「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<3>
<2>からつづく
「ネグリ、日本と向き合う」<3>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著), 4その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次
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1)この本を読んでいて、他の本との類似性を見つけることになった。ダライ・ラマ14世の「傷ついた日本人へ」(2012/04 新潮社)、ゲーリー・スナイダーの『For the Children 子どもたちのために』(2013/04 野草社/新泉社)、そして宮沢賢治を語った「宮沢賢治祈りのことば」(石寒太 2011/12 実業之日本社)などなど、である。
2)どこが似ているのだろう、と考えてみた。
・そもそもが当ブログお気に入りの人々であったこと。
・それぞれが3・11後に出された本であること。
・いずれもが新書本か、それに準ずるようなシンプルな本であること。
・何度でも読んでみたくなる本であること。
・そして出来るなら、他の人々も読んでいてほしい本であること。
3)それからそれから、と考えて行けばキリはないが、逆にいえば、これらの本はそれぞれに別な角度から書かれている本であり、ある意味、それぞれの違いが際立ってはいる。どこがどう違うのか、その差異も気になるところだし、また、これらの仲間の本は、実は他にも沢山ある。
4)しかし、今回は、ネグリのこの本を巡って、さまざまな想いをめぐらしてみたいので、この程度にとどめておく。これまでは、一読して、気になったところに付箋を貼っておいたのだが、それを順番に追っかけてメモしておいただけなのだ、出きれば、かつて、当ブログが一番最初にスタートするきっかけになった「ウェブ進化論」(梅田望夫 2006/02ちくま新書)の時のように、もうすこし細かく細かく抜き書きしてはどうか、という思いが湧いてきた。
5)いままでネグリ&ハートの著書は、それなりに追っかけてはみたものの、方向性や趣味性において、結局は決別が予想されるので、首肯するにしても、反駁するにしても、どうもいつも腑に落ちない読み終わりであることが多かった。用語や論理性があまりにも入り組んでいて、かつテーマが広く、つかみきれないことも多かった。
6)しかし、この本は、テーマが空間軸としての日本に絞られている。しかも、時間軸としては3・11以降だ。そして、よくもわるくも、天災としての地震津波よりも、人災としての原発事故にほとんどのウェイトを置いているのである。
7)当ブログとしては、人災としての3・11をはるかに凌駕するものとして、天災としての3・11を捉えているので、物事を原発事故に限定することは、ちょっと遺憾である。もっと長大な歴史観の中で、人類を考えてみたい、と思っていた。
8)しかしながら、小出裕章氏のような専門家が指摘しているように、原発は、国家の成り立ちと、かなり複雑に入り組んでいる。そこを小出氏は「原発国家」とまでは言わなかったけれど、ネグリは、この本において、しっかりと、そう断定している。
9)物事を掘り下げていくには、このような暫定的なレッテル貼りは必要である。そういう意味では、<帝国>も、マルチチュードも、いまはレッテルにすぎない。そのレッテルを貼っていい実体をキチンと見据えているのかどうか。そここそ、マルチチュードひとりひとりの見識の力量にかかっている。
10)思えば、この本は、2013年4月のネグリ来日を契機として出版されているのだが、その来日講演などは、「現代思想」( 2013年7月号 特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス)が伝えており、その内容を後日増補して、一年後の2014年3月に発行されたものである、と捉えておくことにする。
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