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2015/10/21

「20 DAYS AFTER 」半田 也寸志(写真)<1>

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「20 DAYS AFTER 」
半田 也寸志(写真) 2012/03 ワニブックス ヨシモトブックス 大型本(写真集)
No.3589★★★★☆

「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)の中で、ネグリはこう語る。

 日本に着いたときわたしの脳裏にあったのは、ヴェネチア・ビエンナーレで大きな衝撃を受けていた伊東豊雄の建築であり、それを最初の講演の導入としたのだが、今日こうして遠く離れた場所から日本の友人たちと議論を再開するにあたって、わたしの目の前にあるのは半田也寸志の圧倒的な写真集「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社、2013/03刊)である。

 フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。それこそが最初に考えるべきことだから。フクシマの悲劇は終わってはいない。悲劇は続いており、深まっている。しかし、それにもかかわらず、生きていかなければならない。この荒涼とした、悲嘆にくれた土地で、闘っていかなければならない。p163 ネグリ 「原発危機をめぐって」

 ネグリが語る「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社、2013/03)はこの本と異なるだろう。こちらの本は3・11後20日の被災地の風景であり、その沿岸部も岩手、宮城に留まっている。ネグリが見た写真集はフクシマの風景が映っているようであり、別に出版されているものである。

 しかし、同じ写真家であるならば、同じ様な切り取り方になり、その被写体は別の県とは言え、おなじ海岸つながりなので、それほど大きく変わることはないだろう。少なくともネグリは、イタリアの出版者から出版された半田也寸志の写真で3・11を直視しているのである。

 被災地で被災した人々の中にはカメラを持っていても一度もシャッターを押さなかったという人は多い。私もその中の一人だ。写真家においては、遠く離れていても、被災地に入り、その記録を残そうとする。

 正直に言えば、被災地の「現状」は、この写真集に切り取られたような「甘い」ものではない。口舌に表せないとは、あのことだろう。決して、あの惨状をあますことなく写した写真などというものは存在し得ない。

 しかしながら、例えばイタリアにすむネグリに、どのような形で3・11を伝えることができるだろう。いかに不完全であったとしても、この写真集が伝えようとしている意味は、はっきり分かる。ネグリだって、この写真集が全てだとはとても思ってはいまい。少なくとも、彼はイタリアにいて「日本に向き合おう」として、半田也寸志の写真集を手に持ったのである

 序文は、(当時?)仙台に自宅を持っていた作家の伊集院静が書いている。被災した立場としては、その体験は、それほど隔たってはいない。

 一人の写真家が震災という歴史の中に立ち、何が私たちに起こったのかを告げてくれている。それは黙示録のように地上の憂国の滅亡を叙述しているのではなく、復興への光を見いだそうとする救世の写真集である。 伊集院静

 被災地を写した写真集は多々ある。見ようとせずとも見てしまうが、やはり自らが自らの目でみた青森から岩手、宮城、福島、茨城、千葉までの海岸線の風景に勝るものはない。写真集を掻き集めれば、それは数えきれないほどの数になるだろう。

 だから、この写真集が、突出して素晴らしいとは、私には言うことができない。しかし、ネグリが、イタリアで出版された写真集の作家の名前を教えてくれたことで、私にとっても、半田也寸志は特別な名前になった。

 ネグリが半田の他、建築家の伊東豊雄や、アニメ監督の宮崎駿の名前を出すことによって、「日本に向き合」っている姿勢を示していることに感謝する。彼が、日本の、ナニを、見ているのか、そこのところを、私も見つめていこうと思う。

<2>につづく

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