「デジタル・ワビサビのすすめ」 「大人の文化」を取り戻せ たくき よしみつ
「デジタル・ワビサビのすすめ」 「大人の文化」を取り戻せ
たくき よしみつ(著) 2014/04 講談社 新書: 240ページ
Total No.3363★★★★★
著者とはネット繋がりである。著者の本はほかに何冊か読んだ。「テレビが言えない地デジの正体」(2009/09 ベストセラーズ)には痛く共感した。その後「裸のフクシマ」 原発30km圏内で暮らす(2011/10 講談社)や、「3・11後を生きるきみたちへ」 福島からのメッセージ(2012/04 岩波書店)を読み、ネットで著者を発見して、ネット繋がりになってもらった。
1955年福島生まれということだから、私とほとんど同時の人生を東北からスタートしたことになる。音楽や文章の才があり、何かの賞を取られて、早くから文壇などで活躍してきた人でもある。
それとなく著者の書込みなどを拝見しているのだが、共感すべきことが多く、なるほど、と、うなづくことが多い。
この方と共通の友人がどれだけいるのだろうと見てみると、あるSNSではたった一人しかいなかった。ほへー。この方は、私の感性に近いのだが、まったく別な空間やネットワークで暮らしているのか、と、びっくりする。
この本のタイトルとなってい「ワビサビ」についてだが、当ブログのボキャブラリーとしてはこれまで数回しか登場していない。
この方の「視点」は、なかなか絶妙なのである。この「視点」や「感性」をこそ、いわゆる「デジタル・ワビサビ」というなら、私は大賛成だ。我が意を得たり、とさえ叫びたくなる部分が多い。
ツイッター上で「ジョブズが愛した日本のわびさびは、先端的なクリエーターとは親和性がある美学だが、日本の大企業だけが気づいていないようだね」とつぶやいていた人がいた。確かに、ワビサビの本家である日本は、技術という手段よりも大切なもの---美学や哲学、魂を忘れているのではないかと思わざるを得ない。p140「ワビサビを忘れた日本がジョブズに負けた」
ZENや京都の古寺を愛したジョブズだったが、それをデジタル・ワビサビと表現してしまうことには、多少の違和感があるが、著者の言わんとすることはよ~~くわかる。
私はいまもスマホを使っていない。それは「ガラケーで間に合っている」からではなく「スマホに変えたほうが不便だと思うからだ。
私は通勤していないし、都会に住んでいないから、かなり特殊なライフスタイルかもしれないが、世の中には私と同じように「スマホよりガラケーのほうが都合がいい」人は結構いるはずである。p143「スマホがなくても大丈夫」
昔、デジタルを嫌って「アナログ親父」を自称する中老年が輩出したが、この方は、デジタルの時代性についてはかなり先端を理解している。パソコン雑誌の記事などを書いているのではないか、とさえ感じるほど詳しい。しかし、それでなお、先端の動向には辛口の評価を下すところが魅力である。
この本がでた当時、つまり一年間前あたりは、私も、この意見に共感できた。しかし、それから一年経って、私はiPhone6plusにしたのだが、はてさて、著者の環境も多少は変わっているかもしれない。
ガラケーとは別にモバイルルーターにプラスして別のWi-Fi対応端末(iPod touch や iPadやノートパソコン)を携帯するのは荷物が増えるだけで面倒と思われるだろうが、実際にやってみるとメリットのほうが多い。p147同上
これはまさに同感。ごく最近まではその状態だった。しかし、モバイルルーターの二年縛りが解けて、しかも会社統合で値上がりする、それに感度が悪くなったので、このスタイルを卒業した。
「やっぱりauが最強じゃね?」 「アホかお前は!CDMAになぞ未来はないのだよ」 「難しい話はわからないから、わたしは孫さんと心中するわ」 「つながりさえすればソフトバンクが最速」 「いやいや、利用者が多い分遅くなることがあるけど、やっぱりどこに行っても安心なのはドコモ」などなど、いまでもユーザー同士でいろいろやりあっている。
しかし、こんなことで熱くなって論争したりストレスを抱え込んだりするのはアホらしい。結局は、自分が住んでいる場所、よく出かけていく場所でつながるのかどうか、が最大の問題であろう。p158同上
わたしは十数年以上同じキャリアを使っているので、あまりあちこち動くつもりはない。ただ、うろうろしていると、この論争にいつも巻き込まれる。
1)イノベーター(革新的採用者)2)アーリーアダプター(初期採用者)
3)アーリーマジョリティ(初期的多数採用者)
4)レイトマジョリティ(後期多数採用者)
5)ラガード(採用遅滞者)
この範疇で言えば、わたしはおおよそ3)のアーリーマジョリティにはいるだろう。時には2)であることもあるが、ほとんどの場合3)に留まる。それに対し、著者は、ミュージッシャンや作家としての専門性で言えば、1)のイノベーターとも目されるのに、時には2)や3)に留まり、時には良かれと感じれば、5)のラガードの位置さえ躊躇しない。
わびさび(侘び寂び)の原意は、質素で静かなる境地、足るを知り必要最小限のもので精神の深みを表現する、といったことだろう。
しかし、本書の「はじめに」でも紹介したように、スティーブ・ジョブズはわびさびに「魂や直感を信じること」という自身の人生哲学を重ねてみていた。p170「デジタル・ワビサビ」への道
デジタル・ワビサビを楽しむためには、最初こうした「デジタル化で失われるもの」が何かをしっかり認識しておかなければいけない。失われるものを最小限にする、あるいは失われても文化の本質は別のところにあることを把握することによってワビサビが深められるからだ。p174同上
デジタルに支配されることをとことん拒否し、デジタルを使い倒して創り出すものこそが文化だというジョブズの信念が本物だったからこそ(ジョブズの言葉を借りるなら、彼が自分の「魂の言葉」に従ったからこそ)、いまのアップル社の成功があるのだろう。
日本人にアップルファン、ジョブズファンが多いのも、彼のデジタル・ワビサビ精神が伝わってくるからではないだろうか。p226「大人の文化」を取り戻す
デジタル・ネイティブとか、デジタル・デバイドとか、デジタルを使う言葉はほかにもあるが、なるほど、誰の造語かしらないが(多分著者だろう)、こうして一冊本を読んでみれば、著者のいわんとすることが良くわかるし、自分の言葉としても、「デジタル・ワビサビ」を使ってみたくなる。
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