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2015/06/08

「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<2>

<1>からつづく 

61humiuswl
「死について41の答え」 <2>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★

1)数日前、ネット上で話題になったシャルノが亡くなった件につき、友人が他のネットでの記事を教えてくれた。

みなさん、こんにちは。ぱるば(Sw. Advait Parva)です。
Osho日本大使だったMa Gyan Sharnoが4月2日に逝去しました。
娘のMa Kolaによると、「3月31日に倒れそのまま4月2日家族に見守られながら、静かに旅立ちました。
あまりに突然だったので本人が一番信じられなかったかもしれません」とのことです。
ま、シャルノらしい逝き方だったかもね。
以前の伊勢の家からはもう引っ越してしまったので線香を上げに行くというわけには行きませんが、コーラよりみなさんに「ありがとう」とのことです。
合掌

(SIJの最近の記事と思います。引用者記)

3)彼女の死については、思うところいろいろあるが、今のところ全体的にネットも静かであり、どちらかというと穏やかに受け止められているので、 当ブログもそれに倣って、静かにご冥福をお祈りいたします。

4)さて、今回の当ブログで走っているカテゴリ名は「死について」である。必ずしもこれでなくてもよかったのだが、今回は一文字のテーマ、ということで、いろいろ考えてみたが、決定打がなかった。かなりの絞りこみの傾向にあるのであるが、ちょうどこの本を読みかけていたので、本の名前をカテゴリ名にすることにした。

5)「死」はかなり絞り込みとしては、厳しい言葉である。しかしながら、収束過程において、これ以上強い言葉もないくらい、はっきりした意味を持っている。

6)最近、私は「名前のない新聞」(No.187 2015/05) の記事にこのようなことを書いておいた。

 1954年3月生まれの私の人生の、とりわけ精神性において、まずはメモしておかなければならないのは、8歳になった3日目に父親と死に別れたことであろう。
 戦地の中国大陸で負傷した父親は終戦前に帰国し国内の軍に勤務していた。終戦後は生家の農業に従事するも、病弱な身となり、5~6年間、隔離病棟に収容されていたので、幼かった私は、ほとんど父親の存在というものを身近に感じないで育った。
 その父が長い療養生活の末、病院で亡くなった時、常時10人を超すような大家族でもあったし、いつも側にいた身近な存在を失ったわけではなかったので、寂しいとか、悲しいという感情はなかった。何かを失うというよりも、むしろ概念としての「死」というものが、私にとって何なのか、とらえきれなかった。
 いずれ自分も「死ぬ」のだ、と思った時、私の意識は、足元を離れて遠く天空に飛び去っていた。この体験が、私の人生最初のスピリチュアルな原体験である。
「名前のない新聞」(No.187 2015/05)より抜粋

7)あのタイミングにおいて父の死というものと遭遇しなければ、私自身の瞑想指向の体質は変わっていたかもしれない。

8)あの時期、実は父の死の他に、親戚でも葬式が続いた。そして、どういうことであったのか、同じ学年の同じクラスの級友たちも、私の他に3人も、父と同じ病気で父親を亡くしたのであった。

9)まだ7~8歳という無邪気さのなかに、厳然たる事実を突き付けてきたのは「死」という存在であった。

10)この本において、Oshoはあらゆる角度から「死」について語っている。各講話のなかから、「死」について語っている部分が抜き出されて一冊になっているために、分かりやすいとも言えるし、ある種の傾向性に彩られている、とも言える。

11)何はともあれ、このテーマをベース音として、この108の記事を進めていこう。

<3>につづく

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