「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る<14>
「ダイヤモンド・スートラ」 - OSHO 金剛般若経を語る
<14>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 翻訳 1986/03 めるくまーる社 単行本 p739
★★★★★
ニュートンが私に残した一冊Osho「ダイヤモンド・スートラ」で、このカテゴリを締めるのがもっともふさわしかろう。「時の葦舟」三部作、その第一巻は「絆の都」であった。ここは終わりではない。ここがスタートなのである。
一瞬一瞬が、ちょうど息のように、生じている
あなたは息を吸い、息を吐き出す
ひとつひとつの吸う息が生であり、ひとつひとつの吐く息が死だ
あなたは息をすうたびに生れ、息を吐くたびに死ぬ
一瞬一瞬をして生と死たらしめるがいい
そうすればあなたは新しくなる
この新しいものはあなたの過去、指向、衝動とはなんの関係もない
それは臨機応変に行動するはずだ
それは反応(リアクション)ではなくて対応(リスポンス)だ
過去をもとに為されたことはすべて古い
そのために人は自分だけでは何ひとつ新しいことができない
それを見ることは、古いもの、過去、自分自身と手を切ることだ
私たちにできることはただそれだけだ
だがそれが全部だ、それがすべてだ
古いものが終わるとすぐに、新しいものが続くかもしれないし、続かないかもしれない
それはたいした問題ではない
新しいものに対する願望そのものが古い願望だ
そのときには人は全く開放的(オープン)になる
新しいものを求めることさえ古い願望だp213「<彼方>から」
「絆の都」カテゴリの最後の一冊はこれ。すでに何度も何度も読んでいる。前回は、講話の部分だけを読みとおした。今回は、Q&Aだけを読んで、最後のメモを残そうと思っていた。
しかし、Oshoの前にあっては、そのようなはからいはつねに破綻する。ここからここまでが一区切りということはない。たしかに本はそうできていて、それをひと固まりのものとして、区切り区切りで読みつなぐことはできる。
だが、そうはならないのは、いつものOsho本の読書である。
それでも、随分この講話も読み進んだ。長く手元にありながら、それほど精読したことはなかった。もしニュートンこと石川裕人が、この一冊を、彼の蔵書として残さなかったら、私は今回読みなおしもしなかっただろうし、カテゴリ名にもしなかっただろうし、メモもしなかっただろう。
何かを機会をとらえて、何回も何回も、元に戻されるのがOshoの世界である。
この「私」がおそれている、ほんとうのあなたではない
存在(ビーイング)は恐怖をもたない
だが自我(エゴ)は恐怖をもつ
なぜなら自我(エゴ)は死ぬことを非常に恐れているからだ
自我(エゴ)は人工的なもの、かってにつくられたもの、組み合されたものだ
それはいつでもばらばらになりうる
そして新しいものが入ってくるとき、恐怖がある
自我(エゴ)はおそれる
ばらばらになるかもしれないからだ
それはどうにか自分を繋ぎ合わせよう、自分をひとつの塊に保とうとしてきた
そしていまや何か新しいものがやってきている
それはめちゃめちゃするものだ
だからあなたは新しいものを喜びをもって受いれない
自我(エゴ)は自分が死ぬのを喜びをもって受けいれることはできない
どうして自我(エゴ)に、自分自身の死を喜んで受けいれることができようp215同上
おそらく、この講話を「読み終わる」ということはないのだ。たしかに字面を追い、最後のページに辿り着き、裏表紙を閉じることはあり得る。いや、もう何度もそうしてきた。
しかしながら、それは「読み終わった」ということを意味しない。読んでいる、のであって、読み終わることはない。
このメモで、このカテゴリは終わりだが、まだ本の最後の頁までは辿り着かない。最後まで辿り着かないが、本の途中で終わることもあり得るだろう。いつの日か、もうこの本は読まなくてもいい、と感じる日がくるかもしれない。
そう言った意味においては、まだこの本を読み終わってはいない。
そしてまた、この本は、ある意味、何処から読んでもいいのだ。少なくとも全体的に、字面には、どこにどんなことが書いてあるか、ざっと把握した段階で、読みだすのは、別に最初の第一ページからじゃなくても構わない。
そして、そういう意味においては、今、この本をようやく読み始めた、と言うことだって、可能なのだ。
自分は自我(エゴ)ではないということを理解しないかぎり
あなたは新しいものを受けいれることはできない
ひとたびあなたがこのことを見たら・・・・
自我(エゴ)はあなたの過去の記憶で、それ以上の何ものでもないということ
あなたはあなたの記憶ではないということ
記憶はちょうど生体計算機(バイオ・コンピューター)のようなものだということ
それは実用的な機械、機構だということを・・・・
だがあなたはそれを超えている
あなたは意識だ、記憶ではない
記憶は意識の中身だ
あなたは意識そのものだp216同上
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