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2015/10/12

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<13>

<12>からつづく
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「ネグリ、日本と向き合う」
<13>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

 ドイツやイタリアでは、国民投票によって原子力エネルギーに対する拒否が実現しました。ドイツでは政府が原発の閉鎖を決定しました。ヨーロッパの多くは、いまその方向へ向かっています。原子力国家と民主主義は両立しえない。それが私の深い確信です。

 ところが、フランスだけは原子力に固執しています。軍事用の核と原子力エネルギーの両方の面でフランスは強力な原子大国です。右であろうと左であろうと、フランスのエリートは、原子力エネルギーを開発、発展させてきたわけです。抑止力としての核を保有したあとに、それと並行するかたちで原子力エネルギーを開発してきました。(中略)

 近代的な概念としては合法的な暴力の独占が国家のひとつの定義なわけですが、国家には正統性、正当な根拠が必要です。合法的な暴力の独占から、法治国家の考えがうあ生まれたました。法に基づいた経済活動が行なわれていること、そして民主主義であること、これが、国家主義に正当性を与える唯一の根源です。(中略)

 わたしがホップズ的な国家主権の概念に賛成するのは、まさに「恐怖」が国家主権というものを生み出しているという点です。しかしわたしはスピノザ主義者です。連帯としての国家は、恐怖によってではなく、愛によって生まれる。これがスピノザの基本的な考え方です。p70 ネグリ「『原子力国家』と国家主権のゆくえ」

 このあたりは全文を抜き書きしておきたいが、それもかなわない。いずれにせよ、ネグリの分析は営利で的確であり、かつまた、その夢や主張は、実にスィートではある。

  いま国家というものがグローバリゼーションのなかで、かつてのような主権として関係性を持ちえなくなった。では、そこから何が生まれてくるかというと、ひとつは民主主義に対する無力感だと思います。(中略)

 まさしく国家がグローバリゼーションのなかで無力であるがゆえに、表面的であれ逆に国家の万能感を求める。そういった状況が、日本だけではなく、韓国でも、おそらく中国でも生まれてきているのではないか。そのひとつが、ある種のゼノフォビア(外国人に対す嫌悪)として現れてきているのだと思います。p72 姜 同上

 外「国」人という概念は、おそらく最終的には、プラスでもマイナスでもなく語られる時代が必ずくるのだが、現在は必要のないくらい強調されたりするのは、やはり、「国」自体の存続が怪しくなってきているからだ。

  最後に、マルチチュードに即してお聞きしたい。(中略)現実に起きていることは、中間層がますます薄くなり、格差が広がっている。こういう社会のなかで、民主主義的であるためには、いったいどうしたらいいのか。(中略)

 中間的なさまざまな集団といいうものを市民社会のなかに形成していくこと、そしてそのさまざまな中間的な集団が国境を越えてマルチチュードとして結びつくことが非常に重要なのだとわたしは思います。そういった中間層とマルチチュードとの関係についてもう少しお話をお聞きしたい。(中略)

 マルチチュードはかなりラジカルなものに変貌していく可能性があるのでしょうか。それともないのでしょうか。p74 姜 「新たな『左』が生まれなければならない」

 ここまで来ると、いくら姜とはいえ、なんだか夢想的で、雲をつかむような話になってきているのではないだおろうか。

 ネグリ 現在は移行の段階にあります。わたしの<帝国>論は、国家の政治的形態だけではなく、労働形態の変化、つまり付加価値をどうやって生み出すのかという労働形態と生産様式の変化を踏まえて組み立てられています。

 そこでは、中間層の破壊があり、中間層だけではなく労働者階級の変容や崩壊というものがあります。つまり、社会性というものを破壊していくような新たな要素が次々と生まれている。そこで、どうやったら社会的なものを再組織できるのか、ということが問題になります。(中略)

 ますます協同的なかたちでの社会的生産になっています。<コモン>のなかで生産が行なわれるようになっている。したがって、それに対応するかたちの組織をつくっていかなければいけない。(中略)

 新しい左が生まれなければいけない。社会的なつながりというものに依拠した、新しい左翼が生まれなければいけない。ソーシャルメディアが発達したいま、社会的関係を政治的な関係に翻訳し、政治的な表現に変換して、運動を進めていくような組織が必要です。そういった意味での連帯が存在するでしょう。(中略)

 新しいコンスティチューション(constitution)[(「社会を構成する」と「憲法」の二つの意味がある]をつくらなければならない。<コモン>の憲法をつくらなければなりません。(通訳 三浦信孝 p76 ネグリ 同上

 空想的といえば、あまりに空想的だ。Oshoのビジョンに負けず劣らず空想的ではないだろうか。しかしまた、2015年現在の今、この2年前の対談がより現実化して見えるように、これから10年後、20年後、あるいは100年後、200年後には、このネグリの「予言」が、妥当性を持った全うな「宣言」であった、と歴史家たちが見ることも、あり得るだろう。

<14>につづく 

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