「現代思想」 2013年7月号 特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス<2>
特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス<2>
「現代思想」 2013年7月号、A・ネグリ、 M・ハート、 D・ハーヴェイ、上野千鶴子 他青土社 2013/06 青土社 雑誌 p246
★★★★★
前回読んだ時は、この本の特集全体の面白さには気付いたが、それを読み下すことに勢力を傾けることはできなかった。そういった意味においても、一年半後の現在も同じなのだが、「ネグリ、日本に向き合う」を読み込み始めると、あの時期にでたこの雑誌の特集の意味もあらためてクローズアップされてくる。
特集の分量は相当あり、これらを読みこむには相当のエネルギーを要するが、その歩とドは日本人が書いているのであり、今回もまた、ネグリやハートが書いたりインタビューを受けている部分の再読に留まる。
日本の反原発運動においても、一定のナショナリスト潮流がコスモポリティズムの政治的に寛容な潮流と共存し続けることは可能かもしれません。
しかし憲法九条の問題は、もしその問題をのりこえようとするならば、こうした勢力の共存を分裂させるでしょう。
古典的社会主義がわたしたちに教えてくれたように、一定の時期にこうした分裂の回避に成功することは、こんにち実に困難です。したがって状況は、実はとても危機的なのです。
中国、韓国、北朝鮮のような大国、日本はもちろん言うまでもなく、こうした大国は、ナショナリズムによる自殺を経験しえいるのですがね。ナショナリズムは、かつての日本にとって根本的な破局の理由の一つであったはずなのに。p41ネグリ「マルチチュードの現在」
おなじ時期のインタビューではあるが、「ネグリ、日本と向き合う」に収容された文献とはまた別なニュアンスを伝えている。
とくに<3・11>以降、日本ではごく普通の人たちが政治的に目覚め、行動するようになりました。人間はどのようにして政治に、<共>に目覚め、マルチチュード的な主体として形成されるのでしょうか。その契機はなんでしょうか。
ネグリ 政治的意識の獲得というのはもちろん<出来事>とかかわっています。今回のように悲劇的で痛ましい<出来事>は、いかに<社会の絆>が<原子力国家>の指令によって権威主義的な形で維持されているかということを示します。
政治的意識の獲得とは、まさに、深刻な不正を被り、憤る体験のことなのです。こうした憤りは、わたしが思うに、政治意識の獲得の中心的基礎だと思います。
もうひとつの中心的な要素は、こうした政治意識の獲得が、個人主義的ことではあっても、とりわけ他者と結びついてもいる点に気づくことです。
わたしたちが憤るのは、わたしたちの友人、知り合い、わたしたちが愛している<他者たち>、この人たちがひどい悪により傷つけられるからです。p45 同上
ネグリのような思想家の言葉の断片だけを取り出したとしても、ひとつひとつに独特の意味づけがされていることが多く、どれほどの役にたつものであるかは不明である。しかしながら、ネグリが、国際的、あるいはグローバルな視点から、日本、とくに3・11(以降)をどう見ているか、を知ることは、私たちはどのような位置にいるのかを知る良い鏡にはなってくれそうだ。
再読、続読を要す。
つづく
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