「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<1>
「ネグリ、日本と向き合う」<1>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著), 4その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次
No.3583★★★★★
1)戦争法案を巡る国会を中心とした攻防の動きを見ていて、私の頭のなかではつねに、<帝国>VSマルチチュードの図式が渦巻いていた。その図式の中でこの動きを捉えようとしてきたのだが、このような傾向を他のSNSつながりの中では、明示的にはあまり感じることができなかった。
2)実際に断片的ではあるが、私自身もちょっぴり書き込みをしたことがあったが、すくなくとも私のつながりの中では、直接的は反応はゼロであった。
3)グローバル化した市場と生産回路のもとに出現した<帝国>に抗して、知的労働やコミュニケーション、そしてその果実を分かち合い「共有財産」「共(common)とするための社会的な関係や民主的なネットワークはいかに構築できるのだろうか。ここで、ネグリとハートが、スピノザの思想の大胆な読みを介して提起したのが「マルチチュード」(multitude)という概念である。p18「序 アントニオ・ネグリの現在」伊藤守
4)ネグリ&ハートが提示したグローバル・マップは、混沌とした世界情勢を読み解く方策の一つとしては、大いに役に立つ。
5)中東では「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が起き、日本でも反原発運動や脱原発運動が全国に広がる状況が生まれた。これらの個々の運動は、社会的、文化的、政治的文脈がまったく異なる地域で、異なる目標を掲げて展開されており、そこに共通する要素など存在しないと思われるかもしれない。
しかし、これらの運動の根底には、社会的意志決定のあり方や制度、経済と市場の「自由」を至上のものとする考え方への根本的な懐疑が渦巻いているという点で、多くの共通点が存在するとみることもできる。p12伊藤 同上
6)今回の戦争法案の国会前行動デモなどを見ていて、憲法、武器、貨幣(経済)、実に今日的課題として問われているテーマを挟んで、<帝国>とマルチチュードが激突している、そう見ることは、あながち間違ってはいないはずだ。
7)毛利(嘉孝)によれば、現在の官邸前でもに象徴される社会運動・市民運動は、福島原発事故という事態を契機にして突発的に起きたわけではなく、2000年代以降に発展してきた若者たちの独自の政治文化、さらに当時「ニューウェイブ」と呼ばれた1980年代の反原発運動という二つの流れから捉えられる。
その上で、毛利は、ネグリの指摘するマルチチュードの特異性と共同性を有機的に関連づける具体的な論理と実践のあり様をより一層探求すべきことを提起した。p24伊藤 同上
8)この本自体は昨年2014年の3月にでた本であり、さらにこの本がでるきっかけとなったネグリの初来日はさらに一年遡る2013年の4月のことであった。しかし、大局的にみれば、今年2015年の夏をピークとした「戦争NO」、「憲法9条を守れ」というシュプレヒコールと「マルチチュード」の現出は、大きな括りの中のひとつのあらわれである、と見ることは妥当だ。
9)「<帝国>」「マルチチュード」「コモン」というコンセプトから構成されたあらたな理論的パラダイムが登場したからこそ、私たちの社会認識は前進し、社会を組み替える力となりうる様々な批判や論争が可能になった、ということだ。p26伊藤 同上
10)グローバル化した地球上の各所で展開される政治状況は、ひとつの論理でかたづくような簡素なものではない。実に多様であり、一見無関係そうにさえ見える。実際、ネグリたちの大風呂敷は、あまりに雑多なものを包含さえしている。
11)それでも、このコンセプトが有効なのは、、この雑多な世界情勢考察するものに、大きなザックリとした視点を与えてくれることだ。
12)折に触れ、この美しい国(引用者注・日本のこと)には、真のリーダーシップの機能が欠けているという話を耳にした。したがって、今度はわたしのほうから次のような問いを立ててみたい。これがわたしの話の終わり方である。
すなわちコモンウェルネスの構築、つまり<コモン>を建設する空間の構築という国際的なプロジェクトは、現実的な取り組みのきっかけとなるような、試みの場になりえないだろうか、と。p47ネグリ「『東アジアの中の日本』と向き合う」
13)ネグリの用語は独創的で分かりにくい。文脈も多岐につながり、文意を失うこともしばしばだ。しかしながら、その言葉になかに含みがあり、その曖昧規定の中に、自らの曖昧模糊とした、抱え続けてきた問題を放ってみることは、きわめて魅力的だ。
14)国際的な分業体制をどのように組織し、協力関係をつくっていくのか。それが大事なことです。そのとき、日本の反核運動を支えるマルチチュードとしてのネイションは重要な意味をもっていると思います。p65ネグリ 同上 姜 尚中(カン サンジュン)との対談
15)この本がでた一年半後の日本の状況を、憲法9条という縛りのなかで考えてみるのか、国際情勢の中で考えてみるのか。日本のマルチチュードと、他の隣国、あるいは遠い異国のマルチチュードたちは、憲法9条そのものをどうみるのか、それを挟んだ攻防を、どう見ているのかも、興味津津のところである。
16)ドイツやイタリアでは、国民投票によって原子力エネルギーに対する拒否が実現しました。ドイツでは政府が原発の閉鎖を決定しました。ヨーロッパの多くは、いまその方向へ向かっています。原子力国家と民主主義は両立しえない。それがわたしの深い確信です。p69ネグリ 同上
17)断片的に抜き出すことは、本来タブーだろうが、ネグリの言葉の意味を深く読みとるには、文章全体を読まなければならないだろうし、厳密には翻訳前の原文に触れることさえ必要なのかもしれない。
18)わたしがホッブズ的な国家主権の概念に賛成するのは、まさに「恐怖」が国家主権というものを生み出しているという点です。しかしわたしはスピノザ主義者です。連帯としての国家は、恐怖によってではなく、愛によって生まれる。これがスピノザの基本的な考え方です。p71ネグリ 同上
19)ネグリ&ハートの文脈に酔うあまり、ホッブズやスピノザまで遠出することもまんざら楽しくないわけではないが、当ブログにとっては酔狂にすぎた。そこまで行かんでも、ズバリ、国家は愛によって生まれる、というのなら、だれの介在もいらずに理解できるのではないだろうか。
20)2012年12月の衆議院選挙うでは、実際には有権者全体の四分の一の支持しか集められなかったにもかかわらず、いわば国民の授権を受けたというかたちで圧倒的な国家の主権というものが現在行使さえているかのように見えるわけです。
しかし一般の有権者からすると、どの政党を選んでもほとんど変わらないという無力感が現在のグローバリゼーションの中で進んでいる。p72姜 尚中 同上
21)新しい左が生まれなければいけない。社会的なつながりというものに依拠した、新しい左翼が生まれなければいけない。ソーシャルメディアが発達したいま、社会的関係を政治的関係に翻訳し、政治的な表現に変換して、運動を進めていくような組織が必要です。そういった意味での連帯が存在するでしょう。p76ネグリ 同上
22)日本においては、しかも言葉としては新左翼も、新々左翼もまったく目新しくなく、すでに失敗の烙印が押されているようなものだ。だが、ネグリの含みのある言葉を聞いていると、また大きな夢が膨らみ、そのイメージにさらなる新しい形容詞が必要だな、と思う。
23)マルチチュードのコンセプトは<コモン>というもうひとつのコンセプトと分かちがたく結びついているという点だ。<コモン>とはなによりもまず、わたしたちが現在そのなかで生きており、かつ、わたしたち自身が生み出している生産的全体を意識化することにある。
<コモン>とは、わたしたちがそのなかに投げ込まれており、かつ、わたしたちが未来に生み出す生産的全体を意識化することにある。無数の特異性が交叉し、主体性による生産が集団的プロセスのなかに書き込まれ、<コモン>が形成される。p88ネグリ「『3・11後の日本』と向き合う」
24)当ブログにおいては、マルチチュードの<マルチ>に対応するコンセプトとして、特異性<シンギュラリティ>に含まれる<シングル>を挙げておいた。全体が一つになって<共/コモン>となるのか、特異点がさらに純化されて<シングル>になるのか。
25)わたしたちの「敵」はどうなったのか、現在どんなかたちであらわれているのか考えてみたい。その際、3・11をあと考えたい。つまりあの原発事故は、あらゆる不均衡の全体、政治的主権の危機、そして勝ち誇るネオリベラリズムによる経済支配の危機、それらすべての範例(パラダイム)的要約なのだと考える。p90ネグリ 同上
26)「敵」VS「わたしたち」という対比は、分かりやすくはあるが、本当はどうなのか。もちろん、この事象を、二一世紀が始まっていらい経験した危機の最高点、とみることは当然のことと思う。
27)マルチチュードとは「下からの」ラジカル・デモクラシーを構築できる集合体である。ネットワークによる協働作業、しあがって潜在的に共同的な作業をベースに、ゆたかな社会の可能性を生み出す特異性の集合体。p83ネグリ 同上
28)ネグリと当ブログが決定的に対峙し、時には決別するのは、マルチチュードの特異性(シンギュラリティ)を、<共(コモン)>に昇華するか、<個(シングル)>に純化するかのポイントにおいてである。
29)3・11からの二年間、次第によく耳にするようになった言葉として、次のようなものがあります。街頭でもは議員を選ぶ投票行為とならぶ、もう一つの「主権的」行為だ。想定をける出来事に遭遇して国家が機能不全に陥っているとき、選挙を待っていられないとき、あるいは結局のところ様々に相反する利害を反映ー調停することしかできない選挙には多くを期待できないとき、街頭から国家を動かすことは必要かつ健全な民主主義のあり方であり、国民の主権行使の一形態だ、という主張です。
このとき街頭は、そこから国家機構が再構築される「新しい公共空間」と位置づけられます。議会とならぶ、もう一つの討議と意思決定の場である、と。そしてしばしば、こう付加えられます。真の「社会的なもの」はそこにある。それは社会の下部にも上部にもなく、そこにある。p106市田良彦 同上
30)「民主主義ってなんだ?」 「これだ!」って奴ですね。
31)原発事故以後、市民運動の高まり、まさにネグリの用語で「マルチチュード」としか呼びようのない、組織されない多様なひとびとの自発性の発現が見られた。ネグリはそれを目撃するために、来日直後に時差の疲れもものともせず、官邸前の抗議デモの現場に赴いた。p122上野千鶴子 同上
32)すでに2年前の動画だが、今回の国会前デモと直接繋がってくるネグリ周辺の動きである。
33)マルチチュードはついに政治権力とは無縁なのであろうか。その予想はわたしに無力感を抱かせる。(中略)この代議制民主主義のもとでは、政治権力は保守政治家に握られ、政権とマルチチュードとのあいだのギャップは深まるばかりである。p137上野千鶴子 同上
34)上野の文章は、これ以降も続き、彼女が多く触れてきた「女性」たちに希望を持つ、という結論で終る。しかしながら、私には、安易に「希望」を見つけられない。敢えていうなら、<コモン>にではなく、<シングル>の方向にだけわたしの生は傾いていく。
35)ネグリの理論を通じてではなく、ネグリの傍らで反原発運動を考えること。私は、このことが、新しい政治的連帯にとってとても重要なことに思えるのです。p159毛利嘉孝 同上
36)ネグリの提起するコンセプトの中で、現状を理解し、多くの友人たちと語り合えたら楽しいだろうな、と思う。しかしながら、最終的には、その理論は、私の中ではまったく無価値になってしまいそうである。
37)安倍首相がめざす憲法改正はさらなる軍事力増強を生み、それ自体が、かつてそうだったように新しい戦争の火種になりかねない。しかも改憲が、いささかも平和の保障にはならない日米安全保障条約の枠組みのなかで行なわれることを思えばなおのこと、改憲はいい選択だとは思えないのである。p177ネグリ「原発危機からアベノミクスまで、『日本の現在』と向き合う」
38)日本というネーションに住まうマルチチュードとすれば、当たり前の思考であるが、遠くグローバルな<帝国>を見ているネグリ御大が語れば、言葉の重みもまた、一段と増すようである。
39)ネグリ等が描く現代社会は、したがって、次のようになる。一方には、自由で、多種多様な潜在能力を抱えるマルチチュードがいる。他方には、これに抑圧的に関わる権力、マルチチュードの潜在性を一定の可能性の中に縮減する主権的権力としての<帝国>がある。<帝国>と、それに抵抗するマルチチュードがいる。「内在的なマルチチュードVs.超越的な<帝国>」という対立図式が、現代のグローバルな社会を貫いている。p211大澤真幸 同上
40)もちろん、大澤が続けて述べるように、この図式は、あまりにも大雑把な要約ではある。ことはもっと入り組んでいる。基礎となるのは人間であり、マルチチュードとは、ひとりひとりの人間であることは当然のことながら、<帝国>を支配し運用するのも、限られた階層とはいえ、その構成は、ひとりひとりの人間によっているからである。
41)ネグリとハートの資本主義批判を宗教的な基礎において反復することに驚異的な可能性があるかもしれない、とわれわれが予想するのは、こうした事実がすでにあるからだ。p234大澤真幸 同上
42)この本に登場する人々が使うところの「宗教」という用語は、当ブログが慣用しているニュアンスと大きな隔たりがあるものの、この本がこの結句で終わっているところは、意味深い。
43)以上、ざっと一読して付箋を貼ったところの一部を中心に抜き書きしておいた。敢えていうなら、いままで読んできたネグリ本の中では、私は一番読みやすかった。ネーションとしての日本に住む一マルチチュードを自認する私としては、日本を扱っている本が、もっとも身近に感じるのは当然であろうし、このことによって、よりネグリのコンセプトが明瞭になってきたと言える。
44)そして、ニュアンスはかなり違うが、文脈としては、ネグリとハートを、宗教的基礎において反復することは、驚異的な可能性がある、だろうとする大澤真幸の結句には、わが意を得た感じがする。そして、私は、自分の読書範囲としては、ますますネグリ&ハートの本をもっともっと読んでみたいと思った。
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