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2015年8月の36件の記事

2015/08/31

「IKEAカタログ2016」

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「IKEAカタログ2016」
No.3576★★★★★

 「おじいちゃんがやりたいのはこれでしょ?」と、老いたる奥さんがおっしゃる。う~ん、そうかなぁ。IKEAという家具屋さんができたことは知っているし、数回足を運んだが、なるほどね、という程度で、そのマーケティングの対象にはなっていないように感じ、手ぶらで帰ってきた。

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 DIYの要素もあるようだし、割と値段もこなれている。全体的なカラーや機能が一体感があって、たしかに若い人たちに人気があることは分かる。しかしなぁ、私どもアラ還世代には、本当に人気あるだろうか。と、私は小首をかしげる。

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 しかしである。なにもターシャ・チューダーのような頑固な18世紀愛好主義者に凝り固まることもないだろう。人は世につれ、世は人につれ。若い人たちの話も聞いて、それなりに、その時代の色に染まっていきていくことも大事だろう。

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 カタログをぱらぱらめくれば、なるほど、気になるページがないわけじゃぁない。なるほどね、これも悪くないな、というデザインブックにはなってくれる。値段も決して手が届かないようなものではない。

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 でもなぁ、だいたいの基本はもう揃っているのだ。これから何を捨てようか、という時代である。いいデザインのものを見つけたりしても、ちょっとしたものなら、自分でDIYでこしらえてみたほうがいいのではなかろうか。

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 ああ、いけない、いけない。こんなことを言っていると、若い人たちから見放される。お、こんなものがあるんだね。これ、いいね。なんて、多少のオベンチャラを言っておくのも手かな。自分で買わなくても、ひょっとするとプレゼント、なんてこともあるかもしれないし。そうそう、9月のシルバーウィークとやらもちかいしね(笑)

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 結局、これほしいかな・・。↓

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「市民農園体験記」<35>長雨つづき

<34>からつづく
市民農園体験記 
<35>長雨つづき

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 もうすでに10日以上、太陽が顔を見せていないという。長雨つづきで、せっかくのトマトもひび割れている。来年はビニールで屋根をかけよう。これでもまだスープの材料とかにはなるかも。

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 相変わらず正体不明のあいつはすくすく伸びている。どうやら台木に使われた南方系のかぼちゃらしい。一個とばかり思っていたが、垂れ下がってもうひとつ成長していた。

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 ナスはそろそろ終りかな、という雰囲気だが樹勢はまだまだある。下枝や脇枝をカットして、すこし背高にしてみる。うまく行けば、秋なすびが楽しめるはずなのだが。

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 シシトウやピーマン、パプリカの類も、下に植えたサツマイモの勢いがつよく、蔭に隠れてしまったので、背高に作りなおし。

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 いつになったら実がつくのかと楽しみにしていた枝豆も、サヤだけはでき始めた。このままチャンとなってくれたら、中秋の名月に楽しめるのだが。こちらでは9月の満月を豆月さま、といい、10月の満月を芋月さま、という。

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 頼まれもしないのに何処からかやってきた赤シソは元気がいい。なんとなく花も咲きそうだ。奥さんはシソの実を楽しみにしている。

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 トウモロコシの蔭になって成長が芳しくなかったサトイモも、ここに来て元気がよさそうに思う。このままうまく育ってくれれば、暖かい煮物が頂けるはず。

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 静かにどっしりとカボチャも鎮座している。すでに集荷したものを合わせると3個の収獲。12月になれば、冬至カボチャとなって、家族みんなにふるまわれることだろう。

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<36>へつづく

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「わがボタニカルライフ」<9>シダ

<8>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<9>シダ

 「獏原人村の植物図鑑」に刺激されて、当ブログにおいても、わがガーデンの植物図鑑なるものをやってみようと思う。まずは、透明なコップに入る程度のテーブルグリーンから始めてみる。

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 最初は、庭のビワの木の根っこに生えていたので、他の雑草とともに抜き去ったのだが、いや待て待て、雑草という名の草はないのだ。この植物は何?と関心を持ってみることにした。

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 おおよそ私でも、これはシダ類だということは分かるが、名前がある種類なのかどうかは分からない。奥さんに聞いたら、本当はもう少し大きくなるのだが、今年は初夏に水不足だったので、大きくならなかったわね、とのたまわる。

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 なるほど、よくよく見ると、あちこちに生えている。ビワの木の根っこばかりではなく、家の北側の日当たりの悪い場所や、なんとプランターにさえ、堂々と棲息しているではないか。

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 かつては我が家にもアジアンタムという名のあるシダもあったそうだが、冬越えできずに枯れたらしい。現在庭にあるのは、自生力の強い種類らしい。

5

<10>につづく

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2015/08/30

「獏原人村の植物図鑑」2015夏

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「わがボタニカルライフ」<8>ニホンタンポポ

<7>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<8>ニホンタンポポ

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 この植物をもまた、わがボタニカルと呼ぶには、ちょっとおこがましいかも。
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 阿武隈川の土手に咲いていた根っこを我が家の庭に移植してすでに20数年。すっかり我が家の家族同様であるが、特段にお世話をしているということではない。

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 ただ、在来種として、西洋タンポポの来襲からひっそりと身を守り続けるには、我が家の庭は適していた、ということになろう。

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 違いは、その色と額の付き方である。色はやや白く、淡い。額は垂れ下がっていない。
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 春になると、突如という感じで現れ、かなりの生命力を見せるが、季節が過ぎて夏ころになると、すでに雑草の中に紛れてしまう。それでも、根は深く張り、来年もきっと花を咲かすのだ。T009


<9>につづく

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榧(かや)の古木 歴史の証人 「Kappo 仙台闊歩」 vol.77 

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「Kappo 仙台闊歩」 vol.77
Kappo編集部  2015/10/05 雑誌 隔月刊 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集
No.3575★★★★★

 
「柳生 榧(かや)の古木 歴史の証人」
仙台、歴史のさんぽ道 ⑨ 歴史のふるさと

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「ターシャ・テューダーのガーデン」 Tovah Martin <2>

<1>よりつづく

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「ターシャ・テューダーのガーデン」 <2>
ターシャ テューダー(著), Tovah Martin(原著), 1997/4 文藝春秋  大型本 158ページ

 ふと気づいてみれば、今晩もターシャ・チューダーの特別番組をNHKテレビでやっていた。しかも2時間の特番である。なんとも凄い、彼女の世界が全面的に展開される。本だけチラチラめくっただけでは気付かないことが多くあった。

 前回のメモは、自分でも恥ずかしいようなことを書いてしまったが、それでも、やはりどこかで疑問は疑問として残っているようである。しかし、それを上回るような圧倒的な彼女の世界は2時間テレビにかじりついて見る価値はあったようだ。

 彼女は10代から絵を書き、23歳で絵本作家になり、結婚し、3人の子供に恵まれ、離婚し、作家として自立し、そして57歳でこの地にうつり、本格的に庭づくりを始めたそうだ。1971年のことだから、決して大昔のことではない。ソローを愛していたとも言うから、ある意味、私たちと同世代のアーティストだったとも云える。

 最初は石ころだらけの荒地だったというから、私たちのアラ還世代も、今からとんでもないところに行って、夢を追い続けたとしても、ひょっとすると彼女のような世界を生み出せるのかもしれない、という夢を与えてくれる。

 このガーデンは彼女流の味付けが強く(つまり若干18世紀のアメリカ懐古趣味的)、ややもすれば好き嫌いが分かれそうだが、好きな人はとことん好きになるにちがいない。私と言えば、彼女の趣味はやや窮屈。

 例えば、機械や電気機器を極力隠しているのはともかくとして、この二時間番組には自動車が一切でてこない。演出するのはいいとして、現代社会においては、自動車なしには人間の暮らしはありえない。よくもわるくも、そういう時代である。

 そのあたりが、すっぽり切り取られているのは、やはり私には不満である。それと、電話やテレビはともかくとして、現代ならインターネットの不足は、私には決定的なダメージである。どんな田舎に移動しようと、現在の私は、ネットが繋がるかどうかで、その地の価値がまったく変わる。

 それと雪の存在だ。私は北国だが、割と雪が少ない地方に住んでいたので、長期にわたって雪に閉ざされる生活には耐えられないだろう。彼女の地は一年の半分は雪に覆われるという。だからこそ、春の芽吹きが素晴らしい感動を生むのであろうが、春を待つために、長い冬に耐える、という生活は、今のところ私には無理だ。

 彼女は、絵本作家という仕事を持っていたので、その冬のすごしかたや、地方に離れてくらすライフスタイルを無理なく実行できたようだが、私は現在の仕事を続ける限り、あまりに人里離れた過疎地も無理なようである。

 それと、彼女は樹木や草花を中心にガーデニングをしたようであるが、現在の私は、野菜作りや米作りをしたくなるだろう。上手に出来ないからと言って、諦めるわけにはいかない。そこに何事かの生きがいを感じることだろう。

 彼女のガーデニングばかり関心を持つのも偏っているようだ。彼女はアーティストだ。どんなことに対してもクリエイティブに取り組む。毛糸の編み物。ミシンでのドレスづくり、ケーキを焼いたり、蜜蝋でろうそくを作ったり、絵を書いたり、スケッチをしたり、時にはカード類も作る。部屋を作り、温室を作る。どれもこれも、刺激されることばかり。

 彼女のような生き方があり、彼女のような生き方に多くの人々が共感し、こうしてテレビで見ることができる、ということはとても素晴らしいことだと、あらためて思った。

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2015/08/29

「わがボタニカルライフ」<7>かやの木

<6>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<7>かやの木 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集Unnamed903

 この植物を、単にボタニカルと表現してしまっていいのだろうか。ましてや「わが」ボタニカルライフ、などと表記したら、不届き千万、ということになってしまうのかもしれない。

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 しかし、「わが」ボタニカルライフを振り返るなら、やはりこの巨木をひとつ加えておかなければ、なんとも片手おちということになる。

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 このかやの木は、そんじょそこらにあるかやの木ではないのである、などとわたくしがノタマワっても、まぁ、かやの木そのものの価値に変わりはない。

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 まぁ、あえてここは柳生(やなぎう)かやの木、と表記しておこう。

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 「わが」と言ったら、所有している私物のように聞こえるが、この木に関しては、もちろん私個人の所有ではない。だが、私の親族一族が関わっている、という意味では「わが」と言えないこともない。その「保存会」が毎年春に行なうお祭りの幹事でもあるのだから、まぁまぁ、他人ごとではない。

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 このかやの木に関しては、他にいろいろ語られているし、私も書いたし、資料も集めてある。細かいことは抜きにしよう。ここでは、「わが」という範疇におけるボタニカルとしての、この記念木をここにメモしておくものである。

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 瑣末ないろいろなことはあれど、そういう外縁的なことにばかりこだわり過ぎて、私自身は、このボタニカルと一対一で対峙したことはどれほどあっただろうか。「わが」とは、私が私のほうに引き寄せた、というニュアンスが残る。

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 しかるに、このボタニカルにおいては、むしろ主人公はあちらであろう。「わが」と使えるのはむしろあちらだ。彼(あるいは彼女)は、言っているに違いない。おお、わが子孫たちよ。わが血脈たちよ、と。

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 そうした場合、私は客体である。「あなた」あってのボタニカルライフである。「あなた」とボタニカル、「あなた」に支えられ、包まれてあるボタニカルライフである。あまりに大きい、巨体である。

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 推定1350年を超える古木ではあるが、まだまだ若い。毎年、たくさんの実をつける。 

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 いつかは、この実からわがガーデンにも鉢としてのかやの木を、と考えてみはみるが、実行に移したことはない。

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 時代と対峙するボタニカルである。

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<8>につづく

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「わがボタニカルライフ」<6>サンショウ

<5>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<6>サンショウ

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 サンショウ。この木は、わがボタニカルライフにおいては重要な一鉢である。つまり、丁度一年前から取り憑かれていたエコビレッジ構想の、わが心象の象徴的な一本と言っても過言ではない。

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 かの地において、資材置き場を作業中に、いい匂いがするなぁ、と思っていたら、この木が挟まっていた。資材の中からギリギリ顔を出していたので、決して姿がいいわけではない。ましてや作業の邪魔になるので、しかたなく抜き取られてしまったのである。

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 それにしても心残りなので、半分実験で、自宅に持ち帰り、鉢に移植して見たのだった。最初はまずまずだったが、季節も季節だったのか、数日するとやがて葉が落ち始め、数週間すると、あっという間に一本の針金のような状態になってしまった。

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 最初、室内においてみたのだが、枯れてしまったのかと思って外に出しておいたところ、今春、なんとその枯れ木から芽が出て、葉が付き始めたのだ。そして、あの例のサンショウ独特の香りを楽しむことができるようになったのだ。

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 しかし、実がなったわけでもなく、枝ぶりがよくなったわけでもない。今後このサンショウを育てていくにはどうすればいいのか。まずは大きな鉢に移植する必要があるのだろうが、そのタイミングや土や肥料、日当たりや、水加減、そんなことを考えていると、なかなか手がでなくなってしまうのである。

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 それでも、いちどは作業の邪魔になって抜き取られ、さらには枯れてしまったと思われていながら、やがて春には芽を出し復活したところなど、繊細なかおりながらも、なかなか力強い一本であるなぁ、と感激する。今後も大事に、大事に、育てたいと考えている。

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<7>につづく

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2015/08/28

「植物男子ベランダー」<2>目次

<1>よりつづく

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「植物男子ベランダー」 <2>
NHKBSプレミアム 番組リスト目次

 このテレビ番組、やたらと面白い。最近気付いたのだが、昨年からやっていたらしい。再放送もしているが、ネット動画で見ることもできないこともなさそうだ。これらのリンクはいつまで有効なのか知らないが、とにかく自分のため、リンクを張っておいて、もうすこし、なんで面白いのか、ゆっくり考えてみよう。編集中

SEAZON1
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第10話
第11話
第12話
第13話

SEAZON2
第1話  
第2話 
第3話 
第4話 
第5話 動画 
第6話  
第7話  
第8話 
第9話 
第10話 
第11話 
第12話

SEAZON3

第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第10話
第11話
第12話

<3>につづく

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「市民農園体験記」<34>ひと夏の経験

<33>からつづく
市民農園体験記 
<34>ひと夏の経験

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 思い立って始まったのが4月の初旬、現在は8月の終りだから、おおよそ5ヵ月の時間が経過したことになる。かずかずのエピソードを残して夏は過ぎていこうとしているわけだが、はてさて、これまでの経験を自己採点しようとすると、おそらく100点満点の15点から20点程度であろう。実に失敗の連続であった。

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 おおよそ25品目から30品目を手掛けたはずで、それらの失敗例一覧はいずれ書くとして、その中でも、一番の失敗が、寒冷紗によるトンネル栽培であろう。そもそもが発想が悪かった。ブロッコリーとキャベツの苗を移植したあと、どうしたわけか(というか当然なのだが)、どんどん目に見えない虫たちに蚕食され、成長するどころか、自然消滅しそうになっていった。

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 そこで他の方々の畑を見ると、この寒冷紗がかかっていたのである。そもそも、は種するか移植した、その直後に寒冷紗をかけないと意味はないわけで、ましてや蚕食されたあとに寒冷紗をかけたのでは、むしろ虫たちを守ってあげているようなことになってしまう。

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 そのことは最初の最初から気付いていたのだが、もしや、という期待が、ほんの少しだけあったことは確かである。しかし、結果はご覧のとおり。そんな甘い考えは通らない。そして、その後は、もう、見るのも触るのも嫌で、わが畑における最大のタブー化と成り果てていたのであった。

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 すでに他のみなさんは秋冬に向けて畑をチェンジしている。わが畑もすこしづつ模様替えをしなければならない。いつまでも目を閉じているわけにはいかない。きょう、おっかなびっくり、寒冷紗を開けてみることにした。

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 思った通り、何にもなってない(笑) 雑草が生えているだけである。春菊が飛んで一本生えているかな。とにかく、寒冷紗した意味はまったくないわけである。キャベツの苗の痕跡も、多少はある(爆笑)

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 なにはともあれ、転んでもただではおきない根性が欲しい。秋野菜では、この寒冷紗セットを活用する方法を考えてみよう。まずは白菜かな・・?

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<35>につづく

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「わがボタニカルライフ」<5>くわず芋

<4>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<5>くわず芋

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 友人のO君は整骨院院長である。割と説教魔で、一つ質問すると、三つ答えが返ってくる。あまり体についての知識のない私なぞは、いちいち、なるほど~、と相槌を打ちながら、参考にはなるのだが、結果、実行する力が足りないので、毎回、またまたお説教となる。

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 この植物(ボタニカルと言っておこう)は、沖縄産のイモらしい。「くわず芋」って知ってるかいと、彼に聞かれたが、もちろん知らない。どうやらかの地では、道端のどこにも生えているらしい(本当だろうか)。芋もなるのだが、食べる人はいないらしい。

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 私はこの貰ってきた植物(ボタニカル)を室内、とくにガレージオフィスに欲しいと思っていたので、棚に飾っておいたが、どうも光が弱いのか、緑の色が薄くなってきた。そこで、思い切って、日差しの明るい庭に移動。多少は葉の色も戻ってきたようだ。

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 このボタニカルは、今後、どれほど大きくなるのだろう。できれば大きくなって人と同じくらいの高さになってほしい。そして、増えるよ、と言われているので、どんどん増えて欲しいと思う。くわず芋、今後、わが家のボタニカルワールドで、どのような成長を遂げてくれるであろうか。

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<6>につづく

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「クラインガルテン計画」<12>雨の中の作業

<11>からつづく 

「クラインガルテン計画」

<12>雨の中の作業  目次

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 片道小一時間、往復で二時間。それに滞在時間を二時間をプラスすると、結構な時間になる。スケジュールも体調も気になる。それをなんとかやりくりし、週一回程度クラインガルテンに通うことは、まぁまぁ不可能ではない。

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 しかし、それに加えることの天候も大事な要素となる。出発時点の出発エリアが晴れていても、肝心の畑が雨だったりする。そして行ってみれば、先週草取りをしたはずなのに、またまた雑草の繁茂ということになる。まぁ、夏を過ぎれば、もうすこし穏やかにはなるだろう。

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 間引きしたトウモロコシの苗をこちらに10数本ほど移植しておいたら、心配されたハクビシンの被害にもまだ合わず、それなりに結実していた。歯っ欠け状態は、おそらく、受粉がいまいちなので、来年からは、もっと沢山植え、少なくとも二条以上で植えようと思う。

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 むしり取った茎や葉は堆肥づくりに回す。雑草たちも実が付かないうちに抜き取り堆肥の山へ。持参した米ヌカをまぶしておく。雨の日の作業は、雑草を抜くには力が要らず都合がいい。遅れて移植したナスもそれなりに成長し続けている。

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<13>へつづく

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2015/08/27

「わがボタニカルライフ」<4>あさがお

<3>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<4>あさがお

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 町内を散歩中、とあるお宅の玄関先に、「自由にお持ちください」と、あさがおの苗が提供されていた。たしかあれは5月の下旬頃だっただろうか。

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 二鉢いただき、プランターに移植。その後、100円ショップで支柱を揃えておいたら、見事大輪の朝顔が咲いた。

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 しかしこのあさがお、わずか数十センチの支柱では不足して、どんどん成長して行った。

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 七夕飾りで余った竹などを支柱にしたので、どんどん伸びて、まだまだ止まらない。

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 それではということで、プランターごと移動し、ミニトマトを這わせていたネットのところにおいてみた。

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 ますます元気だ。こんなに大きくなるとは思わなかった。

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 上のほうはまだまだ余裕があるから、もう、こうなったら、まだまだどんどん伸びてもらいたいものだ。

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<5>につづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<56>「空と緑 」カテゴリについて

<55>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<56>「空と緑 」カテゴリについて

1)実に腰の定まらないカテゴリであった。最初「死について」で始まったが、途中で「無心」となり、「空」となった。そして最後には「空と緑」になった。当ブログにおいては、すでにカテゴリーという概念が機能していない。もはやカテゴライズすることの意味を失っている。

2)むしろ、書かれた時期を明記しておくだけでいいのではないだろうか。このカテゴリが描かれたのは、2015/06/01から2015/08/27までの間、約三カ月間。今後は、ひとまとめにするカテゴライズ類似としては「2015/06/01~2015/08/27」のような表記の方が、よりまともに感じられる。

3)「再読したいこのカテゴリこの3冊」は、通読していないものの、昔から気になっている福岡正信氏の「無」三部作。最終的に氏の三部作が終章となるのであれば、最初の最初から、カテゴリ名は、必ずしも間違っていなかったと思う。あるいは、そのような傾向が、結局最終的に氏の三部作を引き寄せたともいえる。

4)「メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリ進行時のような、やや危うい雲行きを感じる。何もなければいいが・・・。あの、あの閉塞感を打開する形で3・11が起こったのであった。

5)次のカテゴリ名は、なにはともあれ「2015/08/27~」にする。

<57>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「空と緑 」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊「空と緑」編

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「無 1 神の革命」
福岡 正信(著)1985/07 春秋社 単行本 378ページ
「無 2 無の哲学」
福岡 正信(著) 1985/07 春秋社 単行本 414ページ
「無 3 自然農法」
福岡 正信(著) 1985/11  春秋社 単行本 423ページ
No.3572~4★★★★★

次につづく

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「無」 福岡正信

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「無 1 神の革命」
福岡 正信(著)1985/07 春秋社 単行本 378ページ
「無 2 無の哲学」
福岡 正信(著) 1985/07 春秋社 単行本 414ページ
「無 3 自然農法」
福岡 正信(著) 1985/11  春秋社 単行本 423ページ
No.3572~4★★★★★

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「ターシャ・テューダーのガーデン」 Tovah Martin <1>

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「ターシャ・テューダーのガーデン」 <1>
ターシャ テューダー(著), Tovah Martin(原著), 1997/4 文藝春秋  大型本 158ページNo.3571★★★★★

1)ターシャ・テューダーについては、いつか家族とともに茶の間のテレビで何度か見ただけだ。凄いな~、憧れる~、という想いと、このような世界を、我が家の奥さんも夢見ているかもなぁ、と思いつつ、テレビの画面を見ていた。

2)ひとつの極である。ガーデン、という単語が浮かんできて、図書館の園芸コーナーに行ったら、いやでもこの大型本が目についてくる。そうそう、彼女もいたよな。そう思い出しながら、<しぶしぶ>一冊、ひも解いてみる。



3)この本を、そして、主人公である彼女と、彼女の庭を絶賛し、ほめちぎることはそれほど難しくはない。とてつもない偉業である。美辞麗句を並び立て、私もひとりのターシャ・テューダー信奉者になることは、割と簡単なことである。

4)しかし、私の心の中では、なにかどす黒い、それは綺麗な花や、透き通るような緑に反する、ドロドロの、疑念や、反感が湧きでることも確かなのである。それは、うらやましー、という嫉妬の念がベースになっているとは言え、まるで無視して、私の理性が圧倒的に勝利するような簡単なものではない。

5)未整理のまま、それらのあれこれをメモしてみると・・・。
・イギリスのまるで中世の魔法使いのようにさえ見えるけれど、これは現代のアメリカである。
・当時90歳と言われる彼女が、まるで「ひとり」で作り上げたように言われているが、実はそうではない。多くのスタッフがいるはず。しかし、そこで「ひとり」が強調されるのはなにか。
・人里離れた緑豊かな環境にひとりくらす老人老女は日本にも多くいる。しかし、そこでは、過疎とか、介護とかの話題が先行する。ターシャ・チューダーとて、病気や身の回りのことが、まるで「ひとり」で出来るわけはない。
・この動画がそうであるように、、ごくごく自然の中であるように見えて、実はカメラワークなどには、かなり多くの現代的機器が使われているし、現実以上のフレームアップが行なわているようで、納得できない部分がある。
・このガーデンは40万坪あると言われているが、そもそも老女「ひとり」にこれだけの広さが管理できるわけがないし、おそらく、通常の人間が生きていくうえで、こんなに広いスペースは必要ない。東京ドーム30倍ほどの広さの「ガーデン」が、「老女ひとり分」として必要であろうか。
・野菜や穀物や果実など、食料はどうするのか。生活費はどうなっているのか。運営費はどうなっているのか。成功した絵本作家ゆえに、そういう心配はない、のかもしれないが、それでも、人間離れしたスケール感が、人々を驚かせ、また真実味を遠ざける。
・などなど・・・。

6)そして、究極には、ディビット・ソローの「森の生活」も、鴨長明の「方丈記.」も、必ずしも、人間がひとり俗世間を離れて、自然の中に埋没していくことを、推奨はしていない。スナイダーであろうと、三省であろうと、決して、耽美的ではない。

7)翻って考えてみるに、私の周囲にも、それぞれの条件下(多くは親からの相続だが)、ひろい庭にひとり住んでいるという人物も少なからずいる。言ってみれば、ターシャ・テューダー予備軍である。しかしながら、彼らは、ターシャのようには「美しく」は生きていない。

8)だから、どうのこうのという前に、ターシャにはターシャの素質や資質があり、その環境の中で生きていて、結果としてあのようになったということは、むしろ喜ばしいことであろう、と共感してみるほうが素直である。

9)ターシャの「完成」や「成功」が、誰かに不必要以上に「未達感」や「失敗感」を味わわせているとしたら、それは受け取り方のほうが間違っているとは言え、不必要以上に、ターシャのガーデンをほめちぎることは、ふさわしくない、と私は思う。

10)ヘルマン・ヘッセの「庭仕事」のほうが、私にとってはやや控えめで、いたずらな誇張が含まれていないと思う。それもこれも、受け取り方次第だが。

11)NHKテレビドラマ「植物男子ベランダー」のようにちょっと卑屈過ぎるのどうかと思うが、それでも、現代人には、スケール的には共感を呼ぼうというものである。

12)はてさて、さりながら、わたし的には、エコビレッジ構想クラインガルテン計画市民農園体験ボタニカル生活、などなどの試掘の中で、自分なりのスケールをなんとか探りよせなければならないと思う。

13)ターシャ・テューダーのような「夢」のようなことは夢として、今、自らの目の前にあるリアルな現実を、敢えて受容し、その上に立って、生きることこそ、地球の上に生きる人間としての自覚であろう。

14)素晴らしい先人たちの、輝くような作品を見つつ、自分は自分の足で立つ必要性を感じる。

<2>につづく

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2015/08/22

「自然農の野菜作り」栽培に役立つ基本的作業の実践例 映像企画

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「自然農の野菜作り」栽培に役立つ基本的作業の実践例
映像企画 2015/07 映像企画 DVD 48分
No.3570★★★★★

1)「自然農の野菜作り」DVD/Blu-ray が出来ました!
ご協力下さった皆様、本当にありがとうございます。
初心者には分かりやすく、経験者には成る程、こうすれば良かったのか…と再認識して頂ける内容となっております^^
沖津さん、山田さん、岩野さん、本当にお世話になりました。
...

自然農の理が静かに広がって行く一助となればと思います
http://www1.linkclub.or.jp/~amal/index.html

ご希望の方は齊藤までご連絡下さいね。
お待ちしております!
2) SNS繋がりの齊藤 範子さんのご紹介である。実はこのDVDまだ見ていない。近いうちに見るかも知れないが、見ないで終わってしまうかもしれない。というのも、私の心はかなり揺さぶれているからである。
3)次の文章はやはりSNSで流れてきた文章で、まだ友達になっていないひとの文章なのだが、とても気になるので、全文お借りしておきます。
4)無肥料は飽食時代がもたらした新しい思想

肥料を使わない自然栽培や自然農は、木村秋則さんの奇跡のリンゴをきっかけに、近年少しずつ浸透してきています。この栽培は大変素晴らしいことですし、農家さんにとっても消費者にとっても非常に原始的で、価値あるものだと思います。 

しかし、この栽培が通用するのは、あくまで現代のような飽食時代が成り立っているからこそ付加価値作物として存在しているのであり、人類の農耕の歴史で見れば、近年誕生した新しい思想であることがわかります。... 

無肥料栽培を過剰に評価したり、肥料を使用する他の栽培方法を蔑視したり、否定したりするのはとてもナンセンスなことです。なぜなら、人類は常に飢餓と隣り合わせにして、空腹と闘ってきた歴史があり、作物の収量をあげるために肥料を使ってきたからです。 

有史以前の農耕社会では、その作物を重要な食糧源として考慮している限り、全世界を見渡してもほとんど肥料を使用しています。また、私たちの先祖に近い暮らしをしている未開の先住民族(ここでは農耕民)の栽培を見ても、ほとんどが肥料を使用しています。パプアニューギニアの高地に住む先住民はタロイモやヤムイモを主食に生活をしています。彼らは、人糞、家畜の糞、落ち葉などを肥料に作物を育てています。アマゾンのヤノマミ族は、焼畑農業により、灰を速効性の無機肥料にし移動式農業を行っています。他にも、北米大陸の先住民インディアンは他民族から教わった肥料を加えることでそれまでの飢饉から免れたことなども挙げられます。 

当然、肥料を使用してきたという歴史は、無肥料では収穫量が劣るという学びがあったからです。例えば、アイヌ民族の中には、「堆肥、灰、腐葉土は大地を穢す」ものと見なされていたため、肥料は施されなかったこともあるようです。さらに除草もほとんどしなかったために、収穫量は少なかったようです。しかし、アイヌ民族はその土地柄、狩猟・漁労・採集がメインでしたので、そこまで農耕には力を入れていません。 

いわゆる四大文明についても農耕の発展により築かれていきました。農耕が発展したのは、どれも大河の流域だったからです。上流から運ばれてきた沃土(=肥料となる栄養素の豊富な土壌)によって農耕地が生まれました。 

そもそも肥料の定義があいまいだからこそ、無肥料という誤解が生まれることもあります。肥料とは植物を生育させるのに人工的にに施す行為そのものであるならば、緑肥も焼畑も土壌改良資材もそれにあたります。 

肥料は飢餓から人間という種を守るための知恵であり、仮に肥料による弊害が起き、そのデメリットを考慮しても、歴史的に施肥を選んだのにはそれなりの理由があるからなのです。 

自然栽培の無施肥は大変素晴らしいことなのですが、その背景には慣行栽培の農作物が食糧保障しているからできる選択肢のひとつなのです。もちろん、米・麦・大豆などの作物は肥料がなくとも比較的育ちやすい栽培種です。しかし、栽培作物すべてを概して供給量を考慮すれば、やはり肥料を施すことは避けられないといえるでしょう。一部の産地における過剰な量の施肥や肥料の品質を問題にあげ、施肥そのものを否定することは論点が少しずれていると思えてなりません。吉冨 信長 

8月20日 23:58

5)この方がどういう方なのか、今のところまだよくチェックしていないのだが、この方の文章もかなり説得力があると思う。今日の私は、あまり論理的な作業を長時間できるような状態ではないので、ざっと目を通しただけなのだが、立派な文章だと思う。
6)今日はこれらのことが気になった、ということを、まずはメモしておく。

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「わがボタニカルライフ」<2>目次

<1>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<2>目次

38)不耕起農法  2017/06/05更新
37) ゆず
36)
大根
35)
ヘチマたわし 
34)
ナナツホシテントウムシ
33)
トチの実
32)
ハロイン・カボチャ
31)
グラスジェムコーン 
30)
ヘチマ
29)
インナーボイス
28)
人畑一体
27)
もっと上手に市民農園
26)
ナガミヒナゲシ
25)
もう夏でしょう・・・
24)
ボタニカル風景 
23)
イメージの連鎖
22)
キミ、盆栽はいいよぉ~
21)
悠久の時を継ぐ
20)
ボタニカル・アラカルト
19) カプトメデューサ  
18)
マリモ 
17)
植え替え
16)
 
15)
剪定
14)
オオアマナ
13)
自然とのふれあい?
12)
空き地の雑草
11)
ゼラニウム
10)
ほおずき
9)
シダ
8)
ニホンタンポポ
7)
かやの木
6)
サンショウ  
5)
くわず芋
4)
あさがお 
3)
まずはこの辺から
2)
目次
1)
ボタニカルってなんだろう? 

 

<3>につづく 

「市民農園体験記」目次

「クラインガルテン計画」目次

 

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「わがボタニカルライフ」<1>ボタニカルって、なんだろう。

「わがボタニカルライフ」

<1>ボタニカルって、なんだろう。

 NHKBSテレビ番組「植物男子ベランダーseson2」というものを見て、やたらと気に入ってしまった。なぜだろう? 30分番組というコメディタッチの小気味よさがいいのかもしれないし、田口トモロヲ演じるところの独身男性主人公が、いいのかも知れない。あるいは、ひょっとすると、原作のいとうせいこうのもともとの原案がいいのかも知れない。

 そう思って、原作と言われる「ボトニカルライフ」なる本を取り寄せ開いてみた。いとうせいこうは、いちど講演を聞いたことがあるという親近感があったし、まぁ、名前からして他人とは思えないのだが、どうも最近の私は、一冊の本をまともに読みこめるほどの気力もない。なにせ、この夏は暑すぎた。

 ボタニカル、なる言葉は実に初めて聞いた言葉なので、一体なんだろうと、調べてみると、植物(図鑑)という意味らしい。植物学とか、図鑑とか、科学と芸術の融合なる言葉が踊る。なんだか、今のところ意味不明。

 で、いずれにしても、このテレビ番組からの連想で、ベランダ植物愛好のことをボトニカルライフと読むことにした。というのも、最近、というかこのところずっと気にはなっているところであるからだ。

 当ブログは、何故か、エコビレッジ日記、クラインガルテン計画、市民農園体験と三つの連載記事が走っているのだが、どうももうひとつ収まりが悪かった。ここにわが日常の最も身近である庭仕事を付け加えたいと思うのだ。

 別に、もともとが植物男子でもなければ、ベランダ仕事が特段に好きなわけではない。いや、むしろ苦手なほうだ。だが、どうも私の性癖は、得意分野を伸ばすというより、いつも苦手な分野を残しておくのがおちかなくて、それを修正しようとする傾向がある。つまり、下手の横好きという奴である。

 そこで、まずは、エコビレッジ構想--クラインガルテン計画--市民農園体験--ボタニカル(ガーデン)生活、という連携を作ってみたいと思うのである。それぞれに発想が別々ではあったのだが、そもそもの根っこは同じなので、いずれはこの4つのお話は、一つに集約されていくのかもしれない。

 ボタニカルとは、必ずしもガーデン生活を意味するわけではないので、この4つを含めった形で、全体をボタニカルと総括するようになるかもしれないが、私はどうも、それは違うという感じがする。これらで私がやりたかったのは、決してボタニカルではなかった。

 しかし、今は適当な名前もないし、まとまりもないので、ボタニカル生活をガーデン活動と読み替えて、暫定的に今の私は何をしたがっているのか、ボーリング作業を開始することとする。

<2>につづく

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2015/08/20

「クラインガルテン計画」<11>なにはともあれ初収獲

<10>からつづく 

「クラインガルテン計画」

<11>なにはともあれ初収獲  目次

15
 夏真っ盛りである。暑い暑い。とても長時間畑仕事をできるような状態ではない。

10

 雨も降らず、水不足も深刻である。

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 週末農業どころか、週一時間農業では、十分な作業はもともできない。

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 しかし、作物はすこしづつだが確実に成長しており、今日はナスの初果をもぎとり、トウモロコシも一苗果実ふたつにするために、ヤングコーンをもぎ取った。

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 リーフレタスは、虫もつかずに着実に成長しており、下の大きい部分をカットする。

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 思えば、これがわがクラインガルテンでの初収獲ということになろう。7月から始めた、わずか一ヶ月ていどの農園であるので、多くを期待してはいけない。

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 最近、またまた米ヌカの提供先を確認した。

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 雑草が生えるのも早いが、刈り取った草や枯れ葉で作る堆肥には、米ヌカは欠かせない。

13
 いつまで続くのか、このクラインガルテン計画。実にまだまだ、始まったばかりなのだ。

12

<12>につづく

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「わがボタニカルライフ」<3>まずはこの辺から

<2>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<3>まずはこの辺から

1
 そもそも鉢物を置いていたこのスペースに、今年の夏の暑さで、ついにエアコンをつけることになり、その屋外機にスペースを奪われてしまったのだった。

2
 ここはしかたないので、あり合わせの残材で、鉢物を乗せる棚を作ることになった。

3
 どうも植物ばかりを相手にしていると無茶はできないが、大工仕事なら、一気にその成果が見えてくるから、うれしい。

4
 うまくいく時は、廃材と回りの寸法がピッタリとくるから不思議なものである。

5
 はい、なんとか形になりました。

6
 <4>につづく

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2015/08/18

「市民農園体験記」<33>そろそろ秋冬の準備?

<32>からつづく

市民農園体験記 
<33>そろそろ秋冬の準備?

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<34>につづく

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2015/08/17

「有機野菜ビックリ教室」 米ヌカ・育苗・マルチを使いこなす 東山 広幸

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「有機野菜ビックリ教室」 米ヌカ・育苗・マルチを使いこなす
東山広幸(著) 2015/05 農山漁村文化協会 単行本157ページ
No.3569★★★★★

1)この本も相当に面白い。わがブログの「市民農園関連リスト」の中においても出色の面白さである。と、そう私に思わせるのは、まずはこの本がごく最近でた本であること、さらには、タイトルに「米ヌカ」が抜き書きされていることだ。

2)わが市民農園とクライン・ガルテン計画では、この米ヌカの活用が現在メインのテーマになっている。それというのもの、難しいと思われていたその入手方法だが、割と近くで、無料で入手できることが分かったからである。そして、どうもここが大きなポイントだな、とピンと来たからである。

3)米ヌカで見事に雑草が枯れる 追肥にもなる

 一度雑草だらけになったウネ間を単に中耕しても、完全に草をなくすことは難しい。生育こそ停滞するが、また根がついてしまうのだ。ところが温暖な時期に米ヌカをまいてから中耕すると、ものの見事に草は枯れる。雑草の新たな発芽もしばらく抑えられる。米ヌカが分解すればまた雑草が生えてくるが、雑草の害をしばらく抑えることができ、もちろん追肥にもなる。

 緑肥を早く分解させたいときにも、緑肥をすき込んでから米ヌカを振り、再びロータリーをかける。これだけで分解を早めて、作付けが早くできるようになる。

 量はかなり振ったほうが効果がある。1aあたり50㎏が目安。100㎏振れば効果てきめんである。p15「無農薬有機栽培のしくみ」

4)私としては、この本からこの文章を見つけることができれば、もうそれで十分である。1aと言えば30坪。仮に5坪の市民農園であれば10~20㎏程度入れれば効果あるということになる。わが市民農園ではそのくらいはもうすでに入れている。

5)現在50坪程度のクライン・ガルテンでもすでに100㎏は入れているので、とりあえず基準値には達しているかと思う。ましてや堆肥づくりのために、緑肥や枯れ葉にまぜて米ヌカを多用しているので、ここではわが意を得たりと、踊りだしたい気分。

6)米ヌカは超遅効きの有機肥料である。畑にすき込むと分解の早い夏でも一ヶ月以上たたないと肥料として効かない。秋にすき込めば春、初春にすき込めば初夏に効く。灌水状態で有機物の分解の遅い水田では、秋にすき込んだ米ヌカが効きだすのは初夏からである。

 それぐらい遅い効き方なので、短期決戦の野菜には使えない。使うのはもっぱら持久戦が必要な夏野菜や生育期間の長いサトイモやナガイモなどの根菜類である。また夏にすき込んでおけば、秋から春にかけて少しずつ効いてくれるので、ハクサイ・キャベツなどの結球野菜やブロッコリーなどの花野菜にも効果的である。

 また米ヌカは非常にネギ類との相性がいい。総じて辛みが減って甘味が強くなるようで、味に劇的な変化が起きる。だから十分な量が入らないときはネギ類の野菜に重点的に使おう。p34「長期戦の野菜に米ヌカ」

7)たしかにそうらしいのだが、この遅効性を改良するために作られているのが、ボカシ肥料である。米ヌカ単体では作れないが、即効性が必要とされる追肥にも使えると効いて、わが農園では、試作し、多用中である。

8)このほか、この本にはタメになることがたくさん書いてある。実際に有機無農薬を実践してきた人が書いているだけに、説得力があり、また、実際的である。

9)ただし、最近の私はこの手の本を沢山読み過ぎ、頭でっかちになっているので、まずは畑にでて実践し、失敗したり、成功したりしながら、ひとつひとつ体験して、自分の身についた技術としたいものだと思う。

10)すぐすぐはすべて実践しきれない内容だが、そうそう焦ることもあるまい。この本は、ゆっくり時間をかけて活用させてもらえばいい。そのための役にたつ情報満載の一冊である。

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2015/08/11

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「植物男子ベランダー」  <1>

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「植物男子ベランダー」 <1>
NHKBSプレミアム 番組リスト目次 
No.3568★★★★★

 ある夜、一度寝して、ぼやけた頭でつけたままのテレビ番組の再放送を見ていた。その時の番組がこれ。ほ~、面白そうだなぁ、と思ったが、続けてみることもなかった。原作はいとうせいこうだというから、その原作という「ボタニカルライフ 植物生活」を開いてみたが、どうも私は、文字でこのストーリーを追いかける程でもなかった。

 最近、またふたたび一度寝して、つけたままのテレビがこの番組をやっていた。なんだかこの番組おもしろいよな。そう思いつつ、録画しておいて、女房がいる時に見ていた。面白いだろ、と聞いたところ、女子はちょっとこの番組にはのめり込めないね、とおっしゃる。妄想的でとさえ、のたまわる。

 ロフト改築、小屋作り、ロックフェス、アウトドア、山遊び、市民農園、有機野菜作り、クラインガルテン、堆肥づくり、そして、ついに辿り着くのは、植物男子ベランダー、なのか。

 30分と短い番組だが、この短さがいい。テンポが早い。いとうせいこうの原作もいいのだろうが、主人公の田口トモロヲもいい。出て来る髭面の男どもも、なんだかいい。だけど、それよりいいのは、画面から飛び出す植物たちだ。

 シーンの一カット一カットがとてもいい。あ、これも真似たい、これも作りたい、と思わせるシーンが連続する。ストーリーもともかくとして、この番組の存在そのものがなんだかいとおしいものに感じられる。

<2>につづく

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2015/08/10

「解き明かされる日本最古の歴史津波」<23>道祖神(佐倍乃神社)

<22>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <23>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

道祖神(佐倍乃神社) 宮城県名取市

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<24>につづく

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」<22>雷神山古墳

<21>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <22>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

雷神山古墳 宮城県名取市

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 東北で最大の前方後円墳は、戦後開かれたニュータウンとしての住宅街のとなりにある。

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 そう言われてみなければ、気がつかないほど、自然林を利用した形で存在する。

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 小高い後円部の頂上に登ると、小さなお社が祭られている。

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 深い言われは分からないそうだが、昔から雷神が祭ってあるという。そこからこの古墳は雷神山古墳と名付けられた。

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 古墳全体が公園化されていて、家族連れで楽しむ参拝客は絶えない。

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 頂上からは、太平洋を望むことができ、おそらく遺跡ができた時代には、海岸線の一直線がはるかに見渡すことができ、また平野からこの古墳を見上げた時には、その雄大な姿が際立っていたことだろう。

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 仙台市街地も遠望でき、ここが地政的にも重要な位置であったことを示しているようだ。

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<23>につづく

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2015/08/09

「ジュラシック・ワールド」 監督: コリン・トレボロー

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「ジュラシック・ワールド」 
監督: コリン・トレボロー 2015/05 ユニバーサル映画 2時間 5分
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 一年前からこんなに封切が気になっていた映画も少ない。どんなことになっているのだろう。「ジュラッシク・パーク」1993、「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」1997、 「ジュラシック・パーク 3」 2001につづく、シリーズ第4作。

 私はいつの間に、こんなに恐竜少年になってしまったのだろう。実にこの数年、ごくごく最近のことだ。なぜこんなに恐竜に惹かれるのか。映画館は満席だった。夏休みの子供たちばかりではなく、若者も、私のような老人も多かった。

 ストーリーやキャスティングもともかくとして、恐竜そのものの特撮やCGには破綻がまったくない。3Dの迫力のなかで、最後まで見されられてしまう。いつもより迫力がありすぎ、今回は主人公たちの中に少女はいない。このパニック映画には少女はもうすでに似合わない。大人の女性でも、もはや十分に対応極限ゾーンにある。

 ただ、観終わってみれば、だからどうした、という後味の部分がいまひとつない。結局、ハリウッドのパニック娯楽映画であり、ああ楽しかったで終わってしまいそうな一作である。もうすこし深いテーマの提案があるといいのに、といつも思う。

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2015/08/08

「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) 東浩紀(監修) <1>

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「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) <1>
東 浩紀(監修) 2015/06 KADOKAWA/角川学芸出版 単行本: 280ページNo.3566

1)シリーズ「角川インターネット講座」全15冊の11冊目。いよいよ終盤に近付いてきた。複数の書き手がバラバラに参加するこのようなオムニバス本は、あまり得意ではないが、テーマそのものが面白いので、シリーズのなかでも注目すべき一冊になっている。

2)期待感は、人文思想の領域でも新しい思想を創り出します。その体表例が、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが2000年の共著「<帝国>」で提出した「マルチチュード」という概念です。多様な出自や国籍をもつ人々が、それぞれに独自に情報を手に入れ、統一した「党」のような組織がない状態でアドホックに連帯し、世界各地で生まれては消える運動体。 

 これは、第2章で紹介した「創発的民主制」のアイデアにとても似ています。実際、伊藤(引用者注・伊藤穰一)が論文冒頭で引用したハワード・ラインゴールドは、のち「スマート・モブ」(スマートな大衆)という、マルチチュードの先駆けのような概念を作りだしています。p016東浩紀「序章 開かれた国家・境界なき世界の実現」

3)いきなり序章からマイケル&ハートマルチチュードについて触れているところがうれしい。東浩紀についてはこれまで「ネット社会の未来像 IT時代のジャーナリズム」 (共著 2006/1 春秋社)や「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」(2011/11講談社)などをめくってきた。

4)ある意味、アルビン・トフラーの「第三の波」 (1980/10 日本放送協会出版局)の後継書のような形になっており、待ってました、という内容になっている。伊藤穰一はこのシリーズのまとめ第15巻において、「ネットで進化する人類」ビフォア/アフター・インターネット(2015/10刊行予定)で登場することになっており、最も期待すべき一冊である。これが面白くなかったら、このシリーズ全体が失敗、という結果になる。

5)社会的ネットワークは、在来型のウェブログの形のネットワークだ。ここには”150の法則”が作用している。それは人々が維持し得る個人的関係の数は、平均150だという理論だ。p102伊藤穰一「創発する民主主義」

6)ここで伊藤が引用しているように、当ブログでも「6次の隔たり」と「80:20の法則」から、ネットワークで繋がるべき数は150~200程度であろうと推測してきた。妥当なところである。このネットワークのベースがあれば、世界中のニュースが我が手に集まり、そして、やがては我が発信情報は世界中に繋がる、という目論見である。

7)しかしながら、実際には、自らを中心とした150~200のネットワーカーたちは、実に恣意的に繋がっているのであり、世界の中心点を示すということにはならない。むしろ、かなり偏った傾向ある一部だけの繋がりに終始する結果になることが多いことが分かってきた。

8)たとえば、私の周囲には原発推進派はいない。全て反原発繋がりである。推進派がいたとしても、積極的に切断していくので、周囲は100%反原発となる。それで世界を構成し、納得しているのであるが、実際の選挙や世論の結果とは大いに異なる場合が度々ある。それは当然のことなのだ。

9)しかしまた、一個人としては、「国家」という仮想コンセプトはもういらないのではないか、と思う。国家をどう運営していくかというより、この一個の人間を「地球人」としてどう生きるのか、そこさえ見失わなければいいのではないか。

10)アップルのスティーブ・ジョブズもカウンター・カルチャーに影響を受けたひとりである。彼はコンピューターの万人による所有が社会を変革すると信じ、それまでの企業や研究室に置かれた巨大なコンピューターではなく、個人が自分自身のために利用する「パーソナルコンピューター」である「Apple Ⅰ」を1976年に発売している。p228塚越健司「情報社会とハクティズム」

11)国家という仮想コンセプトに付き合いつづけるよりも、個人としての生き方を大切にする。これは当然のことだ。国のために命を投げ出すなんてまっぴらだ。そう感じるの当然だ。ネグリ&ハートがあぶり出した「<帝国>」に対峙するところの「マルチチュード」も、実は、致命的なコンセプトエラーを含んでいる。

12)群衆なんていないのである。反逆する個人ならいる。だからこそ、「国家」は開かれるのだ。個として自らの足で立ち上がるからこそ、すべての仮想コンセプトは消え去るのだ。

<2>につづく

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2015/08/07

「獏原人村満月祭2015 」"太鼓と精霊のお祭"<5>

<4>からつづく

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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <4>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村 )

ヘェ〜、漠でフラダンスか。ましてや地元の教室の皆さんの参加だ。マサイもPTA役員とか積極的にやって、地元と打ち解けてるからな〜。

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最近はフラダンスが人気で、どこにも教室があるんだな、と、思いつつ、アレっと気付いた。

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そういえば、常磐ハワイアンセンターが、日本におけるフラダンスの立役者だったのではなかっただろうか。

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時代のエネルギー政策の転換で、地元の大きな産業だった常磐炭鉱の縮小に伴い、就業の場を確保するために、炭鉱の熱源を活用したのがハワイアンセンターだった。

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また、石炭産業の低迷とともに、この地に原発がやってくることになったのだ。そして、自然豊かな東北でありながら、開放的な風土が、バク原人のような自由な生き方を受け入れる地盤となっていたのではなかっただろうか。

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そう思ってくると、楽しいフラダンスも、とても意味深いものに、思えてきた。

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映画「フラガール」につづく

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2015/08/05

「獏原人村満月祭2015 」"太鼓と精霊のお祭"<4>

<3>からつづく 

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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <4>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村 )

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

5.3μSvとは、どういうことなのか。

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

仙台の自宅から獏に行くには、常磐高速が実に便利である。しかし、そのためには、「魔の50キロ」を通り抜けなければならない。

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

「最悪エリア」12キロを含め時速70キロでノンストップで走り抜けたとして、被爆するのは、通常の集団レントゲン検診時の160分の1であるという。...

私はそこを往復したので、80分の1の被爆をしたことになる。ということは、獏に80回通って、ようやく集団レントゲン一回分、となる。

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獏や私が暮らしているのは0.1〜0.2μSvの世界。少ないとは言え、常に被爆していることになる。「最悪ゾーン」の約40分の1。

ということは、50キロの道のりを時速70キロ、40分で走り抜けたとして、おおよそ1日自宅で暮らしているだけで、常磐道を1回走ったことと同じになる。

つまり、煎じ詰めれば、自宅で1年間暮らしているだけで、集団レントゲン検診を2回受けたに等しい被爆を受け続けることになる。

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

ざっとシロート計算だが、他の条件や内部被爆などと総合して、一体どういう結果になるのか、私には分からない。おそらく正確には誰にもわからないのだ。個人差もあるだろう。

とても便利な常磐道。長い間待っていた常磐道。ここを走るのに、もっと晴れやかな気分で疾走したかった。もっと楽しいフリーウェイであったはずだ。

今度、獏に行く時も、私はこの道を走るだろうか。

<5>につづく 

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「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <3>

<2>からつづく

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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <3>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村 )

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バクに行ってワシもいろいろ考えた。

いっぱいあるので、今回は箇条書き。

・トモの話を聞いていて、彼には海の拠点アイアム、山の拠点バク、という構想があり、結局バクとの繋がりが長年に渡って続いて来たということ、がわかった。

・マサイは共同体を作りたくて、土地を探していたけど、見つからず、名前のない新聞にメッセージを乗せたところ、バクの前身モグラから返信があり、この地に縁ができたとのこと。

・福一が稼働し始めるのと、ヒッピー系がこの地に入るのが、ほぼ同時期だった。当時は当然全くの無関係ではあったが、二つの大きな種がこの地に蒔かれたのは、天の配材ではなかったのか。

・サンデーというセミナーや小さな祭をもとに、88いのちの祭を経て、バクの満月祭は多くの仲間を呼び寄せ、見事なスピリチュアルな大河を作り出して来た。

・当然「管理人」マサイの「哲学」があったればこそではあるが、日本のカウンターカルチャー史においても稀有な存在に成長したのは、そこに繋がり、支えあい、育てあったネットワークがあったからである。

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・その秘訣は、ある意味、成文化しない、教条化しない、リアリティに貫かれた、人間としての、根底的な、生き方そのものを大事にしてきたところにある。

・3・11を挟んで、バクはどうなるのか。人々は思っただろうし、私もひと知れずうろたえた。しかし、マサイやトモやコアな人々は、うろたえない。実に強く、柔らかい。

・たくさんの夢を種として含んだ「粘土団子」、獏原人村。ふさわしい時に、ふさわしい芽をふかせ、成長し、実をつけるに違いない。

<4>につづく 

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「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <2>

<1>からつづく 

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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <2>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村 )

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

43年前、1972年の真冬、雪に埋もれて、あったのは、この二階建てのプレハブだけだった。当時のグループもぐらも、アキラも他に移ったあと、マサイ家族が、この地を切り開き、守ってきた。

その後、トモや多くの友人たちが、
この地を訪れては、共に動き、畑を作り、家を建て、道を開き、ドームを作り、そして祭を作ってきた。...

1988年のいのちの祭の加速を受けて、獏の満月祭はバージョンアップした。二回目にこの地を訪ねたのは1991年の、地球回帰の祭、だった。実に19年ぶりだった。その地はすっかり切り開かれ、多くの仲間たちが集うコミューンとなっていた。

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3回目にこの地に来れたのは2014年。更に23年ぶりだった。その地は、3年前の震災の影響を受け、どんなことになっているのだろう。心配だけが先に立った。

福島第一原発から直線で23キロ。その事実が示す現実は、正確には私にはわからない。私にわかるのは、この地を愛し、この地に集い、自らと地球を祭る人々が、確実に存在し、この大地の上、この広い青空の下に、生きている、ということだ。

今年2015年、心ばかりが波打ち、ただただオロオロの毎日だが、この地に来ることができ、本当にうれしい。

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

歌を聴き、共に踊り、時に友の話に涙があふれ、焚き火の灯火を見つめる。月が山から出て森に隠れ、昼のセミの声が、夜の虫たちの鳴き声に変わる。

涼やかに風が流れ、祝辞のように稲妻さえ光る。大地のほとぼりを冷ますかのように、シャワー雨のひとふりも来る。

全てが、この、聖なる地球のつどい、に集い、見守る。

<3>につづく

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「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <1>

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Blue Moon Rave Party @ 「獏原人村満月祭2015」 "太鼓と精霊のお祭" <1>
2015 7/31 18:00 - 8/1 6:00  ―EVENT PLACE―  獏原人村 ( 福島県川内村 )

バヴェシュ 阿部清孝さんの写真

獏。原始の血を呼び起こす。野外の夜空の下に、簡易ベットを組み立て、横になる。ステージの演奏もいつしか終わり、ふと目が覚めたら、もう午前3時。

夜のほとぼりが覚めないのか、もう起きだしたのか、あちこちで話し声,笑い声が聞こえる。満月の月も、いつしか西に傾き、山陰に入る。心なしに東の空も少しだけ明るくなりはじめた。

雨や台風の通り道通り道となった昨年の満月祭とはまた違って、今年は晴れた獏。キコリやトモ、マサイ、リー、ションつぁん、ヒメさん。シュウメイ、アビス。それから、それから---。..

5.0μシーベルトの常磐高速を富岡で降りて、約束の地へ。朝になれば、トモの振り返りシェアリングがあり、それに続いて、明日はマサイのヒストリー。

誰かの人生ストーリーを借りながら、時代の尺度を量る。1日1日が、獏にいると、物語を持つ。ひとつの話が、もうひとつに繋がり、また新たな話へと。

セミが少しづつ鳴き出した。短い夏を惜しむように、更に短い命を、響かせる。

<2>につづく

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