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2015/10/29

Architecture. Possible Here? "Home-for-All" Toyo Ito

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「ここに、建築は、可能か」
伊東豊雄、乾 久美子、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉(著) ペーパーバック– 2013/01 TOTO出版 ペーパーバック: 184ページ
No.3592★★★★★

 アントニオ・ネグリは2013年3月に来日した際、「3・11後の日本におけるマルチチュードと権力」と題する講演で、伊東豊雄にふれている。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 数週間前(2013年3月)に、日本の建築家・伊東豊雄は彼の仕事にふさわしいプリツカー賞(建築のノーベル賞といわれる)を受けた。受賞を知ったとき、わたしはこの講演原稿を書き始めていた。伊東の作品にわたしはすでにつよい印象を受けていた。

 2012年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、彼は「ここに、建築は、可能か?」をテーマに、日本館のための建築家グループでつくった「みんなの家」を展示し、金獅子賞を受賞したのである。

 建築家たちは、津波で押し流された多くの町のひとつである陸前高田の被災者たちと対話を重ね、共同住居のプロジェクトを立ち上げた。それは回収可能な材料を再利用した住居の構想であり、被災後の市民たちが共同生活のありかたを想像できるようなものだった。

 建築家たちはこの構想のもとで、市民グループと協力して建築モデルをつくりあげ、それをヴェネチアに展示したのである。そこでは木のピロティの上に住居が建てられ、住居の内部と外部のつながりを維持する、伝統的な日本の家のコンセプトが活かされている。

 「みんなの家」は、伝統的材料の再利用を通して、共通の習慣や伝統的使用法と、コミューン(自治体)における新しい住居モデルとを結びつけようとする。こうしてこのプロジェクトは、わたしたちの文明を再建しうるコモン・グランド(共通の土壌)はいかなるものかという、ビエンナーレの問いかけに応えていたのである。

 この作品には希望の息吹がかよっているのを感じた。破局の恐怖に見合うだけの深い息吹を、すなわち市民たちが共同で新しいかたちの生活、まさに新しい共同生活をつくろうとして発揮した力に見合うだけの、深い息吹を感じた。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

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 ここには、3・11後に、三陸との関わりの中で、伊東を初めとする建築家グループが地域の人々とともに、広域からの支援を受けながら、シンボルとなるような「みんなの家」を建設するプロセスが描かれている。

 豊富な画像、図面、英訳文が並列され、見ても分かりやすいヴィジュアルな一冊となっている。

ここに、建築は、可能か

津波によってすべてを流されたまち、
人々は家族や友人を失い、家を失った。
この人々のために、建築は何が可能か。

近代以降、建築家は、個のオリジナリティを根拠に建築を考えてきた。
しかしそれは建築家による建築家のためのエゴイズムではないのか。
建築家は一体誰のために、そして何のために建築をつくるのだろう。

私たちは被災地に一軒の小さな共同の家「みんなの家」をつくることによって、
個による個としての建築家のあり方を根底から問い直そうと試みる。
「みんなの家」は失われた家の記憶を蘇らせる。人々は家を求めてここに集まり、
語り合い、飲み、食べ、心を暖めあう。

この家をつくるプロセスにおいて、もはや「つくり手」と「住まい手」の境界は存在しない。
現地の人々とわれわれは共に考え、考えながらつくり、
つくりながら考える。時に住まい手はつくり手であり、つくり手は住まい手である。

「みんなの家」はガレキの間から立ち上がってきた植物のように、
「上昇する生命体のような建築」である。
それは仮設の家であるが、復興への強い意志を象徴する。

「みんなの家」は建築家のつくる家でありながら、
個のオリジナリティに固執しない。建築家は住まい手と意識を共有し得る。
個によって個を超えることは可能か。近代を超える鍵がここにある。

私たちはこの一軒の「みんなの家」をつくるプロセスのすべてをドキュメントとして展示し、来訪者に「建築とはなにか」を問いかけたい。

2012年8月28日 伊東豊雄(ヴェネチア・ビエンナーレ日本館入口展示コンセプト文より) p124

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 この本は読みやすく分かりやすい本だが、いっぺんに通読することができない。さまざまな想念が行き来する。特にネグリが、半田也寸志の震災直後の被災地の写真集や、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」 と合わせて語る時、さまざまな思いが乱舞し、なかなかひとつの像にまとまらない。

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 こうして完成したあとの「みんなの家」を見ていると、どこか青森県にある縄文遺跡、三内丸山にあっただろう建築に、さも似てきたようにも思える。

 自分が3・11直後からエコビレッジ構想に惹かれ、3・11後においてはゲーリー・スナイダー「地球の家を保つには」(Earth House Hold、1969年)から読書を始めたのも、どこかここに提示されているテーマに繋がっていくように思える。

 そして、当ブログの現在進行形のカテゴリー「ボトニカル・スピリチュアリティ」にも、深く根底部分でつながっていくようである。

「みんなの家」はガレキの間から立ち上がってきた植物のように、
「上昇する生命体のような建築」である。
それは仮設の家であるが、復興への強い意志を象徴する。 
伊東豊雄p124

つづく

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