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2015/11/14

「宮崎駿再考」 「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ 村瀬学(著)

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「宮崎駿再考」 「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ
村瀬 学(著) 2015/07 平凡社 新書: 267ページ
No.3607★★★★☆

 どうもまどろっこしくなって来たので、この本についてのメモはぶっ飛ばそうと思った。しかし、読書ブログとしての当ブログは、なかなか新刊を読み込むチャンスが少ない。どうしても古い文献をあれだこれだとやることが多すぎる。

 この本は2015/07に出た、新刊に属する貴重な本である。今回はネグリ追っかけの中の「風立ちぬ」追っかけだったので、他の部分は割愛して、単なるイメージだけをメモしておく。いずれ、宮崎駿追っかけとか、ジブリ追っかけになった時(そういう時代が来るかどうかは不明)に、もうすこし丁寧に読んでみることにする。

 福島原発自己の後、宮崎駿は「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」ということを訴え、「NO!原発」と描いたゼッケンをつけ、職場の付近を「一人デモ」で歩いていた。宮崎駿らしい。p16村瀬「原発ぬきの電気で映画をつくりたい」

 宮崎駿の「一人デモ」は、その夏の出来事なのであるが、その時のスタジオジブリの建物に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」という横断幕が掲げられていた。p17村瀬 同上

 ここからさまざまに作品論として展開していくわけだが、このような事実があったということをメモしておくことは有意義であろう。それだけの気持ちがあれば、もっと前からその意志を表示すべきであっただろうし、あれから4年半以上経過しているわけだから、その願いはかなえられていてしかるべきだ。

 宮崎駿が2008年の「崖の上のポニョ」で「津波」や「大洪水」を描いた時、東日本大震災が来るとはきっと誰も想像していなかったと思う。しかし、彼は「予期」していたのである。p265村瀬「あとがき 未来の宮崎駿」

 詩的な表現としては、これで構わないが、科学的な事実としては、多数の人が予期していた。例えば、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」の飯沼勇義のような人は、ほとんど正確に予期し、声を枯らして警告していた。

 最後に私事であるが、私が石や火や鉄に改めて目を向けるきっかけを作ったのは、2011・3・11なのであったが、この時に、日本の最古の物語「古事記」に、石と火と鉄の発想が織り込まれていることに気がついて、全力で見直そうと試みた。

 その成果は「徹底検証 古事記」(2013年)、「古事記の根源へ」(2014年、共に言視舎)となったが、この試みがなければ、今回のこの本を作ることもできなかったと私は感じている。p266 村瀬 同上

 同じような表現をするとするなら、飯沼勇義は、古事記の「原典」となった「ホツマツタエ」に着目している。そのことに当ブログは賛成であるその一環として、現在は「七五調の謎をとく」日本語リズム言論(坂野信彦1996/10大修館書店)あたりを物色しているところだが、こちらについては、いずれ、別の流れでメモすることになるだろう。

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