「ミシンと日本の近代」 消費者の創出 アンドルー・ゴードン<3>
「ミシンと日本の近代」――
消費者の創出<3>
アンドルー・ゴードン (著), 大島 かおり (翻訳) 2013/7 みすず書房 単行本: 434p
★★★★★
1)「名前のない新聞」のあぱっちから依頼を受けて、この1ヵ月ほど、約4000字の原稿をまとめていた。お題は1975年の日本のカウンターカルチャーについてである。当然かなり面白い時代ではあるし、我が人生に欠くことのできない時代であるが、いざまとめるとなると、なかなか難しい。
2)それでも、流峰やキコリ、サキといった旧友たちにチェックしてもらいながら、なんとか締め切りに間に合いそうである。本来であれば、出来たてホヤホヤの原稿をこちらにアップしようかな、とも思ったが、掲載されるのは5月号で、あと一ケ月はあとになるだろうから、それまでは、当ブログ未発表としておく。いつかはブログに貼りつける予定。
3)そして、そのまとめの最中に、やはり私の人生は三つの文章、「雀の森の物語」、「湧き出ずるロータス・スートラ」と、「地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版」で網羅できるな、と確信した。
4)勿論、漏れてしまうことは山ほどある。書かれていることのほうが圧倒的に少ない。しかし、骨子とはそういうモノだ。そして、その三つは、それぞれに関連を意図して書かれたものではないので、その繋ぎの部分もやや不足しているのは間違いない。
5)それでも、第一作の要素は第二作に含まれているし、第一、第二の要素は、第三に含まれている。だから、現在進行中の当ブログ「ダイジェスト版」は、大変重要な位置を占めることとなる。もはや、ライフワークと言ってもいい。
6)ただ、そうとなると、第一作が始まるまえの、幼年時代のことなどをもう少し書かねばならないが、その部分は、ニュートンこと石川裕人を思い出しながら書いた文章もだいぶ増えたので、そこで副次的にメモされた部分も多い。
7)第一作から第二作までの間にも、すこし不足分がある。なければなくても構わないのだが、もし全体像の中で、何かが不足しているとしたら、やはりそこは穴埋めしておかなければならない。
8)だがしかし、ここもまたなかなか書きづらいところではあるのである。当ブログはどちらかというと空想的で抽象性をよしとする傾向がある。その反面、現実的なことや、やっかいなこと、世俗的なことについてはパスをしてきたのだ。
9)ことは職業的なことである。プライバシーの保護だったり、個人情報の管理だったり、今プライアンスの重視だったりして、思うようにはブログには書いておけない。書くとすれば、秘かに日記にでもメモして金庫にでも仕舞っておくのがいいだろう。
10)しかしまぁ、そこまでしなくても、ある程度のアバウトな表現というものも許されるであろう。まんざら嘘でもないので、リアリティが不足する、ということもない。ここは、この本に引っかけた形で、何事かをスタートしておくことにしよう。
11)私は、自分が自分でミシン屋さんになるなんてことを想像したことは一切なかった。あり得ないと思っていた。しかし、現実的にはそういうことも起きる。そして、私の人生を振り返ってみた場合、私の人生からミシン屋さん時代を削ってしまうことは、まったくの片手落ちになってしまうということが分かる。
12)私がミシン屋さんになったのは、経緯がある。
13)私は77年にインドに渡りサニヤシンとなった。78年暮れに帰国し、79年から瞑想センター活動を開始した。そしてその春から農業大学校の寮に入った。二年間在籍して卒業したが、私は最後の半年は大病を患い、生死をさまよった。
14)80年春から私は実家で自宅療養を続けた。一年間の自宅療養の間、そう80年秋あたりに、瞑想会で知り合ったメンバー、私より7歳上の友人に誘われて、このビジネスに加わったのである。
15)最初は病気の身であったので、辞退した。しかし、僅かでもいいから手伝ってほしいと言われ、多少のことを始めた。始めれば始めたなりに、出来るし、面白い。もちろんお金にもなった。小遣い欲しさに手づだっているうちに、これは瞑想センターの若い仲間たちと一緒に仕事できるんではないか、と思うようになった。
16)経緯は後述するとして、いずれ年商数億となり、80年代半ばまで友人たちとこのビジネスを続けた。
17)87年の家族4人でのインド旅行を挟んで、私は都合1995年あたりまでは、ミシン屋さんといわれる仕事をした。ただし、90年代になってからは会社をつくり、自分での他の仕事と重なったので、90年代はもっぱらアフターサービス的な形態となった。
18)このようなおおよそ10~15年間の間のことについてメモしておくとするなら、私が重要視したいことは、およそ私が訪問した1万軒の家庭の在り方についてである。そこで見聞きしたこと、感じたこと、エピソード。ミシン屋さんならではの思い出話、そういうものがある。
19)性質上、時系列に書いていくことは苦痛を伴うが、ひとつひとつエピソード的に、散発的にメモしていくことにする。
20)自分でも、このあたりを整理しきってしまえば、もうすこし私の人生も分かりやすいものになるのではないか、と思う。
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