「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」 ゲーリー・スナイダー<6>
「地球の家を保つには」 <6> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p
★★★★★
数日前に終了した「ボタニカル・スピリチュアリティ」の最後に、どうしても置かなければならないとしたら、この本しかない、と感じ、メモしておいた。読まずに、直感だけで、そうした。
しかし、読まずにはいられなかった。ゆうべから今朝にかけて、一気に読んだ。書かれたのは1952年6月から1967年8月までの16~7年間の間のこと。岩山を闊歩する詩から始まり、禅修行や、エコロジーについての論説が加わり、最後は、スワノセ島での「部族」風景で終わる。
「この本でしたかったことは、あるひとつの思想、考え方の、生まれてくる過程を、具体的にしめしたかった。もちろん理論的なものと経験的なもののバランスをとりながら」 スナイダー 表表紙見返し
この本は、片桐ユズルの翻訳で、1975年12月にでている。1975年、まさに星の遊行群、ミルキーウェイ・キャラバンの年である。私はこの本の奥付に「40077・10・11」とメモしている。この年代表記法は、スナイダーの「最古の洞窟壁画から概算して」という但し書きに倣っている。片桐ユズルも「訳者あとがき」に 40075年10月とメモしている。
私は書店でこの本を買い、読み、そして、一ヶ月後にインドへと旅立った。
--- 自然の詩をかこうとしたら、聞き手はどこにいるだろう? われわれの時代のビジョン詩と自然 を明確に表現しようとするこころみの葛藤そのものから来なくてはならぬ。p14 1952/07/28
伝統的諸文化はどうみても運はつきている。だからそれらの良い点に絶望的にしがみつくよりは、よその文化にあったことや、あることはなんでも、瞑想をとおして無意識から再編成することができるということをおぼえておくべきだ。
じっさい、わたし地震のかんがえでは、きたるべき革命が輪をとじて、われわれを多くの方法で太古のもっとも創造的だった諸側面とむすびつけるだろう。もし運がよければわれわれはやがて完全に統一された世界文化に到達するかもしれない。
そこは母系で、結婚のかたちは自由、金本位制でない共産的経済、工業はよりすくなく、人口はずっとすくなく、国立公園はうんとたくさんあるのだ。p165「仏教と来るべき革命」 1963年前後?
このさとり人間のサブカルチャーはすべての高度文明において強力な底流としてあった。中国ではそれは道教としてあらわれ、老子だけでなく、のちの黄巾の乱とか、中世の道教的秘密結社であった。また宋代初期にいたるまでの禅仏教もそうだ。
イスラムではスーフィがいたし、インドではいろいろな流れがまざりあってタントラをうみだした。西洋では主としてグノーシス派ではじまる異端の系列として主としてあらわれ、民衆レベルでは「魔法」がそれであった。p187「インドよりもっとへの道」
「革命」はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに、ひとびとはそれをいま試行しつつある---ちいさな共同体での共産主義、あたらしい家族組織。(中略)
どのようにして彼らはおたがいに知りあうのか? つねにヒゲ、長髪、はだし、ビーズだとはかぎらない。
しるしはきらきらした、やさしい顔つき、しずかさとやさしさ、いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を、空、風、雲、木、水、動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち---これが部族だ。p207 「なぜ部族か」
この文章はすでに50年以上前に書かれたものだ。そして邦訳自体も40年前に出版されたものである。
3・11後に日本の詩人たちに乞われて日本を訪れ、被災地に足を踏み入れたあと、ゲーリー・スナイダーは、若い女性に問われて、次のように答えていることを明記しておこう。
私としては日本のカウンターカルチャーの行方にどのような見解をもっているのか興味があって、(引用者注 ゲーリー・スナイダーに)そのことを尋ねた。驚くべきことにその答えは、「たぶんカウンターカルチャーという言葉はもはや使われていないと思います」に始まるものだった。
「日本人のなかには、部族とナナオとその仲間がカウンターカルチャーであると考えているかもしれません。それは的外れであると言わなくてはならないでしょう。それはわずかな人々です。しかし、日本は変わり、他の社会の影響を受け、世界のカウンターカルチャーは広がりを見せました」と述べ、現在、日本において、原子力発電の継続について懐疑的になっていることや、アメリカで起こっている富裕層に対するデモ活動もカウンターカルチャーであると言っている。
またフェミニズム運動もカウンターカルチャーを経由して拡大したと述べている。カウンターカルチャーが、現代社会における、人間だけでなく、全生命の権利の尊厳を確立する文化的役目を担ってきたことに気づかされた。「現代詩手帖」 2012年7月号特集1 思潮社 p47 高橋綾子「カウンターカルチャーはどこにでもある」
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