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2015/10/22

「あの日からの建築」 伊東豊雄 <1>

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「あの日からの建築」 <1>
伊東 豊雄(著) 2012/10 集英社 新書 192ページ
No.3591

アントニオ・ネグリは2013年3月に来日した際、「3・11後の日本におけるマルチチュードと権力」と題する講演で、伊東豊雄にふれている。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 数週間前(2013年3月)に、日本の建築家・伊東豊雄は彼の仕事にふさわしいプリツカー賞(建築のノーベル賞といわれる)を受けた。受賞を知ったとき、わたしはこの講演原稿を書き始めていた。伊東の作品にわたしはすでにつよい印象を受けていた。

 2012年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、彼は「ここに、建築は、可能か?」をテーマに、日本館のための建築家グループでつくった「みんなの家」を展示し、金獅子賞を受賞したのである。

 建築家たちは、津波で押し流された多くの町のひとつである陸前高田の被災者たちと対話を重ね、共同住居のプロジェクトを立ち上げた。それは回収可能な材料を再利用した住居の構想であり、被災後の市民たちが共同生活のありかたを想像できるようなものだった。

 建築家たちはこの構想のもとで、市民グループと協力して建築モデルをつくりあげ、それをヴェネチアに展示したのである。そこでは木のピロティの上に住居が建てられ、住居の内部と外部のつながりを維持する、伝統的な日本の家のコンセプトが活かされている。

 「みんなの家」は、伝統的材料の再利用を通して、共通の習慣や伝統的使用法と、コミューン(自治体)における新しい住居モデルとを結びつけようとする。こうしてこのプロジェクトは、わたしたちの文明を再建しうるコモン・グランド(共通の土壌)はいかなるものかという、ビエンナーレの問いかけに応えていたのである。

 この作品には希望の息吹がかよっているのを感じた。破局の恐怖に見合うだけの深い息吹を、すなわち市民たちが共同で新しいかたちの生活、まさに新しい共同生活をつくろうとして発揮した力に見合うだけの、深い息吹を感じた。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 この文章を読んでから図書館を検索したところ、近くの図書館に「ここに、建築は、可能か?」(2013/01 TOTO出版)が収蔵されているので取り寄せ中。その前にこちらの「あの日からの建築」が先に届いた。

 フリーのライターのインタビューを受けて一冊にまとまった本ではあるが、この本は3・11の当日から始まる。

 いちばん気になったのは、私が設計を手掛けた「せんだいメディアテーク」がどうなっているかということでした。丁度翌日の3月12日は仙台で、メディアテークがオープンして10周年記念のお祝いの会があって、仙台市の奥山恵美子市長らとメディアテークの10年間について話す予定になっていました。p17 伊東 「地震発生当日のこと」

 この「せんだいメディアテーク」(略称smt)は私がいつも本やDVDを借りている図書館の本館であり、セミナーやイベントなどで通うことが多い施設である。残念ながら自転車でいける距離ではないので、頻度はそれほど多くはないが、その「近代的」でユニークなたたずまいは、私に、映画「2001年宇宙の旅」を連想させる。

 個人的には、震災前から、当ブログにおいて「プロジェクト567」における重要ファクターになっていたのであり、私も地震直後から、ガラス全面張りのあの施設がどのような状態にあるのか気になって仕方なかった。幸い、直後に友人が通りかかって、外から見る限り、影響はなさそうだ、という情報を得ていたので、ホットしていたのだった。

 グローバル経済によって支配される現代社会では、建築家の論理感や善意をはるかに超えた力によって建築はつくられ、破壊されている。そこにはかつてのような公共空間やコミュニティの場が成立する余地はほとんどない。

 それどころか経済を効率よく循環させるためには、共同体は個に解体せたほうがよい。そのような巨大資本につき動かされる巨大都市に建築家はどう向き合っていくべきなのか、そんなことを考えている最中(さなか)に大震災は起こった。伊東 p3「はじめに」

 「smt」は、地元の一般市民にとっては「超」近代的な建物で、たしかに中央図書館やイベントホール、展示ホールなどの多目的用途に使われているが、それでも私のなかでは、あの建築と、被災地における、木造や再利用物を利用した「みんなの家」には、相当のギャップがあるように感じられた。

 しかし、この本の後半にまとめてある彼の人生ストーリーの中で、なるほどそうであったか、という納得するものがあった。彼は震災後、釜石市の復興にも関わっていく。

 釜石市という自治体は市長以下役所の人たちもかなりリベラルで、市民の声をに耳を傾ける柔軟性を持っています。また住民の意識も高く、住民のなかに、将来の街に関する強いビジョンを持った人もいます。p48 伊東「住民たちの生の声を聞く」

 この市長というのが、知人であり、かつて若いころに一緒にアメリカ・オレゴン州のコミューンに数週間滞在したことがあったので、人ごとだとは思えない。久しくあってはいないが、このように伊東から評価されて、私もなんだか嬉しくなった。また、私の家族も、通信関係の復旧にこの市に長く赴任していたので、私も何度か足を運んだ。

 被災して家や家族を失った人々に対し、自分はどんな言葉で語りかけることができるのだろうかと考えました。これまで建築家として自分の建築の妥当性を語ってきた言葉で被災した人々に話しかけることはできない、と思ったからです。

 「みんなの家」を思いついたのはそんな動機からです。「みんなの家」、なんと凡庸でなんと閃きのない名前だと思われるかもしれません。でも被災地の高齢者と話すにはこのわかりやすさしかないと思いました。p66伊東「『みんなの家』というプロジェクト」

 この「みんなの家」にネグリは共鳴したのだが、それはイタリア・ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞したことにも大きな要素があるだろうが、ここにおける「みんな」という「コンセプト」が、ネグリがいうところの「コモン」とも大きく共振したからであろう。

 2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、私は日本館のコミッショナーを務めることになりました。日本館の展示は毎回、国際交流基金の予算でまかなわれます。今回コミッショナーとして私が選んだテーマは「ここに、建築は、可能か」でした。p84 伊東「ヴェネチア・ビエンナーレと陸前高田の『みんなの家』」

 この建築展や賞の重み、あるいはその作品の内容は、それが中心にまとめられている「ここに、建築は、可能か」という本があるので、そちらをめくる時に、もうすこし細かく理解することにする。

 オープニングの8月29日朝、私たちは日本館の展示によって、最高の栄誉である金獅子賞を獲得することができたのです。p92 伊東

 3・11直後であるという状況が「みんなの家」に注目があつまる要因にもなったのだろうが、その受賞があったがゆえに、この話題はネグリにまで届いている、と解釈することにしよう。 

 現在の資本主義が技術万能の近代主義の年をつくり上げていて、建築家はその経済、資本を目に見える形にする、その道具になり下がってしまいまいた。ほんとうに情けないことですが、例えば中東のドバイにオイルマネーが集中しているとなると、世界の著名建築家はみなドバイに集まる。

 そこで、こんな超高層のオフィスやハウジングのプロジェクトを提案したと、自慢し合っています。それはひどく空虚なことです。そうした状況のなかでは建築が資本の論理でつくられる以上、常に新しいものが求められます。古いものは壊し、新しいものが求められる。そうしなければ市場経済では生き残れないと誰もが信じています。

 いわば目に見えない資本を視覚化する役割を担うのが建築家であって、彼らはその資本の蓄積される場所を求めて移動を繰り返す。それが現代建築家なのです。p169 「資本主義と建築」

 このあたりの伊東の述懐を聞いていると、ネグリが、もう一人の日本人、宮崎駿「風立ちぬ」に触れて、国家と技術に対する葛藤を思ったように、伊東のこのあたりのハートがネグリに繋がっているのだろう。資本や国家のための建築ではなく、「みんな」のための家、それこそコモンなのだ。

 「スペースさえ用意すれば、コミュニティの実現は誰かがやってくれるでしょう」と思いこんでいて、建築家がコミュニティを提案すれば、それで理想の社会が実現できると考えているのです。ひとりの社会人として自分が社会とどう関わっていくかという自覚も感じられない。

 なぜ現実の都市で建築家が思い描いたコミュニティがうまくつくれないかを考えることは、単に共用のスペースを提案することよりもはるかに意味があることだと思います。p102 伊東「アカデミックな建築教育におけるコンセプトとは」

 単的に言えば、仏つくって魂いれず、という状態だろう。翻って考えるに、ネグリの「コモン」もまた、概念が先行するのではなく、実際にそのような実体があり、また要求があるからこそのコモンであるべきだ、という反語にもなるだろう。

 「みんなの家」で学んだことの意味は、すごく大きいと思います。自分が他者と何かを共有できるという確信、つまり仮設に住んでいる人たちに対して、お互いに共有できるものがあるという確信を得ることができました。

 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展でも、目指すところは一緒です。建築化のエゴイズムをみんなで乗り越えられれば、きっとその先には、かなり特異な表現でも、個を超えた個に行き着けると思います。まだまだ試行錯誤は続くでしょうが、おそらくそれが次の時代の建築になっていくはずです。p184 伊東「新しい建築の原理へ」

 「個を超えた個」という表現あたりは、ちょっと気になるところである。

 この本には、「せんだいメディアテーク」(smt)についても、たくさん報告されていて、興味深い一冊である。

<2>につづく

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