「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<2>
「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム
<2>
山尾 三省 (著) 2000/09 地湧社 単行本: 302p
★★★★★
1)藤沢周平の、しかも森繁久弥朗読の「一茶」に触発されて、三省のこの本を思い出したのだった。そもそも、この本で一茶を知った時、他には深く一茶を考える機会もなかったので、三省の紹介するままに一茶を拾い読みしたのだった。
2)ところが藤沢周平ワールドにはまり、そのエンターテイメントに触れてみると、実にその虚構性が楽で、肩の力が抜けることに気付いた。虚構でありながら、虚構であるがゆえに、ものごとをシンプル化することができ、しかも、そこに残る余韻は、実に実人生を深く考えさせるところがあったのだ。
3)その藤沢周平にして、実在の人物をモデルにした小説が5~6編あるらしい、ということに気がついた。その代表作がこの「一茶」である。小説として読むのはいずれ先になるとしても、いまはCDの音源を頼りに、その世界を楽しんでいるところである。
4)そして、何度も聞いているうちに、三省のこの本を思い出し、300ページの本を約半分、ちょうど150ページあたりまで読み進めたところである。いずれ全部読み切ったらまたメモしようと思うが、ここまでのところをざっとメモしておく。
5)半分とは言え、ちょうど50歳を境目に、一茶は江戸から故郷の信濃に帰るところであり、それまでの芭蕉を師とした風狂な旅暮らしから、田園生活にもどろうとするタイミングである。これから後、一茶には、親族との争いや結婚、そして度重なる幼児たちの死が待ち構えているのだが、今の段階ではまだ、それは分かっていない。
6)さて、ふと何故私は藤沢周平にはまったか、ということを考えると、彼の世界は実にシンプルであるということに尽きる。さまざまな時代設定があったり、時代がかった小道具があったりはするが、そのシンプルさが実に小気味いいのだ。
7)そしてまた、あるいみ一茶の道とする俳諧の世界も実にシンプルで、五七五の言葉の世界に粋を感ずる芸道だ。
8)そしてそれらのシンプルかつモノトーンにさえ見える世界と、三省の世界は親和性が高いと見られていたのだが、実は、こうして二つ並べてみると、三省の世界は、実はシンプルではなく、思っていた以上に重層的で、複雑なのではないか、と思えるようになってきた。
9)つまり、理屈っぽい。なにかかにかとコジツケ過ぎるのではないか。物事を物事として、シンプルに見るだけでいいのではないか、と思う。
10)この本で、いまひとつ気に食わないのが、三省は自分のことを第一人称として「ぼく」と連発していることだ。ここがどうもひっかかる。最初に読んだ時は、そんなことを感じなかったのだが、今回はやたらとひっかかる。
11)三省は他の本で、「ぼく」と書いていただろうか。もしそうではなく、この本に特徴的に「ぼく」と書いたとするならば、なぜそうだったのか、あとでよく調べてみたいと思う。
12)今日は、まもなく森へ出かけるので、そちらでまた作務をしながら思いを巡らすとして、まずは今朝のところは、どうも気になったところだけメモしておく。
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