「藤森照信×伊東豊雄の住宅セレクション30」(vol.1) <2>
藤森照信×伊東豊雄の「住宅セレクション30」(vol.1)
東京建築士会 2006/03 エクスナレッジ 単行本 139p
★★★★☆
3・11震災の三週間前に読んでいた本。今回、アントニオ・ネグリの「ネグリ、日本と向き合う」の中に、伊東豊雄グループの「みんなの家」がでてきたことをきっかけとして、伊東の「あの日からの建築」( 2012/10 集英社)、「ここに、建築は、可能か」(2013/01 TOTO出版)に目を通したことで、思い出した一冊。
当然、伊東は、我らが中央図書館の建築を代表作としていることを知っての読書であったが、そもそもこの本はその5年前、2006/03に出ている本だから、必ずしも時機を得た読書だとは言えない。しかしながら、当ブログの流れとしては、グッドタイミングで読みこんでいた一冊と言えるだろう。
あの時、私はこう書いている。
この人たちこそ、自分が住むべき家を作ることこそ、仕事とすべきなのだ。施主のことなど考えずに、自分の家を建ててみたらどうだ。自然のなかに、スローでエコで、そして、未来な一軒を。2011/02/20
一切、全文敬称略で、テニヲハもおぼつかない当ブログではあるが、まぁ、自分のためのブログなのであり、多少失礼とは思いながら、その時の思いをなるだけ素直に残そうとは務めている。だとしても、この文章は、あまり的確とは言い難いが、どこか納得しない自分の心境をメモしておいた、ということになる。
この本は、長野新幹線の群馬県「安中榛名」駅に隣接した住宅街の実際の土地をテーマとして一般住宅を建てるコンテストであり、審査員としての藤森&伊東の二軒とともに、30軒程のアイディアが紹介されている。
都市部からは外れた地域ではあるが、実際に存在する住宅街の、やや広めの土地にどのような家を建てるか、という実にリアルな設定なのであり、一般の私たちの暮らしからは、それほど離れた設定ではない。
その彼らが3・11以降、どのような発想の転換を迫られたのかは、「あの日からの建築」に描かれているし、また「ここに、建築は、可能か」では、実際にどのような活動を被災地で行なったのかがより図解入りで展開されており、国際的なコンテストでも多いに評価された、ということになっている。
今回はアントニオ・ネグリの指摘でこの設計家たちの活動に目を向けることになったのだが、はてさて、腹の底から、腑に落ちるような納得感はまだない。3・11の爪痕に対して、建築家グループとして何ができるのか、という問い掛けは間違いないのだが、人間として、3・11後に何ができるのか、という問い掛けにはやや弱いように思う。
3・11後を問われるということは、3・11以前が問われることになるのである。そういった意味において、3・11で初めて気が付きました、というような機を見るのに敏な世渡り上手な政治家などのような行動は取りたくない。
そういった意味において、私は、このカテゴリ「ボトニカル・スピリチュアリティ」においては、ネグリの鑑定眼も、最終的には、信頼しきれていないところがある。
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