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2014/12/17

「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに 青柳 純一編訳・著

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「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに
青柳 純一(編訳・著)  2014/04 三一書房 単行本 ソフトカバー 240ページ
Total No.3356★★★★☆

 当ブログが本著をメモしておこうと思った縁は三つある。一つは、編訳著者である青柳氏の近著であるということ。著者は、かつてからの「活動家」であり、私が一番最初にべ平連のフランスデモに参加した時の、先導者だった。著者当時20歳の学生だった。

  カマボコ車の上から、中央署の署長(といういうか私の高校のクラスメートの父親だった)が大きなスピーカーで、「アオヤギくん、ただちに学生諸君を解散させなさい!」と怒鳴った。

 その時、彼は、先頭を歩いていたのだがやおら振り返り、例によって、口角に泡を浮かべながら、「私たちは、個人個人の集まりです。私に解散させる権利はありませ~~ん!」と手に持ったハンドマイクで怒鳴り返したのだった。

 それ以来、彼が主宰した集まりにも何回か出たし、彼の活動はそれとなく何時も伝わってきた。その彼ら夫妻が、関西に移動し、韓国語を学び、韓国に長く滞在し、多くの翻訳書を出版している、ということを聞き及んでいた。当ブログでも、「私は韓国を変える」(盧武鉉 著 青柳純一・青柳優子訳2003 )や「韓国現代史  これだけは知っておきたい」(青柳純一 2004)にメモしてある。

 本来であれば、夫人が翻訳した「朝鮮文学の知性・金起林」青柳優子編訳・著 新幹社 2009)を先にメモしておこうかな、と思っていたのだが、日程上、こちらが先になってしまった。いずれにせよ、この人たちの人生をかけた仕事にまずは注目しておきたい、というのが一つ目の縁である。

 二つ目は、一つ目と重なるが、「日韓」あるいは「韓日」問題についてである。私はこの問題についてはあまり詳しくないのだが、最近、韓国についての話題をよく目にする。それは、かつてからカウンターカルチャーに関わる人々、特にフリープレスに関わってきた人たちが、この秋に韓国であった、平和を祈る祭典に参加したニュースが見聞されるからだ。

 かつての旧友たちが、列をなして韓国に渡っていることのきっかけや経緯について、ほとんど知らない。気にはなったが、はてどういうことなのか、いつか分かるだろう、程度の問題意識である。

 しかし、たまたまSNSで韓国籍の人と友人になることも多くなった。何時までも、知りません、知りたくありません、でいることはできないだろう。知れる範囲では知っておかなければならない。その程度の問題意識ではあるのだが、まずは重い腰を上げよう、ということである。

 三つ目は、「被ばく者」としての、3・11後の自分と、第二次世界大戦中の広島や長崎における被ばく者たちとの類似点を見つめることができるのか、どうか、というところにある。3・11における被ばく問題は、今のところ、まったく何も解決していない。探れば探るほど、問題の裾野の大きさに驚いて、飛びのいてしまうくらいだ。

 しかし、子々孫々にわたる大問題として、このテーマもキチンと注視していかなければならない重要なポイントなのだ。この本は、普段はあまり当ブログでは読みこまないジャンルの本ではあるが、そのような点から、まずはメモを残しておこう、と思った。

 本著の主人公・金亨律は1970年、韓国釜山に生れる。彼の母親は1940年に広島に生れ、45年に爆心地より3キロで被ばくし、韓国に帰国後、結婚した。彼は一卵性双生児の弟で、もう一人は一歳半で亡くなった。幼少のころから病弱で、1995年になって、精密検査の結果、原爆後遺症とわかった。そのことを韓国社会で公表し、支援の輪が広がった。T技術者として勤務するも、2005年に亡くなった。享年34歳。

 フクシマ後の世界で、金亨律の「人権中心の反核・平和運動」は新たな照明を浴びてしかるべきだと思う。人権とは、人間本来の存在論的な弱さに基づいている。人間の幸福は多様な姿を見せるであろうが、少なくとも悲惨さだけは共通している。

 人間が身体をもった有限な存在である限り、私たちの生命を奪う環境的な災難に対して私たちみなが弱いと言わざるを得ない。

 実際、誰でも核の悲劇が招く惨状から自由ではありえないという自覚、したがって支配権力化した科学技術から人間の普遍的な健康権と生命権を守らねばならないという意識こそ、新しい反核、脱核運動の基礎である。

 ヒロシマとナガサキ、チェルノブイリとフクシマという大惨事を通じ、「平和のための核」などというものは世界中のどこにも存在しないことにようやく気づきはじめた私たちにとって、金亨律は常に枯れることのない「生(いのち)の源泉」なのである。p222 「金亨律の遺志を継ぐ人々」

 私には、これらの問題点について炯々に語る力はない。ただただ、このような問題があるのだ、ということを認識するに留まる。主人公と編訳著者が、生前より交流があり、それぞれの立場から、これらの記録としてこの本が生まれた経緯については理解した。

 さて、これらの問題があることを理解しつつ、私はどの立ち位置からこの問題を見つめればいいのだろうか。私はこのような場合、自らを日本人としてとらえることはできない。日本人としての義務とか、責任とか、感じることはできない。もちろん、主人公が、どこか国籍の違う人であることによって、別な価値観に則って生きているとも思えない。

 基本は、人間であり、あえて言うなら、互いを、今この地球に生きる地球人同士として見つめることしかできない。そして、共通の課題として、核の問題や、国境の問題、戦争の問題などを、同じ立場から見続けることしか出来ないのでないか、と思う。

 そのような意味において、私には、貴重な、稀有な一冊である。

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