「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<10>
<9>からつづく
「ネグリ、日本と向き合う」<10>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著), 4その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次
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本書の構成
本書は三つの章から構成されている。「『東アジアの中の日本』と向き合う」と題した第一章は、4月12日に国際文化会館主催で行なわれた「グローバリゼーションの地政学」、そして姜尚中の応答「東アジアの『冷戦『』と『熱戦『』」、ネグリと姜との対話を再録している。p21伊藤守「本書の構成」
暗黙にこの本は「現代思想」 2013年7月号 (特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス)とほぼ同内容だと思いこんでいたが、発行された時期から考えて、あちらが前篇、こちらが後篇ともいうべきほど、構成がずれている。もちろん補完関係にあるからいずれあちらも再読み込みしようと思う。
第二章「『3・11後の日本』と向き合う」は、4月6日に開かれたシンポジウム「マルチチュードと権力: 3・11以降の世界」の内容を伝えている。(中略)ネグリと日本側三人のパネリストによる議論が展開された。p22伊藤 同上
どのような人々が対峙するかで、内容は大きく変わるだろうが、ここに登場するのは、ネグリを日本に紹介した「知識人」たちということになろう。自らを「マルチチュード」と置き換えてみているのかどうか、その辺が興味深い。
第三章「原発危機からアベノミクスまで、『日本の現在と向き合う」は、日本滞在後に執筆されたネグリの書き下ろし原稿「アベノミクスと『風立ちぬ『』」、ならびに白井聡氏と大澤真幸氏による書き下ろし論考を収録した。p24
宮崎駿の「引退作品」(?)「風立ちぬ」は、この項を読み進めるためにごく最近視聴した。この作品は、ネグリの論文のここにどうしても登場しなければならなかったようなものとは思わないが、ネグリなりの時代潮流の読みと、日本の読者に対するリップサービスの部類であろう。
第一章における姜尚中についての当ブログの読み込みは極めて弱い。散発的に「デモクラシーの冒険」(2004) 「姜尚中(カンサンジュン)の政治学入門」(2006/02)に触れている程度で、おそらく彼の全体像を把握しないままではある。
しかしながら、対談そのものとしては、どちらかと言えば硬派中の硬派ネグリに対する、女性にも人気が高い姜尚中の柔らかさが、日本の読者層の広がりを促進する可能性があると判断されたのかもしれない。
第二章における3・11問題は、当然のごとく当時の論壇としては避けて通れない問題でもあるし、ここを聞かなければ何も聞く必要はない、というほどのキモのところではあるが、ネグリや知識人たちは、3・11問題を、ダイレクトに「原子力国家」とのつながりで、原発問題につなげてしまうところは、ちょっと不満である。
3・11そのものは、原発よりも、それをはるかに凌駕するものとして、地震、津波、があるわけで、そのような地球そのもののうごめきの中で、人間はどう生きるべきなのかを問うことのほうが、私は大事だと思っている。もちろん、それでは、現代思想や政治学の中では、あまりに問題のテーマが大きくなりすぎるのかもしれない。
第三章は、ややまとめにかかり、次につなげる部分であるが、このあたりのテーマの選定や人選が適正なのかどうか、当ブログとしてはちょっと気にかかるところ。
とにかく、このような本の構成になっているのだ、ということを、あらためて知ることによって、入りくんだ支線をほぐしていくこがより容易になるだろう。
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