「タイニーハウス」―小さな家が思想を持った レスター・ウォーカー<2>
「タイニーハウス」―小さな家が思想を持った
ワールド・ムック―Living spheres <2>
レスター・ウォーカー(著), 玉井 一匡、山本 草介 2002/08 ワールドフォトプレス ムック:
223p ★★★★★
現在のカテゴリ「絆の都」も、あと残すところ三冊をメモするばかりとなった。何を残そうかと考えた結果、同時に「再読したいこのカテゴリこの三冊」を同時に思案していたこともあり、この三冊で決めることにした。
「絆の都」は畏友・石川裕人<畢竟の三部作>「時の葦舟」の第一部から借りている。「絆の都」→「蒼穹のアリア」→「さすらいの夏休み」の三部で、全体が「時の葦舟」というタイトルになっている。
これら4つのネーミングはすでに当ブログのカテゴリ名として使用済みである。必ずしも、演劇と当ブログの内容はクロスしないが、常に私は、彼の作品を頭に入れて、メモし続けてきた。
クロスしたかしなかったかは、読み方の違いによる。
さて、そういった意味において、「絆の都」の終盤において、まずはここに登場するのは「タイニーハウス」である。そもそもは「可笑しな小屋」居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒 ジェィン・フィールド=ルイス(2013/12 二見書房)のバーナード・ショーの小屋に見とれていたのだが、この「タイニーハウス」において、更なる見取り図がついていたりしたことが大きかった。
このカテゴリ内でも例えば坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる」(2013/08 集英社新書)などもめくってはみたが、必ずしも、タイニーとは廉価を意味するものではない。むしろ、タイニーに比較すると、何々円と表記することの卑屈さが、ますます鼻について、嫌いになった。
佐々木俊尚 「仕事するのにオフィスはいらない」 ノマドワーキングのすすめ(2009/07 光文社) も、面白くないわけじゃないが、すでに、零細とはいうもののオフィスを持っているものにとっては、あんまり意味をなさない。
ことほど左様に、本当のことを言えば、アメリカを中心とするタイニーハウス・ブームも、第一ハウスを持っている人間が、第二のハウスとしてタイニーハウスを持とうとするのは、どこかコンセプトエラーのようである。
昨日、ある造園業の社長と話していた。すでに古希を迎える彼は実に働き者だ。私は十代の時に、まだ30そこそこの彼の事業所でよくアルバイトをさせてもらった。私ばかりか私の主だった友人たちも、だいぶ彼のところでアルバイトをした。40年来付き合いのある懐かしい人々である。
その彼が、何回かに建てた事業所を今回売却することになったという。すでに従業員も減らして、来月からは一人でやるという。え?何処で?と聞いたら、なんと、スキー場の麓の山中にすでに300坪の土地を確保しているという。あらあら、立派な自宅の他に、さらに別荘地も獲得していたのか。
300坪の土地はともかくとして、小屋は、6畳ほどのコンテナハウス、これを事務所にするというが、電話をつけたり、水道を引いたりするかどうかはまだ決めていないという。
残った資材の置き場としては20坪ほどの電柱骨組みの小屋を建ててあるという。さすがに準備がいい社長のことである。
しかしまぁ、なんとも手回しがいい。山中とは言え、その土地は宅地になっているそうで、本格的な建築も可能なのだ。一人息子も、立派に成長したので、本当は悠々自適の身なのだが、息子には「死に水を取ってくれれば、それでいい」と言ってあるらしい。
私はその土地はまだ未訪問だが、近いうちに訪問することになるだろう。風が強いところらしく、また雪も積もる。決して、住宅や事務所に最適とは言い難い土地ではあるが、結局、彼があれだけ一生懸命働いて残ったのは、自宅と息子とそのタイニーハウスである。
この人生、このハウスには、どこか必然性があるなぁ、と思う。私なんぞは、基本、働き者ではないので、今から、そんなに立派な環境を揃えることなどできないが、ホント、うらやましい。
あるいは、人生って、やればできるんだな、と思ったのだった。そう思ったのは、実は、他に研修会もあり、なるほど、人生捨てたもんじゃないなぁ、と感慨に耽っていたせいでもある。
それでまぁ、この「タイニーハウス」に戻るが、なにかの流行や奇をてらっているのではなく、必然の中で、このように、質素に、簡単に、頑丈で、必要最小限の住居スペースが作れるよ、というのがこの本なのであった。
家そのものは、そもそも「思想」なのである。どのような住まいをするかは、その人のなりを表わすのだ。
思えば、私の自宅も、実にタイニーハウスである。細々と、本当に必要に迫られて作った住まいである。あれもしたいこれもしたい、と思いつつ、結局はこれでいいじゃないか、という妥協の産物とも言える拙宅ではあるが、小さきながらも楽しき我が家ではないか。
私はこの本を読みながら、正直言って、吾唯足知の境地であった。これでいいじゃん。ここで遊んでいければ、別に、あれやこれやと思いをあちこちに飛ばす必要もない。
そもそもタイニーなんだから、タイニーを極めればいいじゃないか、と、ある種の諦めではあるが、ふと落ち着いた心境になったのであった。そういった意味において、本書は面白かった。
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