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2015/06/19

「畑のある生活」 伊藤志歩

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「畑のある生活」
伊藤 志歩(著) 2008/07 朝日出版社 単行本 213ページ
No.3535

1)この本は面白かった。タイトルだけ考えればヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」に匹敵するくらい意表をつかれる思いだった。「庭」や「畑」というキーワード以上に、そこから開けていく世界観が広い。

2)ヘッセのほうは編集者 フォルカー・ミヒェルスがヘッセ著作集から、カテゴリー別に抜き出して一冊にまとめたものだが、こちらは、意識ある編集者が農業を実践している若い世代をレポートして一冊にまとめたものだ。

3)「在来種・固定種」とは、先ほど紹介した多様な大根のように、長期にわたり特定の地方で栽培されることで、その風土に適応していったものや、農家たちが良い種を残しながら何世代にもわたり自然交配しえ育種してきたものなどをいいます。p38「知らぬ間に広がる種の支配」

4)先日、種の支配を拡大し続ける「モンサント」 (マリー=モニク・ロバン 2015/01 作品社)を読み始めたところだが、ものにはホドというものがあり、在来種がすべてよいということにはならぬだろうが、対局に怪しい動きが在る時、このような在来種や固定種の存在を強く意識することは、大いに意義あることに思える。

5)かっこ悪いという先入観が払拭され、すっかり農業に魅せられてしまった横田さんは、大学を卒業した後、パーマカルチャーという、”農を中心とした持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系”を学ぶために、ニュージーランドへと渡ります。

 そして、wwoof(ウーフ)という研修制度を利用し、パーマカルチャーを実践している農場を中心に1年間で10箇所近くを回り、農業や持続可能な環境づくりを勉強しました。p52「新世代の農家たち」

6)ここでいきなりパーマカルチャーという単語が飛び出したのにはびっくりした。そもそもは日本発のスタイルなのだが、その本家では、すっかりその姿が蔭をとどめてしまった。いま、あたらしい感性で、このような形で復興されていくのは、ゾクゾクするような期待感に包まれる。

7)今から思えば、この時期(編注1975年頃)が、農薬や化学肥料に依存する近代農業から有機農業に立ち戻る良い機会だったようにも思えます。しかし、高度経済成長の波に乗り発展を遂げた第2次産業・第3次産業と、農業従事者の間に広がる所得格差を埋めるためにも、農業をより工業化し、生産性を高めようという流れが強く、農薬や化学肥料に頼る農業が方向転換されることはありませんでした。p131「自給自足的な農家の新しい価値観」

8)減反政策が始まったのが1970年、私がインドから帰国して農業大学校に入学したのが1979年だった。諸般の事情がありながら、結局、体調も崩したりと、私自身が大きく農業に距離を置く羽目になったのは、このような流れのなかでであった。

9)もう少し本格的に野菜づくりを実践したい方には、市民農園がお勧めです。ベランダ菜園に比べ、広いスペースを確保できるので、うまく栽培すれば半自給自足も夢ではありません。土づくりの楽しさや、大地の力強さも実感できます。p188「市民農園を借りる」

10)と、そんなわけで、我が足が市民農園に自然と向いていくのも、意味があるのであろう。

11)なぜこんな話をするかというと、農業の世界に入る方には大きく分けると2通りの方がいるからです。ひとつは厳しい現実を踏まえてそれでも農家になりたいと目指す方、そして、もうひとつは現実から逃れるために農業に夢を描いて入ってくる方です。

 前者であれば、ぜひ頑張って農家になていただきたいのですが、もし後者であるならば、乗り越える壁があまりにも多すぎます。ですから、それでも「どうしても農家nなりたい」という固い信念のある方のみ実行に移してください。p190「思い切って自給自足的な農家になる」

12)農家の親戚に囲まれている私のような中途半端な人間は、農業の厳しさも知っているし、また現実の厳しさからも逃れたいと思う。だから、どうもどっち付かずのようだ(笑)。始めたばかりの市民農園にしたって、ちょうど空き畑になったとなりの1区画を借りようかどうか、悩み始めて、決断がつかない(爆)。

13)「農家になろう」 10年ほど前に、そう思ったkとがすべての始まりでした。結局私は「農家」という道は選びませんでしたが、それからずっと「農家」に魅せられ続けています。p200「あとがき」

14)この1973年生まれの女性ライターは、結局「農家にならなかった」が、感性はわりと私には近い感じがする。なぜならなかったのかは、さまざまな要因があれど、人には人の特性があり、農家も必要であれば、農家に魅力を感じる周囲の人々の役割も必要である、ということであろう。だれもが農家になれるものでもないし、なる必要もない。

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