「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<4>
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CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌
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自分のブログをひっくり返してみて、二カ月前に「わが人生の10冊」(2015/07/23)なる記事を書いていたことに気づいた。こうしてみると、最近は多かれ少なかれ、私は似たようなテーマで彷徨しているのであろう。
この10+1冊の中で、まさにAを表すのが「第三の波」で、Bを表すのが「仙台平野の歴史津波」であることは明白である。
「修証義」、「巨人の星」、「俺には俺の行き方がある」、そして「存在の詩」が前期の4冊ということになる。ここに一貫したテーマを見つけることも可能ではあるが、ステップのひとつひとつのストーリーと見れば、それほど違和感はない。
煎じつめれば、結局は前期においては「存在の詩」がトドメを刺したのである。
中期には、「浮浪雲」、「ダイヤモンド・スートラ」、「ウェブ進化論」、「私が愛した本」が含まれており。漫画という意味では「巨人の星」と「浮浪雲」は対応しており、「存在の詩」と「ダイヤモンド・スートラ」は対応しており、「第三の波」と「ウェブ進化論」は対応している。
そして、中期のトドメを指したのが「私が愛した本」であるとするならば、ひとつの柱としては、「存在の詩」→「ダイヤモンド・スートラ」→「私が愛した本」、という流れを再確認しておくことも可能である。
つまり、エレクトロニックの流れを「第三の波」→「ウェブ進化論」に認め、スノッブの流れを「巨人の星」→「浮浪雲」に認めるとするならば、一連のOshoほんは、ボトニカルの流れ、とすることができるし、このお話の中ではそうするしかないのである。
そして、ボトニカルを「植物のある部屋」などというベタなタイトルでは表現しきれない、ということになる。
Oshoに前駆するところの「修証義」→「俺には俺の生き方がある」は、やがてOshoを通じて→「一休」となるのであろう。これを、敢えて私は、ここでボタニカル、と言わねばならないのである。
ないしは、最近の私のボトニカルな流れは、結局は人生を貫いている一貫したスピリチュアリティへと統合され融合されていかれるべきだ、と考えることができる。
スピリチュアリティの流れは、表層としてはボタニカルという姿を持つに至ったのであり、あえてスピリチュアルはスピリチュアルに直線的に戻る必要はない。ボタニカルはボタニカルでいいのだ。その本質にスピリチュアルが隠れていたのだった、という事実をわすれなければそれでいいのだ。
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