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2015/01/16

「シルクスクリーン」材料・ステンシルの作り方・多色刷・乾燥 植田理邦

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「シルクスクリーン」材料・ステンシルの作り方・多色刷・乾燥
植田理邦 1970/06 美術出版社 ハードカバー p102
Total No.3372★★★★★

 シルクスクリーンの夢を見た。ふと茶の間に戻ったら、なんと家族が茶の間のテーブルで、何事もなさそうな顔でシルクスクリーン印刷をしているのである。え~、まさか、こんな茶の間でやっていいの!とびっくりしているうちに目が覚めた。

 いや~、シルクスクリーンの夢は60年間生きてきて初めて見た。若い時分、インドに行く前に勤めていた印刷所の夢は良く見る。定番である。定番というより、私が見る夢の中では一番回数が多いかもしれない。

 私はあの印刷所が大好きだった。あの社長も大好きだったな。子供がない夫婦だったから、あのまま私があそこに居座ることができたら、ひょっとすると、あそこを引き継いで、今でも印刷所をやっているのではないだろうか、とさえ思う。

 夢の内容は、毎回バージョンが変わっており、工場の中の機械の配置やスタッフも違う。でも、一階建てで、ちょっと古びているというのは何時も同じだ。大体は、会社を一回やめて、また戻ってきたので、みなさんよろしく、とスタッフに挨拶まわりする、というのが大体のストーリーである。

 ところが、シルクスクリーンの夢は一回も見たことがない。大体が、印刷所に勤めるよりさらに4年前に、見よう見まねで始めたのがミニコミ雑誌「時空間」の表紙であった。私がどこからシルクスクリーンという言葉を覚えてきたか、今では定かではないが、とにかくミニコミを作るならガリ版の中身とシルクスクリーンの表紙、という組み合わせにしたいと思っていたのだ。

Jkk1        「時空間」創刊号1972/11

 出来上がったのはこの表紙。悪戦苦闘した。参考にしたのはこの美術出版社のマニュアル本「シルクスクリーン」一冊。ただ、この創刊号に、私の技術は間に合わなかった。実は、この「時空間」のタイトルの楕円の中は金色に染まる予定だった。

 このタイトルのロゴは、当時先端を行っていた「新宿プレイマップ」に影響受けていた。そもそもがシルクスクリーンのまったくのシロートなのに、最初から金粉を混ぜたインクを使うことが無理だったのだ。

 若葉マークは、ちょうどそのころスタートしたばかりで、初心者マークと創刊号をかけたアイディアだった。もちろん、この若葉マークもシルクでやる予定だったのだが、できなかった。時間があれば、もうすこし頑張れたのかもしれないが、まったく時間切れで、結局は、この若葉マークは一冊一冊、手で色を塗ったのだった。

Jkk2                「時空間」2号 1973/01 

 季刊誌を目ざしていたので、創刊2号は1973年1月。念願の金色のインクで印刷はしたものの、インクの濃さの調節がうまくいかず、どろどろのスタートだった。それでも、これが私のシルクスクリーンの最初の作品なのである。

 デザインは、当時は確かビートルズのレコードのジャケットから借りてきたように記憶しているのだが、今となっては何のレコードだったのか、自分でも定かではない。いずれにせよ、手作りの木枠にナイロンの布を使い、インクも専用でないものを使った、実におどおどしいスタートであった。

Jjk3                「時空間」3号 1973/04

 あまり上手に出来なかったので、3号は、れおんの作品となった。「時空間」というタイトルもリライトされた。これはタイトルだけがシルクスクリーンでで他は謄写版である。なかなかのセンスだなぁ、と思う。

Jjk4         「時空間」4号 1973/07

 4号ともなると、他のポスターなども作っていたりしたので、私自信だいぶ印刷そのものになれてきて、デザインにも気を配る余裕がでてきた。まったく稚拙ではあるが、私はこのデザインが大好きなのである。

Jkk5         「時空間」5号 1973/11

 5号は、流峰が表紙作成した。タイトルは謄写版で、白インクを使った。その頃は誰が何を担当ということが決まっていなかったので、表紙も当番制であった。

Jkk6         「時空間」6号 1974/02

 6号も、れおんが全部謄写版で印刷した。シルクスクリーンはまだまだ私たちの手には負えなかった。

Jkk7         「時空間」7号 1974/05

 7号も、れおんの作品。この頃になると、シルクの方法がなんとなく確立していった時期であった。このままいけば、表紙の担当は、れおんになったかもしれない。だが、彼は東京に在住していたので、編集のたびに一ケ月仙台に戻ってくるのは、この後、大変になった。

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 結局そのご8号から12号までの5号分は私が表紙を担当した。色ラシャ紙を使い、シルクで二色、その上から謄写版で黒を入れると、結構カラフルなデザインができるのであった。

 今考えてみると、実に毎号々々葛藤の連続であった。失敗の連続であったとも言える。私は、この「時空間」の12号、実質的な休刊号を最後に、シルクスクリーン印刷をしたことはない。

 しかし、当時私たちのコミューンの仲間であるサキが独自に写真製版を始め、ニュートンの芝居のポスターなどを手がけるようになり、かなり腕を上げた。そして、その後、その技術は芝居仲間の若い女性の手に移り、あれ以降、その彼女は30年ほどプロのシルク屋として活躍している。

 ビートルズに「サージェント・ペーパー・ロンリ―ハート・クラブ・バンド」という名盤があるとすれば、私たちの拙い青春の最高峰は、第10号の「南無飛行少年命」だろう、と私は勝手に思っている。ははは、変な喩え・・・(笑)

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