「電気がなくても、人は死なない。」 元・東電原子炉設計者が教える愉しい「減電ライフ」 木村 俊雄<1>
「電気がなくても、人は死なない。」元・東電原子炉設計者が教える愉しい「減電ライフ」 <1>
木村 俊雄(著) 2015/03 洋泉社 単行本(ソフトカバー)
191ページ
No.3467★★★★★
いまは電力会社の配電網から隔絶して、電気エネルギーは太陽光による自家発電、熱エネルギーは薪を割って生活している私ですが、もちろん最初からそうであったわけではありません。きっかけは、福島県にある「獏原人村」というところに暮らす、通称マサイさんという男性との出会いでした。
それはまだ、私が東京電力に勤めていたときのことです。ある日、近所でお祭りが開かれることを耳にして、足を運んだところがマサイさんの暮らす獏原人村でした。彼が主宰する、そのお祭りの名前は「満月祭」といい、いまでも毎年1回、夏に開催されています。
ピークのときには2000人ぐらいの人出があり、大変な盛り上がりようでした。私は、ステージでおこなわれるコンサートを楽しんだり、縁日のような出店の食べものをおつまみにボールを飲んだりして、単純に楽しんでいたわけですが、実はこのお祭りには大切な背景がありました。
1986年4月26日に引き起こされた、ソビエト(現在はウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、世界的に「No Nukes(ノーニュークス。「原子力はいらない」の意味)」の大きなムーブメントが起こり、その波は日本にも広がりを見せていました。
1988年に八ヶ岳の麓に一万人が集結したといわれる「いのちの祭り」という催しが開催されたのですが、そこにマサイさんも参加されていたそうで、
「オレもやる!」
と決意して、福島の地でこの満月祭を開催されていたのです。
反原発をテーマにしたお祭りでしたが、政治的なことや思想的束縛のまったくない、いたって楽しいものでした。
この満月祭をきっかけに、マサイさんとお付き合いをさせていただくようになったのですが、実は自分が東電社員で、福島原発の原子炉エンジニアであったことを明かせたのは、やはり退職後のことでした。
その告白を聞くと、マサイさんはとても驚きましたが、ありがたいことに付き合い方が変わることなく、東電を去ってから半年ぐらいの間、私は獏原人村のお世話になったのです。
住まいは、獏原人村内の朽ちかけた掘立小屋でした。
なんとか人が住めるように手を入れて、近くの沢から水を引き込み、煮炊きと暖房はブリキの薪ストーブです。
明かりはランプでしたので、いまの私の生活以上に電気のない生活です。
はじめる前までは、薪で生活するなんて、まったく想像もしていなかったのですが、実際に経験してみると思ったいた以上によいものでした。
「薪の生活いいじゃないか! これは男心をくすぐる・・・・」
とひとりほくそ笑んだものです。レベル⑩で「男のロマンあふれる人生を送ってみたい人」といったのは、このときの心境に即しています。
そんなノウハウのすべてを伝授してくれたのが、マサイさんです。
マサイさんは、すでに40年も電力会社から電気を買わずに、太陽光発電などの再生可能エネルギーだけで生活しています。
インターネットや衛星放送テレビなども導入して、とても知的な生活をされていますが、まったく電力会社に頼らず、すべて自給したエネルギーでまかなっている筋金入りの自由人です。
「大地震がきても、チェーンソー1本あれば、また家は建てられるな!」
なんて、言い放つ実力と精神の持ち主なのです。私はこのマサイさんから、時代を生き抜く本当のスキルというものを学ばせてもらいました。薪の割り方、使い方も然りです。
我が家のトイレは浸透式といって、地中に染み込み、自然に分解されるスタイルですが、これもマサイさんに教わったことです。獏原人村では、汲み取ったものを山にまくのですが、最初は少し臭っても2~3日でまったく臭わなくなります。
我が家のトイレも同じで、匂いはほとんど気になりません。さらに土壌は肥え、土の質がどんどんよくなります。そんな自然の力の数々に気づかせてくれたのも、マサイさんでした。p114「我が師マサイさんの教え」
貴重な一冊である。警告の書にして、実践の書、3・11後の地球に生きる人間の必読書。
過日、近くでこの今年の「満月祭」の準備会があり、ひょんなことで私も参加することができた。マサイをはじめ、ミュージッシャンのしょんつぁん、ひめちゃん、音楽プロジューサーのLeeさんなど、おおよそ30名程の方々が参加していた。
準備会の場所となったのは宮城県内の一目千本桜で有名な阿武隈川湖畔の大きな民家。家主のやっさんは福島県双葉郡の高齢で、大工さんだったらしいが、3・11の原発事故後にこの地に避難しているとのこと。
私はこの準備会でこの本を一冊、マサイ(写真中央)から直接分けてもらったのだった。マサイは獏原人で今もニワトリの卵を生産して暮らしている。
「卵を産まなくなった廃鶏はどうしているの?」と聞くと、「出荷もしていたけど、今は潰して食べる時もあるよ」とのことだった。
3・11後、私はなぜか、「チキンの骨で恐竜を作ろう」というシュミをもつようになった。 昨年の「満月祭」に参加して以来、獏のニワトリの骨でも作れないかな、と一人考えていた。そんなことを話したら、じゃぁ、今度、骨をとっておくよ、と約束してくれた。
しめた。双葉郡川内村にある獏原人原産のチキンの骨で作るなら、やはりここはフタバスズキリュウできまりでしょう。
福島県立博物館 企画展示室 2013/08 by bhavesh
フタバスズキリュウの命名の由来は、1968年に、当時高校2年生だった、鈴木直さんが、偶然に双葉郡の海岸付近でその脊椎の化石を発見したことに由来する。1968年と言えば、東京電力の原発施設の工事が始まる時期である。
このフタバスズキリュウ、映画「トラえもん」の第一作「のび太の恐竜」 のモデルでもある。
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