「ターシャ・テューダーのガーデン」 Tovah Martin <2>
「ターシャ・テューダーのガーデン」 <2>
ターシャ テューダー(著), Tovah Martin(原著), 1997/4 文藝春秋 大型本 158ページ
ふと気づいてみれば、今晩もターシャ・チューダーの特別番組をNHKテレビでやっていた。しかも2時間の特番である。なんとも凄い、彼女の世界が全面的に展開される。本だけチラチラめくっただけでは気付かないことが多くあった。
前回のメモは、自分でも恥ずかしいようなことを書いてしまったが、それでも、やはりどこかで疑問は疑問として残っているようである。しかし、それを上回るような圧倒的な彼女の世界は2時間テレビにかじりついて見る価値はあったようだ。
彼女は10代から絵を書き、23歳で絵本作家になり、結婚し、3人の子供に恵まれ、離婚し、作家として自立し、そして57歳でこの地にうつり、本格的に庭づくりを始めたそうだ。1971年のことだから、決して大昔のことではない。ソローを愛していたとも言うから、ある意味、私たちと同世代のアーティストだったとも云える。
最初は石ころだらけの荒地だったというから、私たちのアラ還世代も、今からとんでもないところに行って、夢を追い続けたとしても、ひょっとすると彼女のような世界を生み出せるのかもしれない、という夢を与えてくれる。
このガーデンは彼女流の味付けが強く(つまり若干18世紀のアメリカ懐古趣味的)、ややもすれば好き嫌いが分かれそうだが、好きな人はとことん好きになるにちがいない。私と言えば、彼女の趣味はやや窮屈。
例えば、機械や電気機器を極力隠しているのはともかくとして、この二時間番組には自動車が一切でてこない。演出するのはいいとして、現代社会においては、自動車なしには人間の暮らしはありえない。よくもわるくも、そういう時代である。
そのあたりが、すっぽり切り取られているのは、やはり私には不満である。それと、電話やテレビはともかくとして、現代ならインターネットの不足は、私には決定的なダメージである。どんな田舎に移動しようと、現在の私は、ネットが繋がるかどうかで、その地の価値がまったく変わる。
それと雪の存在だ。私は北国だが、割と雪が少ない地方に住んでいたので、長期にわたって雪に閉ざされる生活には耐えられないだろう。彼女の地は一年の半分は雪に覆われるという。だからこそ、春の芽吹きが素晴らしい感動を生むのであろうが、春を待つために、長い冬に耐える、という生活は、今のところ私には無理だ。
彼女は、絵本作家という仕事を持っていたので、その冬のすごしかたや、地方に離れてくらすライフスタイルを無理なく実行できたようだが、私は現在の仕事を続ける限り、あまりに人里離れた過疎地も無理なようである。
それと、彼女は樹木や草花を中心にガーデニングをしたようであるが、現在の私は、野菜作りや米作りをしたくなるだろう。上手に出来ないからと言って、諦めるわけにはいかない。そこに何事かの生きがいを感じることだろう。
彼女のガーデニングばかり関心を持つのも偏っているようだ。彼女はアーティストだ。どんなことに対してもクリエイティブに取り組む。毛糸の編み物。ミシンでのドレスづくり、ケーキを焼いたり、蜜蝋でろうそくを作ったり、絵を書いたり、スケッチをしたり、時にはカード類も作る。部屋を作り、温室を作る。どれもこれも、刺激されることばかり。
彼女のような生き方があり、彼女のような生き方に多くの人々が共感し、こうしてテレビで見ることができる、ということはとても素晴らしいことだと、あらためて思った。
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