「AIの衝撃」 人工知能は人類の敵か 小林 雅一<2>
「AIの衝撃」人工知能は人類の敵か <1>
小林
雅一(著) 2015/03 講談社 新書: 256ページ
★★★★★
1)20代の死のベットで読んだアルビン・トフラー「第三の波」(1980/10 日本放送協会出版局)、PTA活動も終わった中年になって読んだ梅田望夫「ウェブ進化論」 (筑摩書房 (2006/02)、それにつづく、何かもう一冊と思うのだが、いまだ出会っていない。
2)「第三の波」は、インドから帰って農業を学びつつ、死の病を得た若者であった私が、未来に大きな希望を持った一冊だった。おお、このような世界があるのなら、まだまだ生きていく価値があるぞ。生命力が湧いた。あのエレクトロニック・コテッジが、勇気を与えてくれた。
3)「ウェブ進化論」は、その紹介を新聞で読んだ。そして、その書評を書くためにブログを始め、結局、私は新聞を捨ててネット派になった。ブログを続けてきたのは、この一冊を超える、更なる一冊を見つけるためだったとも言える。
4)今、私は畑のなかでスマホをいじる老年を迎えている。私には、おそらく、前二著に匹敵する第三の真の「衝撃」な一冊が登場する予感がする。
5)現在進行中の「角川インターネット講座」(2014/10角川学芸出版)はいまいちである。これまでのネット進化の歴史を学ぶにはいいが、画期的な未来予測はまだ見られない。その中の一冊、現在読んでいる坂村健「コンピューターがネットと出会ったら」(2015/04)も注目すべき強烈な一冊であるが、もうひとつ食いたらない。今秋刊行の伊藤穰一 監修「ネットで進化する人類」ビフォア/アフター・インターネット (2015/10刊行予定)まで、またなければならないだろうか。
6)これまでITと意識について書いた本で、これまで読んだ本の中では、「未来のアトム」(田中伸和 2001/7 アスキー)が記憶に残っている。今読んでも面白かろう。これらを読み進めて感じていたことは、ITが意識を持つとしたら、頭脳だけが存在するのではなく、あらゆるセンサーをつけたロボットのような身体が必要であろう、ということだった。
7)ところが、坂村健「コンピューターがネットと出会ったら」を読み進めていて思うことは、鳥の翼を真似た飛行機が、鳥の翼と違う動きをしているように、あるいは、高速で走る動物たちの四本足よりも、はるかに車輪のほうが早く走れるように、意識も、身体も、ひょっとすると、現在の人間に付随するものとはかけ離れたシステムになるかもしれない、ということだ。
8)つまり、飛行機も自動車も人間が生み出したものだが、人間の能力をはるかに超えている。これにちなんで言えば、これから人間が生み出すであろう「意識」も、もっと別な形で、しかも、もっと優れている可能性がある。
9)おそらく新しい時代の「身体」は人型ロボットではないのだ。あらゆる組み込みコンピュータがつながり、ビックデータとして一体となった、地球大の「身体」なのだ。
10)そして、おそらく、地球大の「意識」は、人間よりはるかに「無心」であるに違いない。見つめており、気付いており、判断せず受け入れている、そういう「意識」が存在するようになる。
11)スパイキング・ニューラルネットは、意識を持つ「強いAI」への期待も担っています。もちろん現時点で、意識の全貌が科学的に解明されているわけではありません。そもそも「意識とはなにか」について、神経科学や心理学などことなる研究領域を通じて共通の定義すら確立されていない状況です。
が、いわゆる意識を構成するいくつかの要素、たとえば「注意」などの現象はある程度、解明されています。p132「脳科学とコンピュータの融合から何が生まれるのか」
12)科学というのは、実にまどろっこしいものである。ある意味、足手まといである。しかしながら、であるからこそ、確実な地平を開いてくれるとも言える。
13)ここに来て米国のロボット関係者が、「AI(人工頭脳)の分野で、ようやく今、機が熟してきた」と思い始めたからです。つまり「ディープラーニング」のような先端AIを搭載すれば、今こそ人とコミュニケーションし、仕事や暮らしの中で人に役に立つ汎用ロボット、つまりSFのような次世代ロボットが作れると彼らは考えているのです。p177「日本の全産業がグーグルに支配される!!」
14)いやいや、まだまだであろう。人とのコミュニケーションとか、次世代ロボットなどとは、まだまだプロセスの途上にある通過点に過ぎない。日本の産業うんぬんは、著者もサービス精神で付け加えているだけで、そんなことはどうでもいい。グーグル、いまだ到達せず。
15)この本のキーワードは、「ディープラーニング」である。プログラミングされたシステムが、センサーからのフィードバックのビックデータを取りこんで、自ら新システムを構築し続ける技術である。これまでありそうだったことを、さらに深めているとはいえ、決して画期的なものではない。熟成しているとは言えるが、次なるシステムがあるはずである。
16)極端な言い方をすれば、「メディテーション」するAIまで行かなければ、究極ではない。
17)これは単なる「知能」という言葉では表現しきれないほど大きな「何か」です。このように将来を見据えることのできる叡智と包容力こそが、私たち人間に残された最後の砦なのです。p242「人間の存在価値が問われる時代」
18)本著は、好著である。先端部を扱いながら、さらに直感的に、さらなる未来を見通そうとしている。しかし、それが何かを、あやふやな仮説であったとしても、十分に表現できているわけではない。
19)おそらく「私たち人間」と表現してしまった時に、その道は、とざされてしまうのだ。究極のステージを問うには「私たち人間」から、「私」と、主語を変えなければならない。そして科学的な外部への視線ではなくて、第三の目のような、内部への洞察が必要になってくるのだ。
20)「では、そうしたAIの意識はあるとき偶然、つまり自然発生的に生まれるものですか? それとも科学者、つまり人間が意図的に計算ずくで作り上げるものでしょうか?」と質問すると、「それは後者でしょう」といわれました。p244「あとがき」
21)意識とくれば、それに到達する道は、瞑想しかないのだ。瞑想という言葉は、もっと一般的になり、余計な付随物が取り除かれ、科学者も、研究者も、ロボットも、みんな瞑想する時代がやってくる。私は、そういう主旨を持った本が登場するのを待っている。
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