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2015年9月の40件の記事

2015/09/29

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<1>

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「ネグリ、日本と向き合う」<1>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  4その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次
No.3583

1)戦争法案を巡る国会を中心とした攻防の動きを見ていて、私の頭のなかではつねに、<帝国>VSマルチチュードの図式が渦巻いていた。その図式の中でこの動きを捉えようとしてきたのだが、このような傾向を他のSNSつながりの中では、明示的にはあまり感じることができなかった。

2)実際に断片的ではあるが、私自身もちょっぴり書き込みをしたことがあったが、すくなくとも私のつながりの中では、直接的は反応はゼロであった。

3)グローバル化した市場と生産回路のもとに出現した<帝国>に抗して、知的労働やコミュニケーション、そしてその果実を分かち合い「共有財産」「共(common)とするための社会的な関係や民主的なネットワークはいかに構築できるのだろうか。ここで、ネグリとハートが、スピノザの思想の大胆な読みを介して提起したのが「マルチチュード」(multitude)という概念である。p18「序 アントニオ・ネグリの現在」伊藤守

4)ネグリ&ハートが提示したグローバル・マップは、混沌とした世界情勢を読み解く方策の一つとしては、大いに役に立つ。

5)中東では「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が起き、日本でも反原発運動や脱原発運動が全国に広がる状況が生まれた。これらの個々の運動は、社会的、文化的、政治的文脈がまったく異なる地域で、異なる目標を掲げて展開されており、そこに共通する要素など存在しないと思われるかもしれない。

 しかし、これらの運動の根底には、社会的意志決定のあり方や制度、経済と市場の「自由」を至上のものとする考え方への根本的な懐疑が渦巻いているという点で、多くの共通点が存在するとみることもできる。p12伊藤 同上

6)今回の戦争法案の国会前行動デモなどを見ていて、憲法、武器、貨幣(経済)、実に今日的課題として問われているテーマを挟んで、<帝国>とマルチチュードが激突している、そう見ることは、あながち間違ってはいないはずだ。

7)毛利(嘉孝)によれば、現在の官邸前でもに象徴される社会運動・市民運動は、福島原発事故という事態を契機にして突発的に起きたわけではなく、2000年代以降に発展してきた若者たちの独自の政治文化、さらに当時「ニューウェイブ」と呼ばれた1980年代の反原発運動という二つの流れから捉えられる。

 その上で、毛利は、ネグリの指摘するマルチチュードの特異性と共同性を有機的に関連づける具体的な論理と実践のあり様をより一層探求すべきことを提起した。p24伊藤 同上

8)この本自体は昨年2014年の3月にでた本であり、さらにこの本がでるきっかけとなったネグリの初来日はさらに一年遡る2013年の4月のことであった。しかし、大局的にみれば、今年2015年の夏をピークとした「戦争NO」、「憲法9条を守れ」というシュプレヒコールと「マルチチュード」の現出は、大きな括りの中のひとつのあらわれである、と見ることは妥当だ。

9)「<帝国>」「マルチチュード」「コモン」というコンセプトから構成されたあらたな理論的パラダイムが登場したからこそ、私たちの社会認識は前進し、社会を組み替える力となりうる様々な批判や論争が可能になった、ということだ。p26伊藤 同上

10)グローバル化した地球上の各所で展開される政治状況は、ひとつの論理でかたづくような簡素なものではない。実に多様であり、一見無関係そうにさえ見える。実際、ネグリたちの大風呂敷は、あまりに雑多なものを包含さえしている。

11)それでも、このコンセプトが有効なのは、、この雑多な世界情勢考察するものに、大きなザックリとした視点を与えてくれることだ。

12)折に触れ、この美しい国(引用者注・日本のこと)には、真のリーダーシップの機能が欠けているという話を耳にした。したがって、今度はわたしのほうから次のような問いを立ててみたい。これがわたしの話の終わり方である。

 すなわちコモンウェルネスの構築、つまり<コモン>を建設する空間の構築という国際的なプロジェクトは、現実的な取り組みのきっかけとなるような、試みの場になりえないだろうか、と。p47ネグリ「『東アジアの中の日本』と向き合う」

13)ネグリの用語は独創的で分かりにくい。文脈も多岐につながり、文意を失うこともしばしばだ。しかしながら、その言葉になかに含みがあり、その曖昧規定の中に、自らの曖昧模糊とした、抱え続けてきた問題を放ってみることは、きわめて魅力的だ。

14)国際的な分業体制をどのように組織し、協力関係をつくっていくのか。それが大事なことです。そのとき、日本の反核運動を支えるマルチチュードとしてのネイションは重要な意味をもっていると思います。p65ネグリ 同上 姜 尚中(カン サンジュン)との対談

15)この本がでた一年半後の日本の状況を、憲法9条という縛りのなかで考えてみるのか、国際情勢の中で考えてみるのか。日本のマルチチュードと、他の隣国、あるいは遠い異国のマルチチュードたちは、憲法9条そのものをどうみるのか、それを挟んだ攻防を、どう見ているのかも、興味津津のところである。

16)ドイツやイタリアでは、国民投票によって原子力エネルギーに対する拒否が実現しました。ドイツでは政府が原発の閉鎖を決定しました。ヨーロッパの多くは、いまその方向へ向かっています。原子力国家と民主主義は両立しえない。それがわたしの深い確信です。p69ネグリ 同上

17)断片的に抜き出すことは、本来タブーだろうが、ネグリの言葉の意味を深く読みとるには、文章全体を読まなければならないだろうし、厳密には翻訳前の原文に触れることさえ必要なのかもしれない。

18)わたしがホッブズ的な国家主権の概念に賛成するのは、まさに「恐怖」が国家主権というものを生み出しているという点です。しかしわたしはスピノザ主義者です。連帯としての国家は、恐怖によってではなく、愛によって生まれる。これがスピノザの基本的な考え方です。p71ネグリ 同上

19)ネグリ&ハートの文脈に酔うあまり、ホッブズやスピノザまで遠出することもまんざら楽しくないわけではないが、当ブログにとっては酔狂にすぎた。そこまで行かんでも、ズバリ、国家は愛によって生まれる、というのなら、だれの介在もいらずに理解できるのではないだろうか。

20)2012年12月の衆議院選挙うでは、実際には有権者全体の四分の一の支持しか集められなかったにもかかわらず、いわば国民の授権を受けたというかたちで圧倒的な国家の主権というものが現在行使さえているかのように見えるわけです。

 しかし一般の有権者からすると、どの政党を選んでもほとんど変わらないという無力感が現在のグローバリゼーションの中で進んでいる。p72姜 尚中 同上

21)新しい左が生まれなければいけない。社会的なつながりというものに依拠した、新しい左翼が生まれなければいけない。ソーシャルメディアが発達したいま、社会的関係を政治的関係に翻訳し、政治的な表現に変換して、運動を進めていくような組織が必要です。そういった意味での連帯が存在するでしょう。p76ネグリ 同上

22)日本においては、しかも言葉としては新左翼も、新々左翼もまったく目新しくなく、すでに失敗の烙印が押されているようなものだ。だが、ネグリの含みのある言葉を聞いていると、また大きな夢が膨らみ、そのイメージにさらなる新しい形容詞が必要だな、と思う。

23)マルチチュードのコンセプトは<コモン>というもうひとつのコンセプトと分かちがたく結びついているという点だ。<コモン>とはなによりもまず、わたしたちが現在そのなかで生きており、かつ、わたしたち自身が生み出している生産的全体を意識化することにある。 

 <コモン>とは、わたしたちがそのなかに投げ込まれており、かつ、わたしたちが未来に生み出す生産的全体を意識化することにある。無数の特異性が交叉し、主体性による生産が集団的プロセスのなかに書き込まれ、<コモン>が形成される。p88ネグリ「『3・11後の日本』と向き合う」

24)当ブログにおいては、マルチチュードの<マルチ>に対応するコンセプトとして、特異性<シンギュラリティ>に含まれる<シングル>を挙げておいた。全体が一つになって<共/コモン>となるのか、特異点がさらに純化されて<シングル>になるのか。

25)わたしたちの「敵」はどうなったのか、現在どんなかたちであらわれているのか考えてみたい。その際、3・11をあと考えたい。つまりあの原発事故は、あらゆる不均衡の全体、政治的主権の危機、そして勝ち誇るネオリベラリズムによる経済支配の危機、それらすべての範例(パラダイム)的要約なのだと考える。p90ネグリ 同上

26)「敵」VS「わたしたち」という対比は、分かりやすくはあるが、本当はどうなのか。もちろん、この事象を、二一世紀が始まっていらい経験した危機の最高点、とみることは当然のことと思う。

27)マルチチュードとは「下からの」ラジカル・デモクラシーを構築できる集合体である。ネットワークによる協働作業、しあがって潜在的に共同的な作業をベースに、ゆたかな社会の可能性を生み出す特異性の集合体。p83ネグリ 同上

28)ネグリと当ブログが決定的に対峙し、時には決別するのは、マルチチュードの特異性(シンギュラリティ)を、<共(コモン)>に昇華するか、<個(シングル)>に純化するかのポイントにおいてである。

29)3・11からの二年間、次第によく耳にするようになった言葉として、次のようなものがあります。街頭でもは議員を選ぶ投票行為とならぶ、もう一つの「主権的」行為だ。想定をける出来事に遭遇して国家が機能不全に陥っているとき、選挙を待っていられないとき、あるいは結局のところ様々に相反する利害を反映ー調停することしかできない選挙には多くを期待できないとき、街頭から国家を動かすことは必要かつ健全な民主主義のあり方であり、国民の主権行使の一形態だ、という主張です。

 このとき街頭は、そこから国家機構が再構築される「新しい公共空間」と位置づけられます。議会とならぶ、もう一つの討議と意思決定の場である、と。そしてしばしば、こう付加えられます。真の「社会的なもの」はそこにある。それは社会の下部にも上部にもなく、そこにある。p106市田良彦 同上

30)「民主主義ってなんだ?」 「これだ!」って奴ですね。

31)原発事故以後、市民運動の高まり、まさにネグリの用語で「マルチチュード」としか呼びようのない、組織されない多様なひとびとの自発性の発現が見られた。ネグリはそれを目撃するために、来日直後に時差の疲れもものともせず、官邸前の抗議デモの現場に赴いた。p122上野千鶴子 同上

32)すでに2年前の動画だが、今回の国会前デモと直接繋がってくるネグリ周辺の動きである。

33)マルチチュードはついに政治権力とは無縁なのであろうか。その予想はわたしに無力感を抱かせる。(中略)この代議制民主主義のもとでは、政治権力は保守政治家に握られ、政権とマルチチュードとのあいだのギャップは深まるばかりである。p137上野千鶴子 同上

34)上野の文章は、これ以降も続き、彼女が多く触れてきた「女性」たちに希望を持つ、という結論で終る。しかしながら、私には、安易に「希望」を見つけられない。敢えていうなら、<コモン>にではなく、<シングル>の方向にだけわたしの生は傾いていく。

35)ネグリの理論を通じてではなく、ネグリの傍らで反原発運動を考えること。私は、このことが、新しい政治的連帯にとってとても重要なことに思えるのです。p159毛利嘉孝 同上

36)ネグリの提起するコンセプトの中で、現状を理解し、多くの友人たちと語り合えたら楽しいだろうな、と思う。しかしながら、最終的には、その理論は、私の中ではまったく無価値になってしまいそうである。

37)安倍首相がめざす憲法改正はさらなる軍事力増強を生み、それ自体が、かつてそうだったように新しい戦争の火種になりかねない。しかも改憲が、いささかも平和の保障にはならない日米安全保障条約の枠組みのなかで行なわれることを思えばなおのこと、改憲はいい選択だとは思えないのである。p177ネグリ「原発危機からアベノミクスまで、『日本の現在』と向き合う」

38)日本というネーションに住まうマルチチュードとすれば、当たり前の思考であるが、遠くグローバルな<帝国>を見ているネグリ御大が語れば、言葉の重みもまた、一段と増すようである。

39)ネグリ等が描く現代社会は、したがって、次のようになる。一方には、自由で、多種多様な潜在能力を抱えるマルチチュードがいる。他方には、これに抑圧的に関わる権力、マルチチュードの潜在性を一定の可能性の中に縮減する主権的権力としての<帝国>がある。<帝国>と、それに抵抗するマルチチュードがいる。「内在的なマルチチュードVs.超越的な<帝国>」という対立図式が、現代のグローバルな社会を貫いている。p211大澤真幸   同上

40)もちろん、大澤が続けて述べるように、この図式は、あまりにも大雑把な要約ではある。ことはもっと入り組んでいる。基礎となるのは人間であり、マルチチュードとは、ひとりひとりの人間であることは当然のことながら、<帝国>を支配し運用するのも、限られた階層とはいえ、その構成は、ひとりひとりの人間によっているからである。

41)ネグリとハートの資本主義批判を宗教的な基礎において反復することに驚異的な可能性があるかもしれない、とわれわれが予想するのは、こうした事実がすでにあるからだ。p234大澤真幸 同上

42)この本に登場する人々が使うところの「宗教」という用語は、当ブログが慣用しているニュアンスと大きな隔たりがあるものの、この本がこの結句で終わっているところは、意味深い。

43)以上、ざっと一読して付箋を貼ったところの一部を中心に抜き書きしておいた。敢えていうなら、いままで読んできたネグリ本の中では、私は一番読みやすかった。ネーションとしての日本に住む一マルチチュードを自認する私としては、日本を扱っている本が、もっとも身近に感じるのは当然であろうし、このことによって、よりネグリのコンセプトが明瞭になってきたと言える。

44)そして、ニュアンスはかなり違うが、文脈としては、ネグリとハートを、宗教的基礎において反復することは、驚異的な可能性がある、だろうとする大澤真幸の結句には、わが意を得た感じがする。そして、私は、自分の読書範囲としては、ますますネグリ&ハートの本をもっともっと読んでみたいと思った。

<2>につづく

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2015/09/27

「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ 郷尚文<4>

<3>よりつづく

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「覚醒の舞踏」 グルジェフ・ムーヴメンツ <4> 
郷 尚文(スワミ・アナンド・プラヴァン) 2001/06 市民出版社 単行本 343p
★★★★★

 私にとって、この探求へと自分を駆り立てる力の主要な源泉のひとつは、グルジェ」自身の存在の気配そのものである。読者もまた、グルジェフ自身の存在の気配から、少なくともこの本を最後まで読みとおすに必要な原動力を得られるよう、次の章では、東方への長い旅を終えてからのグルジェフの生涯を追いながら、グルジェフが弟子たちに与えたワークのなかで、ムーブメンツはどのような役割を果たしたのかに、目を向けることにする。p48「グルジェフ・ムーブメンツ」とは何か。

 ひとつひとつは面白いのだが、たしかにひとおおりこの本を読みとおすのは難しい。グルジェフの「気配」、そして「ムーブメンツ」。私は正統か邪道なのか、この本の著者であるプラヴァンの「気配」をも感じつつ、最近このワークショップを企画している古い友人Vの「気配」をも感じながら、読み進めている。

 グルジェフは、知識と理解の違いについて教え、理解のためには存在が必要だと溶いた。存在という言葉の意味については、四章以降で探っていくが、それはなによりもまず、眠っていないこと、つまり、意識の関与なしに機械的に考えたり、為したりするのではないことを指す。p52「グルジェフの生涯とムーヴメンツ」

 当ブログは、むしろ眠りの世界へと意識を集めつつある。しかし、この文脈でいえば、いかに眠りについて目覚めるか、いかに目覚めつつ眠るか、というパラドックスに満ちた言い方になろう。

 「実際にワークをすることは、ワークを志願することほどむずかしくはない」とグルジェフは言う。ムーヴメンツのワークでも、もっともむずかしいのは、それを始めることかもしれない。
 生活のためや、エゴの満足のため、あるいはあれこれの「夢」の達成のためならば、普通人は、超人的な努力さえいとわない。だが、グルジェフは、人々が「夢」を抱いてワークに接近することを意図的に拒んだ。
 個人の探求は、状況の恐ろしさと、ワークが提供する可能性の大きさに対する、バランスのとれた理解から始まらなければならない。
 そしてそのような理解が探求の原動力となるには、それは知的な理解というよりは、感情的な理解でなければならない。この章の主題となるのは、そうした感情的な理解である。
p84「ムーヴメンツとの出会いと探求の始まり」

 日本のいわゆる精神世界ブックフェア的な、グルジェフに対する理解も、私個人はOshoの書籍を通して(あるいは、タイミングとしてその後に)広がっていったように記憶する。だから、Oshoを通じてのグルジェフのイメージがどうしても強いし、この本の著者もまた、Oshoを通じてグルジェフと出会った人ではないか、と推測する。

 Oshoは、自らに繋がる系譜(あるいは親和性)をJ・クリシュナムルティやグルジェフに頼るところが大きい。いや、むしろ近代において、かなりの部分をこのふたつの存在に依拠するところが大きいように思う。しがたって、私なぞは、その経緯のなかでグルジェフを捉えようとしてしまう。

 自らを知るという言葉には、さまざまなニュアンスが含まれている。名前、出自、外見、能力、生へ気、職業、地位、特徴など、人にはさまざまな属性や性格がある。そのすべてをしりたいのだろうか。いや、人が自らを知りたいと望むとき、それはふつう、自己の内側にあって、自らがもっとも本質的だとみなすものを知りたいということである。

 その欲求が強ければ強いほど、人は、占いや性格テストが提供するような答えでは満足しない。自らの内側にある非個人的あるいは普遍的存在、疑いもなく自己の本性として感じられながらも、あるい意味では自分のなかにあって自分のもんではない、そんな中心的存在を見いだすまで、探求をやめないだろう。p99「ムーヴメンツとの出会いと探求の始まり」

 先日ムーヴメンツを見せてくれるために来宅した友人Vは、まだこの本を読んでいないとのことであった。彼もまた長いことOshoの門弟であってみれば、ひとつひとつ共振する部分が多いだろうが、ふと考えてみるに、すでに出会いがあり、現在ムーヴメンツを体験し、進行中なのであれば、この本は、ひょっとすると、今は不要なのかもしれない。

 グルジェフの教えと自己想起について、洞察に満ちた言葉の数々を提供する和尚(旧称ラジニーシ)は、自己想起を話題にするたびに、この危険性を強調する。自己想起の試みは、容易に「エゴ想起」の試みになりかねないという。

 グルジェフの教えに接した人たちにしばしば見られ、グルジェフ・グループの典型的な特徴として有名にさえなっている過度の深刻さや自己意識過剰は、ひとつには、自己想起のポイントに関する、こうした誤解から生じたものだろう。

 和尚は、自己想起の試みに「自己」という言葉を持ちこまないようにと言った。ここで和尚の言葉を引用するが、それは読んであきらかなとおり、先に引用したウスペンスキーの文章を念頭において語られている。

 だが、微妙ながら決定的に表現を改めており、ウスペンスキーの文章にはあらわれていない、自己想起の重要なポイントが、明確に指摘されている。また、これを読むことで、前述した第一のアプローチと第二のアプローチとのあいだの関係もわかるだろう。p112「二つの世界の狭間---注意力の分割と自己想起」

 青年時代にOshoと出会い、それを自らの道とした私は、他の優れた道やマスターたちが数多存在しているのではないか、という想像はしてみるが、自らの目的と能力を考えれば、道は、一本道でいい、と決めている。

 しかし、それではおそらく、今回またこの本にもどってこようというチャンスは巡ってこなかったのではないだろうか。今回友人Vがこのような機会を作ってくれたことに、改めて感謝する。

 当ブログにおいては、「グルジェフ&ウスペンスキー関連リスト」を作成して、自らが触れた関連リストの感想記事をまとめてある。また、Oshoがグルジェフやウスペンスキーに触れた部分も一部ではあるが、当ブログに転写してある。

<5>につづく

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「植物男子ベランダー」<3>

<2>よりつづく

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「植物男子ベランダー」 <3>
NHKBSプレミアム 番組リスト目次

 この番組、どっぷりハマってみようと思っていたのだが、そうならないまま最終回を迎えてしまった。先週が、前年放送された10数回分の最終回の再放送があり、今週、今年分の十数回分の最終回が放送された。

 この番組、放送される時間帯が、どうも私のライフスタイルにあわず、毎回録画して、次の日に見ることになるのだが、本当はどうせ録画するのなら、そのまま、全回分を残してライブラリーにしたいところだった。

 ところが人生はままならず、今は、いっぱいいっぱいになっている家族のハードディスクを借りているので、せいぜい一回分の30分くらいが、私が勝手に借りて使える範囲なのである。だから、見たら消して次回を予約するというサイクルで視聴してきたのである。

 しかしまぁ、この一回性がいいのかもしれない。そして、再放送もあるだろう、という甘い予測もあり、ネットでも変則的ではあるが、動画として各回の録画を見ることができる場合もあるようだ。(合法、非合法、含め)。だから、逆に私は、この不確かな、アバウトな感覚を楽しんでいるのである。

 30分という番組の中に沢山の要素が含まれている。マンションのシーン、ベランダのシーン、花屋のシーン。そして毎回登場するJKたち。花に対するウンチク、花にまつわる歌。主役を食ってしまうような名わき役たち。実にいとおしい。

 私は、正直言って、これらのライブラリーを今から作りたいと考えているのだ。(できるかな)。何回見ても、見飽きそうにないシーンが確かにあるんだよなぁ。そして、今後もこのシリーズがもっと展開してくれるなら、もっといい。

 NHKの中の人、できればシーズン3の企画、よろしくお願いします。

<4>につづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<9>

<8>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<9>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 夜、本を読まないのであれば、蛍光灯より白熱灯の自然光のほうがいいに違いない。そう思った次に考えたのは、であるなら、ローソクも悪くないのではないか。そして、すでに30年以上も使っているいつものローソクを持ってきた。

 一晩つけてみて思ったのは、色が違うということ。炎の色は同じなのだが、ローソクそのものに淡い色がつけてある。どうも違うのだ。この色ではない。そう青がいいのではないか。そう気づいてから、あらためて、あのページに戻ってみた。

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この空間は青でカラーコーディネイトされていたのだ。ベット周りの雑然としたものを取り除いて、大きくできた空間に、最小の必要物を並べてみたが、それらのカラーが不統一だったのだ。しかも、どちらの方向に統一したらいいのか、分からないままだ。

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 こちらのページも寝室は寝室なのだが、そして同じ傾向なのだが、私個人的には、どうもこのベットカバーの色が気にいらない。ということは、どうも私の方向性は、そして寝室の方向性は、緑ではなくて、青、なのだ。

 そう気づいて寝室回りを見渡すと、実に際限ない色の乱舞であった。どの色がどの色と反応しあっているというものではない。ひとつひとつが自己主張しているだけである。共鳴とか、浸透とか、対比とかない。

 そこで、ブルー系統の、しかも、自分のお気に入りグッズと入れ替えを始めてみた。これがこれ、なかなか楽しく、また難しい。大体において、いちばん面積を取っているカーテンが、まったく青ではないのである。デザインといい、色といい、私は、いつのまにか、このカーテンと、そして寝室と、20年も過ごしてきたのか、と、唖然とする思いだった。

 布団といい、カバーといい、あるいはカーテンといい、小物というより大物である。これらを一遍に変えることはなかなかむずかしい。自分のコーナーだけでなく、部屋全体、あるいは家全体の変化へと続いて行く。

 まぁ、だから楽しい、ということなのだから、まずは少しづつ始めてみることにしよう。まずは、この雑誌の寝室のように、カーテンを極力開いて、窓から光を入れることから始まった。

<10>につづく

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2015/09/26

「わがボタニカルライフ」<17>植え替え

<16>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<17>植え替え

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 イ-01+ホウズキ 先日親戚からもらってきた鉢類の活用。このカメは底に穴があいていないし、若干ヒビが入っているので、庭でとれたホウズキを投げ入れてみた。

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 イ-02+クワズイモ  若干大きめだが、大きく育ってほしいので。寝室においてみた。

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 イ-03+オオアマナ  実はこれ、まだ植えかえてはいないのだが、イメージ確認のため、ポットのままいれてみる。なかなかいい感じ。

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 イ-05+クワズイモ  どこかで見た柄だと思ったら、やっぱり自宅の軒下におなじデザインがあった。 

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 イ-06+クワズイモ 結局こちらもクワズイモ。とにかくいっぱい植えてみよう。

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 イ-07+クワズイモ 結局こちらもまたまたクワズイモ。大きすぎるようでもあるが、株が太いので、一番の期待作。

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イ-11+トグサ+コケ  一番大きな盆栽鉢には、ちょっとしたミニチュアな世界を試みてみた。庭にあるものだけで経費0円。こういうのがハマれば、結構たのしいかもな。

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<18>につづく

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2015/09/24

「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<8>

<7>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<8>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 1997年創刊の月刊誌ギリーがその翌年にリニューアルされ、月刊Penとして新創刊された。デジタルが急速に普及するなか、手書きの温かみを大切にしたいというコンセプトからこの誌名がつけられた。wikipedia (2013/11/04引用済み)

 なるほど、そもそもがそういうスタートであったのだ。

 快適な眠りを迎えるための、寝室アレンジ 一日の疲れをリセットし、心身の力をチャージする大切な睡眠。眠る直前までスマホに振り回される生活から解放され、心地よい空間を演出しよう。p110Img_0363
 なるほどそういうことであった。いまさらデジタルVSアナログ論争を思い出すまでもないが、私はバリバリのデジタル派であることは自認してきた。将来はデジタル革命あってしかるべきだ。そう信じて疑わないできた。

 しかしだ。どうだろう。例えば「角川インターネット講座」のようなデジタル本を読んだとしても、ぜんぜん心踊らない。大事であり、重要であり、この時期絶対おとすべきではないシリーズであることはわかる。しかし、そこから先が見えない。読めない。

 予兆はあったのだ。先日、私は別なSNSにこんなことを書いていた。

 いよいよボサボサになったので、自転車で近所の床屋に行った。順番が来て、ヨイショと散髪椅子に乗ろうとして、足元のステップ台につまずいてしまった。
 ありゃぁ。あわてて椅子の肘かけにつかまって、最近、足腰弱ってきてねぇ、と、笑いを取るつもり。ああ、そうですかぁ、と床屋のあんちゃん、割と冷静に受け取っている。
 耳にかかる程度でいいですね、と、いつもの質問。そうそう、二カ月だから、適当な長さにね。眉の下は剃って、鼻毛も切ってね、と、またジョークのつもり。
 え~と、それから、あの~、その、横のほうも普通でいいから。ああ、もみあげですね。そうそう、もみあげ。といいつつ、やっぱり、もみあげ、という単語がすぐ出て来なかったことに、自分でも気づいた。
 受けを狙っているのだが、どうもいまいちノッテこない。いつものとおり出来上がり、いつもの料金を払って、じゃ、どうも、と外に出た。自転車で、通りに出たところ、さっきのあんちゃんが、手を上げて床屋のドアから飛び出してきた。
 めがね~~~。ありゃぁ、散髪台に忘れていたよ、老眼鏡。
 シルバーウィーク、近し。
 「 老眼鏡 床屋に忘れ 秋きたる 」 ばべ爺 2015/09/18

 この現象は、はたして加齢現象だけ、といえるのか。他の要素はないのか。つづいてこんなことも書いていた。

 最近、パスワード類を、忘れることが多い。ちょっと前までは、時間をおけば思い出したのだが、最近は、永遠に失われることも多くなってきた。
 そこで、本来はタブーなのだが、スタンドアロンのワープロで一覧をつくり、印刷して金庫にしまっておくことにした。
 そして、金庫はふたつ別々にしまってある。なぜなら、金庫のナンバーを忘れることも、将来あり得るからだ。

 そして、二つとも忘れてしまった場合に備えて、実は別案も考えているんだよね。w 2015/09/18

 これだって、読む人に笑ってもらうために書いてはいるわけだが、笑ってすましてしまっていい問題なのか。続いてこんなこともある。

 銀行で用事を済ませ、キーホルダーをチャラチャラ鳴らしながら、裏の駐車場に行ったら、 アレ、車がない!
 スワ、盗難?

 立ち止まって、よーく考えたら、今日は天気もまずまずだし、普段の運動解消のため、銀行まで自転車をこいで行ったのだった。~_~; 2015/09/18

 いつまでも笑ってしまっていて、いいことなのだろうか。

 昼の時間が過ぎても、声がかからない。しびれを切らして食卓に行ったら、確かに私の食事は準備してあるのだが、ラップがかけてある。
 トボけて、あ〜、もう昼 になってたのか〜、なんて椅子に座ろうとして、思い出した。

 今日の午後はピロリ菌の検査だから、昼飯抜きね。って、朝飯の時に言っておいたのだ。
 検査前3時間絶食。でも、水分だけはOKなんだ。
涼しい顔して、麦茶だけ 飲んだ。2015/09/18

 思い出せばキリがない。あれもこれも、思いつくことばかり。

 駐車場に停めてある車のハザードランプが付いてますが、お客様のお車ですか? 
 あらら、また消し忘れた。
 
ピロリ箘、2回目で退治できたようで、良かったけど。2015/09/18

 アラ還もすぎて、ゆっくり前期高齢者の仲間入りしている我身ではあるが、ここはどこか、私は誰か、をそれとなく認識できている身としては、決して私はアルツ予備軍かも、なんていう仮病を使ってはいけない。もうすこし実体を直視しようではないか。

 快適な眠りを迎えるための、寝室アレンジ 一日の疲れをリセットし、心身の力をチャージする大切な睡眠。眠る直前までスマホに振り回される生活から解放され、心地よい空間を演出しよう。p110

 思えば確かに、私の寝室は、とてもじゃないが、寝室とは呼べないような状態だ。スマホあり、タブレットあり、テレビ専用スマホあり、DVD用のパソコンあり、充電器あり、それぞれのイヤフォンが何種類かと、その他のコード類がごちゃごちゃと絡まっている。

 これは猛反省する必要があるのではないだろうか。

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 ここで提案されている寝室アレンジには、まずデジタルな雰囲気はまるでない。あるのは、せいぜい、何冊かの読みなれた単行本が梯子段においてあり、それを読むに足りる程度の白熱灯が一つだけだ。

 しかし、私の寝室は、これではちょっと物足らない。せめて緊急呼び出し用の電話が必要だ。
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 よくよく見ると、こちらの寝室には、電話はある。あるが、スマホではなくて壁付け電話だ。そしてもちろん数冊の本があり、それを読むための白熱灯もある。時計もあるが、デジタルではない。そして馬の模型があり、小さな小さな多肉植物も一個だけおいてある。

 私は、この雑誌のこのページにくぎ付けになったのだった。このページになんらかのヒントがあるに違いない。

 寒さが増す季節、肌触りのいい寝具が心地よい。ただし、いつまでもベットにいては休日がもったいない。寝ぼけた頭を刺激してくれるのはお気に入りの家具とアートだ。ル・コルビュジエ、ベリアン、モーエンセン・・・・ 憧れていた名作や、窓際を飾る彫刻と写真。作品集を開き、次に手にする家具を夢想するのもいい。大人だからつくれる秘密基地、それが寝室の醍醐味だ。p44

 なにか、この辺にヒントがあるのだ。

 たしかにこの数年の私は、夜中に何度か起きてしまうくせに、起床時間になってもぐずぐずと横になっていることが多い。いまいち、快適な目覚めとは言い難い。大人だからつくれる秘密基地うんぬんはともかくとして、時分の寝室回りを点検、再点検する必要があるな。

 いみじくも、最近グルジェフ・ムーブメントの「覚醒の舞踏」を再読し始めたところ。睡眠と覚醒。ちょうどよい対比が生まれつつある。

<9>につづく

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「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ 郷尚文<3>

<2>よりつづく

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「覚醒の舞踏」 グルジェフ・ムーヴメンツ <3> 
郷 尚文(スワミ・アナンド・プラヴァン) 2001/06 市民出版社 単行本 343p
★★★★★

 Oshoへの踏み込みもかなり興味深いものがあるが、当面、当ブログの主テーマが「人間に可能な進化の心理学」研究にフォーカスされていく限り、「グルジェフ+ウスペンスキー」についての精度もすこしづつ高めていかなくてはならない。2009/05/01

 当ブログにおけるグルジェフ・ワークへの接近においては、この本は、避けて通れないばかりか、一番の入り口になってくれそうではあるが、それを「始める」には、まだその機縁が熟すのを待つ必要があるようだ。それまで、待とう。2010/03/13

 当ブログにおいて、私はかつてこの様なメモを残していた。そして、いま5年、あるいは6年の時間を経て、ふたたびみたび、この本を手にすることとなった。本当に、精度を高め、機縁が熟してきているのだろうか。

 グルジェフは、その風貌と教えのスタイルから、禅の祖、達磨大師に比較さえるときが多い。「達磨はどうして東に往ったか」という有名な公案から、「グルジェフはどおうして西に往ったか」というフレーズが生まれた。

 西洋で全を教える老師たちは、この親近性に早くから気づき、安全な距離を保ちながらではあるが、グルジェフの教えと方便を高く評価してきた。p14「グルジェフ・ムーブメントとは何か」

<4>につづく

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2015/09/23

「市民農園体験記」<40>エダマメ

<39>からつづく

市民農園体験記 
<40>エダマメ

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 シルバーウィークとやら、今年はなかなかのお休みだった。天気も晴朗だった。暫定的に土のう袋をかぶせておいたトマトも透明なものと交換した。もっとも、もはや他の人々はトマトは倒す時期になっている。

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 ニンジンもわりと旺盛に成長しているので、、どんどん間引いていくことにした。そもそもが、種の蒔き方が密埴すぎるのである。

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 クラインガルテンで植えたタマネギとアサツキをこちらにも植え付けた。
 

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 さて今日のテーマはエダマメである。

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 一時は、枝ボケになって実がさっぱり入らないのじゃないか、と思われていたエダマメが、この天気の回復によって、日々太り出した。

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 全体的にはまだ早いのだが、今日は待ち切れずに、あちこち間引きしてサヤをもいでみた。帰宅後、ゆでてみたら、まだ実入りが悪いが、甘くておいしいと、家族には評判。

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 市民農園の上には、月がでていた。まもなくあの月が満月になるころ、こちらでは、「マメ月(げつ)さま」として、エダマメを食べて祝うのだ。

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 そして10月の満月は、イモ月(げつ)さま。それまで、わが畑のサツマイモも、なんとか形になってほしいなぁ。

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<41>へつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<7>

<6>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<7>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 この号で、一番ダイレクトに当ブログに繋がるのは、p66の「ボタニカル・ライフ」のように思うのだが、どうも人間というものは(そして私という人間は)へそ曲がりなもので、そのものズバリとであると、なんだか目を避けたくなる。

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 これでは、それこそNHKBSテレビドラマ「植物人間ベランダー」レベルの話になり、もうそうだとするならば、オリジナルなあちらのほうが面白いに決まっているのだ。ましてやこのレベルだと、わがボタニカル・ライフとどっこいどっこいだ。刺激されるところが少ないぞ。

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 かと言って、p72の「日常の音楽空間」と来ると、どうもボトニカル群が乱雑過ぎる。もう、これ見よがしで、しかも一個一個の定位置が決まっていなさそうなところが、逆に落ち着きのなさを感じさせる。床が木目風ではないところが、私好みではない。

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 そこで、あのp44のベッドルームを見返してみる。このページ、いつまで私を魅了し続けるかは不明だが、今のところまだ大丈夫だ(笑)。意味があるようなないような梯子。馬の模型。壁付け電話。簡易な手元ランプ。わが空間に似ているか、似せようと思えば、もっと似せられる。

 だがずっと見ていると、不思議なことにも気がついてくる。この部屋、おそらくベッドルームなのである。にもかかわらず、カーテンがない。せめてブラインドが必要であろう。そこが大幅カット、ないしデフォルメされているところが気になる。この部屋にパソコンは不似合いである。ほとんど電子機器さえ不要で、雑誌や書籍類もほんの数冊。なんせここは寝室なのだ。

 そして一番気になることは、窓辺に一個だけ小さなボタニカルが置いてあるだけで、植物類は完璧に排除してある。あるのは窓辺の外側にあある小さなすだれ風の植物群だけである。実にシンプルかつ、瞑想的。

 いざ、そういう目で見ると、この号にはもう1つ、同傾向のページがp110にあった。同じような風景だが、ちょっと違う。梯子やライトも同傾向だが、違うものである。ベットも窓もちがうようだ。そして共通しているのは、寝室に植物はないが、窓のそとには植物が存在していること。窓ガラスは素通しで、カーテンがないことだ。

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 はてさて、これらから導き出されるところの結論は。

 正直言って、私はオフィスやアトリエ、ロフトなどばかりに目を取られて、「寝室」という考え方はなかった。常にリビング空間的なものの延長として考えていたのである。たしかにソファーや簡易ベットがあり、似たような風景を作ることはできる。しかし、コンセプトとしては「寝室」はなかったのである。

 そういえば、木製のベッドは確かにある。私は現在布団生活だが、若い時分はベットの上に布団を敷いていたのだ。だが、どうも場所を取るので、布団に切り替えてしまった。そして布団の周りは、本やら雑誌やらCDやらスマホやPCなどのコード類でグチャグチャなのであった。

 だれにも見せないのが基本である寝室なのだから、こここそもっともわがままな部分であった。そして、私はそこを、いまだにグチャグチャにしたままなのではないか。私は「眠り」と、キチンと向き合っているだろうか。

 そう。わたしはこれから、眠りのクオリティに向かって思索し、瞑想すべきなのではないのだろうか。

 これが、暫定、きょうのところの結論である。

<8>につづく

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「わがボタニカルライフ」<16>鉢

<15>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<16>鉢

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 鉢を十数個もらってきた。親戚の農家の軒下で、廃棄処分を待っているものから選んできたのだ。最初は泥だらけだった。

Img_0303 イ-01 一番気にいっているのはこの鉢なのだが、底に穴があいていないので、もともとは水がめのような用途であっただろう。ただし、ヒビがあるので補修が必要。

Img_0306 イ-02 どことなく大きな湯呑茶碗にも見えるが、よくよく見るととてもおしゃれでダンディ。この鉢にはどんな植物が似合う?

Img_0308 イ-03 白い清楚なイメージ。これにあの白い花オオアマナなんか植えたら、ますますジーンとくるかも。

Img_0311 イ-04 打って変わってこちらは黒。しかもテカリがある。結構強い植物が似合いそうだが、それだと強すぎないか?

Img_0314 イ-05 よくありそうな一鉢。プラスチックにこの柄がプリントしてありそうなデザイン。安っぽく見えるか、ちょっと高そうに見えるかは、腕次第かな。

Img_0316 イ-06 こちらはどちらかと言えば西洋風。カタガナ書きの名前で、一度では覚えられないような複雑系の名前の植物がいいのではなかろうか。

Img_0319 イ-07 こちらはどうしても和風。あるいは中華風。うちにそんな植物あったっけ。このイメージを逆手にとって、結局なんでもありかもしれないな。

Img_0322 イ-08 これもなんとも重みのある一鉢。これはかなり重量があるので、長尺ものが似合うだろう。

Img_0327 イ-09 小さな盆栽鉢。うちには盆栽がないので、ちいさなサボテン類などの寄せ植えにでも使おうか。

Img_0329 イ-10 中型の盆栽鉢。こんな鉢で、チューリップの寄せ植えなんてできないんだろうか?

Img_0334 イ-11 大きい盆栽鉢。このくらい大きくなると、結構使えるかも。むしろ置く場所を考えなくてはいけなくなりそう。

Img_0338 イ-12 まるい盆栽鉢。枯れた盆栽がついていたので、本当は枯れないうちにもらいにいけばよかったなぁ、と残念がる。うちで盆栽は始めるのは無理でしょう。

Img_0342イ-13 中型鉢。よくあり手の植木鉢。結構大きいから買うと結構するよ。

Img_0350 イ-14 このくらい大きくなると、おいそれと小遣いで買うのも躊躇する。まぁ、ゆっくり、ひとつひとつ楽しんでいこう、っと。

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<17>につづく

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2015/09/22

「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<6>

<5>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<6>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 「Pen」を並べてみたが、「Pen」そのものが素晴らしいものではないことが解ってきた。とくにNo.568 「『カワイイ』JAPAN」2014年 10/1号をみたりすると、そのことが如実に分かってきた。一冊一冊の魅力をひも解いていけばいいのだ。

 No.127「男のロフト主義。」2004年 4/15号を何べんも眺めていて気付いたのは、三つのポイントだった。木目の床。二階ロフト部分への梯子。そして天井ファン。そのことを明瞭に表していたのが、p80のこの写真だった。

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 わがガレージオフィスは、これにならって、床を張り、二階ロフト部分への梯子をしつらえ、そして、天井ファンを付けたのであった。そもそも、ありあわせのものを寄せ集めたにすぎないのだが、天井の高いわがガレージをオフィスにするには、このアイディアは、ズバリだったといえる。

 そして、No.348 「わがままに暮らしたい。こだわりの住まいとアトリエ」2013年 11/15号においては、p86のこのページにもっとも魅了されたのではなかっただろうか。

6pen

 ここにあるのはオフィスと、そしてボタニカル・ワールドである。当時はあまり意識はしなかったが、この時、私にはボタニカル・スピリチュアリティが、確実に刷り込まれてしまったのだろう。

 そして今号の中でのヒットは、おそらくこのページ(p44)なのだ。

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<7>につづく

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「わがボタニカルライフ」<15>剪定

<14>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<15>剪定

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 この連休中に剪定しておいてね、という依頼。やらないでもないが、気が向かないと、なかなかできない仕事。午前中は晴れていたので、どれ、やるか、とスタート。

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 どれやるか、とスタートはしたものの、いまいち乗り気ではない。こんな時は用心しないと、怪我をしたりする、かも。と、のんびり。残ったことは明日やればいいじゃん。

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 剪定と言っても、あちこち伸びすぎたようなところをおおばさみでカットするだけだ。

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 落ちた葉っぱや枝類を片づけるのもひと仕事。

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 車寄せの脇にちょこちょこ樹木が植わっているだけであり、庭などと自称できるほどのものではない。それでも、あちこちいじっていると、植物たちの変化にも気付く。

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 アサガオにも種がついたようだ。来年この種からアサガオを増やすことは可能だろうか。

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 そうそう、今日の一番のエピソードは、鉢についてかも。親戚より古くて使わなくなった陶器の鉢類を10数個貰ってきたのだ。これを使って、植えかえる植物たちを物色中。

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<16>につづく

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「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて角川インターネット講座 (11)<2>

<1>よりつづく

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「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて角川インターネット講座 (11)<2>
出井 伸之(監修) 2015/07角川学芸出版 単行本: 280ページ

 一読して、おおよそ想定していた範囲の内容だったといえる。特に目新しい視点や提案はない。しかし、現況において、これだけは押さえておこうね、と言った内容はほとんど盛り込まれているので、角川インターネット講座全体として、よい教科書になっている。

 監修者の出井伸之はソニーの立役者のひとりではあるが、この本全体の一部にタッチしているだけで、ソニー再起に期待をかけているところが、ちょっとドメスティックで、ちょっとだけ哀れ。

 大体にして、当ブログは、全体として進化の過程にあるのなら、日本の企業じゃなくたっていいじゃないか、というやや無責任なコスモポリタン的な傾向にあり、「ニッポン チャチャチャ」というようなコールにはいつも冷笑的になってしまう。

 2015年にはiPhoneのコンパニオン製品アップルウォッチの発売を開始し、スマートフォンの画面を見過ぎてしまう習慣を正し、健康的な暮らしの促進に乗り出した。p115「アップルのビジネス戦略」

 アップルウォッチの登場は今後、ますます気になるだろうが、実際に手にした範囲では、急いで我生活に取り入れなくてはならない、という緊急性は感じない。むしろ、健康的な暮らしの促進、という表現に驚き、笑った。

 アップルは、自社のハード製品の幅を徐々に広げつつある。2015年4月に発売されたスマートウォッチ(アップルウォッチ)もそのひとつであるし、一部報道によれば現在までに電気自動車の開発に着手しているとも伝えられている。

 一方、グーグルはアンドロイドOSをハードメーカーにオープンソースで提供することで自社のプラットフォームを広げており、アップル同様、グーグルグラスや自動運転車の開発など、次世代ハード製品開発にも着実に手を伸ばしている。p267「進化するプラットフォーマーと日本の未来」

 進化の方向として、時計やメガネ、自動車など、これまですでに発表されている内容をなぞる程度の内容しかまとめられておらず、しかも、全体として平坦なまとめ方となっている。個人的には、第12巻 開かれる国家」境界なき時代の法と政治 (東浩紀 監修)あたりに強い関心を持っており、どうもいまいち割目するような内容には乏しい一冊であった。

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「Pen」 2014年 10/1号 「『カワイイ』JAPAN」

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「Pen」 2014年 10/1号 「『カワイイ』JAPAN」
阪急コミュニケーションズ(著) CCCメディアハウス; 月2回刊版 雑誌
No.3582★☆☆☆☆

 タブレットのアプリをいじっていたら、ただ見のリストの中に「Pen」の一冊を見つけた。最新号ではないが、160ページの内容を見ることができる。毎号毎号こうだったらいいのになぁ(笑)、といいつつ、横にスライドしながら、眺めてみる。

 タイトルも 「『カワイイ』JAPAN」特集。クールJAPANとは聞いたことがあるが、その類似のコンセプトだろうか。興味がないわけではない。そういえば、10代の女性ファッションなどを評して「カワイイ」という言葉が世界的に流行しているとは聞いていた。

 ましてやこれは「Pen」の特集である、さぞや面白いのではないだろうか。そう期待したのがちょっと不味かった。結論から言えば、私のハートをヒットするものはひとつもなかった。敢えていうならスバルの車の紹介があったが、あれくらいはなんとか目を楽しませてくれた程度だった。

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 なんでこんなに面白くないんだろう。手元に転がっていた他の「Pen」と並べてみた。これはこれでいい景色なんだが、表紙以降の中身がいけない。ひょっとすると、この号、不人気だったからただ見のリストにならんだのかな。

 いずれにしても、ここでの理解は、「Pen」と言えども、当たり外れがやっぱりあり、こちらが読者としての視野が狭すぎたりしているから、というわけでもなさそうだ、ということだ。定期購読してまで、興味や趣味の世界を広げるほどの雑誌ではない、という結論だった。

 「Pen」No.591だって、過大評価はやめよう。「Pen」全体で考えるのでもなく、もう少し、この号がヒットした本当の記事を探し出し、その理由を探求してみよう。

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2015/09/21

今日の気分はこの3冊<17>「Pen」No.591、「進化するプラットフォーム」 、「覚醒の舞踏」

<16>からつづく

今日の気分はこの3冊
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 「Pen」No.591が勝手に暴走する中、対抗馬たる「進化するプラットフォーム」も、いつまでも黙っているわけではない。そのうごめきを暗がりの中からじっと見ているのが、ダークホース「覚醒の舞踏」だ。

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「Pen」2015年 10/1号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]

「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて角川インターネット講座 (11) 出井 伸之(監修) 2015/07角川学芸出版

「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツスワミ・アナンド・プラヴァン 2001/06 市民出版社

 10月末に友人が覚醒ワークショップを主催する。そのグルジェフダンスについては、この本がひとつのヒントになるだろう。先日会場を覗いてきた。この本を読むのも、これからの読書の秋にはいいだろう。

 ところで、だいぶ溜まってきたので、この「今日の気分はこの3冊」一覧リストをつくる必要がでてきたな。

<18>につづく

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「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて角川インターネット講座 (11)

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「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて角川インターネット講座 (11)
出井 伸之(監修) 2015/07 角川学芸出版 単行本: 280ページ
No.3581

 この本、面白いだろうなぁ、と思うのだが、手元に来てだいぶなるのに、全然読書が進まない。そもそもこの頃は、季節のせいもあって本など読んでいる気分にならない。

 「進化するプラットフォーム」 グーグル・アップル・アマゾンを超えて。いいでしょう、こういうタイトルの本を読みたかった。角川インターネット講座 (11) 。全15冊の12冊目。そろそろ大団円が近い。だけど、どうも勢いがない。

 このシリーズは興味深いの事実なのだが、いままで9冊読んできた限りにおいては、どうも「先見性」がない。全部後追いだ。歴史書とはそういうものだろうが、どうもお茶の出しがらだけを嗅がされているようで、どうも気分が悪い。

 「グーグル・アップル・アマゾンを超えて」なんて行ったって、これはタイトルだけだ。その内容については書いてない。あるいは書いてあったとしても誤答である。期待はまったくしていない。この本は、このテーマについて、どう誤答するだろう、という的外れな期待しかない。

 そしてさらに大事なことは、もう私にとっては、もうインターネットというインフラは当たり前なのであって、その進化にも好意的に見ていることは確かなのだが、それはもう私のメインテーマではない。このままでもいいし、進化してもらってもいい。まぁ、このまま退化してもらっても、いいかなぁ、とさえ思う。

 しかし、退化することはないだろう。なぜなら、プラス要素に合わせてマイナス要素もどんどん進化しているのであり、プラス要素が停滞し退化したら、もとの黙阿弥になって、おそらく、とてつもない惨状が現出するだけなのだ。

 一旦始めて進化してしまったプロセスは、そのまま前へ前へと進む以外にないのだ。だから、それらを全活用できないとしても、そしてその方向性がどうも気に食わないものであったとしても、とにかく、一体、これからどうなりそうなのか、ということへの興味は失ってはいけないのだ。

 ということで、いつこの本の読書が始まるんだろう、と自分でも興味深く見つめている段階。

<2>につづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<5>

<4>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<5>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 最近は無節操に書籍や雑誌を購入したりはしない。積読本も増えているし、すでに書籍を自宅におくスペースも少なくなってきた。自分が没後に下手な財産を残して遺族の迷惑をかけるのもちょっと気がひける。

 いちいち気になる雑誌「Pen」だが、実際に購入することは少ない。その割には図書館にも在庫がないのが悩みの種だが、それでも、これは、と思うもの何冊かは購入し、手元に転がしてある。

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「男のロフト主義。」 2004/04/15

「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線 2004/05/15

ポルシェの美学」 2008/09/01

「わがままに暮らしたい。」こだわりの住まいとアトリエ 2013/11/15 

「ゴジラ、完全復活!」 2014/07/15

「インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。」2015/9/15 

 このほかにも気になる特集がいっぱいあるのだが、最近は、ネット上のただ見アプリでiPadでみたりしている。タブレットは限界があり、やっぱり印刷物のほうがいいのだが、上記の理由ゆえ、画面でみることのほうが多い。

 これだけわずか数冊をな並べてもあれこれ雑多な趣味の世界だが、バックナンバーを並べてみると、こんなもんではない。トンデモナイ世界が展開されており、もうB以降の後期に属している我人生では、とても追っかける力はない。

 今回は、この世界をとりあえず「スノッブ」と名づけてあるのだが、おそらくちょっと違う。エンターテイメントでもないし、趣味でもないし、なんだろうなぁ。

 ここで思い出すのが、わがマスター「ゾルバ・ザ・ブッダ」というキーワード。弟子を自負する私としては、もう何でもありで、楽しむことについては対象を選ばないというタフさも必要なのだろう。

 すくなくとも、これらの美しく、楽しく、豊かな外側の世界とともに、ちょうどバランスが取れるようなスピリチュアリティが、静かにわが魂の中で育っていることを願うのみだ。

<6>につづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<4>

<3>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<4>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 自分のブログをひっくり返してみて、二カ月前に「わが人生の10冊」(2015/07/23)なる記事を書いていたことに気づいた。こうしてみると、最近は多かれ少なかれ、私は似たようなテーマで彷徨しているのであろう。

 この10+1冊の中で、まさにAを表すのが「第三の波」で、Bを表すのが「仙台平野の歴史津波」であることは明白である。

 「修証義」、「巨人の星」、「俺には俺の行き方がある」、そして「存在の詩」が前期の4冊ということになる。ここに一貫したテーマを見つけることも可能ではあるが、ステップのひとつひとつのストーリーと見れば、それほど違和感はない。

 煎じつめれば、結局は前期においては「存在の詩」がトドメを刺したのである。

 中期には、「浮浪雲」、「ダイヤモンド・スートラ」、「ウェブ進化論」、「私が愛した本」が含まれており。漫画という意味では「巨人の星」と「浮浪雲」は対応しており、「存在の詩」と「ダイヤモンド・スートラ」は対応しており、「第三の波」と「ウェブ進化論」は対応している。

 そして、中期のトドメを指したのが「私が愛した本」であるとするならば、ひとつの柱としては、「存在の詩」→「ダイヤモンド・スートラ」→「私が愛した本」、という流れを再確認しておくことも可能である。

 つまり、エレクトロニックの流れを「第三の波」→「ウェブ進化論」に認め、スノッブの流れを「巨人の星」→「浮浪雲」に認めるとするならば、一連のOshoほんは、ボトニカルの流れ、とすることができるし、このお話の中ではそうするしかないのである。

 そして、ボトニカルを「植物のある部屋」などというベタなタイトルでは表現しきれない、ということになる。

 Oshoに前駆するところの「修証義」→「俺には俺の生き方がある」は、やがてOshoを通じて→「一休」となるのであろう。これを、敢えて私は、ここでボタニカル、と言わねばならないのである。

 ないしは、最近の私のボトニカルな流れは、結局は人生を貫いている一貫したスピリチュアリティへと統合され融合されていかれるべきだ、と考えることができる。

 スピリチュアリティの流れは、表層としてはボタニカルという姿を持つに至ったのであり、あえてスピリチュアルはスピリチュアルに直線的に戻る必要はない。ボタニカルはボタニカルでいいのだ。その本質にスピリチュアルが隠れていたのだった、という事実をわすれなければそれでいいのだ。

 

<5>につづく

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2015/09/20

「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<3>

<2>からつづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<3>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 またまたまとまりのない、ワケの分からないことを書くことになる。まぁ、それはしかたない。すでにまとまっていて、明瞭な思考に辿り着いているのなら、こんなことを暫定的にであったとしても、書いておく必要などないのだ。いくら個人的にであっても。 

 暫定的に、61年の人生を一期として、29歳前後の時期を「往相期」(A期)と名づけ、56歳7ヵ月を「還相期」(B期)と名づけてみる。つまり0歳から29歳までの時期を前期と見定め、それまでのプロセスを、おそらく0からの成長、拡大期、と見ることにする。

 そして29歳から56歳と7ヵ月までを中期、ととりあえず名づけておこう。それは当然、ひとつのピークを含んだ、活動期と考えておくことは可能だろう。それ以降を、まずは後期とする。

 その年齢についての考察は重要なポイントなのだが、この際はぶく。少なくとも、二つの年齢期には、大きな一身上の出来事があった。Aにおいては前駆的な病気、特に余命半年を宣言されるほどの障害があった。そしてBにおいては、3・11があった。

 いずれにせよ、個的であれ、全的であれ、「死」が目の前にぶら下がった。

 現在は当然Bを過ぎて後期に入っているわけだが、仮にこれらの時期が29年あるとするならば、56+29で85歳までを後期とすることが可能で、それ以降を晩期としておこう。

 前段の思考を踏み台として、Aにおける三要素を、仮にボタニカル、エレクトロニック、スノッブ、と名づけておく。象徴的にはAにおける農業学習体験であろうし、「第三の波」であろうし、あらゆることに対する好奇心である。

 これらの要素が、Bに向けた中期の27年間に、拡大し、活動し、激動し、そして収束過程に入ってBに向かった、と仮定する。その場合、Aにおいてみられたあの三要素は、どのように存在しているか。

 以上の思考のプロセスを経て、ようやく、この雑誌「Pen」No.591に辿り着くわけである(爆笑)。

 つまり暴れ回った欲望と、乱雑な思考と、それよりはるかに複雑に仕組まれた限界。それらが結局は、ひとつの可能性の試行や検証であったとして、結局はBに辿り着いたと考えればいいわけである。

 「植物のある部屋」 などと言った矮小な世界に自分を閉じ込めたくないのだ。それがかつてユースカルチャーを支えた宝島社などといった出版社の企画であったりすればなおさらのことだ。これは人を小馬鹿にしているだろう。

 では、「いますぐわかるiPhone6s iPhone 6s」 はどうであろうか。大局的に見た場合、それは、 「第三の波」の2015年的帰結と言える。それはそうであるべきなのだが、しかし、そこに収束してしまうならば、あのAで熱く語られた世界観、人間観は、多くがそぎ落とされ、実にモノトーンのものになってしまいかねない。

 更には「プロレス・マスク・ワールド」などは、茶番中の茶番なわけで、Aにおける茶番の一例を示しているだけで、もしテーマをこの本一冊としてしまうなら、万のうちの1以下を示しているだけなのであり、とてもとても、何事かを示したということにはならない。

 むしろ、ここは、「プロレス・マスク・ワールド」でさえ三要素にひとつになり得るという、可能性の巾を示しているにすぎないのである。つまりパラドックスだ。

 わずかな工夫ひとつで、日々の暮らしの楽しみがぐっと広がるーーー。今特集では、家具や雑貨、植物から音楽にアートまで、生活を刺激するものと家で過ごす時間を豊かにするアイデアを紹介していきます。スタイリングや実例から、きっと視点を変えるきっかけが見つかるはず。さあ、自分なりの”贅沢な時間”を探しましょう。p42「インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集」。

 あまり上等なコピーであるとはいえない。しかしながら、全体のまとまりがいいので、この程度のイントロのほうが実はいいのかもしれない。

 気付いていない興味、ありますか? もともと興味あるものを手に取るので、どうしても同じようなものに偏りがち。この食わず嫌いが視野を、世界を狭めてはいませんか。ワクワクしながら次号の特集を待つ定期購読が、あなたの世界を、知識を、幅広く、奥深いものにし、知的好奇心や審美眼を刺激してくれるはず。p180「定期購読のすすめ」

 こちらのコピーだって、実にごく当たり前の実質的な勧誘文だ。だが、だからこそなのか、ぐぐっと胸に迫る。

 だが、一読者としての私なんぞは、このNo.591一冊で十分だ。これだけでも、あまりにも幅広い好奇心に満ち満ちた世界である。バックナンバーの、その特集の巾の広さは、残念ながらというべきか、幸か不幸かというべきか、ほとんど追っかけることはできない。つまり、私はこの雑誌の定期購読者にはなれない。

 ということは、つまり、翻って考えるに、AからBにおいてなら、私はこの雑誌の定期購読者になれたかもしれない、という可能性の余韻を残す。そしてB以降の後期において、ようやくこの号が、上の三要素をうまくすくって、私に手渡した一冊となる。

 だから、この号の何がいいのか、いままだ明瞭には分からない。決して「暮らしが楽しくなるアイデア集」でなくてもよかったのである。しかし、タイトルからして「おいしい日本酒」でもなければ、円谷プロの大研究!」、「美しい自転車」でもなく、「西欧の家具と器」でもなかった。ここはインスピレーションの問題である。ここは感性の問題である。

 今号は、うまく三要素を、分裂なくブレンドしてくれている。そして可能性としては、他の分野に好奇心を持てるのだ、という自負をもちつつ、実は、これから、もっともっと収束に向かって、狭い世界へと入って行こうとしているのである。

<4>へつづく

 

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「クラインガルテン計画」<14>タマネギとラッキョウ

<13>からつづく

「クラインガルテン計画」

<14>タマネギとラッキョウ  目次

14

 今回、クラインガルテンに行って、一番の発見は、すでにわが畑に、オオアマナが咲いていた、ということであろう。

12

 いままで気付いていなかった。繁茂するというほどではないが、あちらこちらにほどよく、静かに咲いている。

02

 ここで初めて、わが家のボタニカル・ライフとクラインガルテンの、強い繋がりを感じることになったのだった。

01

 今初めて気付いたということは、おそらく、この一週間の間に咲いたのである。そのような季節になった、ということだろう。

13

 そして、今回の一番のびっくりは、ナスが、先日の大雨の水害でやられてしまっていた、ということだろう。

08

 まだ何とか生きている一本を残して、ほとんど根っこがやられてしまっているようだ。抱き起こして直立にしてみたが、おそらく快復はむりだろう。

09

 さらなる発見と言えば、前からあることは知っていたが、「雑草」のひとつ、スベリヒユがわが畑でもキチンとみられるということである。いままでは名前を知らなかったが、これからは名前で呼ぶことができるし、万が一の場合は、食料にすることもできることを知った。

05

 ニンジンの成長も旺盛で、ところどころ間引いてみた。この小さなニンジンも何かの調理に使えそうだ。

11
 ツルアリササゲも、市民農園のほうは全然だめだが、こちらは割と元気である。支柱は雨や風で倒されていたが、結構な収獲があった。

10

 秋冬の作付プランなどほぼまったく考えていないのだが、園芸店で求めておいたタマネギとラッキョウを植え付けてみた。

07

 いろいろな条件もあるようだが、まずはやってみよう精神で、失敗を覚悟でどんどん進めていこう。なんせ一週間に一度これるかどうかわからないスケジュールである。もともと100点満点取れるわけないのだ。

06

 わが人生すべてにおいて、60点合格主義である。

03

 時間がなく、管理は十分ではないが、やらないよりはいいだろう。やらなければ失敗もできない。天高く、秋は静かに忍び寄る。

15

<15>へつづく

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2015/09/19

「わがボタニカルライフ」<14>オオアマナ

<13>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<14>オオアマナ

01

 花をいただいた。おとなりのおばあさんが庭の手入れをしていたので声をかけた。その時、その花がとても美しかったので、いろいろ聞いたのだった。名前はなんていうんですか。花が咲く時期はいつですか。来年咲かせるにはどうしたらいいですか。

02

 その時の私の態度があまりにも積極的だったのだろうか。おばあさんも、じゃぁ、そのうちあげますか? と言ってくれていたのだった。

09

 その花は、私の目にはあまりにも美しい。清そで、律義で、整然としている。この花の名前はなんていうのだろう。さっそく検索してみることにした。お婆さんもわからない。キーワードは、「白い花」だ。

08

 かなり難しいのではないだろうか、という私の予感は一発で吹き飛ばされた。画像で検索すると、すぐにこの「白い花」がでてきた。どうやら、それは「大甘菜」という植物だった。オオアマナ。花言葉は、「潔白」、「純潔」。まさにその通りである。「無垢」、「才能」という意味もあるらしい。

03

 さて、いただいたものの、どう育てたらいいのだろうか。おとなりさんは、数年に一度球根を植えかえるだけ、とおっしゃるのだが、まぁ、やってみるしかないか。

04

 夜になると、静かに花を閉じる。なんとも清そで無垢な花である。

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 さっそく、株分けしていただいたものをわが家の庭でも育て始めてみることにした。せっかくいただいたものだから、丈夫に育ってほしいなぁ。

06

 来年か、さ来年か。我が家でも、清そな風が流れてくる季節があるかもしれない。

07

<追記>2015/09/20 オオアマナは国内産のアマナに似ているからつけられた名前。明治期に輸入された外来種。ヨーロッパから中東の原産。原名スター・オブ・ベツレヘム。キリスト誕生時に現れたベツレヘムの星にちなんでいる。

 繁殖力は旺盛で、一旦庭に植えると取り除くことが大変、とのこと。開花期は4〜5月となっているがいただいた株はこの9月にも咲いている。おそらく違わないだろうが、別種の可能性もあり、今後も観察を続けよう。

<追記その2> 2015/09/20 今日クラインガルテンに行ったら、なんとあちらでもオオアマナがちらほら咲いていた。なにかが繋がった。

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13_2
 <15>につづく

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<2>

<1>からつづく 

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<2>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌

 時間が空いたのでロードサイドの書店に寄ってみる。週刊誌も見ないし、DVDコーナーの類にも行かない。漫画や文庫も範疇にないので、おのずと手にとる書籍は限られてくる。それでも、専門書や単行本、グラビア雑誌などは、何冊か気になる。

<15>からつづく

今日の気分はこの3冊?
<16>

 そこで、はてさて、この書店の中で、「今日の気分はこの三冊」として、とにかく三冊を得らで見ようと思った。その一冊目がこれ。なかなか良さげである。パラパラして行って、結局、これは宝島出版のものであることがわかって、ゲンナリした。

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「植物のある部屋」 <1>
宝島社  2015/9/17 大型本: 95ページ
No.3581★★★☆☆

 なんでゲンナリしたんだろう。おそらく、私には宝島社のイメージがあった。そして、そのイメージの中にはこの範疇の宝島を想像できなかったのではないか、と思った。こういう本は他の出版社から出してほしい。宝島には宝島らしい(?)本を期待したい、そんな読者としてのわがままであろう。

  「植物のある部屋」<2>につづく

 二冊目。ちょっと無理はあったのだが、それを承知で選んだのがこれ。去年6plusにしたばかりなのに、もう6sかよ。ようやく流行に乗れると思ったのに、もう時代は次のステージへと進んでいる。

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「いますぐわかるiPhone6s iPhone 6s」6s Plus対応
インプレス デジタルプラス編集部 (著) 2015/09フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 31247 KB
No.3580★★★☆☆

 こちらもパラパラしてみるが、おそらく多分、6plusより進んでいる部分は、そのタッチパネルが二重になったということで、そのタッチ差が売りになるようである。私は今のところそれに大きな価値を認めていないので、急いで買い替える必要はまったく感じない。それどころか、現在の機種を10年くらい使えないものか、と思案するのである。

 三冊目がなかなか決まらない。エイと選んだのがこちら。タイガーマスク。いや、マスクマンたちのマスクを集めた本。私は別段に強烈なプロレスファンでもなければ、タイガーマスクのファンだったわけではない。

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「プロレス・マスク・ワールド」
(DIA COLLECTION)ムック ダイアプレス 2015/9/16ムック: 97ページ
No.3582★★★☆☆

 しかしながら、あの時代には、なにか強烈な郷愁がある。めちゃくちゃにパラドキシカルで、なんでもありで、まったくいい加減。そんな時代の私の存在の対象として、確かにプロレスはあったのだし、夢中になった。

 そして今日は今日で、この三冊でトリニティを作ってみた。 

33

<17>につづく

 いや、ちがうなぁ。どうしてもこれでは「?」がついてしまう。決定的に何かが違うのである。嫌いな本たちではないが、このトリニティでは、私は救われない。ウロチョロしていて周囲を見回していて、今日の私は、むしろこちらの一冊のほうが、絶対いいと思えた。

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 さて、これからが問題である。なにが違うのだろう。いろいろ考えた。結局、上の三冊には共通項がある。ルーツが80年代初半にあるというところだ。プロレスのタイガーマスクの登場は1981年4月だった。

 そして、現在のスマホのルーツとなる世界を強烈に示してくれたのはアルビン・トフラー「第三の波」は1980年10月の出版だった。そして、私は当時、農業を学ぶ学生だった。おそらく、このトリニティは、1980年代初めに出来ている。

 この時代からの数年が私にとっての「往相」の時代だった。ひとつの通過点である。出生の一点から拡大傾向にある過程での大事な瞬間である。そして、それらはきっと、今号の「Pen」一冊に詰まってしまった、ということもできる。すでに私は「還相」にいるのだ。

 一時期膨れ上がったトリニティは、やがて一点に向かって終息しつつある。それを象徴しているのは、3・11であっただろう。とにかく、私は、この一冊で、何かのヒントをつかめたような気がする。

<3>につづく

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2015/09/17

「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]<1>

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「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載!  暮らしが楽しくなるアイデア集。]<1>
CCCメディアハウス 2015/9/15 雑誌
No.3580

1)「Pen」という雑誌はなかなか気になる。新しい号がでるたび、内容をチェックする。だが、実際には、その何号かの中の一冊しかお気に入りにはならない。これだけの雑誌をつくるには、何チームかの編集スタッフが、かわるがわる取材や編集を担当しているに違いない。

2)だから、それぞれのチームが個性やオリジナリティを持っているとしたら、同じ雑誌でも、毎号毎号、それなりの味付けが変わることもあり得る。それはそれでいいのだ。私としては、一年に一号か二号、大好きな「Pen」に巡り合えば、それで十分だと思う。

3)その一年に一冊か二冊にあたるのが、今回の「Pen」であろう。なにがお気に入りなのか、実は自分でもよくわからない。いろいろ感じるところがあるが、やっぱりこの号、大好きである。

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4)「日々のうつろいを愛でる、ボタニカル・ライフ」p66なんて記事があるところも、ぐぐっと来るのだろう。そうか「Pen」でボタニカルか。これはぐぐっと来ないわけないな。ボタニカルとは、これほど一般化した言葉だったのだ。

5)そろそろ現行のカテゴリ名を「ボタニカル」に直そうかな。いやいや「ボタニカル・ライフ」のほうがいいのかも知れない。というか、またまた、ここで悩むことになったな。まぁ、それもよし。

<2>につづく

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第2回 もんじゅ まさき作品展のご案内。

 古い友人のモンジュ氏から、作品展の案内が届いた。このところ、いまいち体調が整っていなかった氏が、ひとつひとつ書きためてきた作品群が展示される。

 実に緻密な明細画。まさにモンジュワールド。神秘に通じ、文作にもすぐれ、多くの友人ネットワークに恵まれた氏には、このようなユニークなオリジナルな世界を生み出す余力があったのだ。

 かなりなハンディキャップを抱えている現在の氏が、これだけの作品群を生み出すとは、おそらく、自らの命と引き換えに、このような世界へと私たちをいざなっているに違いない。

 

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第2回 もんじゅ まさき作品展のご案内。

 No.3579
 このたび、昨年の9月雨の初回作品展に引き続き、第2回目の作品展を行うことになりました。会場は昨年と同じ河田病院附属:狸庵文庫美術館の1Fギャラリー(岡山駅西口から徒歩5分)です。期間は、10月28日(水)から11月1日(日)の5日間となっています。

 テーマは、次の通りです……

 この作品『世界の均衡』は、一連の作品のテーマである「バランス」と「生命の多様性」を代表しています。対立物を抱き包みながら、様々なかたちへと花開こうとしてゆくいのちたち……その尽きることのないチャレンジ、その喜びと悲しみ、痛みと快楽、苦悩と安らぎ……その切ない憧れと夢が織りなす〈生〉という名の絵物語への招待です。

 アップした写真は、案内状に用いる『世界の均衡』です。

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2015/09/16

「2015年版間違いだらけのクルマ選び」徳大寺有恒他<2>

<1>からつづく 

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「2015年版間違いだらけのクルマ選び」
徳大寺 有恒(著), 島下 泰久(著) 2014/12 草思社 単行本: 256ページ

1)震災直前に乗りかえた現在のハイブリット・ベーシックも、二回目の車検、5年目を迎え、車検に出すことに。ディラーで出された代車がプレミオだった。私のセダン志向の中では、この二十数年間、ずっと候補車のベスト3位には常に位置してきた車である。

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2)だが、この車で決定にはならない。常にあて馬である。最終的にはこの車があるよ、だけど、そこまで退却しなくてもいいだろう。いつもそんな感じで遠ざかっていく。それでも、まぁ、セダンが貧困な日本においては、ファミリーユースとしては、常にプレミオが控えていることは間違いない。

3)今回、朝から昼まで乗ってみて、感じるところ、車種や個別車の問題もあるだろうが、いろいろでてきた。
・どうも腰高である。シートアレンジをいろいろしてみるのだが、まったくフィットしない。
・ハンドルが大型で真円である。現在、楕円ハンドルを使っているので、どうも違和感がある。
・とにかくアクセルのレスポンスが悪い。発進、加速が、とろくてしかたない。爺さん車としてはこれがいいのかもしれないが、あまりにバカにされている感じがする。
・ブレーキがまったく効かない。ブレーキを踏むと、最初、まるで加速しているのかとさえ思うほど、危険を感じる。
・インテリアがいかにもダサい。それなりの室内の大きさがあるのだが、その中で光るものがない。何にもみなくていいよ、と言われている感じ。
・こうとなると、やや大ぶりの車体も、どうも大きすぎるような感じがする。いざ衝突ともなればクラッシャブル・ゾーンが大きいだけ、怪我も小さいかも知れないが、それって、車の基本要素のずっと後のほうだろう。
・これで高速でも走ってみればどうなるのか分からないが、そもそもが、この車で無駄に高速まで行って走ってみよう、という気にはならない。

4)はぁ、ここまで来るとめちゃくちゃな感想ですね。

5)私は今回も車検に出したし、現行のマイカーに大きな不足を感じていないので、いよいよダメになるか、よっぽど乗りたいいい車が出てこない限り、今のままであと6年はいくつもりでいる。だけど、あと6年後にプレミオが来るということは、おそらくないであろう。

6)それでもやっぱりひとつの基準としてプレミオは、第三位の位置を占め続けるにちがいない。大きさ。ノーマルさ。ブランド。価格。操作性、趣味性、話題性。実に基準値に位置している。

7)これなら、まだプレミオのほうがましだろう、といういい方とか、プレミオさえこれがついているのに、これじゃあなぁ、とか、いろいろなフレーズが思い付く。

8)私は将来的にもプレミオ・ユーザーにはならないだろうが、ひとつの基準値としてプレミオから目を離すことはないだろう。そういう意味においては、気になる一台ではある。

追記)ネットで検索したら、どうやら来年2016年秋には、かっこいいプレミオが登場するらしい。そして、しかもハイブリッドがでるらしいのだ。これは、ますます気になるなぁ。目を離すことはできない。2015/9/16

追記)どうやらプレミオ・ハイブリッドは噂のみで、実際には登場しなかったらしい。2016/08/16

<3>につづく

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2015/09/15

「市民農園体験記」<39>秋支度

<38>からつづく

市民農園体験記 
<39>秋支度

24

 あの暑さが一段落したと思ったら、初夏にでていたニジュウヤテントウが、またでてきている。ゴーヤにも未練があるが、倒すことに。地面近くの葉の陰には、巨大化した最後のゴーヤが転がっていた。

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 ツルアリササゲは、蒔き時が遅れたせいもあるが、思ったほどの収獲はなかった。おそらく肥料と土壌の問題がある。一般にわが畑では豆類が育たない。

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 ナスは植物としては元気なので、根切りし、枝をつめて、根元に追肥して、秋ナスビを期待をしているのだが、いまいち大きくはならない。 

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 サヤエンドウ、ツルアリササゲ、エダマメ。豆は鬼門である。

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 夏野菜はすでに疲れがでており、終りになったものがほとんどだ。その中でもトマトはまだ青い実がなっているので、最後まで付き合いたいと思う。

12

 そこで、長いことお世話になった、ターフテントの骨組みを倒し、トマト救済作戦を試みる。この骨組がおったおかげて、トマトに屋根をかけることができなかった。

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 ターフテントを立てるのは良いアイディアではあったが、体の大きな私では、密埴圃場の中を縦横に動くのが難しい。これからは作業のしやすさも植え付けのポイントになる。

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 あいたスペースには先日より仕込んでおいた、ボカシ肥料を播く。

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 なかなか広いスペースは取れないが、2畳ほどできたスペースは、わが畑においては、貴重なスペースである。

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 管理機で深堀し、まずは秋に向けて、ナニをつくればいいのかイメージしてみる。

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 いまからじゃ遅いのかも知れないが、あまった資材を活用して、トマトの屋根を試みる。

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 十分なものではないが、イメージはこんなところだ。残ったトマトも仕立て直し、屋根も後日、透明性の大きなもので張り替える予定。

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 確実に夕暮れの時間が早まっている。もう6時というと、作業ができないくらい暗くなる。地球は回っている。

14 

 

<40>につづく

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「市民農園体験記」<38>スベリヒユ

<37>からつづく

市民農園体験記 
<38>スベリヒユ

01

 雑草という草はないらしい。これはスベリヒユという外来種。繁殖力があり何処にも生えている。この植物はコレストロール低下や肝機能その他に薬効があるらしく、海外では珍重されており、国内でも各地でそれぞれの名前で呼ばれ、利用されているらしい。

02

 さっそく我が畑や市民農園の通路に生えているものを抜きっとってみる。枯れ葉や小さな種がついている部分もあり、それらを取り除く。とりあえずお浸しにしてみよう。

03

 湯がいたのはほんの数分。葉っぱの部分も湯がいたが、それでよかったのだろうか。畑でみるより鍋にいれると結構なボリュームがある。

04

 適当な大きさに切る。ほどほどな切れ味で、まずまずの質量感もある。匂いもなく、色も赤いので、なにか賑やかな気分。シャキシャキ感と、若干のヌメリ。

05

 ゼンマイかワラビのような趣き。噛んでみると、やや酸っぱくもあり、苦みもある。その触感はまさに山菜のよう。初めて食べるので、調理方法がこれでいいのかどうか分からない。

06
 これにカツオ節をかけ、醤油をかけて食卓に並べれば、これはこれで、おいしい一品といえそう。これで、薬効がある、というなら、私の好物になりそうだな。

07

<追記>2015/09/20 きょうクラインガルテンに行って、あちらでもキチンとスベリヒユが棲息していることを確認した。同じ地域なのだから当然と言えば当然だが、畑に行って、「雑草」ではなくて、ひとつの植物として名前を覚えることができたのは、うれしい。

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<38>につづく

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石川裕人追悼イベントTheatreGroup“OCT/PASS”「ラストショー」リーディング公演<1>

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Lastshow_ura「ラストショー」リーディング公演 <1>
作:石川裕人 監修:絵永けい TheatreGroup“OCT/PASS” 石川裕人追悼イベント 
No.3578★★★★★

出演:
    小畑次郎(他力舎)、渡部ギュウ(SENDAI座☆プロジェクト )、松崎太郎、岩佐絵理(SteamTV)、篠谷薫子、美峰子、片倉久美子、宿利左紀子、長谷野勇希、小川描雀、荒野紘也、χ梨ライヒ、亀歩、横山真

    日時:10月11日(日)14時    
※開場は30分前   

    場所:せんだい演劇工房10BOX別館 能‐BOX
仙台市若林区卸町2-15-6

料金:1000円 

  同時開催『石川裕人展』
13時半~17時(リーディング上演中はご覧いただけません)

ご予約はWEB予約劇団お問い合わせまたは
  お電話(070-5629-6724)まで。
※WEB予約は、「予約する」ボタンを押下後に自動送信される「イベントの予約確認メール」にあるリンク先をクリックして表示することで「予約確定」となりますのでご注意ください。 

ご予約後に自動返信メールが届かない場合は以下をご確認ください。
         1. PCメール拒否設定されている場合があります。ドメイン指定受信設定で「tiget.net」をドメイン指定受信に設定願います。
         2. 返信メールが迷惑メールフォルダに振り分けられてしまう場合がございます。お手数ですが、迷惑メールフォルダのご確認をお願い致します。

<2>につづく

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2015/09/13

「市民農園体験記」<37>失敗談その②スイカ?

<36>からつづく

市民農園体験記 
<37>失敗談その②スイカ

01

  趣味の市民農園ときたら、まずは家族に喜ばれる作物をつくるのが一番。そして、さらにそのトップに来るのが、スイカであろう、そう一人合点した私は、春に揃えた苗の中に、そっと一株だけスイカを入れておいた、筈、なのである。

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 移植後は春風も強く、根づかずにに枯れてしまった苗も続出した。そこで残った苗は、防風ビニールをかぶせて、大事に育てた、筈、なのである。

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 広い面積を必要とするツタ類は、すべて立体栽培することとして、園芸用支柱ならぬ、キャンプ用ターフテントの壊れた支柱持ち出して、3D構造を構築し始めた。

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 このころちょっとした異変があって、除草したり追肥したりしているうちに、どうやら、大事な苗を折ってしまった記憶がある。今思い出せば、あれが、スイカ、だったのだろうか。

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 ところがである。すでにL字に折れてしまった苗のさらに根元から、もうひとつの芽が出てきたのであった。おお、生命力があるなぁ、と一時は、わが有機農法を、アサハカにも誇ったり、したのであるw

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 この「植物」、私のイメージよりは、更に繁殖力はすごかった。なんせ、拙い私の経験から言っても、スイカって、こんなに葉っぱがおおきかったっけ? 雨の少ない炎天下、他の作物がゲンナリしているのに、どんどん伸びていく。

06

 あまり横にも伸びて行くので、テープで縛り上げ、とにかく上に上に伸びるように仕立てた。いつの間にやら、ターフテントの屋根の部分にまで到達し、ついには頂上部分まで屋根を形成するようにさえなったのである。

07

 そんなある日、私は、その屋根の大きな葉影の中に、突然現れた、異様な物体に気づいたのである。一言でいえば、恐竜の卵を最初に発見した人は、こんな心境であっただろうか、と言ったような案配だった。

08

 立体栽培の屋根からブラ下がってくるので、一生懸命ネットの上に押し上げてみたりした。すくなくとも、これはスイカではない。なんじゃろう。トウガン、でもなさそうだ。もちろんヘチマや、通常のカボチャではない。

09

 日々巨大化する「物体」は、一体なにか。私の疑問は日々増長し始めた。農園主に聞いても分からない。少なくとも農業歴45年に及ぶ、私より一歳上の農園主でも見たことないという。ひょっとすると、これはスイカに使われた台木ではなかろうか、と最初に言ったのは彼だった。。

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 大きくなった「物体」を私は最後まで見届けようと思っていたのだが、なんということか、他の作業中に、自重に耐えきれなくなって、ついに、畑に落下したのである。

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 しかも、先日から、もう一個、今度はツルからぶらさがって、同じような物体が増殖し始めていた。なんと異様なできごとであろうか。

16

 となりの畑の人は、ピーナッツ・カボチャではないかという。なるほど、そういうものがあるのか、とネット検索。だが、ちょっとばかり色が違いそうだ。そこでSNSでネット繋がりの友人たちに公開質問してみると、ヘチマという感想もあったが、どうやら四国の友達などは、それはテツカブトというカボチャではないか、という。 

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 テツカブトは食用だが、どうも様子が変だ。いろいろ調べて、結局、私が下した結論は、テツカブト(新土佐南瓜)の品種改良で、スイカなどの台木専用に栽培されている「新土佐一号南瓜」であろう、ということであった。

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 台木(接ぎ木)専用となると、これは食味に期待することはできない。家族に調理してもらって、総スカンを喰った日には、あの暑い盛りの炎天下の作業さえ、あえない無駄な徒労であった、という結論になってしまうではないか。

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 私はそこで、わが畑で収獲された他の作物と見比べながらも、当面は、この物体をわがガレージ・オフィスのオブジェとして飾っておくことにした。テツカブトのDNAを受け継ぐ作物なら、ハロウィンや冬至カボチャの季節を通り越して、うまくすれば、来年の春まで腐敗せずに存在してくれる可能性もある。ひと夏で食べてしまうスイカより、こちらはこちらで、楽しみもあろう、というものであろう。

20

<後日談>

ところが最近、近くの農産物直販所に行ったところ、これはつる首かぼちゃの一種ということで売られていた。色が青かったので、どうかな、と思っていたのだが、オブジェとして飾っていたら、似たような色に変化してきた。

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 料理法も書いてあったので、そのうち、ポタージュにでもしてもらって、食べてみよう。もし、美味しかったら、またレポートすることとする。2015/10/13記

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<38>につづく

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2015/09/10

「わがボタニカルライフ」<13>自然とのふれあい?

<12>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<13>自然とのふれあい?

2

 友人が覚醒ワークショップを主催するという。場所は、スキー場近くの教育センター宿泊施設。ブログで若干紹介したものの、現在当ブログでは、「2015/08/27~」というベタなタイトルのカテゴリを走らせている。だが、実は、裏カテゴリ名は「ボタニカル」なのである。ここになんとかつなげなければならない。

1

 送ってもらったフライヤーを見ていて、その会場となる施設の名前に「自然ふれあい」が入っていることに気づいた。今回この企画にアクセスするには、ここんとこがキーワードだな。とにかくその山に行ってみよう。途中で「クラインガルテン」の看板が・・! おう、このような施設名は、ごくごく一般的なものになっているのだ。知らぬは私ばかり。

3

 現地は雨に曇っていて視界数十メートルの日であった。ああ、天候が荒れやすいところなのだなぁ、と思っては見たが、実はこの日は、記録上50年目にして初めての雨量を記録するような大変な荒れ日だったのだ。大自然の猛威である。

4

 車で進もうとするのだが、先は全く見えない。あてずっぽうで進んだら、なんと霧の中から、新築1年という、素晴らしい施設が登場してきた。日によって、ここは大盛況になるらしく、キャンプ場や登山コース、セミナー室、宿泊施設などが併設されている。

5

 豪雨を避けるようにして施設に入って外を見ると、かなりの嵐だ。これが自然とのふれあいだなぁ。これだけの立派な施設がなかったら、テントや小屋では、一度に吹き飛ばされてしまうに違いない。

6

 近くの沢は、ほぼ限界の水流が流れている。下手すりゃ、この濁流に飲まれて、私の人生も、はいそれまでよ、となりかねない。君子危うきに近寄らず。

7

 雨天であっても眺めは素晴らしい。晴天の日であるとか、行楽シーズンなら、ここは、おそらくよっぽど素敵なところなのだ。っていうか、この施設ができる前、古い施設の時代の大昔、高校生時代に、私も学校行事として、ここに来たのだった。

8

 そんな思い出を胸にしながら、携帯で呼びだされ、帰宅の途についた。しばらく走ったら、そこに「ボタニカルガーデン」の看板が・・・! おやまぁ、これまた、これらの言葉も、もうすっかり一般化しているんだなぁ、と赤面。知らぬは私ばかり。自然とのふれあい、クラインガルテン、ボタニカル。ははは、この辺を切り口に、わがブログに、もうひとつ記事が書けそうだなぁ。

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<14>につづく

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2015/09/09

「やさしいかくめい」1 リアリティ <2>

<1>からつづく

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「やさしいかくめい」 シリーズ(1)リアリティ <2>
プラサード編 1978/07 草思社 

 私を「カウンターカルチャーの旗手」と呼んでくれた方がある。こそばゆい限りであるが、敢えてその称号をいただくことも出来ない訳ではない。そう「ふるまう」ことも、「いつわる」こともできる。

 しかし、それは違うのだ。そう評していただくことは大変名誉なことではあるが、それは、私をもっと、もうすこし理解していただいてからにして欲しい。というか、おそらく、私が口足らずで、説明不足なのだ。

 最近になって、ネット上で私はひとつの分岐点に立つことが多くなった。あの1975年。多くの古い友人たちが語り、さらに多くの未知なる同世代の人々が口にする、あの時代。あの時代はすごかった。あの時があったから、それからがあり、今がある。

 それは納得できる。そうであるべきだ。そうなのだが、どうもそこから先に進まない。多くの友人が1975年からスタートしようとするのだが、また1975年に帰っていく。それは合流地点でもあったし、また、分かれの分水嶺でもあった。

 しかしながら、それは離散集合するひとつのプロセスに過ぎず、支流となり、本流となり、伏水流となりながら、時に蒸発し、時に氾濫し、そして、大河へと、海へと、流れ、たゆたうひとつの海となる。

 私は、あの1975年にひとつの決着をつけたい。その流れを見つめ、再発見したい。その時、私の視点はどこにあるのか。私はどの流れにいるのか。そして、もっとも大事なことは、そして未来へと、今が、どうつながっていくのか。そこのところを、私なりに整理し、私なりに説明し、そして、友人たちと共有し、自らの足が依って立つ大地としたい。

 そしてそのことは、当ブログの10年の経過を総括することに繋がるであろう。その作業を開始するには、この希有な鋭くもやさしい光を放ち続けているムックシリーズのその1「やさしいかくめい」からスタートするのがいいようだ。

「カウンターカルチャー、OSHO、そして未来への系譜」準備編 工事中

「アウトサイダー」C・ウィルソン 福田恒存・中村保男・訳 1975/4 紀伊国屋書店

「続 極道辻説法」 今東光 1977/07集英社

「注目すべき人々との出会い」 ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /星川淳 1981/12 めるくまーる

「世界神秘学事典」荒俣 宏 (編集) 1981/11 平河出版社

「地球感覚、」屋久島発 スワミ・プレム・プラブッダ(星川淳) 1984/08 工作舎

「ノーマインド 永遠の花々」 Osho /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1994/10 壮神社

「大いなる挑戦-黄金の未来」 Osho1988/01 「意見書」大地の豚」からあなたへ 加藤三郎 1992/01 思想の科学社 

「足に土--須貝アキラ追悼集」やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室

「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」 トランスパーソナル心理学との相対関係 玉川信明 社会評論社 2001

「<帝国>」グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性  アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 2003 原文2000

「マルチチュード」(上) <帝国>時代の戦争と民主主義  アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 2005 原書は2004

「魂の螺旋ダンス」 The Spiritual Spiral-dance はるかなる今ここへ 長澤靖浩 2004/10 第三書館

「Osho:アメリカへの道」 砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相 マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる

その他

以上は、とりあえずの資料リストであり、日本語版出版年順に並べてある。今後、これにプラスしたり、これから削除しながら、さらに、これからの地球人たる私たちの未来への系譜を探っていくことにしたい。

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「園芸植物学百科」 ボタニカルイラストで見る ジェフ ホッジ

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「園芸植物学百科」ボタニカルイラストで見る 
ジェフ ホッジ(著), Geoff Hodge(原著), 上原 ゆうこ(翻訳) 2015/05 原書房 単行本: 224ページ
No.3635★★★☆☆ (ナンバリングが抜けていたので、2015/12/21にナンバリングと評価をつけた)

 本書は、植物学と園芸用語にかんする便利な参考書というだけではなく、植物が、どのようにして成長し、庭においてどのように生育するかを理解し、そしてよりよい成果をあげられるようにする、実用的かつ実践的な手引書である。 表紙見返し

 まさにそのとおりの本である。全224ページの中にたくさんの図版がはいり、その図版を見ているだけでも楽しい。いや、私などは、なかなか図版以外の文字は目に入ってこない。

 写真ではなく、ひとつひとつが明瞭に書き写されている。花だけではなく、実だけもなく、葉だけでも茎だけでもなく、植物全体が、背景や、余計な感情を排して、的確に描写されている。

 このように描写するだけでも、多くの覚醒が必要となろう。描く瞑想である。そうそう、どこか禅画に通じるようなところもある。そのZENはあくまで、西洋的な理解ではあるが。

 このような本を愛読し、熟読し、理解し、活用できるような、そういう地球人に、私はなりたい。

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2015/09/08

「せんだい歴史の窓」 菅野正道

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「せんだい歴史の窓」
菅野正道(著) 2011/10 河北新報出版センター 単行本: 223ページ
No.3578★★★★★

 この手の本は、地域のエピソードについて横割りに書いてあって、ひとつひとつが面白いテーマであるのだが、全部に対して関心を均等に持つことは難しい。今回は、かつてわが地方に散見された野原の墓場について、近くの中学校図書館の司書(我が家の奥さんです)が、教えてくれた一冊である。

 いささか罰当たりかもしれないが、かつて墓地は、歴史を研究するための重要な情報源の一つであった。旧家の墓所に並ぶ墓石からは、その家の歴史や社会的立場をある程度読みとることが出来た。埋葬者の事跡を刻んだ墓石などは上質の歴史資料と言っても過言ではない。

 村の墓場を歩けば、その地域にどのような名字が分布しているのか一目瞭然であったし、「乱場」(らんば)と称される、道端や畑の一角にたくさんの墓石が立ち並ぶ墓所を目にすることもしばしばであった。p49「墓地の変貌 墓石普及は江戸中期」

 私はこの「乱場」を探していたのである。知人と議論していて、「らんば」について語っていたのだ。らんば、らんば、とあまり言うものだから、知人は「らんばとはどう書くの?」と聞いてきた。いや、私はこれは俗語であり、方言ですらないと思っていた。私の住むエリアの通称、符号のようなものであると思っていたので、そう答えた。

 しかし、気になったので知人と別れたあと、ネットで検索してみたが出て来なかったので、私は自説が正しかろう、と一旦は納得していたのである。そうか「乱場」だったのか。

 そう思うが、どうも私はまだ腑に落ちない。乱場という漢字は、後からの当て字なのではないだろうか。著者である仙台市博物館の室長さんに言挙げするのも失礼とは思うが、ペンディングにさせていただきます。

 さて、今回、この本を手にとって、二つ目の収獲は、次の項目があったことである。今回詳述はしないが、私自身にはかなり深い意味がある文章である。

 農村で目にする門として、冠木門(かぶきもん)がある。二本の太い角材の上部に真っ直ぐな角材の横木を渡した簡素なつくりの門である。門柱の頂上に木口を保護するための小さな屋根を付けることはあるが、門全体を覆う屋根がないことから「坊主門」とも呼ばれ、また横木の形態から「貫門」(ぬきもん)と称されることもある。

 この冠木門は簡素なつくりであることから、一見して粗末な門と見られがちである。実際、武家屋敷や城郭の門の場合、この冠木門は簡略な門、あるいは格が低い門とされることが多い。

 しかし、農村に残る冠木門の場合、どうも様子が違うようだ。冠木門を残す家の歴史を尋ねると、ほとんどが肝入(きもいり)や山守(やまもり)などの村役人、あるいは明治時代に村長を出したような由緒を持っている。

 「こういう門は、近隣では○○と△△ぐらいしか建てられなかった」などという話を聞いたこともあった。また、かつての宿場町では「検断門」などと称して、やはり格式のある家を象徴する門と認識されている例も少なくない。

 こおのように、粗末に見える冠木門は、仙台藩領の農村では、地域の指導者のみが建てることを許される、格式の高いものであったのである。実は、この冠木門は屋根がないために、風雨にさらされ痛みが早く進行する傾向がある。それでも、老朽化あるいは代替わりを契機に、元の門と同じものに作り直すという旧家も少なからず存在する。

 よく見ると、農村に残る冠木門は、ほとんど例外なく扉が付けられていない。実質的には「門」の役割は果たしていないのだが、それでも家の由緒や格式を示すものとして、この門は大事に守られ続けたのである。

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肝入
 仙台藩など東北地方では、名主・庄屋にあたる村役人のことを肝入(肝煎)と称した。また村方三役と称される名主(庄屋)、組頭、百姓代のうち、仙台藩領では組頭は設置されたが、百姓代は置かれなかった。
 p46「旧家の門 格式を示す『冠木門』」

つづく、かも

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「市民農園体験記」<36>失敗談その①ズッキーニ

<35>からつづく 

市民農園体験記 
<36>失敗談その①ズッキーニ

01

 半年に満たない春からの短期間の体験なれど、失敗談には事欠かない。その中でも、一番記憶に残るのは、ズッキーニであろう。

02

 そもそも生命力が強いのか、苗が良かったのか、防風を考えなくても、すくすくと伸びてくれた。最初期においては、花もあっという間について、一番の元気の元になってくれていた。

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 わらで防風や乾燥を防いでみたりしたが、このプロセスが適切だったのか、どうか、よくわからない。少なくとも成長は早かった。

03

 このまま元気に成長してくれるものと期待し、干ばつ気味の初夏には、せっせと水やりをしたものである。

06

 花が付き、雌花もついて、花の根元が黄色くなってきたので、このまま成長するのだろうと、期待したのだが、そうはならなかった。

09

 ある程度の大きさになると、花の根元から腐り始め、落ちてしまうのである。あるいは腐ったままにしておけないので、ハサミで切り取った。

11

 この辺で気付くべきだったことは、ズッキーニは、水をむしろやらずに、乾燥気味に育てることが大事だ、ということ。そして、本来は、二株以上植えて、人工授粉をすべきだったのだ。

10

 そして、そもそもがその生態をよく分かっていなかった。キュウリのような格好をしているので、ネットを伝って育つようなツル性のイメージがあったので、ネットの側に植えたのだが、実はこれが大きな勘違い。

12

 ネットがズッキーニの真ん中にあり、その成長を妨げさえ始めてしまった。もともと混植のわが畑では、隣の植物と干渉しあい、どんどん大きくなる性質がそがれてしまったのである。

13

 仕方がないので、伸びすぎた葉を茎の根元からおとして、なんとかワイ化栽培しようとするのだが、そのような育て方には向いていないようだ。

14

 それでも雌花はどんどん付き、途中までは成長するのだが、次から次と、腐っては落ちていった。(涙)

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 そこで、他のメンバーさんから教わったように、雄花を切り取って、雌花を開き、人工授精のようなことをしてみた。

17

 よい体験にはなったが、これは功を奏さなかった。時期をはずしたか、同じ株からでは受粉しないのか。

19

 いよいよになって、他の作物がさらに大きくなり、狭くなり始めたので、私はズッキーニを収獲することを諦めた。

15

 そして、あろうことか、根元から掘り起こし、30キロほど離れたクラインガルテンに移植を試みたのであった。もう諦めていたから、捨てるよりも実験になるかな、とダメ元の試みであった。それにしても、あえない一生となった、わがズッキーニであった。

20

 次年度への教訓。ズッキーニは二株以上植えよう。広いところに植えよう。水やりはほどほどに。花が咲いたら、しっかり人工授粉をしよう。

22

 <37>につづく

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2015/09/07

「植物図譜の歴史」ボタニカル・アート 芸術と科学の出会い ウィルフリッド ブラント

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「植物図譜の歴史」ボタニカル・アート 芸術と科学の出会い
ウィルフリッド ブラント(著), Wilfrid Blunt(原著), 森村 謙一(翻訳) 2014/05 八坂書房; 新版 単行本: 346ページ
No.3577★★★★★

 ボタニカルってなんだろう、と、図書館の検索で関連書籍を探してみた。出てきた数冊の中の一冊。実に立派な一冊である。

 全体で346ページというハードカバーで細かい文字がたくさん並んでいるいわゆる学術書に近い形態である。

 しかし、巻頭の口絵として実に60数ページに渡って、植物のイラストがついている。アート紙に実に細密に描かれた植物たちが展開されている。

 細かい文字を一生懸命読むのは、現在の私にはちょっと辛いが、綺麗な図版は、じーっと見ていたい。

 難攻不落の一冊である。

 

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「クラインガルテン計画」<13>されど週末農業

<12>からつづく 

「クラインガルテン計画」

<13>されど週末農業  目次

1

 一週間後に来てみれば、ナスも結構大きくなっている。一週間ならではの長さになっているものもあるし、メタボに膨れて、全体としては不ぞろい。

3

 放射能の影響だろうか、などと冗談を言いつつ、整枝し、まだ半熟なのだが、ぼかし肥料を追肥する。

7

 先週、実験的に米ぬかを、除草効果を狙って、半分だけ散布しておいたのだが、中央左半分には雑草が少ない。中央右半分は綺麗に除草したはずなのだが、やはり雑草が多く目を出している。除草効果は明らかにある。

2

 ボカシ肥料は、まだ仕込みが足らない。しかし、終末農業であるので、来た限りは、出来る範囲のことをしておきたい。

8 

 トウモロコシは、先週大体のところをやや早熟ではあったが収獲しておいた。それが大正解だった。残っていた未熟部分は、その後登場したのであろうカラス+ハクビシン軍団にやられて全滅。

4

 そもそも一列しか植えていなかったので、受粉状態も悪い。あれもこれも来年への経験値として受容する。

5

 草は限りない。あっと言う間にいっぱいになるが、そろそろ秋近し。初夏や盛夏のようには繁茂しないだろう。堆肥製造のためには貴重な資材であり、これからは枯れ葉や落ち葉を追加することになるだろう。

6

<14>につづく 

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「グルジェフ ムーブメント イン 仙台」オーエンス泉岳自然ふれあい館

ビマール&アナッタからフライヤーが届きました。
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「グルジェフ ムーブメント イン 仙台」 10月31~11月1日 オーエンス泉岳自然ふれあい館

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2015/09/04

「わがボタニカルライフ」<12>空き地の雑草

<11>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<12>空き地の雑草

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 この春、銀行脇にポッカリできた広い空き地。築40年を超す古い賃貸住宅が列挙して建っていたが、取り壊され、一旦は砂利を敷かれて整地された。

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 しかし、数ヶ月放置されていた間に、大地からはどんどん新しい生命体が顔を出す。

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 世に言う雑草だが、雑草という名前の植物は存在しないらしい。

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 ひとつひとつにキチンと名前が付いているはずなのだが、雑草としか認知されない。

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 よくよく見ると、それぞれに特徴的であり、しかも、無数に混植しているわけではない。

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 何種類かの植物に大別される。

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 おおまかに分ければおそらく10種類くらいに留まるのだ。

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 とおりがかりの気ままな通行人には、図鑑を調べる余裕などはない。

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 だけど、よくよくみると、それぞれに興味深いものがある。

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 この辺とか、あの辺、結構有名な植物かも。

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 目を細めて眺めてみると、どうかすると幾何学模様に見えたりする。

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 立ち入り禁止区域だから、この広い空き地で遊ぶ子供たちの姿もない。

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 早く、雑草が刈り取られて、商業施設にでもなったほうがいいのか。

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 あるいは、このまま、植物ランドになってもらったほうがいいのか。
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<後日談>2015/10/21

 通りかかったら、すでに工事が始まっていた。近くのコンビニがこちらに移転してくるという。工事が始まれば、あっという間に重機類によって景色は変貌していく。植物たちがのんびりしていたのも、半年の間だった。

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 ここは、ちかぢかアスファルトで固められ、駐車場や商業施設になるのだ。植物たちは静かにおとなしく、大地にもぐりこんだ。また会おう。

 <13>につづく Img_9382

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2015/09/02

「わがボタニカルライフ」<11>ゼラニウム

<10>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<11>ゼラニウム

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 よくも悪くも、我が家のガーデンを特徴づけているのはゼラニウムである。いつからそうなったのか定かではないが、気付いた時から、そうなっている。

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 一番最初に貰ったゼラニウムの成苗の茎を10センチほどに切って、単なる砂に挿し木して数十本に増やしたのが、すでに35年以上前のことだから、人生の半分以上の長いお付き合いということになる。
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 その後、結婚して奥さんが持参したものや、友人たちからお祝いでもらったもの、引っ越した知人から引き受けたもの、などなどが混然となり、どれがどれやら分からなくなった。

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  それでも、一本一本のゼラニウムはそんなこと関係なしに、ず~と我が家を彩っている。赤、シロ、ピンク、え~とそれからそれから、と言いたいが、実はこの三色しかない。

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 それほど多くの水分もほしがらず、冬場も夜だけ玄関に入れてやる程度で、ずっと枯れずに生き続けている。 

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  正直いうと、私はこの花に対して苦手な面もある。一番最初は、その匂いが苦手であった。独特の、ちょっとケミカルな、和風ではない匂いがする。それと、やはり色がけばけばしい。もうすこしセピアがかってもいいのではないか。 

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  それと、たくさんの花を咲かせてくれるのだが、その花びらが散ると掃除に困る。生えそろわない我が家の芝生などの中に落ちると、一枚一枚の花びらを掃きだすのは容易ではない。 

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  しかし、それでもやっぱりずっと我が家の玄関を守ってくれているということは、つまり、この花は丈夫で長持ち、それに実にリーズナブルなのである。 

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 こまかい手入れもほとんど必要もなく、一年中頑張って咲き続けている。あまり増やし過ぎないようにしながらも、これからも、ずっといてほしいな、と思う。

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<12>につづく

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2015/09/01

「わがボタニカルライフ」<10>ほおずき

<9>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<10>ほおずき

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 3年前に西関東を旅したとき、苗として購入してきたほおずき。いつの間にかわがボタニカルライフのメインキャストになっている。

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 秋を迎え、冬を越え、春を重ねて次第に大きな実になってきた。

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 だいぶ大きくなってきたので、この辺で切り取り、インテリアとして飾ることに。 庭にある時と、部屋に入れるとではだいぶ大きさが違う。迫力がある。

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 枝を借り取って、いずれまた新しい実がつくことを楽しみにしながら、わがガーデンもすこしづつ秋支度。今日は9月1日である。

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<11>につづく

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