「NPO法人をつくろう」―設立・申請・運営<2>
「NPO法人をつくろう」 設立・申請・運営
第3版<2>
米田 雅子 (著) 2003/08 東洋経済新報社 単行本: 251p
★★★★☆
この本を前回読んでいたのは2011/02/27のこと。実に、あの3・11東日本大震災のわずか2週間前のことであった。前後して、類書もいくつか読み込んでいる。
4年まえにかの森に入った時、直感的に必要だなと思ったのは、トイレ、インターネット、NPOだった。前者の二つはすでに、一応の解決を見ている。もちろん万全とは言い難いが、先に進める第一段階は通り過ぎたということができる。残されているのは、三番目だ。
なぜに三つの必要物を思いついたのか、は、いわくいい難し。突発的な直感だから、仕方ない。しかし、それは、私の個人的な思いだけではなく、他の人々の口からも複数でてきていることを思えば、妥当性がないわけではない。
そして、当然のごとく、この三つの他にも、必要なものは沢山ある。ひとつひとつ数え上げていったら、キリがないだろう。
今回もまた、この本を取り上げようと思ったのは、この本だけが、特別に素晴らしいとか、必要不可欠物である、という訳ではない。まぁ、タイトルは素晴らしいが、それ以上でも以下でもない。
私は自分の経済活動を法人化したのは四半世紀前のことだが、当時は法人法の改正があったり、年齢的な世代的な盛り上がりもあったりで、私の周りにはたくさんの経済法人ができた。
もちろん今でも活動している団体もあるし、すでに活動を終了しているものもある。団体を立ち上げたからすべてうまく行くというわけではないことは誰もが承知していることであり、むしろ、そんなもの不要だという意見も当然ある。
そして、経済法人は、それなりに限界があり、また利用の仕方によっては、足かせになる場合も多くあることはみんな分かった。そして、メリットも、必要性も、別段、夢に見るような世界でないことも、みんなご承知のとおりである。
しかるに、なぜ、今、この法人化の話題を持ちだすのであろうか。
それにはいくつかの理由がある。
逆に、問いをつくり直そう。エコビレッジでパーマカルチャー、という時、まず、パーマカルチャーは、ある意味、日本の在来農業の痕跡を探っているようなところがある。つまり、在来の日本の農業を再現できるなら、ある意味、パーマカルチャーである、と強弁することさえ、可能である。
そして、そのような農業の形態を地域あげて可能にするなら、それを、エコビレッジと強弁することだって、可能は可能なのである。ある意味、特段に珍しいことではない。多少のエリアと、多少の志のある人びとが存在するならば、エコビレッジでパーマカルチャー、と自称することは、そんなに難しいことではない。
つまり、珍しいことでないならば、別段に旗をなびかせて、ノロシを上げるようなおどろおどろしい作業は必要ない。ごくごく当たり前に、自らのライフスタイルを楽しめばいいのだ。それにつきる。
だから、結局は、私(たち)は、エコビレッジをやりたくてやるのでもなく、パーマカルチャーをやりたくてやるのでもなさそうなのである。それは、仮の姿だ。エコビレッジを標榜したり、パーマカルチャーを実践したり、ということが最終目的ではないのだ。
では、何をやりたいのか、という元の問いに戻る。
そう、問題は「何をやりたいのか」、なのである。
何をやりたいのかは、個人個人でそれぞれに夢をお持ちだろう。私にもある。そして私は私の人生をかけて、だいたいのところは完成させた。もちろん、他の人から見れば、なんだそんなことと言われそうなごく当たり前のことであるし、また、大仰に広言すべきことでもない。
それは各人あるだろう。で、私がやりたいのは、ここから先のことなのだ。「個」を超えた向こうにある「共」、みんなと力を合わせて、一人ではとてもとても出来なかったであろうことをやりたいのである。つまり、個を超えて、たくさんの人々と繋がりたいのだ。
ここでまた、逆説的な言い方になるが、たくさんの人々と繋がるのであれば、なんでも良さそうだ。皆と繋がって、綱引きをやるのもいいだろうし、それこそサッカー場や野球場に集まって、ひいきのチームを応援するのもいいだろう。それもまた、沢山の人々とつながる<共>であろう。
しかし、それは本当に、この私がやりたいことではない。すでに誰かがやっていることだろうし、それはそれで面白そうではあるが、私自身が究極的に、したいなぁ、と思っていることではない。
つまり、私は何をやりたいのか、ということが最初の始まりだ。そしてそれは私個人ではなく、他の人々と一緒になにかやりたい、と思った時の、私(たち)の夢についての表明なのである。
正直言えば、それはNPOという形である必要は当然ない。他の別な形、別な目的で構わない。最終的にはまったく別のものになってしまっても構ないし、もっと言うなら、それは別段に最終的な完成などしなくてもいい。達成なんかしなくてもいいのだ。
さぁ、ここまで開き直れば、あとはもうぶっちゃけだ。
リアリティとして、エコビレッジでパーマカルチャーを、と言った時、すぐ必然的にNPOというひと連なりの言葉としてでてくるのは私ばかりではないようだ。
このNPOというフォーマットに、自分たちの夢を文章化し、成文化し、公共化し、落とし込んでみる、その作業が必要なのではないか、という直感である。みんなはどのような夢を持っているのであろうか。それを聞いてみたいが、また、自分の夢も語ってみたい。夢に言葉を与えてあげる。その一環として、「NPO法人をつくろう」というテーマを取り上げてみたいのである。
つづく、だろう、か。
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