に参加するようになった。

 この企画にどのような妥当性があり、将来性があるのか、今の私にはわからない。しかし、人生もすでに老人の域に達し、次々と、人生を共にしてきた大事な友人たちを病気で失いつつある時代になって、残されている私のワークとは一体何なんだろうと思う。

 すでに孫たちもいる。一緒に生活しながら、3・11後に生れてきたこの子供たちのことを思う。子供たちは可愛い。誰もがこの地球に子供として生まれる。そして、この子供たちも、きっといつか今の私のような老人になるのだ。

 私は、地球人として、この大地に二本の足で立つことは大事な基本に思える。そして、自らの食料を作り、家族の住める家を作るのが基本中の基本であるように感じるのである。しかしながら、それは都会の雑踏でビジネスに明け暮れ、スーパーの食料を買い占め、高級マンションに住まうことを必ずしも意味していない。

 私には、生活をまかなう職業が与えられ、時には不協和音が流れないわけではないが、平和な家庭が与えられている。郊外の外れではあるが、雨露をしのげる、ややくたびれてはいるが、小さな家もあることはある。私が今、ここで死んだなら、ああ、これはこれで私の人生であったな、と納得するに違いない。

 しかし、私が25歳の時に大病して、余命半年を宣言されながら、いまだに30数年間を生き延びているとしたら、私には私がやるべき何か他のワークが残されているのではないか、と思わざるを得ない。

 私の若い時代を彩った三大話と言えば、ミニコミ、コミューン、旅、であった。今、私はあの時代をもう一度思い起こそうとしている。当時のミニコミ活動は、現在ならネットのSNSやブログにあたるだろうか。私はこの10年ほど、図書館から借りだした図書類をネタにしてブログを書き続けている。これは私にとっての、ミニコミ活動の後継に位置するものである。

 そして、若い時代に夢見、部分的に参加して、なお見果てぬ夢としてあったコミューン活動は、今、友人たちの好意によってエコビレッジでパーマカルチャー、という活動に進化している。3・11後の被災者住宅に住む人々に思いを寄せながらも、森の中で暮らすことに、どれだけの妥当性と意味があるのか、今の私には、分からない。しかし、この道は、残されてある。

 三つ目の旅は難しい。もうヒッチハイクはしないだろう。気分はバックパッキングではあっても、すでに腰痛に悩まされる老年とあっては、無理は利かない。ましてや地域密着型の業務を担当しているとすれば、長期の気ままな旅はすでに無理と、諦めている。それに、おそらく、私はそう遠くはない将来、長い長い旅にまたでるはずなのである。

 私の人生の、もっとも初期の十代で問われた問いは、「もし僕らが生き続けるなら」というテーマであった。そして、今、すでに僕らは生き続けてきた、と言えるのかもしれない。思えばさほどの時間ではなかった。人生など、あっと言う間に過ぎ去るものである。

 しかし、次々と生まれる可愛い孫たちを抱っこしながら、目の前にある3・11の被害に目をやる時、私は再び、自らに問う。

 「もし僕らが生き続けるなら」

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2014/12/05

「ムーミンキャラクター図鑑」  シルケ・ハッポネン 高橋 絵里香<1>

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「ムーミンキャラクター図鑑」 <1>
シルケ・ハッポネン(著), 高橋 絵里香(翻訳)  2014/10 単行本: 講談社 240ページ
Total No.3346★★★★★

 森の中を歩くときは、望まずしてクマさんに出会わないように、腰に鈴をつけて歩く。コンテナハウスの周りで作業する時も、一人でいる時などは、ここに人間がいますよ~というお知らせの意味で、ラジオを大き目なボリュームで流していることが多い。

 普段はあまり音楽もラジオも聞かないのだが、結果的に森に一人でいるとラジオ番組を長時間、耳にしていることが多い。据え置きラジオばかりではなく、ポケットに入れたスマホで、何気にラジオ・アプリから番組を聞くこともある。

 先日、ほぼ10日程まえだったか、午後の長時間番組で、ムーミンの話をしていた。ゲストは若い女性で、たしか少女時代にフィンランドに留学したという人だった。聞くともなしに聞いていた番組で、しかも作業しながらだから、とぎれとぎれにしか聞いていない。

 数日前、図書館に本を返却しに行ったら、カウンター脇の新刊コーナーに、この本があった。あのラジオ番組で話題になっていたのは、きっと、この本に違いない。

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 私の周辺で、ムーミンを知らない人はいないはずだ。あの岸田今日子の声とともに、なんとも愛くるしいムーミンをすぐに思いだす。だが、この本に書かれているように、ムーミン谷全体について詳しい人は、そうはいないだろう。

 ラジオ番組でチラチラ聞いた範囲に寄れば、フィンランドにおいては、街のあちこちにキャラクターが置かれていて、誰にも愛されているムーミン谷の住民たちだが、もともとの誕生は、アウトサイダーやマイノリティー達が集まってきた場として設定してあるという。

 なるほど、そう言われてみれば、そんな気がする。私の子供時代というと、「チロリン村とクルミの木」とか、「ひょっこりひょうたん島」、あるいは「ゲゲゲの鬼太郎」などが、このムーミン谷に近いように思うが、数少ない登場人物達の中にある、なんというキャラクターの豊富なことよ、と驚く。

 スナフキンは、ひょうたん島のダンディと、どこかつながるかもな、と思いつつ、ムーミン谷の住人達について、私はほとんど何も知らないことに愕然とした。こんなに沢山の登場人物たちがいるのか。

 ムーミンパパは、ムーミンママの夫で、ムーミントロールの父親。黒いシルクハットがトレードマーク。ムーミン谷の開拓者。塔のような形をしたムーミン屋敷の建築者でもある。彼は、空色の部屋に座り込んで、自分自身が主人公の思い出の記や冒険記を執筆する。p122

 なるほど、そういうキャラが振られていたのか。そもそもの作者の化身かも。

 もしムーミン一家をムーミン谷の核の部分とするなら、ムーミンママは、そのまた中心に存在している。ムーミントロールの母親で、ムーミンパパの妻。トレードマークはハンドバックとエプロン。好きな花はバラ。ムーミン族の中で最も精神的に安定していて、寛容である。

 ムーミンママはいつも、今日のごはんは何にしようかと考えている。必要に迫られれば、アイデアに富んだ方法で、家族の食事を用意する。朝食のはいったバスケットがなくなったとき、ムーミンママは、イノシシの目におしろいをふりかけるという、ユニークな方法でイノシシを狩る。しかし、食料になった動物のことを思うと、ムーミンママは罪悪感に悩まされる。p116

 私たちの森にもイノシシは毎度登場する。今度出会ったときは、目におしろいをかけてやろうと思う。しかしながら、私たちの森のイノシシは放射線量が高いので、今じゃ、食料にならない。大増殖中だ。

 ムーミントロールは、ムーミンママとムーミンパパのひとり息子だが、両親がスニフとちびのミイを養子にしたため、正確にはママとパパの子どものうちのひとり、ということになる。ムーミン一家として、ときには、スノークのおじょうさん、スナフキン、ホムサ、ミムラねえさんが登場する。それでも、血のつながった母親と息子の間では、特別な意思疎通ができている。スウェーデン語名はMumintollet。p126

 そうであったか。ムーミンの本名はムーミントロールだ。このほか、たくさんのユニークな登場人物がたくさん紹介されている。

 コミックス「ムーミントロールとグル」で、ダルヴィーシュ(スーフィーというイスラム神秘主義の修行僧)のような格好をした、黒い肌に白ターバンの男がムーミン谷に現れる。彼はグルと名乗り、ムーミン屋敷に移り住む。

 そして自分のための石造りの床、画びょう、破られることのない静寂を用意してほしいと要求する。しかし、実際ムーミン屋敷で用意できたのは画びょうだけ。

 グルは、スノークのおじょうさんやムーミンパパに瞑想を教え、フィリフヨンカの牛を自由の身にしようとする。もっとも情熱的に彼の弟子になろうとするのは、フィリフヨンカだが、グルは彼女を「邪悪な女神」と呼び、恐れる。p25

 瞑想を学ぶムーミンパパ。う~~ん、いいですね。

 このほか、工作員やスパイたち、考古学者たち、ビートニクたち、映画のプロデューサー、世捨て人たち、探偵や刑事たち、グリム童話の登場人物たち、怪物や猛獣たち、魚やクジラやイルカたち、さまよえるオランダ船の船長、名もなき隣人や通りすがりの者たち、などなど、実に多彩である。

 裁判官、検察官、弁護士、陪審員たち、警察や消防団、預言者たち、詩人たち、密輸たち、流しの下の住人、芸術家たち、記者たち、年とった男の人、公務員や役人、などなど、ほんとかよ、と思うほど、沢山の登場人物がいるのだった。

 スナフキンは、わが道を行く旅人、放浪者、音楽家、そして芸術家。スウェーデン語名のSnusmumrikenは「嗅ぎたばこを吸う人」という意味。いつも春になるとムーミン谷を訪れ、秋になると去っていくが、童話「たのしいムーミン一家」では珍しく、ムーミンたちのように冬眠から目覚めるというシーンがある。

 スナフキンは、ムーミントロールの特別な友達。このふたりは一緒に橋の上に座ったり、釣りをしたり、おしゃべりをしたりする。そして、ハーモニカを奏でる音がムーミン谷に響きわたる。p172

 この本のもともとの著者シルケ・ハッポネンは1971年生まれの女性児童文学研究家。翻訳者・高橋絵里香は、1984年生まれで北海道出身の研究者。彼女は「中学校を卒業後、単身でフィンランドに渡り、ホームステイをしながら現地の高校を卒業。そのままオウル大学に入学し生物学と地質学を学ぶ。現在はフィンランドで教師をめざして勉強中。」(p241)とのことである。

<2>につづく

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2014/12/04

「ソラリスの陽のもとに」 スタニスワフ・レム 「惑星ソラリス」アンドレイ・タルコフスキー<1>

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「ソラリスの陽のもとに」
スタニスワフ・レム(著), 飯田 規和(翻訳) 1977/04 ハヤカワ文庫―SF 文庫: 317ページTotal No.3344★★★★☆

 石川裕人蔵書市の中での一冊。何冊目だか忘れたが、もうカウントはいいだろう。いつかは読んでみようとは思っていたが、そう思っているだけで、多分読まないだろう。今回も読まなかった。ニュートンは、この本を1977年の4月23日に購入している。発売とほとんど同時である。

 この時期、私は印刷会社で写植やデザイン、製版カメラをいじっていた。そして「ひめんし劇場」の誘いを断りきれないでいた。ニュートンはおそらく、劇団座敷童子から洪洋社へむけて動いていた時期であり、この時期に彼はこの本を読んでいたのか、と思うと、その早熟さに驚く。

 そもそも小学生時代からSF大好き少年だったから、彼としては、当たり前と言えば当たり前の通り道だったのかも知れない。

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「惑星ソラリス」 <1>
監督: アンドレイ・タルコフスキー  出演: ナタリア・ボンダルチュク, ドナータス・バニオニス, ユーリー・ヤルヴェト 上映1972 DVD発売日: 2002/12/16 アイ・ヴィ・シー  160 分 Total No.3345★★★★★

 私はこの映画を80年前後に自主上映会でみた。私を誘ったのは、ニュートンの芝居団の主要スタッフだったカマちゃん。たしか、戦災復興記念館の地下で観た記憶がある。確かロシア語版かで、字幕スーパーだったように思う。

 しかしながら、映画のストーリーはチンプンカンプン。友人と一緒にいる、という雰囲気や、上映会のなんとなくザワついた会場のイメージが残っているだけで、とにかく「前衛的」な映画を見ているんだ、というだけで、なんとなく納得していたのではなかったか。

 そして、このブログを書くようになった後、たしか5~6年前に、一度図書館でこのDVDを見つけて借りてきたことがある。「2001年宇宙の旅」とリンクしてみてみようと思ったのかもしれない。どこかにメモしてあるかと思ったが、まったくない。結局この時も、焼酎でもひっかけながら観たので、最後まで見ずに寝てしまったのだろう(汗)。

 そして今日、他のSNSでアンドレイ・タルコフスキーの名前がでたので、何気なくこの動画を観た。そもそも160分の映画が100分ほどに短縮されているので、そのままではないにせよ、実に分かりやすい映画だったのだ、ということがわかった。日本語版なので、なお余計な神経を使わなかったから良かったのかも知れない。

 今となっては、このようなテーマは、ひょっとするとありふれているのかもしれない。極めて今日的な主題である。原作もともかくとして、監督のタルコフスキーの他の作品も図書館に収められているので、そのうち、手が伸ばしてみようかな。

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 余談だが、敬愛する編集者あぱっちが最近スタンディング・スタイルしたということを聞いて、私も初めてこの記事をスタンディングで書いてみた。身長175センチの私はノートパソコン派で、キーボードの高さは135センチだった。

 これはこれでなかなか気持ちいい。腰も伸びるし。

「惑星ソラリス」<2>につづく

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2014/12/01

smtてつがくカフェ 第39回 「震災とメディア技術」

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てつがくカフェ 39回 「震災とメディア技術」
smt仙台メディアテーク 2014/11/30 6f ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい) ギャラリー4200 ホワイエ
Total No.3343

 この「てつがくカフェ」というやつ、前から気になっていて、いつか行ってみようと思っていたのだが、今回、ようやく行ってきた。というか、以前にも一回行ったことがある。前回はすこしテーマが抽象的だったのと、事前に読むべき本がやや難しかったので、参加する人もそれほど多くなかったし、話もいまいち乗っていけないところがあった。

 今回も、足の便は悪いし、他の予定もあるしで、迷ったのだが、行ってみた。これがなかなか良かった。

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 何が良かったのか、と問われると、これもこまるのだが、この手のイベントは、とにかく直接行って感じるしかない。いろいろな意見が聞けて、それだけでも面白かったのだが、たった2時間という枠の中で、わりと多彩でありながら、実にまとまりのある結論に達したのではなかっただろうか。

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 テーマは、「震災とメディア技術」である。他の人の発言はともかくとして、私自身の発言を、私なりにまとめておく。

 震災とは、私にとっては3・11であるわけだが、その際に特徴的だったメディアは3つあった。ひとつはラジオである。風呂場で使う、単一乾電池で使えるラジオが震災にあたっては実に役だった。乾電池の持ちもよく、当時使っている乾電池を今でも使っている。

 しかしながら、ラジオは身近ではあるが、一方向の情報メディアである。こちらから発信する技術がない場合は、単に受け取るだけになってしまいがちである。

 二つ目には、ケータイやスマホについてである。当時私はガラケー1台に、スマホ2台を持っていたわけだが、ほとんど役に立たなかった。つまり、回線が途切れているばかりではなく、その回線を求めて電波がウロウロするので、あっと言う間に充電器が空っぽになるのである。

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 ワンセグもまた30分ほど見ていると電池が減って、気になってしょうがない。一般の電気回線が復活するまでは4日ほどかかったのだが、それからはテレビが中心になった。電話は光電話だったので、通じるまでは2週間ほどかかったが、それまではガラケーが頑張った。

 そして、三つめに気になるのは、気仙沼で小学生の女の子たちがつくった避難所の壁新聞のことだった。ローテクの最たるものであるし、また情報も決してその避難所を出て行く類のものではないが、その壁新聞という発想が、多くの人々の心を和ませた。

 メディアの存在という意味では、壁新聞は大きな役割を果たしたと言える。マクルーハンは、メディアはメッセージである、と言ったが、何を伝えようとしているか、というより、そのメディアがあること自体、なにごとかのメッセージなのではないか、と感じた。

 そしてまた、本当の被災者には口がないのではないか、という発言をした。宮地尚子の「震災トラウマと復興ストレス」(2011/08  岩波書店)が頭にあったから、そういう発言になったわけだが、私よりももっとひどい被災者がいると、みんなが譲りあったら、結局、本当の被災者は、発言さえできない、亡くなった人や行方不明の人々、ということになろう。1 そして、もうひとつ、被災地のあちこちで立ちあがった災害FMについても発言した。地域に限定した情報が多かったのだが、それをキャッチすることで、その地域が元気になりつつあるのだな、ということを確認できたことはうれしいことだった。

 カフェでは、メディアの「暴力」と「やさしい」メディアについての対立軸が立ち上がってきた。

 かくいう私は、福島を含め、被災地の現場に入っても、ほとんど写真一枚撮影することができなかったのだが、それを私は、私の言葉に落として、ブログを書いている。考えてみれば、言葉はすきではないが、結局それは「やさしいメディア」なのかもしれない。

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 この回のまとめとしては、他のひとの発言ではあったが、「メディア技術によって震災を記録し伝えることによって、何を伝えたいのか?」という問いかけに、私は賛成した。他の人々の意見をも包括しているように思えた。

 今回、本来であれば隣接した会場に展示されていた展示物を見たうえで、このカフェに参加することを要請されていたのだが、私は直前に急用がはいり、それを見ないで会場で発言した。だから、会場の進行とはすこし方向性が違ったかもしれない。

 次回は「震災と読書」である。このテーマも面白そうだ。私も積極的に参加できそうなテーマであるが、残念ながら、他の先約があり参加できない。

 今後、面白そうなテーマがあったら、また参加してみようと思った。

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