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2015/11/23

「飛鳥の宮と藤原京」よみがえる古代王宮 (歴史文化ライブラリー 49) 林部 均

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「飛鳥の宮と藤原京」よみがえる古代王宮 (歴史文化ライブラリー  49)
林部 均(著) 2008/01 吉川弘文館  単行本: 259ページ
No.3616★★★★★

 飛鳥時代のある段階以降、王宮は正方位をとって造営される。これは地方官衙(役所)についてもいえる。たとえば仙台市郡山遺跡のⅠ期官衙(7世紀中ごろから後半)は、北から東に大きく振れているが、7世紀末から8世紀はじめにつくられたⅡ期官衙は正方位をとる。郡山遺跡の機能を継承した多賀城はそのⅠ期から正方位をとる。

 また、福岡県小郡(おごおり)市小郡官衙遺跡では7世紀中ごろに造営された建物群は北から東に大きく振れていたが、それを建て替えた建物群は正方位をとっている。このような変遷をする地方官衙は意外と多い。p28 「飛鳥時代の幕開け」

 当ブログの関心は、藤原京にあり、飛鳥時代にはあまり関係ないのではないか、と考えていたが、いきなりこんな文章がでてきてびっくりした。もうこの時代においては、すでに仙台郡山遺跡の出現は、発見でも憶測でもなく、歴史的事実として織り込まれている。

 なぜ地形まで大きく改変してまで、わざわざ正方位、すなわち真北を指向するようになるのであろうか。私は、この背後に中国からもたらされた新しい思想の影響を見る。すなわち、「天子、南面す」という思想を含めて、新しく導入された中国の世界認識、宇宙論が深くかかわると考える。p29 同上

 藤原京から見て仙台郡山官衙は正確に東北45度の位置にあるという。これもまさしく中国からもたらされた新しい思想の反映であろう。もしⅠ期官衙が振れていて、Ⅱ期官衙が正方位を取るようになったとしたら、思想導入時においては、必ずしもその思想が徹底していなかった、ということになろうか。少なくとも建築の位置は中華思想に則っていたのである。

 さて、いわゆる大宰府のことも気にかかるが、ここでの小郡官衙は、藤原京から見た場合、角度はどうなっているのだろうか。また大宰府と小郡官衙の関係やいかに。

 石神遺跡は、飛鳥寺の北西に隣接し、1981年から継続して発掘がおこなわれている。(中略)東区画の南では石組で護岸をした方形池や石敷が見つかっている。周辺から東北地方で使われていた内面を黒色化した土師器(はじき)が出土しており、蝦夷などの服属儀礼につかわれたのではないかと推定される。

 また、同じ方形池は宮城県仙台市の郡山遺跡のⅡ期官衙にともなって、正殿の北でみつかっており、これも同様の性格をもっていたと考えられる(今泉隆雄「古代国家と郡山遺跡」『郡山遺跡発掘調査報告書』2005年)。 p91「『飛鳥宮』の成立」

 木下 正史, 佐藤 信(編集)「飛鳥から藤原京へ」(2010/12 吉川弘文館)の石神遺跡関連を読んだ時、直感して画像を貼りつけておいたが、まさに直感のとおりだった。

 飛鳥が王宮を中心として、さまざまな施設が配置され、より壮厳化が進む7世紀後半の斉明朝の段階は、孝徳朝における全国的な立評(評は後の郡で、旧来の地域の単位を再編成して設定された新たな地域支配の単位)を受けて列島各地への地域支配が飛躍的に進んだ段階である。

 斉明朝における阿倍比羅夫による日本海側の東北地方から北海道にかけての北征も、王権による支配領域の拡大を意図したものとみてよい。

 飛鳥の石神遺跡で出土する東北地方の土師器や宮城県仙台市の郡山遺跡でみつかった石積の護岸をもつ方形池や畿内から持ち込まれた飛鳥で使われていた土師器(畿内産土師器)の存在は、それが、かなりの達成度であったことを示す。

 ちなみに仙台市郡山遺跡から出土する畿内産土師器は、飛鳥・藤原地域の土器の編年・年代研究に照合すると、飛鳥Ⅱ期新段階から飛鳥Ⅲの古段階(660年頃)のもので、斉明・天智朝のものであり、年代的にも見事に符号する。p104 同上

 パチパチパチ。

 当ブログとしては、そもそもが3・11の被災地域と仙台郡山遺跡の関連から入り、歴史津波の年代からホツマツタエの再読へつづいた。しかし、すぐそばにある郡山遺跡の圧倒的な存在感から、大和朝廷や藤原京との関連を知りたいと思って、この本を読み始めたのだが、わずか16年間の藤原京よりも、むしろ、それに先立つ飛鳥時代のほうがより密接に関係しているのではないか、と気づくことになった。

 特に、仙台郡山遺跡Ⅰ期については、まさにその通りなのであった。再読すべきところ多い一冊である。

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