「災害ユートピア」―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか レベッカ・ソルニット<2>
「災害ユートピア」―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
<2>
レベッカ・ソルニット (著), Rebecca Solnit (原著), 高月 園子 (翻訳) 2010/12亜紀書房 単行本: 440p
★★☆☆☆
「てつがくカフェ」の次回のテーマは「災害ユートピア」である。直接関係はなかろうが、この本の存在を思い出さずにはいられない。
てつがくカフェは過去二回しか参加していない。
第9回「震災を読み解くために」課題図書 ジャン=リュック・ナンシー著『フクシマの後で 破局・技術・民主主義』(2014/01/25)
第39回「震災とメディア技術」(2014/11/30)。
それぞれレポートはしておいた。
災害ユートピアという言葉は当然ながら日本語であり、翻訳とは言え、意訳である。日本語における違和感と共に、その言葉に触れる者に対する挑発感がある。
「災害」とはなにか。定義はともかく、私にとっては、3・11をはずしては災害はあり得ない。あの災害こそが災害であり、時代を大きく画してしまった重大事件であった。阪神淡路とか、利尻島の津波とか、やはり遠いところにおいての災害はよくわからないことが多い。ましてや外国のことなどは。
そして、「ユートピア」とは何か。この本においてはユートピアではなく、パラダイスという単語が使われている。パラダイスとは「楽園」という意味だから、より具体的な南国のリゾートなイメージが湧いてくる。それに対するユートピアは、そもそもが「あり得ない世界」という意味だから、夢想的な、漠としたイメージのことである。
この本においても、また、次回のてつがくカフェにおいても「ユートピア」という単語が採用されている。私は基本、そのことについては賛成である。
震災直後には、普段みたことがない風景をたくさんみた。たくさんありすぎて書ききれない。その中でも、ひとつ上げるとすると、ある被災者たちの収容されている体育館の駐車場を、ベントレーが走り回っていた風景を思い出す。
ベントレーは言わずと知れたロールスロイスの兄弟車である。運転手つきの人はロールスロイスの後ろの座席にふんぞり返り、自分で運転する人は、ベントレーをセダン車のように乗りまわす。いずれにしても世界に冠たる高級車である。普段なら東北の片田舎で見かけるような車ではない。
私は、この車の挙動を見ていて、「災害パラダイス」という単語さえ頭に浮かべてみた。この車は被災地のボランティアにあたっている車であり、 実際にはこの車がどのような経緯でここに来たのかは知らない。しかし、私の目には、まるで「災害」を「愉しんで」いるようにさえ思えたのだった。
ひょっとすると、年々増え続ける災害の現場に、毎回駆け付けて、このような活動を行っている車なのかもしれない。このような人々にとっては、災害の現場こそ、自分達の義侠心を満足させてくれる、「楽しい」パラダイスかもしれない、などと勝手に想像してみた。
それに対する「災害ユートピア」は、飛躍のうえに更に飛躍していうなら、今、私たちが進行させようとしている森の生活、あるいは「エコビレッジでパーマカルチャー」のようなプロジェクトが対応するのではないか、と思う。
普段ならできないことが、あるきっかけにおいてすんなりできてしまう。あるいは、そのきっかけにおいて、あらためてその有用性が顕わになってきた、何かのプロジェクトのようなもの、とも言えるかも知れない。
ここはちょっと端折りすぎで、急ぎ過ぎている。災害ユートピアとは、避難所などにおける、普段ではみられないような譲り合いや相互扶助のことをいうのだとは分かるが、それは、まだ受け身の、呉越同舟という打算が働いているように思う。
災害ユートピア
震災から4年近く経とうとしている今、私たちは「あの時」を名付けることができるようになったでしょうか。今回は、震災直後の他者との関係性を思い出しながら対話を行います。
たとえば、レベッカ・ソルニットは著書「災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」(亜紀書房2010年)の中で「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりをしめす。」と書いています。
共感する方もあれば、憤りに近い反感を覚える方もいらっしゃると思います。ある人は、震災直後に避難所だけでなく街の至るところで、他人と家族のように助け合ったり、気を遣い合ったりしたかもしれません。
一方で、助け合いがうまくいかなかったり、声をあげられずに孤立したり、あるいは危険な目に遭ったりした方の話も耳にします。
また、「災害ユートピア」と指摘される状況があったとすれば、今はどうでしょうか。確かに、あの時を契機に新しいコミュニティのあり方が続いている場所もあるかと思います。ただ、映像作品<3・11東日本大震災後の仙台市内の扉の景色>からもその変化がわかるように、日が経つにつれ私たちは再びばらばらになっていった感覚もあります。
この対話では、”災害ユートピア”という語の解釈や賛否についての討論はしません。この語が震災時の地域の状況を指す言葉のひとつとして使われた事実を参考にしつつ、今いちど震災直後の他者との距離感を、私たちの言葉で少しずつ語り直します。
今もまだ適切な言葉を見つけられないかもしれませんが、それ自体を含めて問いかけて行きます。房内まどか(てつがくカフェ@せんだい) パンフレット案内より
時間があったら行ってみよう。そして私自身の言葉をもうすこし手繰ってみよう。
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