「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<19>
<18>からつづく
「ネグリ、日本と向き合う」<19>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著), その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次
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Ⅲ原発危機からアベノミクスまで、「日本の現在」と向き合う
アベノミクスと「風立ちぬ」 アントニオ・ネグリ(訳 三浦信孝)---日本から帰って考えたいくつかのこと p162
日本に着いたときわたしの脳裏にあったのは、ヴェネチア・ビエンナーレで大きな衝撃を受けていた伊東豊雄の建築であり、それを最初の講演の導入としたのだが、今日こうして遠く離れた場所から日本の友人たちと議論を再開するにあたって、わたしの目の前にあるのは半田也寸志の圧倒的な写真集「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社、2013/03刊)である。
フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。それこそが最初に考えるべきことだから。フクシマの悲劇は終わってはいない。悲劇は続いており、深まっている。しかし、それにもかかわらず、生きていかなければならない。この荒涼とした、悲嘆にくれた土地で、闘っていかなければならない。p163 ネグリ 「原発危機をめぐって」
この本を一読したあと、私の脳裏に残っていたのは、伊東豊雄のことであるし、宮崎駿のことであった。ネグリは積極的に日本に向き合っている。ともすれば、リップサービスに近いものでないのか。それにしても、伊東豊雄と宮崎駿だけでは、ちょっと物足りないな、もう一人だれか必要だろう。誰だろう。
そう思っていた矢先、ここまで来て、なんと半田也寸志の名前がでてきたのだった。ちゃんと出ていたのである。私の速読は大事なところを、すっぽりと読み残していたようだ。
伊東豊雄の建築は、私がいつも行く中央図書館の出来栄えで、良く知っている。ある意味、当ブログのプロジェクト567のひとつの象徴でもあった。
宮崎駿のアニメは、あまり得意ではないが、先日、この本を読んでからさっそく「風立ちぬ」を見ることになった。DVDを予約したのだが、何十人待ちの大人気作品である。私の番にくるまでいつのことになるやら、と諦め気分だったが、実は、すでに我が家のテレビの録画ハードディスクには「風立ちぬ」はちゃんと入っていたのだった。見ていないのは我が家では私だけだった(汗)。
なんとまぁ、身近な存在にネグリは、ちゃんとアクセスしてきている。単なるリップサービスなんではないか、という私の下衆の勘ぐりは、あまりに失礼だったのではないか。伊東はヴェネチア・ビエンナーレ国別参加部門で最高賞となる金獅子賞を受賞していたし、ヴェネチアのモストラ映画祭で、ネグリは数日前に「風立ちぬ」を見た、のだった。なんというイタリア・ネグリと、わがエリアの繋がりであろうか。
そして、私にとっては三人目として登場した半田也寸志の写真集「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社 2013 /03)は、イタリアで刊行されたのであった。そして、この原稿を書いている時のネグリの目の前に、その写真集はあると言っている。原発事故直後のフクシマの風景である。
残念ながら、半田の写真集はイタリア版は、わが図書館にはない。しかし「20 DAYS AFTER」(ヨシモトブックス 出版年 2012/3)なる本は入っている。もちろん、被写体は、あの3・11直後の被災地の風景である。私は、直後に被災地に立ったが、一枚も写真を取ることはできなかった。まずはこの写真集から見てみよう。
少なくとも、ネグリは、その写真を元に、3・11と向き合おうとしている。この本の読んで、そして、さらにこの章を読みかけて、私はネグリにとても近いものを感じるようになった。
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