プロジェクト2ndオクターブ<1>はじめに
「はじめに」
プロジェクト567を継承する形で、プロジェクト2ndオクターブをスタートする。これらは以前より予見されていたものではあるが、プロジェクトの意外な展開により、2ndオクターブのスタートが早まった。
早まったばかりではなく、その持つ意味の重要性も深まった。深まった以上に、期待値もますますつのることとなった。
例によって、意味は不明。人に分かってもらう必要はない。自分ですらわからないのだから。というか、そもそも直感の産物である。ほとんど意味不明。ただ印画紙に、何事かのエネルギーを押し付けてみると、そのような陰影ができるかな、という程度。
ある次元での事象を、もう一段螺旋を上げた状態で共鳴させる。ハーモニーの産物であり、また、もちろんリズムも必要である。そして、単調ながら、メロディもついているかもしれない。しかしながら、それは、ほとんど無音に向かってフェードアウトしていくに違いない。
それは音楽なのか、音楽理論なのか、あるいは歌手なのか。はたまた作曲家なのか、指揮者なのか。おそらく、それは音楽理論にやや近いだろう。
ヘッセの、ガラス玉戯曲に近い。
となれば、それは、3rdオクターブとか4thオクターブを惹起するのか。今のところわからない。しかし、無限大には拡大展開していくことはないだろう。おそらく、2ndどまりだろう。ひょとすると、3rdまでいくかもしれないが、それはもはや3rdとは呼ばれないだろう。全てを包括していながら、何物でもない状態を意味することになるだろう。
極めて個的で、直感にみちた表現である。しかし、それは戯れではなく、現実である。真実であり、転写できない。
いくつかの事象は具体性を持ち始め、やがては周囲の中に溶けだし、ひと固まりとなりつつ、自由な形態を連続して維持するだろう。そして、いつかは気化し、無化する。
このプロジェクトは、その無化への過程の目撃者とならんとする目論見であり、記録である。確たる姿としての目標地点は持ってはいない。しかしそれは、すでに方向性と質量は持ってしまっている。
行ってみなければわからない次元というものがある。分からないからこそ行くのである。
主体となるべき存在は、ただひとつ。
あるいは、ひとつ、とさえ言えないほどの全体。
全体と言えないほどの、ほんの小さな存在。
見えない。味わえない。知らない。分からない。
さぁ、この辺で、スタートしておく。
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