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2015/10/07

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<8>

<7>からつづく 
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「ネグリ、日本と向き合う」
<8>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  4その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

 多くの人々が、これまでの生活を支えてきたルールや制度の根本的な問い直しを求め、より民主的な社会を構想する、新たな行動を開始している。言い換えれば、新しい思考の回路を構成しながら、国家と個人の関係のあり方、資本主義と民主主義のあり方、国家という境界を無効化するような人々の「連帯」や「ネットワーク」のあり方、そうした根本的なことがらを捉え直す営みに、私たち一人ひとりが着手しはじめ、新しい行動を生み出しつつある。そう言えるのではないだろうか。p12伊藤 守「来日プログラムの狙い」

 本当に、そう言えるだろうか・・・? ちょっときれいごと過ぎるなぁ。もし、そう言えるとするなら、古来より、多くの道を求める人々についてはそう言えたのであるし、必ずしも、ごく最近そうなったのだ、とは、私にはちょっと思えない。

 あるいは、そうでない人もかなりの数で存在しているはずだし、むしろ場合によっては、そちらのほうがかなりの多数を占めているのではないか。そうあるべきだとは思うけれど、そうはなっていないんじゃないの? というのが、割とニヒルな私の感想である。

 こうした問いと希望を抱きながら、私たちは、ネグリとの対話を望み、一連のプログラムを企画したのである。日本社会が直面する課題から出発しつつ、それを現代のグローバル化した世界の変動とリンクさせることで、ネグリと共に、現代社会を考えるための視座を切り拓くこと、そして私たち自身の課題をあらためて問いなおすことが目的だった。p13 伊藤 同上

 この辺りは全文を転記している。大事なところだから。まず、「私たち」と称する人々がネグリを取り巻いている。なぜ取り巻いているのか、は、すこしづつ分かってきた。だけど、そこに本当に、問いと答えが、対をなして存在しているものであろうか。

 ある、過大な期待と的外れな問いに対して、この人物は、本当にためになる解を持っているだろうか。あるいは、この人は、本当に、取り巻いている人びとの期待にそえるような人物なのであろうか。(反語的ながら、失礼な言い方になってしまって、ごめんなさい)

アントニオ・ネグリとは

 ここからはネグリの詳しいプロフィールが始まる。こまかいことは当ブログでは省こう。1933年に生まれたイタリア人。その程度のおさえ方でいいだろう。

 1978年、「赤い旅団」による元イタリア首相モロの誘拐暗殺事件が起こる。ネグリは「赤い旅団」の最高幹部としてこの暗殺に関与したとして不当逮捕され、モロ殺害容疑、国家に対する武装蜂起容疑、国家転覆罪容疑で起訴される。p15伊藤守 「アントニオ・ネグリとは」

 これらの経歴の中で、何回も繰り返される部分だが、この逮捕は「不当逮捕」だったのかどうか、私には定かではない。いずれにせよ、だれかが殺害され、犯人と目され逮捕され、最終的に収監されて、罪を「償った」とするなら、それはそれ、罪と罰が、対となって存在していたのではないだろうか。

 ネグリという人物が、「<帝国>」という本に携わったから有名になったのではなく、かつてそのような「活動」をしていたから希有な存在なのだ、ということなら、当ブログとしては、ちょっとその輪から外れたい。その活動云々よりも、「マルチチュード」という概念のほうが面白いので、誰か固有の「発明」によるものであるのなら、ちょっと遠慮したいのだ。

 「マルチチュード」という概念が正しいのであれば、誰が言い出したとしても正しい筈であり、誰かれにあまりこだわりたくない、という気分。いずれにせよ、そういう経歴の人だったからその概念を生み出せたとするなら、それはそれで納得しないでもないが、その時、「マルチチュード」と名指しされる、その人々は、一体だれなのか。

 おそらく、マルチチュードは、同時多発的であり、特定のアジテーターやオルガナイザーに依拠しているわけではないはずなのである。つまり、おそらく、ネグリと並び立つ人々が、同時期的に、直観的に、同じことを感じていたはずなのだ。だから、ひとりネグリを際立たせるような文脈は、私にはちょっと窮屈な圧迫感を与える。

 不当逮捕による長期の獄中生活、それに屈することなく続けられた研究とその成果、ネグリのこうした強靭な精神はどこから来ているのだろうか。p16伊藤 同上

 どうも個人崇拝、偉大な思想家に傾倒する、というニュアンスが出てきている。あまりネグリだけを高く持ち上げないほうがいいのではないか、と思う。

 亡命先のパリでは、ドゥルーズやガタリとの親交を深め、パリ第八大学などで教鞭をとる生活がはじまるが、「私は正真正銘の『鬱』に陥っていた」(「ネグリ 生政治的自伝」邦訳63p)と記している。p16 伊藤

 ドゥルーズやガタリなども、当ブログではとても手に負えないような存在だが、ただ、そのあたりの親交とは、どういうものであったか興味深い。また、ネグリに限らず、ドゥルーズやガタリについても、いずれ当ブログなりの整理をしたいものだ。

<9>へつづく

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