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2014/12/17

「朝鮮文学の知性・金起林」青柳 優子(編訳・著)<1>

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「朝鮮文学の知性・金起林」 <1>
青柳 優子(著) 2009/12 新幹社 単行本 単行本: 278ページ
Total No.3357★★★★☆

 贈本である。いただいておきながら、なかなか読む機会がなく、メモすることも後回しになっていた。たまたま夫君の青柳純一氏編訳著の「被ばく者差別をこえて生きる」韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)とともに(2014/04 三一書房)に触れることができ、その流れで、こちらもメモしておくことにする。

 読み始めたのは、もうちょっと前で、それでもいただいてからだいぶ時間が経過してしまっていた。いただいたのは2010/11。近くの大型文具店で、ばったりと夫妻と出会った。おや、なんという奇遇な。おそらく35年ぶりくらいであった。

 場所を近くの茶店に移し、おそらく数時間お互いの近況を語り合った。年齢的には私の3~5歳上。兄貴姉貴格である。その「活動歴」は、さらにその年齢差に輪をかけて大きい。見方によれば、遠くから仰ぎ見る存在のお二人である。

 この贈本からまもなくして、東日本大震災3・11が起こった。読書どころの生活ではなくなって、この本についても、読む機会が遅れてしまった。遅れてしまったのは、「文学」であり、「朝鮮」であり、「本」である、という状況も重なった。

 おそらく、この作品が写真とか歌とか動画などであれば、こちらの気力が充実しないまま、それとなく観賞することもできたであろう。あるいは、もっとくだけたエッセイだとか、小話程度のことなら、もっと気軽に開いたかもしれない。

 ましてや「朝鮮」とくると、なかなか気が重い。そこには、「アメリカ文学」とか、「中国文学」とかいうのと違う、なにか短刀を突き付けられるような「怖さ」がある。私自身個人は、別段に記憶もなく、当然罪悪感もないのであるが、「朝鮮」という言葉をつきつけられると、なんだか急にこちらが過去に犯した犯罪を糾弾されるのではないか、と身構えてしまう。

 おかしな話だが、そのような条件反射がある。それは、私が日本「民族」に属しているからであり、朝鮮「民族」からの「糾弾」をモロに受けてしまう、というような構図が目に浮かぶからである。

 私自身は、朝鮮民族の方々との接触は限りなく少ない。かつて生まれた村の一番片隅にあった家の裏に、その方々が住んでいた住居があった。もともと裕福とは思えない一家の、さらの裏にあった家だから、3~5歳程度の私の目にも、表現は悪いが、暗い、あばら家のようにしか見えなかった。

 その方々は廃品回収業をされていたようだったし、子供も私と同年輩で2~3人いたように思うが、ほんの数年しか一緒に遊ばなかったと思う。何年かすると、その方々はいなくなった。キチンと聞いた訳ではないが、おそらく、本国に帰られたのだと思う。昭和30年代初期のことである。

 もう一つの記憶は、同学年生に、たしかヤスダ君という方がいた。駅前の焼き肉とかパチンコ屋を経営していた人の子供だったと思う。残念ながら、私は彼とは一緒のクラスになることはなかったので、名前はチラと知ってはいたが、どういう少年だったのかは分からないままだった。

 後年、ずっとずっと後になってからのことだが、同学年のクラス会などで、昔話に花が咲き、彼は朝鮮人で、10代の中ごろには本国に帰国した、と聞いた時には、なるほど、そうだったのか、と一人納得したことがある。

 東北の片田舎にいて、私自身は、幸か不幸か、差別した記憶も、差別された記憶も、あまりない。すくなくとも民族間の対立などというものを、肌身で感じたことはない。だから、どうもこのような、あえて「朝鮮」と銘打つ文学に、長く関わる契機がない。

 その手早い裁縫師の歳月も
 海の顔には皺を寄せることはできないのです。

 時間が駆けていく大陸を嘲笑う
 海の果てしない笑い声
 萎れた私の三十年がさざえのように恥ずかしいのです。
 p58「菖蒲田海水浴場」

 開いてみれば、この本、それほど怖い本ではなかった。簡単な詩もだいぶ収容されている。1908年生まれの主人公28歳の時には、当地の大学に入学して下宿したようだ。だから、当地の地名が読みこまれた詩も収録されている。どこかに接点があるはずである。

 金起林を拉致したのは、開戦以前に覇権されて活動していた北の人民政治保衛部出身の機関員だったというが、北に連行された八月下旬以後の金起林の行方や動静に関し、現在まで公式に確認されたものは全くない。

 だが、1953年7月停戦後の韓国政府は、「北に同調した越北者・金起林」と規定し、学校教材を含むすべての書籍から彼の名前を完全に削除した。

 それ以来、韓国における文学史研究の必要に際して文学雑誌のコピーにある彼の名前は、「金○林」あるいは「金起○」と伏せ字にされた。こうして朝鮮文学の知性を代表する金起林の存在は人々の記憶から消えていったのである。p230「金起林の生涯」

 ひも解いて行けば、なかなか大変な人生を送った人物のようであり、その生涯を追いかけてみることは極めて意義あることのようではあるが、容易ではなさそうだ。

 今は、このような本があり、このような本に関わっている友人があり、その本を一冊いただいていたのだった、ということをメモしておくに留まる。

<2>につづく

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