「坐禅三昧」 山田無文 CD

「坐禅三昧」
山田無文 1979/05/16収録 当時満78歳 ビクターエンタテインメント CD (1998/1/21)
収録時間: 54 分
No.3457★★★★★
1)普段なら、なかなかこの方の本には手がでないのであるが、この度はCDトリップにハマっていることでもあるし、かと言ってなかなか良いCDにも出会わないというタイミングでもあるので、「つい」手がでた。
2)二つのパートに分かれていて、一部は「生いたちの記」、二部は「生かされている自分」。一部において、この方は10代にして(1920年頃?)河口慧海の内弟子であったことを初めて知った。おお、なるほど~。
3)あちこち聞きかじるに、宗教家として大成される方には、いくつかの共通項があるように思う。この方にも、随所にそれを感じる。一つは、若くして生死を問わざるを得ない体験をする。二つ目には、機縁となるマスターと出会う。三つめには、「努力」。この方は、その三要素を見事に融合されたかたとお見受けした。
4)しかしながら、二部などを聞いていれば、やはり今までの私のうちにあったイメージとはそれほど変わらぬ「宗教観」をお持ちの方で、例えば日本文化に対する姿勢であるとか、仏教歴史に関する理解であるとかは、いままで日本社会で醸成されてきた価値観にうまく融合するように作られている。
5)作られているというより、そのような価値観を受け入れ、自らのものとし、それを宣教するからこそ、名をあげられた所以ということになろう。
6)坐禅三昧というからには、このCDでなにごとかを体得し得るかと、やや拙速な期待を持ったが、それは甘かった。まぁ、それでもいずれにせよ、この方は「間違い」がない。あ、こりゃまた失礼な言い方になってしまったが、そう思わせる、何か余裕がある。
7)それでもなお、「正統的」な宗教観に対する、こちらの「へそ曲がり」な期待感が、この人への距離感の量り方を考えさせる。 伝統文化への融合のしかたが、正当的であればあればこそ、いっそう頭は自然と下がるのだが、私自身は、私自身への「瞑想」へと入らざるを得ない、「何か」を感じる。
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