« 「獏原人村満月祭2015 」"太鼓と精霊のお祭"<5> | トップページ | 「ジュラシック・ワールド」 監督: コリン・トレボロー »

2015/08/08

「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) 東浩紀(監修) <1>

81w9fib1yel
「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) <1>
東 浩紀(監修) 2015/06 KADOKAWA/角川学芸出版 単行本: 280ページNo.3566

1)シリーズ「角川インターネット講座」全15冊の11冊目。いよいよ終盤に近付いてきた。複数の書き手がバラバラに参加するこのようなオムニバス本は、あまり得意ではないが、テーマそのものが面白いので、シリーズのなかでも注目すべき一冊になっている。

2)期待感は、人文思想の領域でも新しい思想を創り出します。その体表例が、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが2000年の共著「<帝国>」で提出した「マルチチュード」という概念です。多様な出自や国籍をもつ人々が、それぞれに独自に情報を手に入れ、統一した「党」のような組織がない状態でアドホックに連帯し、世界各地で生まれては消える運動体。 

 これは、第2章で紹介した「創発的民主制」のアイデアにとても似ています。実際、伊藤(引用者注・伊藤穰一)が論文冒頭で引用したハワード・ラインゴールドは、のち「スマート・モブ」(スマートな大衆)という、マルチチュードの先駆けのような概念を作りだしています。p016東浩紀「序章 開かれた国家・境界なき世界の実現」

3)いきなり序章からマイケル&ハートマルチチュードについて触れているところがうれしい。東浩紀についてはこれまで「ネット社会の未来像 IT時代のジャーナリズム」 (共著 2006/1 春秋社)や「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」(2011/11講談社)などをめくってきた。

4)ある意味、アルビン・トフラーの「第三の波」 (1980/10 日本放送協会出版局)の後継書のような形になっており、待ってました、という内容になっている。伊藤穰一はこのシリーズのまとめ第15巻において、「ネットで進化する人類」ビフォア/アフター・インターネット(2015/10刊行予定)で登場することになっており、最も期待すべき一冊である。これが面白くなかったら、このシリーズ全体が失敗、という結果になる。

5)社会的ネットワークは、在来型のウェブログの形のネットワークだ。ここには”150の法則”が作用している。それは人々が維持し得る個人的関係の数は、平均150だという理論だ。p102伊藤穰一「創発する民主主義」

6)ここで伊藤が引用しているように、当ブログでも「6次の隔たり」と「80:20の法則」から、ネットワークで繋がるべき数は150~200程度であろうと推測してきた。妥当なところである。このネットワークのベースがあれば、世界中のニュースが我が手に集まり、そして、やがては我が発信情報は世界中に繋がる、という目論見である。

7)しかしながら、実際には、自らを中心とした150~200のネットワーカーたちは、実に恣意的に繋がっているのであり、世界の中心点を示すということにはならない。むしろ、かなり偏った傾向ある一部だけの繋がりに終始する結果になることが多いことが分かってきた。

8)たとえば、私の周囲には原発推進派はいない。全て反原発繋がりである。推進派がいたとしても、積極的に切断していくので、周囲は100%反原発となる。それで世界を構成し、納得しているのであるが、実際の選挙や世論の結果とは大いに異なる場合が度々ある。それは当然のことなのだ。

9)しかしまた、一個人としては、「国家」という仮想コンセプトはもういらないのではないか、と思う。国家をどう運営していくかというより、この一個の人間を「地球人」としてどう生きるのか、そこさえ見失わなければいいのではないか。

10)アップルのスティーブ・ジョブズもカウンター・カルチャーに影響を受けたひとりである。彼はコンピューターの万人による所有が社会を変革すると信じ、それまでの企業や研究室に置かれた巨大なコンピューターではなく、個人が自分自身のために利用する「パーソナルコンピューター」である「Apple Ⅰ」を1976年に発売している。p228塚越健司「情報社会とハクティズム」

11)国家という仮想コンセプトに付き合いつづけるよりも、個人としての生き方を大切にする。これは当然のことだ。国のために命を投げ出すなんてまっぴらだ。そう感じるの当然だ。ネグリ&ハートがあぶり出した「<帝国>」に対峙するところの「マルチチュード」も、実は、致命的なコンセプトエラーを含んでいる。

12)群衆なんていないのである。反逆する個人ならいる。だからこそ、「国家」は開かれるのだ。個として自らの足で立ち上がるからこそ、すべての仮想コンセプトは消え去るのだ。

<2>につづく

|

« 「獏原人村満月祭2015 」"太鼓と精霊のお祭"<5> | トップページ | 「ジュラシック・ワールド」 監督: コリン・トレボロー »

17)空と緑」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) 東浩紀(監修) <1>:

« 「獏原人村満月祭2015 」"太鼓と精霊のお祭"<5> | トップページ | 「ジュラシック・ワールド」 監督: コリン・トレボロー »