「やさしいかくめい」1 リアリティ <2>
「やさしいかくめい」 シリーズ(1)リアリティ <2>
プラサード編 1978/07 草思社
私を「カウンターカルチャーの旗手」と呼んでくれた方がある。こそばゆい限りであるが、敢えてその称号をいただくことも出来ない訳ではない。そう「ふるまう」ことも、「いつわる」こともできる。
しかし、それは違うのだ。そう評していただくことは大変名誉なことではあるが、それは、私をもっと、もうすこし理解していただいてからにして欲しい。というか、おそらく、私が口足らずで、説明不足なのだ。
最近になって、ネット上で私はひとつの分岐点に立つことが多くなった。あの1975年。多くの古い友人たちが語り、さらに多くの未知なる同世代の人々が口にする、あの時代。あの時代はすごかった。あの時があったから、それからがあり、今がある。
それは納得できる。そうであるべきだ。そうなのだが、どうもそこから先に進まない。多くの友人が1975年からスタートしようとするのだが、また1975年に帰っていく。それは合流地点でもあったし、また、分かれの分水嶺でもあった。
しかしながら、それは離散集合するひとつのプロセスに過ぎず、支流となり、本流となり、伏水流となりながら、時に蒸発し、時に氾濫し、そして、大河へと、海へと、流れ、たゆたうひとつの海となる。
私は、あの1975年にひとつの決着をつけたい。その流れを見つめ、再発見したい。その時、私の視点はどこにあるのか。私はどの流れにいるのか。そして、もっとも大事なことは、そして未来へと、今が、どうつながっていくのか。そこのところを、私なりに整理し、私なりに説明し、そして、友人たちと共有し、自らの足が依って立つ大地としたい。
そしてそのことは、当ブログの10年の経過を総括することに繋がるであろう。その作業を開始するには、この希有な鋭くもやさしい光を放ち続けているムックシリーズのその1「やさしいかくめい」からスタートするのがいいようだ。
「カウンターカルチャー、OSHO、そして未来への系譜」準備編 工事中
「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」 トランスパーソナル心理学との相対関係 玉川信明 社会評論社 2001
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