「災害ユートピア?」 てつがくカフェ第41回 せんだいメディアテーク
「災害ユートピア」―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
<3>
レベッカ・ソルニット (著), Rebecca Solnit (原著), 高月 園子 (翻訳) 2010/12亜紀書房 単行本: 440p
★★☆☆☆
てつがくカフェ 41回
「災害ユートピア?」
smt仙台メディアテーク 2015/01/18
7Fスタジオ
1)行ってきました。今回は私が一番の高齢者だったかもしれない。若い女性が多かった。20代、30代が中心か。若い男性も結構いて、このタイトルは、若い人向けかな、と思った。
2)しかし、若い人たちはこのコンセプトには割と辛口に対応していた。今回も色々な意見が聞けて極めて有意義だった。他の人々の意見もともかくとして、以下は会場で、私が話した(話したかった)内容のまとめ。
3)災害ユートピアというけれど、原書ではパラダイスという言葉が使われており、厳密にいうと違う。しかし、今回は語義にこだわらないということなので、このポイントは軽くスルーする。
4)会場には、仙台以外で被災した人たちが多かったので、私自身はこの会場からほんの数百メートル離れた新築の高層ビルで3・11を迎えたことを話した。四角い箱の会議室で、落ちるものなど何もない空間での「被災」であった。
5)他の人の「備えあれば憂いなし」という発言に、私は、その空間で、リスクマネージャー達と、地震保険のことについて研修していたことを話した。地震保険など、亡くなってしまった人にとっては何の役にも立たないが、もしもっと加入率が高ければ、災害住宅からもっと多くの人が、もっと早く出ることができたのではないか。
6)他の地域で被災した出席者から、仙台でどういう状況があったのか話して欲しいという発言からあったので、私は、一例として、あすと長町にある被災者住宅の集会所で、劇団オクトパスの、宮澤賢治をモチーフとした演劇の上演があり、その時の風景について話した。
7)宮沢賢治は、厳しい岩手県の自然をイーハトーブと幻視していたし、仙台のことをセンダードと名付けていたことに触れ、私は、あの3・11における「災害ユートピア」を、「センダード2011」と名付けている、と話した。
8)問いかけとして、言葉を作るとしたら、という設問に、私は「災害ユートピアはいつまで続くのか?」という提案をした。そもそも災害ユートピアはあったのか、あったが、それはすぐに消えてしまったのか。あるいは今でも続いているのか。そしてそれはいつまで続くのか、という問いかけである。
9)今日NHKテレビで福島の川内村のドキュメンタリー番組があり、それに友人もでたようだ。原発から30キロで、高線量の状態が続いているかつての農業コミューンが、今、新たな意味を持ち始めているのではないか。色々な角度から「災害ユートピア」との対比で見てみるのも大事なことだろう。
10)そもそもテーマそのものがキチンと規定されていなかったので、全体としては漠然とした体験や意見の羅列になりがちだった。それでも、こういう切り口で、それぞれの意見を聞いてみることは貴重なことであると感じた。今後も機会があれば、ぜひ参加してみたい。
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