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2015/02/26

「デジタル時代の知識創造」 変容する著作権 長尾真監修 角川インターネット講座 (3)

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「デジタル時代の知識創造」 変容する著作権 角川インターネット講座 (3)
長尾 真(監修)2015/01 KADOKAWA/角川学芸出版 単行本: 318ページNo.3412★★★★★

1)角川インターネット講座、当ブログの読書としてはシリーズの6冊目。監修の長尾真氏については「図書館・アーカイブズとは何か」 別冊『環』15 (2008/11 藤原書店)や、「ブックビジネス2.0」 ウェブ時代の新しい本の生態系(2010/07 実業之日本社)などで御見かけしたお名前であり、印象としては、極めて真面目で、しかも重要なポイントを押さえておられる方とお見受けする。

2)著作権については、リチャード・ストールマン「フリーソフトウェアと自由な社会」(2003/05 アスキー)の「コピーレフト」以来、楽しくもあり、また耳の痛い話でもある。それぞれが依って立つ場の違いによって、それぞれの百論があってしかるべきである。

3)この本においては、国会図書館を初め、長く図書館運営に携わってきた監修者の目を中心に、広く新しい時代の著作権についてまとめられている。この問題に関心ある向きには、一読の価値大いにあり。

4)さて、当ブログとしては、あくまで個人で、しかもせいぜい読書ブログを書き続けている初老の男の立場からの思いをメモしておくに留まる。

5)そもそも何故に読書ブログか、というところから始めなければならない。ネット社会に参加はしたいものの、匿名での誹謗中傷社会にはなじめないし、かと言ってプライバシーだだ漏れのSNS積極参加もいまいち気が進まなかった。

6)マイペースで、しかも書きたいときに、適当に(!)、書きたいママ書いておくブログは、我がネット・スタイルとしてはピッタリだった。

7)しかるに、題材はどうするか、というと、ネット上の流動的な泡沫のような時事ネタを追っかけるのも、なんだか今いち気が休まらず、やりたいことではなかった。

8)その頃、ちょうど大学や公立図書館のネット化が推進し、実に便利に図書館が使えるようになっていたのである。10年前くらいからのことだ。周辺を見渡せば、10いくつの大学が身の周りにあり、どの大学も図書館をネット上から検索できるようになり、珍しい文献を見つけることができるようになった。

9)公立図書館もそれに劣らず実に使い勝手がよくなり、地域全体の図書館ネットワーク上にある資料を、最寄りの図書館まで取り寄せてくれるようになった。時には他県や遠く離れた地域から、そして最後には国会図書館からも何度も取り寄せていただいた。感謝に堪えない。

10)即時的、速報レベルの情報に溢れているネットは実に便利ではあるが、時にはガセネタを掴ませられることもあり、また信ぴょう性のレベルもまちまちで、後から検証という作業がなかなか出来にくい。

11)それに比すれば、図書館から、すでに書籍として出版された資料を取り寄せる場合、タイミングの問題としては遅れがちである。出版され、それを読み、それをネット上にフィードバックしておく作業は、実にのんびりしたズレがあり、時には、まったく出遅れてしまう。だが、その情報の確実さや、後からの検証、反証などは、極めてやりやすく、実効性がある。

12)当ブログは、後者の確実性、検証反証可能性を取ったわけである。

13)10年前スタートした時点から、当ブログでは、引用した文章には引用ページを明記しておくことにした。それは、出典と文責を明確にするためでもあったが、読み手である自分のためでもあった。

14)年齢も重ね、蔵書の増加とともに住居スペースを圧迫されることを嫌い、ある時から自宅の蔵書は増やさないことにした。図書館は、自分の書庫である、くらいの勢いで図書館を利用してやろう、と考えたのだ。

15)しかし、何度も読みたい本や、要チェックな部分は、あとから見つけようとすると、なかなか見つけることが難しいことが多い。引用ページを書いておけば、再貸し出しをした場合、すぐその箇所を見つけることができる。これは便利であると思う。

16)本文に対してはごくごく一部ではあるが、引用部分はそれこそ「著作権」の問題もある。できるかぎりその文の出所は明瞭に書くことにした。ネット上では、時に、新聞記事を引用する際、新聞名も、発行年月日も明記していない情報もあり、それらが明確でないと、記事そのものの意味が違ってくる場合も多い。

17)必要に応じて、当ブログでは、本文の一部ばかりか、図版や画像もちょくちょく引用させていただいている。それこそ「著作権」に引っ掛かるのではないか、といつもびくびくしているのだが、出版されたものの引用に関して言えば、少なくとも当ブログのような個人ユース程度では、目くじらを立てる人はいないようだ。いままで著者からコメントをいただいたことは何度もあるが、クレームという形でレスされたことはない。

18)本の表紙の「著作権」については、むしろ「著作権」が放棄されたような形になっている。ネット通販などではむしろ宣伝にもなるはずであり、当ブログが「勝手」に表紙を引用しても、なんら問題にならないばかりか、出版や流通の業者をヘルプする作用もあるかもしれない。

19)当ブログとしては、ごくごく僅かではあるが、アフェリエイトが発生するので、月数百円の利益を生むこともある。そもそも当ブログは「無料サービス」を活用しており、「0円」ブログの可能性を追求していると言ってもいい。

20)特殊な環境を与えられた書評家とか、営利目的を強く打ち出したビジネスラインではなく、ごくごく当たり前の個人的市民が、公共の図書館や、無料ブログを活用しながら、どれだけの「知的創造」ができるのだろう、という試みでもある。

21)「知的創造」というのはこの本のタイトルを借りただけで、ネット上の「総合知」にいかほどかの「参加」をしたい、という意思表示でもある。

22)ブライアン・オレアリはこの本(注「マニュフェスト本の未来)」の中で今後、重要となるのは「コンテナ(入れ物)ではなく、コンテキスト(注・文脈)」だと警告とも取れる論理を展開し、一度パッケージされた荷造りを、解きほどく必要性を語っている。

 本というコンテナはコンテンツ(内容)を二次元上で規定し、「コンテキスト」と書籍レベルのメタデータを活用することができなかった。p157「電子書籍とは何か?」萩野正昭

23)ここで語られることは、コンテナ→コンテンツ→コンテキスト、である。なかなか、この「コン」つながりは、人々の想像性を刺激すると見える。しかしながら、コンテナからコンテンツという飛翔に比すれば、コンテンツからコンテキストへの道すじは、むしろ矮小であると思う。たしかにメタベースとして、本のタイトルではなくて、文章そのものを検索できればいいというのは名案だが、所詮そこまでだ。

24)佐々木俊尚「2011年新聞・テレビ消滅」(2009/07 文藝春秋)のなかで、おなじ「コン」つながり遊びをし、コンテンツ→コンテナ→コンベアー、という逆コースを提案した。これはこれで、滑稽な退化であると、当ブログは捉えた。

25)当ブログの大きな柱は、コンテナ→コンテンツ→「コンシャスネス」である。おなじ「コン」つながり遊びだが、こちらのほうがすっきりするのは、そもそもが当ブログにおいては「コンシャスネス」ありきで進んできたからであろう。

26)当ブログにおいては人工頭脳についてもだいぶ追っかけしてきたが、結論としては、脳は脳だけでは存在し得ない、ということだ。そして、情報をもたらすセンサーやネットワーク、そしてそこで演算処理された結果のフィードバックとして、「身体」が必要なのだ、という結論に達している。

27)おそらく現在のインターネットがまだまだ黎明期にあるとしたら、向かうべきはより全体の統合された「身体」化と、より無個性な「意識」化への、バランスのとれた一体化であろう。

28)おそらく、ZEN語で言えば、コンテナ否定は「不立文字」が対応するだろう。コンテナは有用であり、なお否定され超えて行かれなければならない。そして、その有用性を踏まえつつ、コンテンツ否定には「以心伝心」が対応するに違いない。表現論など、もはやいらないのだ。

29)この流れで言えば、コンシャスネスに対しては「直指人心見性成仏」となるのだろうか。そして、さらにはここもまた否定されて、元にもどって、市場のヨッパライとなるのであった。

30)この本、「インターネット講座」の中の一冊である。しかも「デジタル時代の知識創造」というタイトルを持っている。その意味では、実によくできた誠実な一冊である。

31)しかしながら、人間はインターネットのために生きているわけではない。インターネットは人間のためにある。そして、インターネットのない時代のほうがはるかに長く、そしてその時代にあっても、人々は彼岸へと打ち上げれてきた。インターネット技術の素晴らしさに目を奪われて、時間を浪費してはならない。

32)人間性がインターネットに巻き込まれていくのではなく、人間がよりよく生きるためにインターネット技術の進歩と拡大があるとするならば、そもそも人間とは何か、人間は如何に生きるべきかを、さらに練らなければならない。さもないと、インターネットも、デジタルも、無意味なことになってしまうばかりではなく、無用の長物、あるいは悪しき障害とすらなり得るだろう。

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